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自殺をしたら天国へは行けないのがクリスチャンだと思いますが、
仏教徒でも、成仏できなさそう。

特に親を残して自殺したりしたら、まずい気がします。
両親とも亡くなった後なら、まだマシでしょうか。

死後の世界があるかどうかなんて誰にも分かりません。
個人的には、理性的でいる時には、死んだら肉が腐るだけ、と思いますが、
感傷的な時には、心は死なないような、霊魂が残るような気がしたりします。

たまに…たまにですが、自殺を考えることがあります。
父は亡くなって随分になります。
母はおります。同居です。
統合失調症の弟、同じく同居がおります。

自分のこと、兄弟のことなどで悲観した時、死を身近なものに感じます。

抗不安薬や抗うつ薬を過剰服用して、川の深い所に入ってしまおうか、とか。
(苦しくなさそう。)

将来、高齢で病気に蝕まれて亡くなったりするのを待つのではなく、
もし、自分で自分が死ぬ時を決めるとしたら、
それは不自然な死に方になってしまいますが、
成仏できないと思われますか?
「死んだら終わりで、灰になるだけ、腐るだけ」というのではなく、
ちょっと宗教的になりますが、成仏できるか出来ないか、
ご意見をお聞かせください。

A 回答 (5件)

私の意見



自殺したら、天国にも地獄にも行かないし、成仏出来ない。

有限の時がある現世、無限の時があるあの世、そのどちらでもない、時の狭間で、クラゲのように、ゆらゆらと漂い続けます。
そして、時の狭間に迷い込んだ魂は、永遠にその狭間からは出られない。
どちらにも行きたいが、どちらにも行けず、時の狭間で永遠に無味の時を過ごすことになる。
分かっているのは、自分が死んだこと、そして、現世とあの世を永遠に眺め続けること、これが自らの死を選んだ者に与えられる罰。
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この回答へのお礼

ご回答どうもありがとうございました。

お礼日時:2011/03/10 16:51

当方30代OLです。



自殺すると地獄へ行くかもしれないとのことですが、私個人は自殺は自分の奪ってきた生命を無駄にすることと考えています。
だって、鶏肉も豚肉もお米もすべて生物なんですよ。
私達が生きるためには、他の生き物の命を貰わないと生きていけないのです。
それだけでも、殺戮した動物を食べるだけでも地獄へ行くような罪と言えなくもありません。
そのうえ、自殺となると、これまで自分に食べられてきた動物の命はどうなるのですか?
倫理的観点から言えば、地獄行きは当然かもしれません。

また、あの世はあると私個人は思っています。

数年前に私も父を亡くしたのですが、葬式後しばらくして亡父が夢に出てきました。
夢の中で、真っ青で浴衣を着た父が、趣味でやっていた文芸作品の締め切りがあるので仕上げなければならないと言います。
次の日の朝、亡父の机の上に本当に原稿用紙に書かれた作品がのっていました。
家族一同、驚愕しました。実際本当にその日まで何も机の上にのっていなかったのです。

質問者様はご家族のことで大変ご苦労されているご様子。
どうか一人で何でも抱え込まず、誰かに助けを求めてください。
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この回答へのお礼

ご回答どうもありがとうございました。

お礼日時:2011/03/10 16:53

聞きかじりの生半可な知識でしかないですが。

。。

「成仏」とは「仏陀に成る」という意味です。
「仏陀」とは「悟れる者」という意味です。
「悟る」とはこの世の煩悩から解き放たれ、輪廻の苦から解き放たれる
状態を差し、「解脱」とも言います。

仏教の開祖である仏陀は、この世に生きることは苦行であると
言っており、それらから解放されることを目的としています。
ただ、その方法や手段、あるいは解放の意味などの解釈については
宗派によりずいぶんと異なります。
原始仏教やいわゆる密教は修行することで解脱を目指します。
浄土宗などは、凡人がいくら修行しても解脱することは無理で
あるとし、ただひたすらに阿弥陀如来にすがることで、死後に
(阿弥陀如来がいるとされる)極楽浄土に輪廻し、阿弥陀如来の
もとで修行することで解脱できるとしています。
(往生という言葉は、極楽浄土に行き、そこで生まれ変わるという
意味です)

ですので、基本的には仏教の世界ではその人がどんな死に方を
したのかということと、成仏できるかどうかは関係ありません。
たとえば昔の武士や大名などは切腹して死んだ人がたくさんいた
ことはご存じでしょうし、あるいは、仏教のある宗派の中には修行の
一つとして、自ら絶食しながら念仏を唱えたり瞑想しつつ、そのまま
死ぬことで仏になる即身仏というものがあります。
これは一種の自殺です。

ですが、自殺した人が全て成仏できるかどうかも保証されてません。
成仏という言葉の本来の意味を考えると、自分の人生に絶望して
自ら命を絶つような人間が「悟れる者」であろうか、とも思います。

さて、上記を踏まえて、その上でどう考えるかは自分次第です。
ですが自分だけでいくら考えても答えが正しいのか分かりません。
なんせ世界中で何千年もの間、いろんな偉人がそのことを真剣に
考えたからこそ、いろんな宗教があるのでしょうから。
ですが、質問者さんが成仏なんてことを考えるような日本人的宗教観を
持っているのであれば、一度最寄りのお寺を訪ねてはどうでしょう?
そこには我々よりもっと真剣に成仏について考えている人がいます。
そういった方に自分のモヤモヤした思いを聞いてもらうだけでも
ずいぶん違うのではないか、と思います。
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この回答へのお礼

ご回答どうもありがとうございました。
確かに切腹というのは、自殺には違いありませんね。

お礼日時:2011/03/10 16:54

 親鸞は『善人なおもて往生 す、いわんや悪人をや』と言っています。

これは“南無阿弥陀仏”を唱えることすら知らないような人こそ阿弥陀様はお救い下さるということらしいです。

 この伝でいけば、自殺を悪とも分からずに、それをしてしまったような人こそ阿弥陀様はお救い下さるってことになりますね。

 私は『高齢で病気に蝕まれて亡くなったりするのを待つ』のも嫌ですが、痴呆が出ていつ死ぬか分からなくなる(それさえ考えられなくなる)のはもっと御免被りたい。

 地獄か天国か分かりませんが、母が言っていたように「松の木の枝に紐を掛けられるうちに」と私も思っています。やはり人間は“死に方”が肝心なのだと思っています。

 母も癌、女房も癌、義父も癌で亡くなり、実弟は心筋梗塞であっという間でした。ひとり生き残っている?義母は痴呆も出て娘たち(義姉や義妹)も手に余っています。私はどう自分の“始末”がつくのかを考えざるを得ません。出来ることなら自分で“始末”する前にポックリ逝きたいものです。自分の“地獄”行きはかまいませんが、娘を地獄に引きずり込みたくはないのです。
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この回答へのお礼

ご回答どうもありがとうございました。

お礼日時:2011/03/10 16:54

成仏できるか出来ないか以前の問題です



親に自分の子供の死に顔を見せるほど親不幸なものは有りません

親より先に死ぬ事を仏教では“逆縁”と言って最も親不幸なこととされています

立場を変えて考えて下さい

貴方が親の立場で我が子の死に顔を見て葬式を出す光景を

「この親不孝者が」と貴方が叫ぶ姿が見えるでしょう 悲しい事でしょう

親が生きている内にしか親孝行は出来ません

親孝行は出来なくてもせめて親不幸だけはしない様にして下さい

森重久弥(故人俳優)が90歳近くで我が子(自然死)の葬儀に言っていました

「我が子の葬式を見送るのは辛いね」と

自然死だろうと親より先に死ぬのは大の親不幸です

成仏などと嘯くよりももっと肝心です 

親よりも1日だけでも良いから1日だけでも長生きをして下さい。
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この回答へのお礼

ご回答どうもありがとうございました。
亡父も、私が子どもの頃
「親より早く死ぬことほど親不孝なことはない」
と何度も言っていたことを覚えております。

お礼日時:2011/03/10 16:55

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