
私はキリスト教の人とは今まで一切交友がありませんでした。
避けてたとかではなく、周りにいなかったのです。
しかし、ネット上の知識やOKウェブの哲学カテの質問などを見て、敬虔な信徒というのは聖書(経典)の内容を本気で信じてるんだなぁと感じていました。
例えば神の実在や創造論などです。
なのでほかの宗教もそんなものかと思っていたのですが、ある時仏教浄土宗のお坊さんと知り合い、お話をさせていただいたとき、試しに
「お釈迦様は悟りを開いたことで神通力を得たと聞いたけど本当だと思いますか」
と聞いてみたところ、その方は苦笑しながら
「たぶん創作だろうね。どんな宗教でも教祖を神格化してしまうことはあるけど、真面目に仏教に取り組んでる人間がそういうことを妄信していてはいけないね」
と仰いました。
また、霊やあの世の存在などについても
「あるかもしれないし、ないかもしれないけど、とりあえずあると信じとけば、地獄に落ちたくなくて善行を積む確率が増えるから、あるってことにしとけばいいと思ってるよ」
それではお葬式は何のためにするのかと聞くと
「遺族を納得させるためであり、同時に社会秩序の維持の儀式」
というふうにおっしゃいました。
曰く、
「仏教は苦しみから逃れるための方法を追求するものであり、オカルトの実在とか神通力とかはどうでもいい。矢で射られたときにその矢の存在意義とか射られた運命とかを気にしてもしょうがない。さっさと治療しないといけない。その治療こそが仏教だ」
とのことでした。
私は驚きました。
非常に明快で合理的といいますか……
後日真言宗のお坊さんと縁があって出会った際に話を覗ってみると、ほぼ同じことをおっしゃられました。
あくまで仏教は方法論であり、救われさえすれば仏教である必要すらないと。
私は宗教家というものは教義の類を妄信してる人たちなのかなと思っておりました。
このカテの質問でも、仏教なら修行すれば御仏が降臨する、と考える人やキリスト教なら進化論が穴があるなら創造論が完璧な説だ、という人や科学的におかしいはずの聖書の内容を正しいと言う人もおりましたし。ただ、その人たちが単なる信者なのか僧侶や牧師のような専門家なのかはわかりません。
そこで気になったのですが、キリスト教の神父さんや牧師さんなどはどうなのでしょう?
このお二人が仏教系僧侶の代表とは言えないにせよ、それに近い感覚でキリスト教をあくまで衆生救済の手段として考えている人などはいるのでしょうか?
つまり、聖書の内容は人々を導くために描かれた創作であり、人間に都合のいい神はいないと考えているが、キリスト教というシステムが救いになると考えているから神父をやっている、というような人は実在するのか。
バチカンが近年まで進化論を認めようとしなかったとか、アメリカで日本の今回の地震はキリスト教を信仰しようとしない日本人への天罰である、と主張する人もいると聞くと、偏見ではありますが神父さんなどはやはり聖書の内容は絶対的であり、神は絶対に実在するのだ、と考えるのが一般的なのでしょうか。
乱文で分かりづらいかもしれませんが、よろしくお願いします。
A 回答 (18件中1~10件)
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No.18
- 回答日時:
No.15です。
生命の発生から人類に至る進化というものを成立させるためには、それらをつなぎ、次の段階へと移行させる方向性を持った力の存在が必要になるわけですが、ゾウリムシがミジンコになることもトカゲがワニになることも、実はまったく説明できてないのです。
説明の付かない力として説明できればよかったのですが、それは学者のプライドが許さないので、そこをすっ飛ばして説明することになり、結果、非科学的なものが科学的と誤解されたまま、私達は教育を受けることになるわけです。
説明できないんだから、神がいることが証明された、などというつもりもありません。ただ、科学的と錯覚してたものが、実はそれほど科学的でも論理的でもなかったということを説明してるだけです。
神がいないという考えが科学的・論理的と誤解したり、神がいるという考えが非科学的・非論理的と誤解したりする原因のひとつはそういうところにあるわけです。
この回答への補足
できればもう少し専門的な観点からお話いただけないでしょうか?
一応、自分は大学で生物を専攻してきたのでそれなりに高度な話にもついていける自信はありますし、もしここに書けるような分量ではないのでしたら、参考になるサイトや文献など、ご紹介いただけないでしょうか。
あと、もう一つ、創造論が最終的に正しいと証明されたとします。
これはこれで十分ありえることだとは思います。
しかし、その創造者はキリスト教の唯一神とイコールと言えるのか、どうでしょう。
それは単に生命を生み出す能力をもっただけの慈愛も人類への愛情もかけらももたない宇宙人かもしれませんし、人類には理解不能なスパゲッティモンスターかもしれません。
よろしければご回答願います。
ご回答ありがとうございます。
しかしながら少々科学に対して偏見がおありのようです。
説明の力とプライドうんぬんについてですが、説明のつかないものを説明がつかないままでは雷が神様の怒りだ、というのと同じではないですか?
古来哲学者などはイオンの流れだとか気体の体積と圧力の関係は分からずとも自然界の様々な働きを理論立てて理解しようとしてきました。
結果、それらの多くは事実とは異なっていましたが、その思考方法や論理は後の科学の発展に多いに寄与しており、現代の観点から見ても優れていると言わざるを得ません。
進化論についても別にプライドどうこうではなく、様々なデータをもとに構成された理論です。あるいは間違っているかもしれませんし、正鵠を得ているかもしれませんが、その結論に至った流れは立派な科学です。
もう一つ、教育の問題は科学ではなく政治の問題です。問題をすり替えてはいませんか?現代日本は政教分離が基本原則であり、そもそもキリスト教国家ではないのだから神の実在について学校教育で教える義務はないでしょう。
仏教や神道と同様、キリスト教もまたローカルな地方宗教の一つでしかないということを忘れてはいけません。
だからこそ、義務教育においては特定の宗教の強い影響を受ける思想は教育するべきではないと思います。
そういう意味では創造論はあまりにもキリスト教の影響が強すぎる。むろん、将来的には進化論が否定され、なんらかの存在によって地球生命が創造されたと証明されるかもしれません。しかしながら現代の創造論は事実云々ではなく科学としての体裁がとれていない。学校教育の理科において重要なのは科学的な思考法を伝えることが大切です。
例えば高校までで教えている原子の概念やニュートン力学は(原子核の周りを電子がぐるぐる回っている)は本来は誤りですが、科学の入門としては適切です。同時に生物の成り立ちにおいて進化論に端を発する考えを教育することは適切だと考えます。
それ以上のことについては大学なりなんなりで専門的に勉強し、進化論を否定するのもまた自由です。
そもそも学会では進化論を否定する自由も許されているのですから。
宗教の勉強がしたければキリスト教系学校なり仏教系学校なり、ちゃんとありますしね。

No.17
- 回答日時:
NO.4です。
<組織的実利と言えば、今回の地震や、あるいは今までの世界中での大災害において、キリスト教なり仏教なりはどのくらい寄付とか災害支援とかしたんですかね。
ニュースでは企業や台湾なんかの巨額の寄付や、様々な軍や自衛隊の救助隊の活躍はよく報道されますが、宗教組織はどうなのでしょう。>に対してです。
震災後にいくつか教会を巡りましたが、どこの教会でも寄付やボランティアなどの奉仕活動を行っていると仰っていました。『寄付が集まりすぎて困っている』と話す人もいた位です。
宗教が良いか悪いかは私には分かりませんが、奉仕活動をしている人もいる、ということです。
ご回答ありがとうございます。
やはり宗教法人はこういうときにこそ活躍しないとな、と思っているので、素直にうれしいですね。
喜ばしいことです。
No.16
- 回答日時:
No.2&12です。
★(No.12お礼欄) ~~~~
でも、三位一体って、聖書にそう書かれていたのではなく、後の宗教会議で決まったのではなかったでしょうか?
それは果たして神の教えと言えるのでしょうか?
むしろ解釈の一種な気もしますが。
~~~~~~~~~~~~~~
☆ 《解釈の一種》で何故いけませんか?
★(趣旨説明) あくまで仏教は方法論であり、救われさえすれば仏教である必要すらないと。
☆ 聖書も同じですよと言っています。
なぜ同じだといけないのでしょう?
教会に属して さらには聖職者としてでなければ 回答を寄せることは出来ないということでしょうか?
見えざる教会は 世界をつらぬいているはずです。
ひとと社会のあり方が分かっただけでも 生きることそして共生のあり方について大いにすくわれるのではないでしょうか?
むしろあなたに偏見がおありではないですか?
この回答への補足
組織的実利と言えば、今回の地震や、あるいは今までの世界中での大災害において、キリスト教なり仏教なりはどのくらい寄付とか災害支援とかしたんですかね。
ニュースでは企業や台湾なんかの巨額の寄付や、様々な軍や自衛隊の救助隊の活躍はよく報道されますが、宗教組織はどうなのでしょう。
日本の場合宗教の報道は自粛する傾向があるのか、よく分からないんですよね。
おっと、これは失礼しました。
ほかの方の回答と頭がごちゃごちゃになっていまして、キリスト教の宗派によっては聖書を言葉通り信じることが重要であり、余計な解釈はしてはならない、という教えがあったと思いまして、そこと矛盾するなと感じた次第です。
回答者様のNo2の回答を読み直すと、回答者さまは聖書を言葉通りに信じるのではなくその中に秘められる真意を読み取ってこそ真の信仰と考える方だったようですね。
申し訳ありません。それなら矛盾しません。
あと、私は別に教会なり特定仏教宗派に所属しないといけない、とかそういう考えとは正反対の考えです。そういうのは所詮ただの形式、お役所仕事と同様。
愛情がなかろうが一緒に生きる意志がなかろうが書類さえだせば結婚できる決まり事と同様、内実が伴わなければ無意味、逆に内実があればそれらの形式は不必要、と考えております。
そういう意味では回答者様の考えに近いのではないかと思います。
むろん、役所が実際の生活に役立っているように、教会その他の組織も利益があるのならその実利面は否定すべきでないとも考えておりますが。
No.15
- 回答日時:
NO.14です。
はい。私もさすがに、単にこれまでの創造論を主張するつもりはないです。それでは稚拙すぎます。進化論と創造論を聞けば、
進化論の方が、それらしく聞こえるというのも、十分に理解できます。
ただ創造論を5点としたら、進化論は80点位の及第点が取れて
いるかというと、実は、それも30点くらいで、実は、まだ、
何も分かってないような状態なんですよ、ということです。
創造論より進化論のが何となくマシだから、神様がいないとか言う話
ではなく、実はどちらも50歩100歩の不合格な理論に過ぎないわけです。
つまり、私達がこれまで受けた教育の中では、不合格な理論・理屈で、
これが科学的な思考なのだと錯覚してる面があるので、そこに
注意しないといけないですね、と言いたかったわけです。
この回答への補足
>ただ創造論を5点としたら、進化論は80点位の及第点が取れて
>いるかというと、実は、それも30点くらいで、実は、まだ、
>何も分かってないような状態なんですよ
これは興味深いですね。つい先日も胚の発生について革新的な発見がありましたし、専門レベルでは常に古い考えを覆す新しい発見がしょっちゅうでてきて、めまぐるしいと同時に楽しいものです。
age1118様は進化論関連を詳しく追求されてきたのですね。
正直申しますと、私は生物学を学んできたといっても進化関連とは全く関係ない内容を専攻しておりまして、あまり専門知識や最新の知見はもっておりません。
よろしければ現行の進化論にどのような問題があるのか、氏の考えを教えていただけますでしょうか。
これは失礼しました。
霊界という言葉に過剰反応してしまったようです。
オカルト関係は人間の認識外のことを扱うために否定も肯定もできず根源的な感情面に向かって訴えられるので対応に困ることが多々あるのですね。
上述の浄土宗のお坊さんのように自然に反応できるようになれればいいと思うのですが。
No.14
- 回答日時:
No.7です。
>>私も現代の科学教育がなければ世界を作ったのは神様だ、というふうに考えていた可能性は高いかと思います。現代の教育では、論理的な思考で、深く追求するという部分が多少欠如してるので、今の無神論的な教育の中で、進化論とかを表面的に教えられると、特に疑問を持つこともなく、神とか霊界とかというものを深く考えることは難しいかもしれませんね。
例えば、進化論について、深く調べてみると面白いかもしれませんよ。科学的と信じてた理論に、随分、問題点があることに気づくでしょう。それが、進化学にならない理由です。
ご回答ありがとうございます。
進化論についてですが、一応、私は大学の生物学系の学部にて専門教育を受けた身です。
進化論は専門ではないですが、遺伝や進化の知識はあります。
現状の進化論については確かに不完全なところが多く、進化を到底完全には説明できるものではないと思います。
いずれ、全く別の理論に置き換わるか、現状の不完全さを解決するブレイクスルー的なデータなり理論なりが出てくるまで進化学にはならないでしょうね。
さすがに進化論が間違いだから、という否定の理由と聖書に書かれていたから、の2つしか論を示さない創造論よりはマシかな、と思いますけど。
No.13
- 回答日時:
プロテスタントのクリスチャンです。
モルモン教、エホバの証人、統一教会とは関係ございません。ご質問の内容をお読みして、ご質問をまとめますと、キリスト者は聖書を文字通り信じているのかということだと思われます。聖書には次のように書かれています。
18.この書の預言の言葉を聞くすべての人々に対して、わたしは警告する。もしこれに書き加える者があれば、神はその人に、この書に書かれている災害を加えられる。 19.また、もしこの預言の書の言葉をとり除く者があれば、神はその人の受くべき分を、この書に書かれているいのちの木と聖なる都から、とり除かれる。(ヨハネの黙示録22:18-19)
つまり聖書に聖書以外の意味をもつ言葉を追加してはならない、また聖書の意味を損なうような削除をしてはいけないという意味だと思います。まず聖書にいろいろの翻訳があります。日常的に書かれているものとか古い言葉で訳されている聖書とか総数はかなりの数にのぼると思います。そのような聖書を読み比べてみると明らかなことは翻訳者の力量や持っている語彙により色々な表現がなされていることがわかります。従いまして聖書を異なる言葉で書き変えることは全く問題のないことですが、意図や真意を変更することは認められないことがわかります。
聖書には物語やたとえ話が数多く見られます。登場人物をヤコブと呼ぼうがジェームスと呼ぼうがジェイコブと呼ぼうが意味が間違いでなければ問題ないことと言えます。表現形式や言語を選びません。真理や真意に誤りがないならば言語や説明の順序などは副次的なことになります。キリスト教の世界では言葉のあそびや揚げ足取りは意味をなしません。
プロテスタントの一クリスチャンとしては聖書を文字通り信じていますが、翻訳ごとに表現が異なりますので、正確には聖書の伝えようとしていることはすべて信じるというべきなのかもしれません。おとぎ話に聞こえるようなたとえばなしでもそのまま私は信じます。その物語も聖書の語る真理をサポートしているからです。
私どもプロテスタントのクリスチャンが聖書以外に教典をもつ教団や聖書の一部だけを神の言葉として強調し、他の部分をないがしろにしているのであれば私どもは彼らとは異なりますと言わざるを得ない所があります。
>キリスト教というシステムが救いになると考えているから神父をやっている、というような人は実在するのか。
たしかに聖書に基づいてキリストは人々を救いに導くと皆さん信じているので、伝道という方法でのべ伝えるとは思いますが、キリスト教が救いをもたらす一つの道具のようには考えていないのではないかと想像します。むしろ神様がのべ伝えなさいという命令を自分の問題として受け止めて活動していると思います。またはやむに止まれぬ気持ちで伝道していると思います。
>やはり聖書の内容は絶対的であり、神は絶対に実在するのだ、と考えるのが一般的なのでしょうか。
プロテスタントの世界ではその通り信じています。もし神が存在していないかもしれないなどと考えながら伝道する牧師や親父でであったら、それは大変な苦しみだと思います。私どもクリスチャンは自分がハッピーになった原因が神様にあるので、神様の話をしたいと思うものです。それ以外の理由は聖書の本来の意図から外れています。
ご回答ありがとうございます。
全ては神の思し召し、ですか。
そうした考えは宗教の発生を考えると妥当だとは思うのですが、そう聞くと、つまり自分たちは神の気分次第で幸せになったり不幸になったりしてるということなのかな、という気分になりますね。
因果に縛られている、という意味ではある意味で、仏教にも似た感覚は受けますけれども。
No.12
- 回答日時:
No.2です。
さらに解釈例をかかげてみます。
◆ (創世記1:27) 神はご自分にかたどって人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。
☆ この内容を図式において示すかたちです。
○ (ひとと社会の成り立ちについての図式) ~~~~~~~~~~~~~~~~
光のたとえ・・・・・・・・・光(光源・・・・・・発耀・・・・・明るさ・暖かさ)
三位一体なる神・・・・・神(父なる神・・・子なる神・・・聖霊なる神)
____________________________
スサノヲ市民( S )・・・アマテラス公民( A )
____________________________
身体〔の運動〕・・・・・精神・概念(記憶・・・・・知解・・・・・意志)
・・・・・・・・・・・・・・・・・↓・・・・・・・ (↓・・・・・・・↓・・・・・・・↓)
[S者/S圏]
個体・・・・・・・・・・・・家 族 ( 秩序・・・・・労働・・・・・・愛)
社会主体・・・・・・・・自治態勢(自治組織・・〔生産〕・・共同自治)
経済主体・・・・・・・・生産態勢(組織・・・・・・生産・・・・・・・経営 )
政治主体・・・・・・・・・↓ ・・・・・・・↓・・・・・・・・↓・・・・・・・・↓
[A者/A圏] ・・・・・・・↓・・・・・・ ・↓・・・・・・・・↓・・・・・・・・↓
社会科学主体・・・・・社会形態(社会組織・・経済活動・・・政治 )
〃・・・・・・・・・・・・・(国 家 : 司法・・・・・立法・・・・・・・行政 )
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ 社会形態として三権分立のかたちにまで及んでいると考えられるところが みそでしょうか。
もう一つには イエス・キリストの存在について つぎの命題です。
○ イエスは ヨセフとマリアから生まれたひとりの普通の人間である。このイエスが 人間であると同時に キリストと呼ばれる神――神の子であり みづからも神――であった。
○ マリアは 人間イエスの母としてふつうの女であり 神の子キリストの母ということ(想定)になれば 聖母マリアであり その懐胎は聖霊によると言われる部分がある。こうなります。物語ですから。
○ 三位一体すなわち 三つの位格(ペルソナ)が一体であるという意味は 上に光のたとえで説明しましたが そのとき 一つひとつのペルソナは ほかのペルソナと等しい。ということが 大事です。
子の父は 父の子および聖霊とそれぞれ等しく 父の子は 子の父および聖霊とそれぞれ等しく 聖霊は 父および子とそれぞれ等しい。また それぞれのペルソナは その一体なる全体とおのおの等しい。
無限の三分の一は 無限です。
ご回答ありがあとうございます。
3というのはキリスト教発生以前から神聖な数値とされていたようで、人にとって重要な数のようですね。
でも、三位一体って、聖書にそう書かれていたのではなく、後の宗教会議で決まったのではなかったでしょうか?
それは果たして神の教えと言えるのでしょうか?
むしろ解釈の一種な気もしますが。
No.11
- 回答日時:
すいません再度回答させていただきます。
創世記1章に神はご自分を形どって男と女をおつくりになった。
とあり、神ははおつくりになったすべてのものをご覧になった。見よ、それは極めて良かった。
夕べがあり朝があった。第6の日である。次の第2章では天地万物は完成された
~この日二神は全てに創造の仕事を離れ安息なさったので、代七の日を神は祝福し、聖別された。
この後また第2章でも、人が作られた由来が別に書かれています。
主なる神は人を連れてきて、エデンの園に住まわせ、人が底を耕し守る様にされた。
キリスト者は全てを鵜のみにしている訳ではなく神が人間に何を求められたかという寓意
をくみとっているのです。すべての自然を作り一番あとの人間を作られた。
イエスの教えは非常にシンプルです。ルカによる福音書10良いサマリヤ人に要約されます。
彼は答えた「心を尽くし精神をつくし、力を尽くして、思いを尽くして、
あなたの神である主を愛しなさい。また隣人を自分のように愛しなさい」
別の個所では「自分のして欲しい事お他の人にしなさい」と教えていらっしゃいます。
今日はこの辺で、言葉が足りなくてすみませんでした。
また分からないところがあればご質問なさってください。
ご回答ありがとうございます。
やはり、基本原則は慈愛ですね。
素晴らしいことだと思います。
私自身はキリスト教徒ではないし今後信仰することもないでしょうが、そういうよい考えは受け入れていきたいですね。
No.10
- 回答日時:
キリスト教信徒と名乗るのもおこがましい者です。
聖書の分からない部分まで鵜のみしようとは思いません。
例えば40日であらわされる期間が本当にそうであった訳ではなく、
長い期間を指す、いわば代名詞の用なものだと言うのも聖書を読む上での
約束事です。分からない部分をおいても、自分を励まして生き方を示してくれる
書物であることは信じています。
例えば、イザヤ書をとっても啓示の書だと思います。
私にとって聖書は尽きることのない魅力の書キリスト者の言葉で言えば
汲めども尽きぬ命の泉なのです。この度の地震も地球とはそのように作られている。
決して人間の都合に合わせて作られているものではない。
と言うことを知りました。私達は地球上の独裁者ではなく、
共存者であり良き管理者であることを学ばねばならないと思いました。
言葉足らずですみません。
イザヤ書55章9節より
天が地を高く超えているように
私の道はあなたの道を私の思いはあなた達の思いを高く超えている。
雨も雪もひとたび天から降ればむなしく天に戻ることはない。
それは大地を潤し、芽を出させ、おい茂らせ種まく人には種を与え
食べる人にはカテを与える。
そのように、私の口から出る言葉もむなしくは、私のもとに戻らない。
それは私の望むことを成し遂げ
わたしが与えた使命を必ず果たす。
わたしたちに与えられた使命とは大き意味があると思いますが
困難な中におられる方たちにできることをしなさい。と今回は読みました。
ご回答ありがとうございます。
管理者、ですか……
独裁者ほどではないにせよ、どうにも上から目線的な感じがします。
キリスト教的というよりは西洋的、というべきか。
それとも西洋的なものがキリスト教的なのか。
キリストの逸話を聞く限り、キリストの教えの基本は慈愛を持って他者に接しなさい、というように私には感じられるのですが。
No.9
- 回答日時:
連投すいません。
洪水は40日間あり、イエスも40日間修行をし、他の有名な人たちも40日と書かれており、私はこの40日はいったいどこから来るのだろうと不思議に思うんですね。
洪水が穢れを清めるという意味合いで例えで語られているので、その流れで穢れたイエスが禊を終えるのに40日かかったとなっているわけですが、何故40なのか。
天文学的なものなはずですが、どうして40日となったのかはわからないです。
仏教でも49日とか 近い数値で穢れが清められる期間が制定されていますよね。
で、新約聖書の中に道端に倒れている人がいて、聖職者はなるだけその倒れている人から離れて通過したわけですが、何故聖職者はなるだけ離れて通過したのかというと、倒れている人は死んでいるかもしれない、あるいは病気にかかっているかもしれない。
その人に触れてしまうと、聖職者が穢れてしまうので、聖職者は穢れないように、なるだけ遠巻きに通過したってわけです。
みんな誰も近寄らないのに、サマリア人は倒れている人を助け起こして宿屋に連れていき、費用を前払いして自分は仕事の続きをした。
イエスの良き隣人のたとえ話です。
で、日本が被災した直後から、外国人の出国ラッシュだそうです。
穢れた日本に近づいてはならないと、日本に行く予定だった人は、渡航をキャンセルしている。
日本で働いていた外国人は、日本から出国するか、東京も穢れているからと、関西とかに逃げているらしいです。
サマリア人のように良き隣人となれ というイエスの教訓など くそっくらえと、口ではきれいごとを言えるのに、実際そのような状態になったら、倒れている人を助け起こすどころか、近寄ると穢れると放置することを自然と選ぶ。
つまり、いざというときは 信仰は何のたたないもので、聖書はお尻を拭くことにも使えないゴミでしかないってことを、今回証明したのではないか と。
ファンタジーに酔いしれるが、実際自分の身に関係あることが起こったら、逃避することを本能的に選ぶ。
洪水により 今まで作り上げてきたファンタジーの世界が崩れ去った。
思うんです。
モーセの時代はおうし座からおひつじ座に変わった時代なので、牛の偶像が破壊されたわけです。
おひつじ座からうお座に変わったとき、またファンタジー物語が再現されたので、新しい時代の到来としてイエス物語が再販された。
プラトン年というものがあり、2千何百年かで時代が変わるとされ、今度はみずがめ座の時代なんです。
性格に西暦何年からみずがめ座の時代に入るとは決定できないですし、それで天変地異が起こるってわけじゃなく、あくまで地球の地軸が時計の針のようにみずがめ座の方角を指すだけの話。
ですが、それを引き合いに出して、今回の地震と津波をみずがめ座の時代が到来した兆しと言うこともできるわけです。
しかし、そのようなファンタジー物語を妄想することに、今回の日本の被災が使われてしまうのは、、、、
不謹慎な話ですが、それをもって「自分の権威」を誇示する人もいるわけです。
良き隣人の例え話など知ることもなく、倒れている人に対して、助け起こす。
それを日本はやってきたし、これからもやるわけです。
日本国憲法の前文にも書かれており、それが日本の柱です。
そのような柱を持つ国に、いくらキリスト教が口先だけで実際になったらやれやしないことを、布教しにやってきても、日本の柱はびくともしない。
これからもびくともしない。
世界の人は、何故日本がここまでになっても、冷静でいられるのか、わからず、どんな信仰があるのだと思うかもしれない。
日本の国体自体が信仰であるとわからないので、理解に苦しむと思います。
日本人はやっぱりわからない って。
目の前にいるのにね。 見えていない。
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