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聖書に書かれています。
日本人の発想と違うような気がします

A 回答 (3件)

こんにちは。



まず、マタイの7章13 以降の「狭い門」は、聖書の引用をみると、ルカ13章22 から、「狭い戸口」の中に、
[そこでイエスは人々にむかって言われた、「狭い戸口からはいるように努めなさい。事実、はいろうとしても、はいれない人が多いのだから。]ルカ13:24 (口語訳)

とあり、マタイのくだんの対立のレトリックは、おそらく、後々編纂されたものだと思われます。

>日本人の発想と違うような気がします
一見、日本の仏教にも、浄土真宗には、「聖堂門」と「浄土門」という似たような対立のレトリックはあるものの、根本的な概念は違います。

よく調べてみると、聖書に出てくる「門」という概念は、ユダヤ・キリスト教に際立った思想かもしれません。門は、歓迎と通行の禁止の両方を指し、選別の概念を持つことになるわけです。また、「鍵」という概念も出てきます。マタイのくだんの章では、命や救いを得るための条件として、「悔い改め」と「信仰」という狭き門を通行するように、勧めています。
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日本にも良薬は口に苦し。


急がば回れ。
というような諺がありますが。

むしろ、世界中で思想信条の違いを越えて、
同じ発想だなと思いますが。
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「狭き門」だけ知って「広き門」の事を読まないから、おかしな事になります。



マタイによる福音書7章で語られるイエスのたとえ話は、

「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない。」

となっていて「狭い門」と「広い門」が対照的に語られます。

この後、「偽預言者」の話をした後、「良い木と良い実」「悪い木と悪い実」が対照的に語られます。

そして、「御心を行う者」と「主よ主よ」と言う者たちが対照的に語られたあと、「岩の上に建てた家」と「砂の上に建てた家」が対照的に語られます。

これら「二者択一」と「二者の対照」を理解しないと、この部分を「読んだ」とは言えません。
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