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聖書がそう教えています。
たとえ間違いに近い事、間違っていたとしても世の中の秩序維持の為権力者、裁判官の言う事は聞きなさいという意味でしょうか?

A 回答 (4件)

悪法も法なり、ということではないんですか。



これは法実証主義と言われているもので、
これに対しては自然法思想からの反論が
あります。
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その前に聖書にそんな事は書かれていません。

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自身に都合の悪いことをいう人は皆悪人でしょ?



たとえ公正な裁判が行われたとしても罰せられる被告人に反省の意思がなければ、
被告人から裁判官は悪人に見えるわけです。
違いますか?
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 聖書そのものの信ぴょう性と正確性を論議してからじゃないとこの問題については解決しません。



 聖書が数十人による連続的報告書であり事実関係を一人称で書いている限りは「公正」ではなく、正しい歴史認識からの「教え」を唱えているとはいいがたい章も多いのです。こうしたああしたという事実というか史実(これも本当かどうかは不明)の羅列にしかすぎず、そこに「教え」が果たして存在するのかは読む人の取り方です。こうしなさいという章は「新約聖書」になってからです。それもイエスの言葉からそれが正しく人を救ったというだけで、反論が起きなかった事例がないわけではありません。もしも、彼の言動が万人に受け入れられるのであれば処刑はされなかったでしょう。その点でも彼は悪の裁判官に従って民族という縛りから抜け出せずにいたということになります。
 それを今の世の中に反映し、自分なりに解釈してみるのは自由ですが、果たしてそれが秩序維持になるのかは不明です。

 人間が行う限りは間違うこともあるから、日本に置いては最高裁まで少なくても三回は審議が行われることになります。

 よって、何をもって「悪い裁判官」だとするのか、尚且つ「何故それを受け入れることが困難であるのか」を言及しないといけません。

 哲学者でも答えを持っていないでしょう。というよりも、聖書そのものについてまずは精査をしなければはじまりません。
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