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画像のような文章(手書きですみません。会話文中を抜き出しています。)があるのですが、日本語訳に「きっと聖人がいて周に行くだろう」と書いてありました。
そこで一つ疑問があります。この日本語訳では"聖人"が主語になっていますが、もしそうなら、
「聖人有、当適周。」というように"文頭"に入れるべきだと感じます。(文意は異なってしまうかも)
なぜ文頭になくても主語として訳せるのか、教えていただけると幸いです。

「漢文について」の質問画像

A 回答 (2件)

すみません。

今回の場合は、「適周」は「周に適(かな)ふ」ではなくて、「周に適(ゆ)く」と読むのですね。失礼しました。どちらの解釈も可能なのかもしれませんが、今回は最初から「適(ゆ)く」という送り仮名のようなものが振ってあるのに、それを軽視してしまっておりました。
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漢文に詳しいわけではありませんが、私なりに回答します。



書き下し: 当(まさ)に聖人有りて、周に適(かな)ふべし。

和訳: 当然のことながら、聖人が存在して、周(という国?)に適合するはずだ。

「当適周」ならば、「当然のことながら周に適うはずだ」という意味になりますが、「当」が「有」の前にあれば、「当」が「有」を修飾するので、「当然のことながら(聖人が)存在するはずだ」という意味になると思います。

もし私の解釈に間違いがあれば、漢文に詳しい人たちが正しい答えを出して下さるでしょうから、そっちの方をご参照ください。
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