世界四大文明というと、エジプト・メソポタミア・インダスそして中国文明となっています。
そもそも、中国文明とは黄河文明と長江文明のことであり、双方はやや距離的な隔たりがあります。
当時の人の移動半径を考えると双方は独立して生まれたのでしょうか?どちらも、黄河、長江と大河の流域で農耕をするのに適していますね。

A 回答 (1件)

半分 岡田英弘先生の受け売り・曲解ですが・・・



1:古代文明は、商業ネットワークである。
2:商人(自分で食物を作らない)のニーズで農業生産が拡大した。

というのが、岡田先生の古代文明の基本的な視点です。

ここには、四大河川の存在は関係ありません。
※ 現代日本人の感覚では、水利がないと農耕が発展しない、農耕が発展しなければ文明でない、という重農主義です。
※ 河川を前提にしてしまうと、マヤ文明やインカ文明の発生の説明がつきません。
※ 黄河文明の中核は、黄河を渡ることが出来る(交易が出来る)洛陽=開封の間になっています。(中原地区)

商人の交易ネットワークが古代文明とすると、黄河も長江もそんなに離れていません。距離的には、エジプトとメソポタミアと同程度ですね。600キロと800キロくらいです確か。

字源の白川静先生の本では、中原地区に流れてきた人々は、山東省あたり、山西省あたり、しゃんしー省あたり(西安のあたり)そして、湖北省あたりだと書いてありました。湖北省といえば、長江中流ですね。

どの段階で古代文明だ!というのもありますが、幅広い地域性の一種ではないでしょうか
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Q一之江駅に・・・

 都営新宿線の一之江駅にタクシー乗り場はありますか? また、船堀駅と一之江駅から車で西一之江4丁目に向かうのに、それぞれどのくらいの時間kがかかりますか。 その辺の地理には全く疎いのでどうぞ宜しくお願いします。

Aベストアンサー

一之江駅には環七口と東口があり、どちらにもタクシー乗り場が整備されているものの環七口にタクシーが停車していることは少なく、タクシーにすぐ乗りたいのであれば東口から出たほうがいいです。

Qメソポタミア文明とエジプト文明と古代ギリシアの関係

メソポタミアとエジプトの文明は、制度・宗教などでは大きな違いはありますが、相互の交流はあったようです。
インターネットなどでは、「エジプトはメソポタミアから多大な影響を受けた」などと書かれていますが、具体的にどのような影響なのかがわかりません。逆に「メソポタミアはエジプトの影響を受けていた」というようなことは見当たりませんでした。
質問:
(1)エジプトはメソポタミアから一体どのような影響なのでしょうか?
(2)文明としてメソポタミアの方がエジプトより進んでいたということでしょうか(例えば、政治などの制度や文字・暦などの創造で)。

もう一つ、
(3)古代ギリシアはエジプト、メソポタミア文明にどの程度影響を受けたのでしょうか?

Aベストアンサー

>)エジプトはメソポタミアから一体どのような影響なのでしょうか

パッと思いつくのは、鉄器文化です。
ただ鉄器を一番初めに使用したとされるのは、ヒッタイトですから、メソポタミアとは少し場所的に違いますが。

>文明としてメソポタミアの方がエジプトより進んでいたということでしょうか

そうではないと思います。
エジプト・メソポタミア・ヒッタイトの各文化圏は、シリアで重なっています。
シリアを通してお互いの文化が交流されたのだと思います。
ただ、軍事的に後に現れたアッシリアに全て併合されてしまいますから、軍事的には、歩兵主体のエジプト軍は、戦車主体のアッシリアにかなわなかったのでしょう。
同じ事は、歩兵主体のバビロニア(メソポタミア)にも言えます。

Q揚子江から長江というようになったのはいつからですか

昔は中国一の大河は揚子江と習ったものでしたが、今は長江と習いますよね。中国では昔から長江と呼んでいたのでしょうか?
しかし揚子江は日本がつけた名称とは考えにくいのですが、なぜそう呼ばれていたか(支流の名称?方言?)そしていつ頃から長江に統一されたのか教えてください。
また、気象では今も揚子江気団といいますよね。近い将来は長江気団と呼ばれるようになるのでしょうか?

Aベストアンサー

こんにちわ(/は)。

>中国では昔から長江と呼んでいたのでしょうか?
日本人の言うところの「揚子江」は、中国では古代から「長江」chang2 jiang1:チャンジャンと呼称されています。
中国で「揚子江」と呼称する場合は、「長江」の下流域を指します。大雑把に言うとこの下流域とは上海のあたりのことです。
正確に言うと江蘇省の西部から、上海の東寄り(ず~っと内陸部)あたりまでの範囲。現在でも「長江」と「揚子江」は区分けして呼びます。

100年200年前に中国にも、キリスト教関係の伝道師が入ってきました。中国の澳の内陸部ではなくて沿海地区だけでした。そのときに土地の人から耳にしたのが「揚子江」です。yang2 zi3 jiang1:ヤンズージャンという音です。その後各外国にも「揚子江」という呼称が伝播していきました。日本にも伝わりました。最初に入ってきた名前が「揚子江」だったので、「長江」全流を「揚子江」と言うようになってしまいました。つまり誤用です。日本で、この河の全流を「長江」と呼称する様になったのは正しい方向ですね。

正確に言うと、「長江」と「揚子江」は全く違い意味です。「揚子江」は下流の一部分のみ。「長江」は全流を指します。

>気象では今も揚子江気団といいますよね。近い将来は長江気団と呼ばれるようになるのでしょうか?
気象学で言う、揚子江気団は上述の地域の上空の気象環境を指すので将来的にも変動はしないはずです。「長江」全域の気象環境をいう言語が仮に存在したとすれば長江気団と言うかもしれませんね。

いずれにしても、「長江」は6000KM全流を指し、「揚子江」は「長江」の下流の一部を指し、別の呼称です。中国でもはっきりと分けています。

以上です(^^♪。

こんにちわ(/は)。

>中国では昔から長江と呼んでいたのでしょうか?
日本人の言うところの「揚子江」は、中国では古代から「長江」chang2 jiang1:チャンジャンと呼称されています。
中国で「揚子江」と呼称する場合は、「長江」の下流域を指します。大雑把に言うとこの下流域とは上海のあたりのことです。
正確に言うと江蘇省の西部から、上海の東寄り(ず~っと内陸部)あたりまでの範囲。現在でも「長江」と「揚子江」は区分けして呼びます。

100年200年前に中国にも、キリスト教関係の伝道師が入...続きを読む

Q黄河文明、なぜ黄河?

他の4大文明は、インドでありメソポタミアでありエジプトであり、緯度が低く温暖で水が豊富でいかにも米なり小麦なりの穀倉地帯でいかにも余剰生産力たっぷりに思えます。
ただ黄河だけは、どうにもそこまで肥沃な地帯に見えません。
wikipediaによるとどうにも粟だったようですし、なぜ世界に名だたる文明になったのでしょうか?
またなぜ中国の中心地が黄河流域になったのでしょうか?
揚子江で先にどんどん文明が栄え南部が北部を支配する構図であれば理解しやすいのですが現実には中国史はしばらく黄河流域を中心としています。

Aベストアンサー

文明は途切れること無く成長し、現代に続いている。

というわけではなく、けっこう途切れちゃう。
途切れちゃうから「発掘」なんてことが起こる。

だもんで、黄河も長江も途切れちゃっています。

続いているのは洛陽からその南部にかけて。
ここは黄河の支流である洛水や淮河の上流部に近い
http://en.wikipedia.org/wiki/Huai_River#mediaviewer/File:Huairivermap.jpg

水系の違いは、主食とする食物の違いを導き、主食の多様性を促します。つまり飢饉に強い農業が可能だった。
近代史で、アイルランドのじゃがいも飢饉が典型のように、単作農業は文明の継続にとって非常に危険な選択肢となります。

継続させた農業生産システムにおいて、No6の方のように乾燥地帯のほうが管理しやすいということがあります。

Q一之江、瑞江、篠崎について教えてください

度々、お世話になっております。

仕事の関係で3月に地方より東京へ引越しします。
住まいは都営新宿線沿線で探しているところです。
住吉~篠崎間で探しておりますが一之江より前には家賃の関係もあり中々気に入った物件が見つからないのですが、一之江、瑞江、篠崎に目ぼしい物件が何件かありました。
そこでお聞きしたいのですが、一之江、瑞江、篠崎でしたらどこが住みやすいでしょうか?

また、子供が3歳と5歳なので幼稚園へ通わせたいのですが3月の引越しでの入園は難しいのでしょうか?
地方では幼稚園に入れるという感覚ですが東京では幼稚園に受かったから入るというのに驚いています。これは普通の事なのですか?
願書をもらう?!買う?!にも徹也で並んだとか・・・幼稚園に入園するのにそんなに苦労するかと驚きでいっぱいです。
幼稚園入園に際しても色々と教えていただきたいと思います。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

検討のエリアに住んでます。
(1)物件:あくまで私の印象です→駅から徒歩5分圏内と限定した場合の住みやすさの印象は、船堀・瑞江≧一之江・篠崎。但しあまり差は無く、徒歩10分以上となれば更にその差はないかと。駅前の雰囲気や商業施設は各駅違いますので下見できると良いのですが・・・

予算や条件・マイカーの有無が不明ですので、なんとも言えませんが、船堀駅と篠崎駅では乗車時間が7~8分違いますので、船堀なら徒歩10分、篠崎なら駅前物件を選定すれば、通勤時間や予算の差は補えるでしょう。

(2)幼稚園:私立の中途入園は園の規定に沿う所でしょう。下記サイトの係に電話で確認できると思います。また人気の幼稚園は確かに存在しますし、徹夜組の存在も聞いた事はあります(願書の受付かその整理券だと思いますが、それが入園に有利に働くかは不明)。

精神衛生上、早い方が良いと思いますので、物件の選定をやや先行しながら進め、並行して幼稚園の手配(確認)を進めた方が良いと思います(お子さん2人の同園は結構大変ですね)。頑張って下さい。

参考URL:http://www.city.edogawa.tokyo.jp/institution/06kosodate/kosodate_01.html#siyou

検討のエリアに住んでます。
(1)物件:あくまで私の印象です→駅から徒歩5分圏内と限定した場合の住みやすさの印象は、船堀・瑞江≧一之江・篠崎。但しあまり差は無く、徒歩10分以上となれば更にその差はないかと。駅前の雰囲気や商業施設は各駅違いますので下見できると良いのですが・・・

予算や条件・マイカーの有無が不明ですので、なんとも言えませんが、船堀駅と篠崎駅では乗車時間が7~8分違いますので、船堀なら徒歩10分、篠崎なら駅前物件を選定すれば、通勤時間や予算の差は補えるでしょう。

(2)幼...続きを読む

Qなぜ、いつから黄河流域は没落し、揚子江流域は発展するようになったのか?

古代中国文明は黄河流域で栄えた、と聞いています。

しかし今や黄河流域は砂漠化が進み、河口付近では水が一滴も流れない地域もあるようです。 また黄河には、揚子江流域の南京や上海のように大きく発展した都市もありません。

一方、古代文明発祥には登場しない揚子江では、今では水量も豊富で、その流域では上に挙げた以外に、重慶や武漢など古くから発展をとげた都市も多く点在します。

あまりに黄河地域での水不足がひどいため、揚子江から延々と運河を築き、水を回そうという案が出ているとも聞いています。

一体なぜ、歴史上いつの時点で、黄河と揚子江がこんなに逆転してしまったのでしょうか?

また、なぜ揚子江流域で古代文明が発祥しなかったのでしょうか?

Aベストアンサー

私は地理学が専門ですので、その立場からひとこと言わせてもらいます。歴史に関しては全くわかりませんので、全て地理的考察です。
まず、昔から「南船北馬」といわれるように北部では馬が南では船が主な交通手段として利用されてきたという事実があります。秦嶺と淮河を結ぶ線より南側では年間降水量が1,000mm以上と多く、黄河流域にあたる北側についてはそれ未満と少ないのです。これは中国の降水の多くは夏の南からの季節風によるものだからです。南嶺、武夷山脈、雲貴高原、秦嶺、太行山脈などの多くの自然障害に阻まれて、黄河の中・上流域にまでは季節風が届きません。更に内陸は海洋よりも暖まりやすく冷めやすい(比熱の差)ので冬は月平均-10度まで下がるのに対して夏は夏で月平均20度くらいまであがります。従って、降水が少ないのに蒸発量が多くなり、厳しい乾燥状態となります。
ご想像の通り、近年の断流現象の頻発はこの自然的要因に加えて、人為的要因が加わっています。三門峡ダムの建設、流域の沙漠化、農業開発による黄土高原の裸地化、中・下流域綿花栽培地への大規模灌漑などが要因として挙げられます。
長江流域の古代文明が存在したことは既に#1さんが触れられておいでですが、これも間違いのないことです。最近ではイネの作物化が最初に行われたのは長江流域であることが定説となっています。確かに高度な文明がかなり古くから存在していたのでしょう。
現在の長江流域については萍郷の石炭資源、大冶の鉄鉱石資源と結合した武漢、南郊に存在する鉄鉱山と四川炭田に近接する重慶の重工業が極めて注目すべき地位を築いていること、外洋船がかなりの内陸地域まで遡上できること、三峡ダムの建設により、近い将来に大量の電力供給が見込めること、流域に四川盆地、中下流平原など広大な平野が広がっていること、元来流域は稲作地域で人口支持力が潜在的に高いこと、雨量流水量が多く工業用水生活用水が十分であることなどが指摘できます。一方、黄河流域は降水量の関係で小麦・大豆を中心とした畑作地域で人口支持力が低いこと、水量が変化しやすく大型船舶の長距離運航が安定的に行えないこと、流域の平地が下流の華北平原に限られていること、河口が東南アジアやヨーロッパなどから遠く貿易に不利であることなどが考えられます。
以上のような諸要因の結果として、現在は長江流域が栄えているように感じられ、黄河流域は衰退しているように感じられるのではないでしょうか。大変長文となり、失礼しました。全て推論ですので誤りがあればどなたかご訂正ください。よろしく。

私は地理学が専門ですので、その立場からひとこと言わせてもらいます。歴史に関しては全くわかりませんので、全て地理的考察です。
まず、昔から「南船北馬」といわれるように北部では馬が南では船が主な交通手段として利用されてきたという事実があります。秦嶺と淮河を結ぶ線より南側では年間降水量が1,000mm以上と多く、黄河流域にあたる北側についてはそれ未満と少ないのです。これは中国の降水の多くは夏の南からの季節風によるものだからです。南嶺、武夷山脈、雲貴高原、秦嶺、太行山脈などの多くの自然障...続きを読む

Q長江へのゴミ捨て

 この間、中国旅行をしました。上海で長江をみに行き、船で対岸まで行ったのですが・・・船の中から長江にめがけて中国人はゴミを捨てる捨てる!!
 
 たくさんの中国人が甲板でお菓子・ひまわりの種・カップ麺などを食べながら長江を見てるのですが、食べ終われば全て長江に投げ込むのです。ひまわりの種の殻はいいですが、お菓子のビニル袋・カップ麺のカップ・たばこの吸い殻・・etc。

 確かにどこの町でも中国人はゴミを捨てまくっていましたが、こんなに自国の有名な川を汚していいんでしょうか?

 さらに、長江って東シナ海に流れてるから、対馬海流に乗って汚れが日本海に来たりして。。。

 何で中国人はこんなにも場所をかまわずゴミを捨てるの?

 どなたか教えて下さい。よろしくお願いします

Aベストアンサー

こんにちわ。
私は過去に中国(北京)に1年間語学留学を経験しています。 経験から言いますと、これは生活習慣の違いです。私も当初、彼らがどこここ構わずゴミを投げ捨てるのには呆れ果てていました。特に大学の中国人生徒用の学食は驚きでした。(外国人食堂は別棟にあり)
食事をしている机の上にも食べカス、骨などを置いたり、種などぺっぺ吐いて食べているのです。
それが嫌で早期に帰国する日本人も多かったですが。
実際、衛生観念は全く違いますし、一般的にそのような教育は彼らの中にはありません。(一部外国企業などが入って変わってきてはいるようですが・・)

手洗いをする習慣もなかったのだから、SARSも蔓延したのだと思います。
私個人の意見としては、勿論川に、しかも長江のような広大な河川にゴミを流して良いわけがありません。 
発展目覚しい中国もこういう問題に目を向けてほしいものだと思います。 
ただ、どこの国にも独自の民族/文化や生活習慣があるのですから、悪い所ばかりでなく、長所にも目を向けていきたいものです。 

Qインダス文明の食べ物

宿題で、インダス文明の人たちが食べていたものを
英語で(アメリカにいるので)やってこいと言われ…。
歴史全然ダメなんで…。
誰か教えてくれませんか?
(日本語でもいいです。英語に直しますから)

Aベストアンサー

インダス文明については

http://search.britannica.com/search?query=indus

 で、検索して

http://www.harappa.com/indus/indus4.html

 に、ありませんか。

Q都営新宿線一之江/篠崎について

今度、都営新宿線の
一之江もしくは篠崎に引っ越す事になりました。
この2駅について
どちらがお勧めでしょうか?
妻あり、子なし(計画あり)です。

実際の街の様子などを
お住まいの方にお聞きできればと思います。
宜しくお願いします。

Aベストアンサー

一之江に住んでいます。どちらも東京23区内の駅をイメージされるとショックが大きいと思います。駅前にはスーパーや飲食店が申し訳程度にあり、後は住宅街です。松屋や吉野家は駅前には無くて、ちょっと離れた大きい国道沿いに駐車場付であったりします。駅前より国道沿いが発展しているような感じです。瑞江は駅前に長崎屋があって、3駅の中では一番発展しています。
地下鉄は20年程前に開通したばかりなので、道路を中心に発展しているような気がします。
なお一之江の利点としては治安が江戸川区内で一番良い(それだけ人が居ないって事なんですが)

Qメソポタミア文明

こんにちは。もしご存知でしたらよろしくお願いします。
メソポタミア文明の物、特に粘土板の写真集とかがあれば
ほしいと思っています。存在するのでしょうか?
もし、よろしければ、教えてください。

Aベストアンサー

>メソポタミア文明の物、特に粘土板の写真集とかがあれば
ほしいと思っています。存在するのでしょうか?

粘土板に限らず、メソポタミア文明に関する事物が、多数の写真と記述によってコンパクトにまとめられているのが、創元社の「知の再発見」双書シリーズの43「メソポタミア文明」と、62「バビロニア」です。写真が多く見やすく、写真を見ているだけでも楽しめます。
また、メソポタミアに限らずオリエントの文物は帝国主義時代中心に欧米人により発掘され、現在欧米の博物館に収蔵されているものが多くあります。イギリスの大英博物館、パリのルーブル博物館、ベルリンのベルガモン博物館等です。大英博物館にはアッシリアのレリーフやハムラビ法典を刻んだ石碑、ウルのスタンダード(軍旗)など貴重な遺物がごく普通の状態で展示されており、あまり関心がもたれていないようでした。ルーブルも同じで、欧米人の関心が現在では薄いように思ったことがあります。これらの博物館のメソポタミアやオリエントの遺物については各博物館に関する図録集などにも載っています。
大英博物館に関しては日本放送出版協会から「大英博物館 全六巻」の内の第1巻「メソポタミア・文明の誕生」がまとまっています。今は絶版ですから、大きな図書館見つけられると思います。ほとんどの図書館がネットで所蔵本を検索可能ですので、検索してから行かれるとよいと思います。
また、ルーブル関係では世田谷美術館が「メソポタミア文明展 図録」を販売しています。
ともかく、身近に手に入るのは創元社の「知の再発見」双書ですので、見られることをお勧めします。

創元社「知の再発見」双書HP
http://www.sogensha.co.jp/book_series_sai/index.html
ウィキペディアの「知の再発見」双書のページ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%80%8C%E7%9F%A5%E3%81%AE%E5%86%8D%E7%99%BA%E8%A6%8B%E3%80%8D%E5%8F%8C%E6%9B%B8

以上、参考まで。

>メソポタミア文明の物、特に粘土板の写真集とかがあれば
ほしいと思っています。存在するのでしょうか?

粘土板に限らず、メソポタミア文明に関する事物が、多数の写真と記述によってコンパクトにまとめられているのが、創元社の「知の再発見」双書シリーズの43「メソポタミア文明」と、62「バビロニア」です。写真が多く見やすく、写真を見ているだけでも楽しめます。
また、メソポタミアに限らずオリエントの文物は帝国主義時代中心に欧米人により発掘され、現在欧米の博物館に収蔵されているものが...続きを読む


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