あなたにとって涙とは何ですか?

A 回答 (17件中1~10件)

身体が「これは本物だ」と感じた時に身体から発するもの。



私は、
心の底から笑った時に涙が出ます。
心の底から悲しいと思った時に涙が出ます。
心の底から素晴らしいと思った時に涙が出ます。

自分の心を試金石として、外界からの物事がそれに当たった時、
飛び散る火花のようなもの。

それが私にとっての涙です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
>自分の心を試金石として・・・
自らが知るという事において・・・と解釈させていただきました。
自らが知るという事も、自らが涙を流すという事も、ごく自然で人間的な事なのですが
そこにおける様々な感情の成立といった点も含めて、確かな人間らしさであるとも言えます。
一言でいえば、泣くとは、涙とは人間らしさなのでしょう。

人間は感情の動物である、という言葉もありますが
その言葉の裏には、動物には無い感情が人間にはある、という事なのだと思います。
身体も含めた感覚や感性、理性を持つ人間である事の証明かもしれません。
自らが人間である事に気付かせてくれるのが、泣くという事、また涙のように思います。

哲学は感情論ではないので、喜怒哀楽のレベルで論じる事は無意味だと仰った方もおられましたが
喜怒哀楽を離れては人間を論じる事もできないものと思います。
それは
人間らしさの分析という哲学的な見方からすれば、感情を分析するという事もある程度は可能のように思います。
しかし、なぜ感情があり、泣くのか?・・・といった根本的な事には答えられません。
ただ、機械や動物では持ち得ない人間らしさがある、という事だけです。
その結論を終点としてしまう単純な人間的客観論だけでは、より深い人間性を問う事にはならないと思います。
喜怒哀楽という、一見泥臭くも見える、人それぞれの人生の真実に、より深い人間性というものが秘められているように思えるのです。
人間としての生命活動の身体論や精神論の深いところに行き着く事は、中々容易ではないにしても、ある程度は可能であり、有益でもあると思われます。
また、それらが与えてくれるものは、人間である事の貴重さや尊さといったものでしょう。

自分自身が貴重な人間である、という認識を得る事が出来たとするならば
それもまた、この質問の結論の一つです。

沢山の方に答えを寄せていただき、誠にありがとうございました。
この場を借りてお礼させていただきます。
以上をもちまして質問を締め切らせていただきます。

お礼日時:2011/05/08 21:19

>誰でも一番の涙があると思います。



 洗練されていけば「一番の涙」も変わっていくのでしょうね。

>単に感情の変化に即した涙ではなく、凝視という知恵から受けた涙には深い味わいがあるように思います。

 いえ、感情によって流された涙が、後から考えて結局はそういうことだった と言っているに過ぎません。



 悟性は重要なものだと思いますよ。
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この回答へのお礼

お礼が遅くなりすいませんでした。

涙という生理的現象をもたらしているものは、直接的には感情の変化であり、悟性によるものではない・・・と仰りたいのでしょうね。
ところで、悟性とは直観と不可分の関係にあるものですが、私が凝視と言ったものは、その両方の働きをさす意味で用いました。
直観的把握と分析的思惟の働きによって認識が成立するという事からすれば、そのようにして成立した認識が感情の変化をもたらし、さらには涙という生理的現象をも引き起こす・・・というようにも考えられます。

また、「単に感情の変化に即した涙」と書きましたが、修正させていただくならば
そこにおいても、直観と悟性の働きが介在しているようにも思われます。
それは感覚を通して瞬間的に働くものかもしれません。
瞬間的な認識がもたらす涙という事になるのでしょう。
「凝視」の場合には、そこに時間性や空間性といったように、過去の体験に対する再認識や未来への推測という要素が加わったものがあるように思います。
そういった涙というものを少し俗めいた言葉で言わせていただきました。

>悟性は重要なものだと思いますよ。
その通りですが、感覚や直観をも含めた精神的なものが、生理的なものと不可分でもあるように思われます。
当たり前といえばそれまでの事かもしれません・・・
ありがとうございました。

お礼日時:2011/05/08 18:30

はい、そうですね。

例に挙げた「涙」は流さなくてすむものもあります。

やはり奮起できなかった・成し得なかった ことによるものではないでしょうか。

元をたどれば。
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この回答へのお礼

成し得なかった事への思いが回答者様にとっての、一番の涙なのでしょうか?
誰でも一番の涙があると思います。
一番の涙が、一番である以上は、それ以上の涙はないのでしょう。
>元をたどれば。
というお言葉には、全ての体験を通してのもの、というようにも感じられます。
自らを深く客観視しての涙とは、誰にも見せられない自己愛の涙でもありましょう。
自らを知るものを、自らの内に得た涙なのだと思います。
このような体験は、自我との対話を成し得た貴重なもののようにも思われます。
人生観を一変させてしまうほどの体験になりうる場合もあるかもしれません。
単に感情の変化に即した涙ではなく、凝視という知恵から受けた涙には深い味わいがあるように思います。
その味は、ほろ苦いものなのでしょう。
ほろ苦くて甘い涙は貴重です。

お礼日時:2011/05/03 21:29

怒れなかったこと、あるいは 能動的に活動できなかったことから来る反作用



ではないでしょうか、誰にとっても。
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この回答へのお礼

自分に対する悔しさですか。
言い換えれば、情けなさの涙とも
人それぞれ、様々な涙がありますね。

試しに、いろいろな涙を取り上げてみましょう。

別れの涙 (別離の涙)
思い出の涙
悲しみの涙(悲哀の涙)
孤独の涙
嬉しさの涙(歓喜の涙)
感動の涙
感謝の涙 (感激の涙)
悔しさの涙
怒りの涙
憎しみの涙
義憤の涙
思いやりの涙
同情の涙
恐怖の涙
・・・・・・・・・
まだまだありそうですね。
心に残る涙はいくつあったのでしょう。
忘れてしまったようでも、どれもが心の底に深く刻み込まれているのかもしれませんね。

お礼日時:2011/05/01 21:52

 「人間の流す涙は血の涙である」という表現を使った後に、血の涙とは言えないような安易に出てくる涙の事に言及していることからの連想です。



 本当の、真の涙は安易に流す涙ではなく、“限界状態”で出るものではないかと言っているようです。動物的な、と言った表現も感情の高ぶり感を言い表そうとしているような。
 たぶん、悔し涙的なものも含まれているように思います。

 私の最初の“回答”は実感です。
 思わず突然号泣してしまった時の事ですが、落ち着いた直後の気持ちがとてもすっきりしていたから。
 心はとても軽く感じました。とても素直な気分になっているような感じでした。一時、心の垢が剥がれ落ちたような。

 こんな体験を思い出すと、涙が心を洗ってくれた、なんて思えるのです。

                                  独り言(涙は真珠)

 
 
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この回答へのお礼

>涙が心を洗ってくれた・・・(真珠)
きれいな言葉ですね。
誰しもそうした経験があるのでしょう。
青春の光と影の涙でしょうか。
ありがとうございました。

お礼日時:2011/04/29 20:20

 真の涙とは、その人の「意志のこもった思い、(こもるとは、力、エネルギーと言い換えてもいいかも)」が込められているものだ、と言っているような回答がありますね。



 どの回答にこうした思いが込められているか、解かりますか。
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この回答へのお礼

NO.6の方のお答えでしょう。
自らの体験に基ずく主観の推測によりました。

>真の涙とは・・・
真実の涙、という意味合いでしょうか。
それは、悲しみの極みから溢れた涙、とも解釈できます。
涙とは悲しみから生まれるもの・・・という一般的感覚の延長線上にある言葉なのでしょう。


この辺で私自身における主観を述べさせていただく事にしましょう。
皆様の参考ともなれば幸いです。

涙とは何か?
私にとって、それは既に与えられた謎です。
人間という謎の向こう側から落ちてくる、きれいな滴です。
その滴を初めて知った時から人間になったように感じました。
何度も、何度も、人間になったように感じました。
人間である事を教えてくれたもの
それが私の涙です。

人の生の象徴でもあるかのような感慨すら浮かびます。
何度流しても、新しい心から生まれてくるものなのでしょう。
機械でもなく、動物でもない、人間らしさという尊厳を飾るにふさわしい、きれいなもののように思われます。

お礼日時:2011/04/28 22:11

もい一回投稿します。



人間の流す涙って、血の涙のことです。

でも、まだ人間になっていない幼年期と、もう人間である必要が無い初老期辺りから、やたらに涙もろくなってきます。寄席なんかで講談を聞くとやたらに泣けちゃいますね。

ここまでは誰にでも判る。だから駄作でも悲劇は名作と言われるのですね。道理で小説家の大家と言われる連中は凡人でも判る悲劇ばかり描き、名作と言われる作品には喜劇や喜びを描いた作品が少ないんですね。それが、小説家で名を残す一番簡単な方法なんでしょうね。

やっぱ、小説家は血の涙を流したくないのでしょうか。だから、小説家は人間で居たくないのでしょうか。
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この回答へのお礼

重ねてのお答えありがとうございます。

>まだ人間になっていない幼年期と、もう人間である必要が無い初老期辺りから、やたらに涙もろくなってきます。

かなり力強いお言葉ですね、恐れ入ります。
失礼ながら、回答者様のご意見を拝借しますと
二者択一的といいますか、常に相対的な議論においてのみしか明確な結論を見い出す事ができない、というような感触を持ってしまいます。
回答者様から見れば、質疑のテーマを定めないようにも見えるやりとりに意味は無く、その言葉全体に明らかな価値を見い出す事も出来ない・・・と思われているのかもしれません。
そこで、元の私の立場に戻って言わせていただきますれば
私は聞いているだけなのです。
また、その回答に基づいた私なりの所感を述べた上で、さらに聞いているだけなのです。
聞いている、という私の立場をご理解ください。
それは同時に、回答者の皆様に自由に所感を述べていただく機会を与えるものであるという事もご理解ください。
また、「涙」という質問のテーマが、広い自由さを持ちうる事でもあると併せてご理解ください。

涙は感情の劇的変化に伴う自然な生理的現象かもしれません。
しかし、そうした結論ありきから出発したくないのです。
人それぞれに涙があり、涙から見えてくるものが人それぞれにあるのではないでしょうか。
私は私自身の所感を基準にせず、広く皆様のご意見を聞いてみたいと思った次第です。
ご理解を賜りますようお願い申し上げます。

お礼日時:2011/04/27 22:47

現代人は人前で泣くと怒られたりすることも


あまりなくなったのかもしれませんね。

KYな発言を許していただけるとしたら、涙は虚飾だと
思います。つまり、身だしなみ等の礼節の類に入ると
思っています。

なので「さまよく、めやすきほどに」泣かなければ
なりませんから、「ほんとに感動した」とかって言い
ながらなんとなーく周りがそういう雰囲気になって、
涙が出てこないのは間が悪い、そんなときにそっと
忍ばせたお水で対応して嘘泣きするというのは紳士淑女
のエチケット。

だから感情に任せて自由に泣けるわけじゃないっていう、
なんだかめんどくさい二枚舌文化ですよね。
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この回答へのお礼

>二枚舌文化・・・
悲しい言葉ですね。
泣かなければならない・・・なんて
確かにそんな事もありますね。
嘘と実の境目の涙、という見方ですか。
涙の中の嘘と実を行ったり来たり・・・というのも人間かもしれませんね。
きれいな涙だけではない、という見方には新鮮味も感じられます。
人間、単純ではないですね。
単純ではないから、いろいろな涙を流すのでしょう。
ありがとうございした。

お礼日時:2011/04/27 22:08

お礼をありがとうございます。

感情を貫にしては語れないでしょう。言わずもかなの事なので、あえて「無形が有形になった」と表現しました。理由もなく泣くことも、一見無意味に見えても実は 深い意味があったりします。私にとっての「涙」とは、生きている証の様なものです。悔しくて涙する時、悲しみの淵に立たされた時‥どんな涙を流していても、最後に必ず 私は 今この時を 生きている。と実感します。泣く事(涙する)をマイナスに捉える方々がいますが 私にとっては全てがプラスなんです。これを(この感覚)理解出来ない方もいたりするので、涙とは‥?と聞かれた時に どの辺まで言って良いやら躊躇しました。(笑)しかし、理解されないまでも 私の思う涙(感覚)を 知ってくだされば‥と、何故か思ってしまったので、お礼方々 お伝えした次第です。正しい回答等有り得ないでしょう?が、回答だけで、人間性を判断する方ではないと、私は思っていますが(笑)。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
>私にとっての「涙」とは、生きている証の様なものです。
生きている証とは、忘れ得ない記憶とも解釈させていただきます。

こんな言葉もあります。
「職人は三度泣かないと一人前にはなれない」
この言葉は苦労を積まないと一人前にはなれない、というものですが
広く解釈すれば、誰でも一生の内には何度か泣かねばならない時がある、という意味になるのでしょう。
泣く事から人間的に成長してゆくという事は自然でもあり、その記憶は忘れ難いものでもありますね。
泣くという自らの体験が、泣いているという他者への思いへと繋がってゆきます。
自らの体験を転ずるという価値がそこにあるようにも思われます。
回答者様が過去の体験を前向きに捉えていらっしゃる事に明るさを感じさせていただきました。
ありがとうございました。

お礼日時:2011/04/24 22:15

涙って、感情的で動物的な面が露骨に出たときに出て来るもんだと思うんですが、貴方はそうじゃないんですか。

人間って他の動物とは違う何かを持っている。そこを徹底的に追求することが、人間が単なる動物ではなく人間であることの証し何だ思う。だから、

>涙から知る人間性といったものについてはいかがでしょうか

って言葉には救い難い矛盾が含まれているように思えます。違いますか。私が貴方の意を汲んで意味のある質問に言い直すならば、

「涙から知る動物性といったものについてはいかがでしょうか」

と聞くと思います。さもないと支離滅裂な質問になっているような気がします。
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この回答へのお礼

反対尋問にあいましたね、結構です。
単純にお答えしましょう。
>涙って、感情的で動物的な面が露骨に出たときに出て来るもんだと思うんですが
私はそうは思いません。
涙を流す、という事は人間的な事だと思っています。
それは、どれほど人間的かという事を、どれほど動物的ではないのか、と問いてはいないのです。
回答者様が、暗にそうお感じになっただけのように思われます。
失礼ながら、質問の趣旨を変えるつもりはありません。

お礼日時:2011/04/24 21:47

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ですが今言った二つの意識にずれが生じる場合があります。心に湧き上がる漠然とした不安を『心の違和感』として感じる時が、『心がおかしい』と想い出すことです。是を意識に乗せて『おかしいとした事』が心を病む場合の症状という事になります。

湧き上がる漠然としたものを『体の異常』として感じた時に自律神経失調症の『症状』になっています。

湧き上がる漠然としたものを『行動の異常』として感じた時に神経症、或いは不安障害の『症状として』固定された事になります。

従って二つの意識が協調できた時に、今言ったことから離れられるという事です。疲れ難くなると言う意味にもなります。自我意識が出て困った状態、或いは現象が、解消できると言う意味になります。

また二つの意識が共に手を取り合って、お互いの得意な事を受け持って、得意の事を交替しながらやって行くということです。

人間の行動や心に付いての変化に付いても、人間の脳内には二つの意識が存在していて、この二つの意識の動向から成り立っています。

一つは自我意識(顕在意識)です、言葉で論理的に考える脳の事です。ですが、大変判り難いのですが、もう一つ意識が在ります。その意識は、自我意識と共に同じものを常に一緒に見たり、体験したりしています。

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Aベストアンサー

参考程度に
ゴルゴダの丘でイエスの死に立ち会ったのは、女性ばかりであったようですが、その中でマグダリアのマリアと母のマリアとサロメを関係順序を違えずに明記(15章)してますね。これから、マルコが、その場にいた唯一の弟子(12人の弟子の内)であったことがわかりますね。同じく、霊的に再生したイエスが最初に現れたのは、マグダリアのマリアと16章で正直に明記していますね。そのように、マルコの章は、ありのままに書かれているように思います。マルコという方は若くて正直な方だったようですね。その意味では、一番当時の出来事では信用の置ける福音書でしょう。他の弟子は、逃げていなかったので師の最後の前後は知らなかったのですね。
註:holy bible :king james version 参照


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