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テレビは白黒からカラー・アナログからデジタルとさまざまな変遷をたどり、ビデオもテープからディスク・メモリーへとこれも様々な変遷をたどりましたが、テレビやビデオの初期にはどんな思い出がありましたか?

テレビが出始めのころ、カラーテレビが出たてのころ、VTRが発売されたばかりのころ…いろいろな思い出を聞かせてください。
エピソードのジャンルは問いません。

A 回答 (9件)

カラーテレビが出始めの頃、番組自体がカラーのものと、白黒のものがあったので、


新聞の番組欄にカラーのは「カラー」と表示されていました。
ただ、色は今ほど良くなくて、肌色はなんだかオレンジがかっていた記憶があります。

キドカラーとか、有名で、広告のために飛行船が飛んでいて
わが町にもやってきました。
下校途中に友達が見つけて、大騒ぎとなりました。

普通のチャンネル以外に、UHFというのを見るために、チューナーがありました。
新しいテレビでは、チャンネルの中にUHFが含まれていて、カッコいいと思いました。

他の回答者さんもおっしゃってますが、電源をOFFにしても、パッと消えるわけではなく、
しばらく中心に光が残るため、
修学旅行の消灯時間後にテレビを見ていた私たちは、先生の足音がしたら
テレビを消すと同時に、座布団で画面を覆って、光を隠す練習をしました。

ビデオは、マックロードというのを(ナショナルだったと思う)最初に買いました。
今に比べれば、高価なものだったので、実家では不要とされ、無かったのですが、
結婚時に自分で、奮発して買いました。

残業で遅くなる主人のために、プロレスや野球の試合を録画したところ、
主人の友達が見に来たりしていました。
何故、ビデオテープを貸さないの?と思われそうですが、独身でビデオデッキまで持っている人は
少なかったため、結局見に来ると言う選択肢になりました。
おかげさまで、にぎやかで楽しかったとも言えます。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

ビデオ時代になってもビデオのある家に集まる…まあ普及率が低い時代は致し方なかったですね。

お礼日時:2011/05/14 22:44

ビデオデッキ・・・初期っていうわけじゃないですけど、薄給の新入社員でも手が出るかなって値段にさがってきたころ。

少しでも安く手に入れたくて、アパートから徒歩15分、電車で45分かけて池袋のビックカメラへ。
一番安い49800円のものをゲット。ビデオデッキは当時はまだかなり重い代物。取っ手が手のひらに食い込み痛い。んで、駅からアパートまでの帰りがてら。小さな電器屋がポップのディスプレイをしているのを横目で見たら、同じものがやはり49800円。
時間と電車代と重い思いをした分が悲しくなった。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
ビッグカメラと町の電気屋さんが同じ価格とは…よほどそのデッキは売れなかったのでしょうか???

お礼日時:2011/05/14 22:47

 んー・・・まだ小学生だった頃、TVは


CHを変える時にガチャガチャ回すダイヤル式の
ものでした(酔汗)

中学の頃にはTVもボタン式になって・・・
アナログのオーディオテープWデッキ搭載の
FM/AMラジカセが流行りましたね。

友人宅には早くから非フロントローディング式の
VHSデッキがありましたが、私がベータのビデオデッキを
買い与えられたのは高校入学の時でした・・・

YMOの散開ライブを保存版録画してノイズが出る程に
繰り返し観たりしてましたね。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

今はリモコンで一発ですが、そのリモコンもアップダウン式のボタンしかなかった時代もありました。

お礼日時:2011/05/14 22:48

 こんばんわ。



ソニーのベータ方式のビデオデッキを買いました。かなり高い

やつだったのですが、ご存知の通りVHS方式に圧倒的に押され

てしまい、なんか凄く損した気分になりました。

 お店の方は画質は良いしこれからはベータの時代が来ると

言っていたのに・・・
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

ベータ・VHSは読みどころが難しかったですね。聞いた話では、VHS優位であることは分かっていたけど、近くの電気店がベータ派のメーカーしかなく、ベータを買わざるを得なかった…という方もいたようです。

お礼日時:2011/05/14 22:46

 1960年生まれの私ですが、オヤジが新しい物好きだったせいか、生まれた時からTVはありました。


1968年のメキシコオリンピックの頃に我が家にもカラーテレビがお越しになりました(笑)
なので、1967年頃のウルトラマンやマグマ大使、赤影などはオンエアは白黒でみてましたね。
後になんども再放送されたのでカラーで見た印象が強いですが。
リモコンが付属されるまでのチャンネルは本当に潰れやすく、すぐに馬鹿になるんです。
ようするに、半円形の棒にプラスチックの円盤が付いてるかんじで、すぐに取れちゃうんですね。
よくペンチで掴んで回してました。
音声多重放送が始まった頃には、これもまた一番最初に親父が買いました。たしか1970年代後半だったと思います。

 私自身が最初に買ったビデオデッキは、ナショナルのHiFi1号機。
HiFiって言っても40歳以上の人にしかわからないでしょうが、ようするにそれまでのビデオデッキは音声が非常に悪かったんです。ステレオ録画されるものもありましたが、音は最悪でした。
HiFiデッキは音が放送並によく(もちろん人の耳で聞く限りの話ですが)最高でしたね。
これを買ったのが1983年。289000円もしました。298000円だったかな?(笑)

 その後、SVHSなども含めてビデオデッキは10台ほど買いましたね。
今現在はとりあえず1台だけビデオデッキを置いてますが、2台ブルーレイHDDを持ってます。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
ビデオデッキが20万円台…技術者たちの汗と苦労が思い浮かびますね。

お礼日時:2011/05/14 22:42

 物心付いた頃のテレビは、今ほど放送時間が長くなく、参考URLのような、「テストパターン」と呼ばれる画像が、やたら流れていたと記憶しています。


 原子力発電所の事故により、放射能による人体への影響が問題視されていますが、私が子供の頃、親から「テレビからは、放射能が出ているから、あまり近くで見てはいけない」と、よく言われました。
 これについては、NHKで放送されていた、視聴者からの疑問、質問に答える番組で、NHKの技術職員の方が説明されていました。
 その説明の内容を要約すると
「確かに、ブラウン管を光らすために、数万ボルトの高圧電流が必要で、それを発生させる回路から、微量のX線が放射されていることは事実だが、その部分は金属ケースで覆われていて、さらにその外部をキャビネットで覆われているため、普通に視聴する分には、何ら問題となる量ではない」ということでした。
 カラーテレビは、親戚の家で、かなり早い時期にあったと記憶していますが、我が家では、それより3年ほど遅れ、私が小学4年の秋に購入しました。
 当時は、もちろんチャンネル切換はロータリー式、チャンネルツマミ周辺のリングを押し込むと、画面中央に緑色の帯が現れ、その幅が狭くなるように、リングを廻して調整するというものでした。
 印象に残っているのは、大阪の千里丘陵で開催された、日本万国博覧会の開催式。午前10時頃の開催だったと記憶していますが、小学校で視聴覚教室に集まって、生中継の開会式の模様を見ましたが、学校のテレビはもちろん白黒、その日の夜に、録画で放送されたものを家で見て、「やっぱり、カラーはいいなあ」と、改めて思いました。

参考URL:http://www.asahi-net.or.jp/~uk9o-tkzw/tvtestpat. …
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

回答者様の世帯でも結構早くにカラーテレビがあったのですね。
万博のころはカラーは10%に満たなかったという情報もあります。

お礼日時:2011/05/13 21:35

TVの出始め。


見事なくらい大きくて、その割りに画面は小さくて、
刺繍の縁取りがされた厚手のカーテンを厳かに開くとその下に両開きの観音扉が出てきて、
それを開けるとようやく画面に到達。

スィッチを入れると3分ほど待たされて、ようやく見られる。
その3分を見つめていても仕方がないのに、必ず見つめていたもの。

確か午前中はやってなくて、午後はどうだったか覚えていない。
夜終るのも早かったような気がする。
深夜はもちろんやっていない。

私の家にはもちろんなかった。
隣の家がお屋敷で洋館の家。
多分近所の友達だったと思うのだけど、時々見せてもらった。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
某サイトによれば、カラーテレビは画面が出てからカラー画面になるまで時間がかかったとか…

お礼日時:2011/05/13 21:29

テレビといえばもちろん真空管テレビのブラウン管です。


4つ足で木目調のやたら高そうで偉そうないでたちで、「高雄」とかいう名前を持ったテレビもありました。
ブラウン管には普段はじゅうたんのような布かかけられていて、見る時はそれを上にあげて見たものです。
チャンネルはダイヤル式ですが、時々スポッと抜けることがあって、その時はマイナスドライバーもしくはペンチで鉄の部分を回して見ました。
「トリニトロン」とか「クイントリックス」とか、意味はよく分かりませんが高品質・高画質というようなイメージでした。

白黒の頃は、画面に青いカバーのようなものがかかっていて、これを通して見ないと目が悪くなるようなことを言われました。
スイッチを切るとブラウン管の真ん中に小さな点がついて、しばらく消えなかった記憶があります。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

トリニトロンはブラビアに、クイントリックスはビエラに変わりましたが、懐かしい思い出ですよね。

お礼日時:2011/05/13 21:28

最初のビデオデッキは日立の4ヘッドでしたね。


親父が奮発して町の電気屋さんから¥200000くらいで買ってました。

それから数カ月後・・・・
ダイエーに買い物行ったら、うちのと同じビデオデッキを発見!
価格は¥69800でした(笑)

おふくろが家電コーナーに親父を近づけまいと必死になっていたのを今でも覚えています。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

当時は家電量販店が少なく、系列店から買うことも多かったですね。

お礼日時:2011/05/13 21:22

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