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日本に陸軍と海軍は昔からふなかである
というのを本で読みましたが
なぜでしょうか?

A 回答 (4件)

薩摩を誕生母体とする海軍と長州を母体とする陸軍。

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どちらも役所と考えれば、縦割り行政の中で、特によく似た行政機関であるだけに


利権争いが激しくなる。
これは今の時代も同じで何も変わっていない。
原子力行政を見ても経産省と文部省が利権争いをしている。
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原因は「廃藩置県」にあると思います。



明治政府を安定させるために、この施策は不可欠であり、これを断行するに当たっては、陸軍のバックアップが不可欠でした。明治天皇の陸軍偏倚の姿勢がここから始まったと思われます。

日露戦争で海軍が日本海海戦に勝利し、それを迎えるに当たって、この機会に明治天皇に初めて海軍軍服を着用して頂こうという話になりました。しかし帝は、廃藩置県で世話になった陸軍を慮って、

「今遽に之を用いんか、陸軍の衆生よろこばざるべし」

と発言しました。政府もさすがに、天皇の主張は陸軍に寄りかかりすぎであると翻意を促し、結局、天皇は海軍軍服を着用することに決せられました。山本権兵衛海相は明治天皇の海軍軍服姿を見て感涙したそうですが、「これで海軍は陸軍と対等になった」との思いであったでしょう。これを機に、陸海軍対立の弊が際立って来て、これが太平洋戦争敗戦の原因にもなりますので、後世「山本は海軍を作ったが、海軍を滅ぼしもした」と評せられることになります。

陸軍は国の内政について海軍よりも熟知する必要があり、より政治的な動きができることで、海軍から国政を壟断しているとの批判を受けやすい側面があります。一方の海軍は、軍艦などの装備に莫大な国家予算を費やし、このことが陸軍の反感を買っていたようです。

陸軍と海軍では戦争や戦闘の手法や考え方がまるで違うことも、相互理解を妨げていたと思われますが、これらが異形かつ異質であることは当然のことであり、既にご回答されておられますように、藩閥同士の勢力争いなども加わって、不毛な対立を続けていたと見ることができます。あの穏健で理知的なはずの井上成美・海軍次官までもが「陸海相争ってこそ進歩がある」などと主張するに至っては、呆れるより他ありませんが。

本来ならば、米国などのように、軍政機関は「国防省」に、統帥機関は「統合参謀本部」にするなどして、早期に統合しておくべきでしたが、海軍に「陸軍に併呑される」との危機感があったことが想像され、しかも閥族政治体制がそれを阻んだと見られ、本来協働すべき陸海がそれをせず、1945年の敗戦を迎えるまで、双方ともその必要性を理解しようとしませんでした。
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確かに歴史問題の様にも見えますが、組織としての競争・対抗意識と言う問題ではないでしょうか。



経緯としては既に出ている陸軍の長州出身と海軍の薩摩出身と言う問題や、陸軍には武士出身が多かった、陸軍はフランスからドイツに学び海軍は英国と言う違い等がありますが、基本的には違う選択が積み重なっていったと言う事でしょう。

沖縄基地の移転問題で米国軍においても、海兵隊と陸軍が一緒に訓練する事は考えられないと言う話があった様に、軍隊組織に協調性を求めるのは歴史上無理な話ではないでしょうか。
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