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勝手にこんな理論を考えてみました、少し神学的です。

まず人間が愚かだとするならば、その原因はそんな「愚かな人間」を作ってしまった、もしくはそんな「愚かな人間」が生まれる世界を作ってしまった、神様が愚かだということになります。
同じように、「神様」に「愚かな人間をつくる」という行為をさせ、結果「神様」を愚かにした「神様」の{神様}が愚かだということになります。
このように考えると、どんどん無限に「愚かなのは神様の神様の神様の・・・・・・・・・・・・・・・・神様だ」となり、愚かなのは最も上の神様ということになります。
しかし、無限の考えでは「最後」や「最大」などの考え方がないように、「最も上」という考えもできないので、結果その「最も上の神様」は存在しないことになり、愚かな人間、もしくは神様という存在は一切存在しないということになります。
よって「愚かな存在」は存在しないことになります。
しかし、ここで「愚か」を「素晴らしい」にしても、まったく同じことが起きます。つまり、「素晴らしい存在は存在しない」ということになります。ほかの「〇〇な存在」としても同じです。
結果、(哲学的な)絶対的価値は存在しないことになります。

こんな内容です。またこの後、考察として自分の中では「絶対的な価値観が存在しないのだから、「自分に価値観に自信を持ち、そして他の価値観も認めるべきだ」ということを考えました。

A 回答 (10件)

楽しく読ませて頂きました。



お応えしたいのですが、mathelectoneさんの理論を確認する意味も込めて質問させて頂きたい事がございます。


>まず人間が愚かだとするならば、その原因はそんな「愚かな人間」を作ってしまった、もしくはそんな「愚かな人間」が生まれる世界を作ってしまった、神様が愚かだということになります。
>同じように、「神様」に「愚かな人間をつくる」という行為をさせ、結果「神様」を愚かにした「神様」の{神様}が愚かだということになります。
>このように考えると、

ここで一つ尋ねさせて下さい。このように考えると、というのは先ほどの

>同じように、

を、繰り返し引用して考えるという意味で宜しいのでしょうか?そして、それ以降は繰り返しであるという意味でしょうか?現段階ではその様に受け取っています。

>どんどん無限に

ここで疑問が生じました。どんどん無限に・・・と触れているのですが一体どうして

>「愚かなのは神様の神様の神様の・・・・・・・・・・・・・・・・神様だ」となり、

の様になるのでしょうか?

そうはならず、本来は、「愚かなのは神様の神様の神様の・・・・・・・・・・・・・・・・(繰り返し)

となるのではないでしょうか?従いまして、mathelectoneさんが仰る流れによる

>しかし、無限の考えでは・・・

という繋ぎにはならない気がします。本来は、「愚かなのは神様の神様の神様の・・・・・・・・・・・・・・・・(繰り返し)なのですから、この後に無限の考えでは・・・と続くのが正しいのではないでしょうか?

この点は如何お考えなのでしょうか?
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2011/05/24 21:08

神を作った神の先祖達の存在を考えていきますと、残念ながら、「現人神伝説」と同じ展開の【無謬性】を押し付けざるを得なくなりますから、

不毛な思考ではないでしょうか?
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2011/05/24 21:08

一見、パラドックスめいた質問ですが、神様の上にさらに神様を持ってきたことが、ムゲンを作り出してしまった原因かと、思います。

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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2011/05/24 21:08

追加



忘れてました。
つまり言われてる話論理的な構築は、ひとつの理想を指し示します。理想への誘導というか。
つまり、僕は言われる話を、理想への「道標」「一里塚」「ベクトル」「矢印」としてとります。

逆にこの話がゴールであり最終的結論だとなると、違うと思います。そういうところです、言いたかったのは。

最後の行の結論も、言葉そのままを受け取らないで意図するものを取り上げるなら、そのとおりやなーと思いました。
表現が、どんなに頑張ってもある種の象徴であり、本体そのものを直接示さない(こういう話題に於いては)、ということがあるので。
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2011/05/24 21:08

こんにちは。



微妙な話だったので厳密に書くと、言われてる「内容」はそのとおりだなーと思いました。いい話と。



それで思ったのは、質問文で言われてることの「内容」つまり、書かれた論理的な構築が指し示すもの、は正しいなーと思ったのですが、

話の論理自体は、他の人も言われてるみたいに、この、主張に使われた論理的表現が唯一絶対のものとは思いません。

全く正反対に、絶対概念を基軸に論理を展開しても、同じようなことが書けると思います。
その場合でも、その話が指さすものは、質問文で言われた相対を基軸に論理構築した話と同じものだとは思います。
概念自体が、絶対且つ相対な性質を持ってるので、こうなるんじゃないかと。
無限と有限にしても、数字で対象を扱う数学では終わりの数はないですが、感覚的には、主観的にはダイレクトな無限はありえます。言葉で言えなくても「これが無限!」みたいなのです。
つまり、数学から神様に展開するには、分野の壁がありますので、単語の定義として、そのまま繋げるのは微妙に思います。




その意味で、話の指し示すもの、つまり意図を汲んで何を言いたいのかまで見るなら、僕は「いいこというなー」と思いますが、
ぎゃくに、まさに言葉に一語一句こだわって検証するなら、単語の定義にまでこだわる哲学的な視点からみると緻密ではないと思います。
他にも同じものを指し示す多数の表現があることを見ても、たくさんあるいい表現の一つ、と思います。
単に表現方法は一つじゃない、ということが言いたいんですが。

また単純に、絶対的価値がないのに、
最後に「自分に価値観に自信を持ち、そして他の価値観も認めるべきだ」
ということには価値を与えるなら矛盾があります。ただの揚げ足取りですが。

ココで質問されたんであれば、その中身や意図するものが正しいかどうかだけじゃなく、論理的にも正しいかどうか? というのを前に出して質問されてると思うので、その点では、こう思いました。

ちょっとわかりにくい書き方ですが。
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2011/05/24 21:09

そもそも、無心で作業に取り組んでいる間の当事者達には、


主体的な価値判断が必要になっていません。
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2011/05/24 21:09

 こんにちは。



 神は 人間に神のことばに従う自由もさからう自由も ともにその自由意志として 与えたとは言われています。さからうことになると知っていたというわけです。

 その自由意志の問題として ルネサンスのころには 次のような命題が出されたようです。ほんのご紹介のみです。
 ▲ (ピコ・デッラ・ミランドラ) ~~~~~~
 《汝はいかなる制約によっても抑制されないで わたしが汝をその手中においた自由意志にしたがって自己を決定するのだ。

 わたしは世界の真中に汝をおいた。それは世界の中にあるすべてのものをそこからいっそう容易に考察するためである。

 わたしは汝を天のものとも地のものとも 死すべきものとも 不死なるものとも造らなかった。
 それは汝が自由で名誉ある造り主また形成者のように 自分が選んだどのような形にでも汝自身を造りだすためである。

 汝は堕ちて獣の世界である低次のものとなることも 神的なものである高次のものに自分の心の判断により再生されることもできる》。
 (『人間の尊厳についての演説』――金子晴勇よりの孫引き)
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ☆ 注解と言いますか 断り書きが必要かとも思いますが まづはこのままで。参考になればさいわいです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2011/05/24 21:09

絶対、という概念も、価値、という概念も


人間が勝手に造りだした概念です。
その人間は、絶対的な存在ではありませんから
矛盾を含むのは当然だと思います。

しかし、絶対的価値観が存在しないのだから
自分の価値観で・・とういうのはどうでしょう。
それでは結局虚無主義に陥ることになります。

個人レベルなら、それで構わないでしょうが、
社会を構築していく場合には、それは通りません。
人を殺すのが良いことだ、という価値観を持っていたら
それを認めるのですか。
それでは社会は成り立ちませんよ。

絶対的価値が無いから、自分の価値観で、というのは
短絡過ぎます。
今まで、犯罪ばかり侵していた者が、反省して
真面目に生きるようになる。
これなどは、絶対的価値観に関係なく、良いことと
言えるのではないでしょうか。

こういった、アメリカンプラグマティズムの考え方はどう思います?
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
最後のところは正直あまり深く考えていませんでした。すみませんm(_ _)m。たしかに愚かでしたね。

お礼日時:2011/05/22 19:30

>>まず人間が愚かだとするならば、その原因はそんな「愚かな人間」を作ってしまった、もしくはそんな「愚かな人間」が生まれる世界を作ってしまった、神様が愚かだということになります。



まあ、前提が間違っていたら、そこから導かれる結論は間違いになりますね。これについては、福島原発の津波の高さを極めて低く見積もったことの結果をみればわかります。

また、前提が正しくても、論理の展開に飛躍があれば、それも誤った結果になりやすいです。(たまたま、結論は正しいってこともあるでしょうね)

ということですが、とりあえずは、「人間が愚かだ」という前提が正しいとしても、それが判ったうえで神が人間を創造した場合、「神は愚かだ」という推論というか結論は導けないと思いますよ。

学校の先生でも、たまに生徒の理解度をチェックするため、間違っていることを、わざと正しいと言って、生徒に指摘させることがあります。先生の最初の発言にもとづいて、「先生はあんな簡単なことも間違える愚かな人だ!」と生徒が判断することはできますが、それは正しいとはいえないようなものです。

ちなみに、神は完璧な人間を創造することは、太古において出来たようですが、神にとっては「完成した人間」ばかりがいても面白くないので、「いろんなレベルの人間が雑多に混在して、お互いに成長してゆく世界を試したい」という発想で地球文明を創造されたみたいです。
ちなみに、地球人のレベルからみて「完成された人間」は、いわゆる「宇宙人たち」です(全ての宇宙人がそうではないけど・・)。UFOに乗って、私たちの進化レベルを常にチェックし、あまりに軌道をはずれた行為をするとき(地球全体が破壊されるようなプラズマ兵器の実験など)には、強制介入して実験を失敗させたりしているようです。
元をたどれば、私たちは、UFOに搭乗している宇宙人と私たちは同根なので、彼らは、「地球人は、われわれの子孫ともいえる存在。彼らが自滅することがないようにチェックするのは、私たちの義務でもある」などと考えてくれているみたいです。

まあ、いずれにしても、「絶対的な価値観」は存在しないとしても、ある時点・ある地域・ある人間関係など、いろいろと条件がくっついているのがリアルな私たち人間存在です。そういう条件のもとでは、「絶対的ともいえる価値観」は倫理や法律や常識として存在します。なので、勝手に自分の作った価値観に自信を持って行動すると、痛い目をみることになると思います。

この回答への補足

>「人間が愚かだ」という前提が正しいとしても、それが判ったうえで神が人間を 創造した場合、「神は愚かだ」という推論というか結論は導けないと思いますよ。

ちょっと伝わってなかったので、わかりやすく言います。
私は、神様の理想の計画通りに動いてるものが素晴らしい存在であり、それに反している存在を愚かな存在と考えています。
つまり、例えば神様が残虐的で争いばかりする火の海の世界を理想としていたら(笑)、この神様にとっての「戦争をする人間」は「素晴らしい」存在なのです。
しかし、最終的に人間が戦争をやめ平和主義を唱えたなら、人間は「愚かな存在」となります。
しかし、ここで神様が人間を批判する資格はないのです。
簡単にいえば、話を書いている人がいろいろな世界設定やキャラクター設定をして、戦争の話にしようとしたら、世界設定やキャラクター設定の影響でうまくいかずに、結果平和的な話になってしまい、その話を書いた人が「このキャラクターや世界のせいで失敗した。こいつらは愚かだ!!」といっているのと同じなのです。
どう考えてもこの話をうまく作れなかったのは最初の設定をうまくやってなかった「話を書いた人」が悪いですよね。
それと同じなのです。

補足日時:2011/05/22 19:25
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この回答へのお礼

ありがとうございます。最後の忠告肝に銘じておきます(笑)

お礼日時:2011/05/22 19:24

 人間は素晴らしく愚かですね(笑)



 あなたは無限背進の不可知論をせっかく超えたのに,絶対的価値観を否定し,相対主義的不可知論に再び陥ってしまいました。それでは本質はつかめません。不可知論を超えて,「それでも絶対的価値があるはずであり,認識の成長こそを図るべき」というような肯定的な結論を導くべきです。
 とりあえず,「絶対的な価値観が存在しないのだから、「自分に価値観に自信を持ち、そして他の価値観も認めるべきだ」という思想は危険を孕んでいる愚かな思想であることを申し上げます。
 「愚かな人間を愚かな神が作るという認識は正しいのかどうか」や「究極の無限を考える価値はあるのかどうか」や「永遠と無限の違いは何か」「原因と理由の違いは何か」「潜在性と顕在性とは何か」など考察するのがよろしいかと思います。
 
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この回答へのお礼

ありがとうございます。最後に結構批判が集まったのでそこは取り消すことにします。

お礼日時:2011/05/22 19:27

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