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No.26
- 回答日時:
No.17です。
★ 自由な意見
☆ これを寄せます。
○ さとりとは 池に落ちて 濡れずに上がって来ることです。
○ さとりとは 池は要らないと気づくことである。すでに洪水が地を蔽っているというのに という場合を言います。(ヱ゛-ダだか何だったかの請け売りです)。
○ 客観は ただ人間が世界を認識したと思い 〔じつはそれは世界の一部なのだけれどそれを〕言葉の論理と表現のあやとで何とか説明しようとしたその見方です。
○ そのような池は 要らない。となれば――その境地にあれば―― まづさとりを得ていると言えるのではないでしょうか?
(ただし その溜め池をつくったりすることは なおも怠らない。必要でありましょう)。
○ 人間は 世界についての全客観には及ばないけれど 見方によっては そのかよわいささやかな主観がすでに世界を超えてものを見ることができると どういうわけか なれば――それは けれども なおも時間的存在たる者の部分的な動態でしかないゆえ―― そのような人間たちが相い集まって力を合わせて どこまでも話し合いをとおして一緒になおも問い求めを欠かさず 世界をともにいとなんで行くこと これが さとりです。つまり 動態です。
○ 単純には 縁起共生と言うと思います。業もこれを共業(ぐうごう)として捉えているということでしょう。
(これは ここで ぼんぼにえさんたち専門家におそわりました)。
(ゴータマくんら ブッダはどうでもよいでしょう。いかにブディズムに通じているという人たちのあいだに 過去にとらわれている場合が多いことか。つまり いわゆる精神論が 大雨を降らしたごとく崖崩れをもたらして世界を蔽っている。あぁ うっとうしい)。
回答ありがとうございます。
>さとりとは 池に落ちて 濡れずに上がって来ることです。
興味深い意見だと思います。
具体例を上げて説明してくれると、嬉しいです。
No.24
- 回答日時:
そして
;世界に僅かでも手を加えてしまったら、
;自分と言う視点で世界を観てしまったら、
;世界に自分の心が反映されてしまったら、
;もう「あるがまま」では無いんです
;世界に対して、あーだこーだと評価したり、
;分別、整理などをして、手を加えたりしないんです。
;それが「あるがままに観る」と言う事なんです
っていうのがさとりの境地なら
そこから
;その様にして世界の本来の姿を覚知した人、即ち「悟った人」は、
;世界を解釈するのも、しないのも、自由自在となるので、
;後は自分の思う様に生きていきます
っていうそこが
なんか違うんだよなぁ。。。
生に伴う苦は受け入れるだけしか道がなく、どうしようもないものもあるけれども
解決していける苦もあることも事実なのであって。。
・
No.22
- 回答日時:
ANo.19です。
「悟り」とは、純粋な知覚に立ち返る事です。
物事を評価分別する前の、個人を超えた意識それ自体を知る事です。
それを知るには、世界に手を加えている自分自身に気付いたり、
自分と言う視点で世界を観ているという事実に気付いたり、
自らが知覚している世界は「あるがまま」では無い、
と言う事に気付くしかありません。
主客の無い「観」は、その様な気付きの結果として実現されるものです。
(本当は実現「する」様なものでは無いのですが)
しかし、純粋知覚や、個人を超えた意識とは何か?と問われても、
そういうものがあるとしか答え様がありません。
それはいくら考えても理解出来る様なものでは無いので、
自ら体験して納得してもらうより他は無いです。
自らが手を加え、歪めていた世界の姿、
つまり「自らの病理」に気付けば、
認知の歪みからなる苦しみは雲散霧消します。
その様にして世界の本来の姿を覚知した人、即ち「悟った人」は、
世界を解釈するのも、しないのも、自由自在となるので、
後は自分の思う様に生きていきます。
仏教の悟りと、森田療法の悟りは、
境地の深さと言う違いはあれど、
根本的には同じです。
自らの病理と向き合うのも、公案を参求するのも、
到達するのは純粋知覚と言う「真の自己」なのです。
この回答への補足
言葉って便利なようで、具合の悪い物だと思います。
哲学のように、言葉で世界を説明しようとするとどうしても必要な物だし
一方では、世界の認知を歪めてしまい迷いの世界に入り込ませるのも言葉の作用だと思うからです。
(森田では思想の矛盾という言い方をしますが・)
蛇足ですが、コメント頂ければ嬉しいです。
回答ありがとうございます。
>仏教の悟りと、森田療法の悟りは、
>境地の深さと言う違いはあれど、
>根本的には同じです。
そう言ってもらえると、森田を学習する意欲が湧いてきます。
No.21
- 回答日時:
世界に手を加えないというより
認識加工しないといいたいのでしょうけれども。。。
仮構のうえで一致させたいというのが森田博士の大前提なのだから
道理がわかり
有無の分別がつく
ということをそれ以上掘り下げる話ではなくて。
観自在に
道理をよく見出し、
観世音に
有無をよく知覚し、
世界、世間に出ても自分を偽らないでいられるように、と。
事象出来事の認識ひとつひとつが砕琢同時の訪れであるように、と。
仮構から吹いて湧く自然を受け入れるというような大上段の心性ではないと
まず質問者にわからないとはじまらないのですが。
回答ありがとうございます。
言っていることは、分かると思います。
ただ、
>仮構のうえで一致させたいというのが森田博士の大前提なのだから
の仮構というのがよく分かりません。
森田博士の著書にも仮構という言葉はなかったように思います。
そこを、追加説明して頂くと嬉しいです。
No.19
- 回答日時:
厳密に言うと、悟りの世界には、
主観も客観もありません。
主客のどちらも「無い」と言う点では、
「一致」しているとも言えなくもないけれど、
表現としては、あまり適切では無いです。
悟った人は、世界を解釈する事を、やめています。
世界に対して、あーだこーだと評価したり、
分別、整理などをして、手を加えたりしないんです。
それが「あるがままに観る」と言う事なんです。
世界に僅かでも手を加えてしまったら、
自分と言う視点で世界を観てしまったら、
世界に自分の心が反映されてしまったら、
もう「あるがまま」では無いんです。
無知無得 全く手付かず それっきり。
この「あるがままの世界」こそが、
悟りの世界であり、世の実相なんです。
回答ありがとうございます。
それって、No4の回答者の
>悟りとは主観の"主"、客観の"客"が脱落した "観" ですね。
に、近い気がしますがどうでしょうか?
No.18
- 回答日時:
( ´・ω・ )はぁ。
みなさん、おつむのよろしいことで。「悟り」が直叙形で述べられる。こりゃ理性信仰?
で、こちとらは変化球に見える直球でいきましょう。
ズバリ、「悟りとは犬のウンチを踏むことである」とな。
通りを歩いていたとき、足にいやな感触が!
私:ありゃ、犬のウンチを踏んづけてもうた。
傍にいた通行人A:あいつ犬のウンチを踏んでらwww
傍にいた通行人B:わーい、犬のウンチ踏んでるよ。
傍にいた通行人C:犬のウンチ踏んづけて、ウンの悪い奴っちゃ!
おお、これで「主観と客観が一致した」!
よって、
>悟りとは主観と客観の一致である
となっ!
とある求道者の話し:
厳寒の深夜、山中にある湖のほとり。一人の修行者が湖に向かって座禅を組んでおりました。考えに考えて頭はくたくた、もう空っぽになって端坐しておりました。
「悟り」を開こうと日夜修行に励んでいても一向に「悟る」気配もない。
どれくらい時間がたったろう。
湖畔の木々の枝に積もった雪が、音もなく湖に落ちた。
その刹那、湖に一面氷が張った。
世界がその修行僧の心の中に侵入してきた、音もなく轟音を立てて。
修行僧の心に中から満ちてくるものがあった。
涙が溢れた。理由の分からない歓喜。世界との一体感がそこにあった。
さて、ここに語られなかった「意図」があります。
質問者様にお分かり頂ければ、質問への解答も自ずとそこにあることあることがお分かり頂けるものと愚考しちょります。
おまけ:黙像親方のウィキぺのコピペは曲がなくてつまんないよ。期待してるんだから、もっとしっかりやってよね。
回答ありがとうございます。
確かに「悟り」は言葉で語りがたい物だと思います。
しかし、こういうスレッドの形式上言葉を通さないといけないのも仕方が無いと思います。
意見、参考にさせて頂きます。
No.17
- 回答日時:
こんにちは。
★ ~~~~
悟りとは主観と客観の一致である。
これについて、自由な意見をお待ちしています。
~~~~~~
☆ 無理です。理由は
○ 客観とは何か?
☆ と問うことと同じになる。からです。言いかえると
○ さとりとは――とうぜんそれを《わたし》がその主観において主観として得ることなのでしょうから わたしが―― 客観を得ることである。さて 自由な意見を述べよ。
☆ という問いにひとしいからです。
おそらく それよりは ずばり
○ さとりとは 人間のどういう境地なのか?
☆ こういった問い方のほうがよいかと考えます。
★ (No.9お礼欄) ~~~
自分の主観が自己というフィルターを外して事象を見ることが出来る。
つまり、客観となる。
そう言う意味に理解しています。
~~~~~~~~~~~~
☆ だとしますと こう問い返されると思います。
○ 《自己というフィルターを外して見る》ときも とうぜん《わたし》が大きく広くはみづからの《主観において・主観として》見ることであるはずだ。だとしたら そこのところをどう説明するか?
☆ ですから むしろもし《客観》があるとするなら それを得て《さとった》というときのさとりとは何か? これを問う行き方が 実りが多いのではないでしょうか?
★ (No.1お礼欄) 例えば、色即是空なとは、客観的な言葉だと思いますがどうでしょうか?
☆ だとしますと その空観とは何かを明らかにすることが 問われると思います。
みなさんも さとりという言葉を使っていても それはこれこれこういう内容であるというふうには その中身を明らかにしておられません。
◆ 砕啄同時
☆ というたとえにおけるものなどは ありました。
あるいは別様に正面から論じて
■ (回答No.7) ~~~~
「悟りにおける条件とは、主観と客観の一致である」
と訂正すべきと思います。
~~~~~~~~
☆ という助言が寄せられています。つまり煮詰めれば――そのご回答では ひとつには《客観》とは 哲学や科学のように経験合理性で同意しうる言語表現によって明らかとなることと説明しており〔だから さとりそのものではなくそのための《条件》なのだという捉え方が出て来るようです。条件ではなくそのものを言う場合には 言葉によっては表わせないとことわっておられます(=密教)〕 もうひとつには さとりとは何かの問いについてもその輪郭をすでに答えておられますが―― この問いをむしろ先に問えというものではないでしょうか?
それとも 森田療法について問うご質問でしょうか?
世話焼き村の横槍月之進でした。
回答ありがとうございます。
>それとも 森田療法について問うご質問でしょうか?
森田療法についての質問ではありません。
自分自身が長いこと神経症で悩んできて、森田の著書を読んできました。
それなりに理解しているつもりです。
時折宗教の本(仏教の禅が多いのですが)を読むと理解が進む感じでした。
森田の立ち位置から、仏教の悟りを問うていると考えて下さい。
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