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私の祖父母は10年ほど前にお墓を購入しました。
私は、時々お手入れに両親と行かせてもらっています。

私はもう22歳になっていてお恥ずかしいながら、お墓のマナーがわかりません。
お手入れ後に、

まだ、誰もお墓に入っていませんが、
父親はよくおがんで、お願いごとをしているのが不自然に思います。


そこで、誰もはいっていないお墓でも拝まなければいけないのでしょうか?

あと、お地蔵さまのお手洗い場に、誰かが五円玉を入れていましたが、
お墓にご縁(五円)があるというのも不吉に感じました。
あれは、いたずらなのか、それともそのようなしきたりなのか
知っている方教えてください。

よろしくお願いします。

A 回答 (8件)

別荘も時折行って片づけをしないと朽ちてしまいます。


お墓だって同じ事です。

お墓には誰も居なくても、お墓は仏様の世界に通じています。
だから誰も居ないお墓で手を合わせるのは仏様の世界に手を合わせているのです。

誰も居ないくても、本当なら読経をするのが一番です。それが分らなければ何も考えずに手を合わせましょう。
読経は自分が仏の道を学ぶためのもの。何度も音読をして覚えていくのです。
これによって得られるものは「功徳」。分りにくいので、仏の世界に行った時の貯金だと思っておけばいいでしょう。
この功徳を人に与えるのを布施と言います。お金や物を与えるのが財施、慰めや癒しを与えるのが無畏施(むいせ)、笑顔を見せるのが和顔施(わがんせ)、そして読経で仏の道を諭すのが法施といいます。

つまり空の世界に向かって読経する事はまずは自分に功徳を積む事になり、同時に空の世界の人に布施をほどこす事になります。この人に施した功徳は利子が付いて戻ってくる。つまり「情けは人のためならず」の意味です。
(辞書などは仏教の教えを認めない人もいるので訳の分らない意味に変えています)

地蔵にご縁を得るというのは、地蔵菩薩の力にすがる(縁を頂く)という意味です。
でも円という通貨単位は、昔は非常な高価なものですから、今で言えばヘタをすると10万円を渡す事になったかもしれません。
つまり「五円はご縁に通ずる」なんて理屈は戦後、しかもつい最近になってつけられた屁理屈ですよ。
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お墓を建てて、まったく行かないって、むしろありえないですね。


自分の入るお墓をたまには確認に行って、荒れないようにするのは当然です。

仏式のお墓が塔になっているのは、先の回答者の方が言われたように、そこに本尊様をお招きしているからです。(宗派によって、すこし表現に違いはあると思いますが、大概すればこういうことです。)
塔は、仏教を信奉する象徴として使われます。(例:五重塔など)(インドでお釈迦さまの供養のために、塔を建てたから。)

塔(お墓)を建てるのは、仏教の教えを守っているぞ、正しく生きているぞという象徴で、昔から大変功徳があることとされてきました。(お墓に建てる卒塔婆も、塔を簡単にしたものです。)

生前にお墓を建てるのは、「逆修(ぎゃくしゅう)」の意味があります
逆修は、生前に功徳を積むことです。死んだあと、法事を挙げてもらったりするよりも、生前に功徳を積む方が功徳があるといわれています。(法事の功徳は、故人に三割、参列者に七割とかともいいます。)

その塔を拝んで、功徳を増すのはいいことだと思います。

五円=ご縁は知りませんが。言霊といいますからねぇ。

ただし、佛さまに財施を施すことは、執着をすてて、仏法に帰依している象徴。いたずらではないと思いますが……。

お地蔵さま信仰は、深いものがありますからお地蔵さまには必ずお参りする方っていますよね。
子供を亡くした方とかは、お地蔵さまが子供を導いて下さるという信仰があるから、熱心な方が多いですよね。
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こんばんは。



私は他の回答者様とはお墓の見方が違いますので回答させていただきます。

お墓にはお骨を収めますが、お骨を収めるだけのものではありません。
お墓には石塔があります。
石塔にはご本尊(仏様)をお迎えしているのです。
これはどういうことかというと、亡くなられた方は極楽の仏様のもとにお生まれになられます。
仏様のもとにお生まれになられたのだから、仏様の下にお骨を収めるのです。
ですからお墓にお参りするのはお骨をお参りしているわけではないのです。
お父様は仏様を拠り所としてお参りされておられるのです。
ようするに お墓の石塔=お仏壇=お寺の本堂 なのです。
その昔は、嫁入り道具にお仏壇を持って行ったというお話もあります。
私の拠り所であり、御守くださっているのが仏様なのです。
ですから、お父様のお参りなされているお姿は自然なお姿なのです。
お父様はこの意味がお分かりで、お参りなされておられるのです。

ですからお墓に五円(御縁)があっても不吉ではありません。
五円の効果はわかりませんが・・・。
お地蔵様の御守のご縁がありますようにという気持ちの表れではないでしょうか・・・。
とにかく仏縁に不吉はありません。
今後もお掃除に行かれてください。
せっかくのお墓を放置されるようなことがあっては意味がありません。

浄土真宗の住職の独り言でした。
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 >そこで、誰もはいっていないお墓でも拝まなければいけないのでしょうか?



 誰も入っていないのであれば、拝んでも拝まなくとも、仏の慈悲は変わりません。逆に誰か入っていても、拝みたいヒトが拝めばよろしい、それだけです。

 >あれは、いたずらなのか、それともそのようなしきたりなのか知っている方教えてください。

 分かりません。そもそも、5円=ご縁という考え方自体、円という通貨単位と5円玉ができてからの、かなり比較的浅い歴史ですよね。いたずらでも、誰にも迷惑がかかっていないので、仏は大目み見てくれるでしょう。しきたりだとしたら、1人だけというのは変ですよね。
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誰も入っていないお墓は生前墓地あるいは寿陵墓と言われています。



仏教の側面から言うと、お墓は単にお骨が納められる場所というだけでなく、「み仏のご加護をはっきりと受ける場」であり、また「先祖供養の場」でもあります。

従って、誰も入っていなくてもお参りした方が良いようです。

詳しくは、以下のページを読んでみてみて下さい。
http://www.hourakuji.net/pg60.html
http://www.ishitome.co.jp/contents/jyuryo/
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こんばんは



誰もいないお墓は行かない方が良いそうです
私もお墓が(家族のですが)用意してあり
花立とか綺麗にしておこうとしたのですが
家族があまり行くと待っているようなので行かない方がいいということで
放置してあります
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こんにちわ。


決して詳しい訳ではありませんが、目にとまったお話だったので投稿しました。
私の周囲でもよく聞く話です。
お年寄りの方がよくされる事なのですが、私が知った、学んだ上ではあまりいい事ではないんですょ…
生前墓と言って、結局、お墓は亡くなられた方を納め、魂をお祀りする供養塔になりますよね。
「墓石は生きている」とその著書には書かれていました。墓石が魂を欲しがると言うのです。
全てに起こるわざわいではありませんが、お墓を建てて間もなく誰かが亡くなったとか、そういう事例が実際にあるそうです。
もっと言えば採掘された石の産地が素性の分からない低価格の石だったりすると良くないとか…
例えば海外のその昔、処刑場跡だったりとかって事みたいです。
でも、建てたお墓を取り払うのも現実的じゃありませんし、解決案はわかりません。
しかし、供養するのは心の問題ですし、生前墓をお参りするより先祖を供養する事が大切かと思います。
もちろん維持の為に手入れするのは悪くないでしょうけど。
お寺なら、本堂に日々のご加護に感謝の念をお参りして、宗派によって違うかと思いますが、敷地内に六体の地蔵菩薩が祀ってあるはずです。そちらにもお参りしてから先祖のお墓に行かれるといいかと思います。お金については、一般的に混同してるケースが多い様に思いますが、神社のお賽銭と同じ感覚でしょうからお金を献納するのであれば、やはりそういう形ではなくて、菩提寺に寄進するお布施にするべきでしょうね。
先の内容は脅しではありませんょ。ただ、そういう事もあるし、長年、統計的の研究を続けてこられた方のお話です。
私自身もその先生のおかげで、生き方、見方、考え方が変わりました。賛否ありますが、私自身はいまは強くなれたし、心は豊かに過ごしてます。
念のため、新興宗教のたぐいではありません。
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>あと、お地蔵さまのお手洗い場に、誰かが五円玉を入れていましたが、




地蔵菩薩は、六道輪廻を迷う衆生を救うと言われる菩薩様です。
次の生は良い所に生まれ変わりたいという気持ちの表れではないでしょうか。
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