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今の親の子育てはダメになっている、という話をマスメディアで時々聞きます。
しかし、教育学者の広田照幸さんによれば、
・家庭の教育力は低下していない。しつけの主な担い手が地域共同体から家庭に移っただけ
・昔は行儀などのしつけは上層階級以外、あまりしなかった
・今ほど親が熱心に教育をしている時代はない
・三世代同居を理想化するのは間違い。昔は権力ある祖父母のもと、親が犠牲になった時代でもある。「昔はよかった」で片付けるべきでない
・家庭教育をしっかりしろ、という強力なメッセージは余計に現代の親を追い詰めてしまいかねない
・家族を大切にする人の割合は以前より増えている
『日本人のしつけは衰退したか』『教育問題はなぜまちがって語られるのか? 』など参考 
以上のよう、家庭の教育力低下の言説は間違いで、むしろ今の方がしつけに熱心な家庭が多いと述べています。
少年犯罪も1950~60年代より大幅に減少しているそうです。(質が悪くなったというのもウソです)
また、同じく教育学者の本田由紀さんも、家庭教育重視の政策はすでにぎりぎりの状態にある母親たちにさらに圧力をかけることになる、これ以上母親を追い詰めるなと発言しています。
世間には、今の親は子どもを甘やかしている、家族の絆を取り戻せ、三世代同居の復活を、国家の再生はは家庭教育からという声(櫻井よしこさん・金美齢さんなど)があり、中には戦後GHQによって日本の素晴らしいしつけが破壊されたという言説まで存在しますが、広田さんや本田さんの意見に対して皆さんどう思われますか。

A 回答 (7件)

ぶっちゃけ、昔は、親なんか、子供の面倒なんて見れませんでしたよ。

親はなくても子は育つ。地域の人間っていうのもあるかもしれませんが、大体は、兄弟や親以外の家族の人間、たくさんの友人など、環境に育てられたのだと思います。親と子、という狭い人間関係だけで、人を育てようってのが土台、むりなのだと思いますよ。一人っ子じゃ、子供の時に、大切な人間関係の勉強ができず、先が心配だね。ライオンとか動物だって、兄弟でじゃれあって、狩りなどの勉強をするものですよ。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2011/10/09 21:27

どう思いますか。

とのことなので率直に。

・しつけの担い手が変わった
 →監視人数の明らかな減少により悪いこともバレづらくなっている。

・今ほど親が教育熱心な時代は無い
 →所謂DQNameを付けるような親がどれだけ熱心になろうとたかが知れている。

・家庭教育をしっかりしろというメッセージが親を追い詰める
 →共働きが増えている今、教育時間が減ることによる質の低下は免れられない。

・50~60年代より少年犯罪が減少
 →戦後復興・高度経済成長と環境が違いすぎて単純比較するのは無理がある。

昔がよかったなんてことは言わないけれども、改善されるべき点が多いもの事実だと思います。
結果として一長一短というところなのでしょうか・・・
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
・家庭教育をしっかりしろというメッセージが親を追い詰める
 →共働きが増えている今、教育時間が減ることによる質の低下は免れられない。

子どもに24時間かかりっきりだと育児ノイローゼになりやすいという説があります。


・50~60年代より少年犯罪が減少
 →戦後復興・高度経済成長と環境が違いすぎて単純比較するのは無理がある。

赤塚行雄編『青少年非行・犯罪史資料』には、50~60年代に起きた、貧困とは無関係の歪んだ犯罪が多数収録されています。

お礼日時:2011/10/09 21:32

 わたしも同じ意見です。


 実際、数学五輪などで日本の高校生たちは輝かしい成績を勝ちとっていますし(これはもっと誇るべきだと思うんですけどね)、少年犯罪の件数が減っているばかりかその内容も随分穏便になってもいますしね。
 いつの時代でも昔が良かったと語られるのは、良かったと回顧された時代、話者は子供だったか若者でなにも考えずそこそこ幸せに生きていたというだけのことにすぎません。
 また、昔流の教育で国家再興というのは、詰めこみ教育に対する過剰に好意的な評価同様の、かつて成功した手法を使えばもう一度成功を勝ち得るに違いない、というロマンティックにすぎる思考停止にすぎません。確かに、工業化の時代においてはそうした手法がこの国を世界経済の一角を占めるだけの地位を勝ち得されたのは紛れもない事実ですが、ポスト工業化の時代においてそうした手法が成功に結びついているのかといえば、はなはだ疑わしく感じられます。

 ──櫻井、金の両氏ともお嬢さま育ちですから、同世代の庶民がいかに下品に育っていたかということについては疎いのかのかもしれませんね。

この回答への補足

ご回答ありがとうございました。
> 実際、数学五輪などで日本の高校生たちは輝かしい成績を勝ちとっていますし
これはもっと大きく報道されてもいいかもしれませんね。

>昔流の教育で国家再興というのは、詰めこみ教育に対する過剰に好意的な評価同様の、かつて成功した手法を使えばもう一度成功を勝ち得るに違いない、というロマンティックにすぎる思考停止にすぎません。
そうですね。確かに知識注入型の教育(詰めこみ教育?)にも長所はあったと思うし、知識を得ることは時代に関わらず大切なことでしょう。しかし、質問者様のおっしゃる通り、昔流の教育で国家再興というのは思考停止に近いと思います。

>──櫻井、金の両氏ともお嬢さま育ちですから、同世代の庶民がいかに下品に育っていたかということについては疎いのかのかもしれませんね。
その通りだと思います。「昔はしつけがしっかりしていた」という右派知識人や政治家は、同世代の庶民のことに疎い傾向があります。

補足日時:2011/10/09 21:38
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ダメになっているか、どうかは判断が難しいところがあると思います。


つまり、時代の変化により、ものの価値観が変わってきたからです。
簡単に言ってしまえば、昔は考え方が単純だったため、ものすごく単純なルールで間に合いました。
たとえば、好き嫌い1つとっても、昔は「好き嫌い=悪いこと」が当然でしたので、悪いことをした子は、どうされようとも仕方がない、と言う簡単なルールが通用しました。
それで結局、"食べるまで帰さない"なども愛情の表れとして、善意に捉えてもらえました。

しかし、現代では何でもかんでも好き嫌いが悪いと言うものでもないため、当然親によっては昔と同様のことをすれば、クレームを入れる親もいるでしょう。
他のことも同様で、昔は一律に罰を与えれば済むことでも、教師の判断、親の判断の違いにより、罰の与え方に対してもクレームが付きやすい状況になってきました。

そして、何よりも問題なことは、結局昔と変わらないことが「自分の言うことを聞く/聞かない」が、一番大切な判断材料なことです。
自分の言うことを聞く子は「良い子」、聞かない子は「悪い子」。
この判断基準でしか、子供を評価できないことが、昔はそれで良かったが、今ではそれでは通用しなくなったことが、無駄に問題を複雑化していると思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2011/10/09 21:38

犯罪数については詳しくありませんが、その他、ここに書かれていることに限って言えば、しごくごもっともなご意見だと、子育てが一段落した親として思いますね。

どのみち、古今東西、「国の子育てはダメになっている」と言うものだけれど。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
少年犯罪の減少(1950・60年代と比較して)は事実です。

お礼日時:2011/10/09 21:40

むしろ、学校での教育が衰退してるのでは?



悪い事や苛めがあっても見て見ぬ振り!

悪い事をしてるのを見て教師が叩いたら体罰だのPTAとマスコミが大袈裟に騒いでるからでしょうね。

学校側からすれば家庭で躾をしろとしか言えないでしょう


子供からすれば、塾だの習い事だのストレスの捌け口が苛めに繋がってる様にも思いますけど
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2011/10/09 21:40

>どう思われますか。



家庭内での教育熱の高まり、躾に熱心な人家庭は増えているのに、

社会全体としては、「なにこれ?」状態のことを思えば、

何かどこかが間違っていることは間違いありません。

教育は、家庭、地域、社会で行うものであって、
家庭教育だけに、偏っているというのが、
そもそもの間違いのもとでしょう。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2011/10/09 21:41

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