【復活求む!】惜しくも解散してしまったバンド|J-ROCK編

 「自我の目覚め」の具体例を教えて
 例えば、私は上司や会社の批判をして、事実上退職になりましたが、その批判とは「社会のため」を思ってのことで、人格を批判したりはしなく逆に面白い上司だったりします。ちなみにその上司はH自動車の請負のH梱包会社の所長です。私は、部長に「所長の解雇または降格」を具申しましたが、案の定、却下されました。
 私は、目覚めているといえますか?
(ちなみに、先日お伝えしたような私の口腔内の異常は「口腔セネストパチー」と正式に診断されました。今後も、大学病院で研究対象になる模様。また高機能自閉症の疑いを多くの人から受けております。)

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A 回答 (3件)

オタマさんこんばんは。



小っ恥ずかしい話ですが、

私は先天的な内分泌の障害を抱えていて、若い頃には親に向かって「てめぇがこんな体に産んだんだろうが」とか言って泣かしてたわけです。
三十になって、給料で両親を京都に連れて行きました。散策の折り、少し先行した私は、二人が追いつくのをのんびりと待ってました。
その時、
どういうわけか、思っちゃったんですね。
「オレ、この人たちのことが好きなんだ」
て。

これが私にとっての強烈な覚醒体験です。
遅いですか?
恥ずかしいなぁ。

そうそう
全く興味無いかもしれませんが、漫画の話をさせてもらって良いですか?
ジャンプ連載のハンター×ハンターでも、そうした覚醒の物語が描かれていて、今まさにそのクライマックスなのですが、こちらは恋による覚醒です。

オタマさんは、
大切なものを感じたことがありますか?
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最近、学校でなかなか回答できませんでしたf^_^;変人好きの高校生です。



前置きはさておき、オタマさんは、今回のことについて目覚めてるかということですが、悪い方の自我に目覚めていますねf^_^;
自我の目覚めというより、まだ、自分の殻の中で目覚めている感じです。自閉症ということですから、仕方がないかもしれませんが、本当の目覚めと言うのは、自分の殻から抜け出すことですね。その時は、すごい視野が広がったような感じになります。
僕は、殻から目覚めたり、また殻に篭ったりして、かなり不安定なので、僕も完全な自我の目覚めに至ってないです。高校生としては恐らく遅い方です。だいたいは、大学に行ったら、自然と自分の殻から出る人が多いみたいです。といっても、人によりますから、完全では無いですがねf^_^;

自我の目覚めと聞くと、赤ちゃんが自我を持ちはじめるというような感じがしますねf^_^;
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所長の解雇または降格を具申した理由が記載されていないので、回答のしようがありません。


正当な理由があれば、自己犠牲でしょう。
正当な理由がなければ、当然の結末です。
あなたが「社会のため」と思ってしたからと言って、それだけで正当な理由にはなりません。主観的には正しくても、客観的に正しいとは限らないからです。正義感に燃えて悪人をしても、殺人であることに変わりはないのです。金持ちから財産を盗んで、貧乏人に分け与えても、窃盗です。
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Q大人になってからの自我形成法はありますか?

こんにちは。40代の男性です。長文です。

幼少期、自分に対する自信を剥奪される環境で育ったためか、心のどこかに核となる自信が存在せず、もやもやとした気持ちの悪さをこの歳になるまでずっと引きずって来ております。

まずは生育環境についてご説明します。

物心がつく前に両親が離婚しました。私は母親に引き取られ、母一人子一人の環境で育てられました。母親は非常に極端な人間でした。学校の成績がよいことと、犬のチワワのように従順でおとなしいタイプの人間だけ「あの人は優しくてよくできた人だ」と肯定し、それと齟齬する価値観を徹底的に糾弾。その価値観をもって激しい過干渉を私に対して継続しました。

例えば小学校時代、学校の勉強よりもずっと先に進んだ宿題を母から毎日出され、母が勤務から戻ってくるまでにやっておくことが義務でした(やってないと激しい罵倒にあう)。友人と外で遊ぶ事もスポーツも禁止でした。母いわく「スポーツができるのはみな頭が悪い連中だ」と。

友達が遊びにくると、母がその場でつくった計算問題を私と友達の両方へ与え、母が採点します。私の方が成績がいいのをみて、友人を慰めながら、その実、自分の子供の方ができがいいのをみて満足げな表情を浮かべていました。

田舎でしたので、男子は小汚い格好で外を遊び回るのが当たりまえ。私も、仲間の一人として他の男子生徒と同じような格好をしたかったのですが、ひとりだけ浮いた格好をよく強要されました。何かの学校の催しだったと思いますが、周囲の男子は相変わらずの格好をしているなか、サスペンダーのついた半ズボンに白いタイツを履かされ、周囲の視線がとても痛かったのを憶えています。

私が小学校2年のときだったと思います。母から無理矢理スカートとハイヒールをはかされ、花をもって写真を撮られました。もちろん、私は嫌がって逃げましたが、母はしつこく追いかけ回し、「皆やってるからやりなさい」としつこく食い下がり、私は観念しました。

今でも、実家に戻ると、私の1歳時代の写真をA2程度に大きく延ばしたものが、数点ほど額縁に入れられて飾ってあります。私は心底気持ち悪く思うのですが、何か言うと激しく激昂し、反論にならない反論が返ってきますし、それに対してこちらが論理的返答を何度か重ねようものなら、今度は急に自分が悲劇のヒロインになって泣き出す・・・というパターンが見えるので黙って見過ごしております。

このような事例を数え上げればきりがありません。私は母の思い通りになる所有物、玩具、ペットでした。そして思い通りにならないと癇癪を起こし、無理矢理従わせる。

私からみると、母と世の中の価値観との間にはかなりのズレがあり、母はそのズレに関する認識が完全に欠落しているように見受けられます。認知の歪みといいますか…。他者の意見や価値観へ関する寛容性が極端に低く、自分の価値観にそぐわない人や事象へ関しては激しく罵倒します。そして反論をうけると急に被害者意識で一杯になって泣く。自分が加害者になっているという自覚はありません。また、自分の意見を主張する際、事実を歪曲して語るところが散見されます。

(医師からの診断を受けたわけではありませんが、ウェブ上であつめた情報から判断するに、母は自己愛型人格障害なのではないか、と。喋るときの声がいつも妙に大きく、他の人がいるところでもそれが落ちないところ等にも何か異常さを禁じ得ません)

上で触れた逸話のなかで、私のポイントを集約しているのが、母からスカートをはかされた時のことです。しかしそれは強要した母の思考回路に関してではありません。むしろ、最終的に母の命令に従いカメラにむかって微笑んでいる、自分自身の母の命令へ対する従順さに対してです…。

もちろん、私は母へ対してただ闇雲に従っていた訳では有りません。母の価値観に対する違和感、彼女の世間からの逸脱ぶりを常々素肌感覚で感じていました。が、いかんせん母一人子一人の密室状況。大人は母だけであり、金を稼いでくるのも母。母と私の価値観の相違に関しては、つねに母の意見が100%正しく、私が100%間違いとされ、私は謝罪と服従を強要され続けました。母へ対して反対意見を述べてくれる者、客観的立場から意見を述べてくれる者、私の意見を後ろから肯定してくれる者はいませんでした。気がつくと、母から命令をうけるとそれに従う条件反射回路が出来上がっていたように思います。

・・・ここで現在に話を戻しますと、冒頭で述べた通り、自分で自分のことを、心のなかが常にもやもやしていて、自信のない自分の不安定な性格であると認識しています。拠り所となる確固とした行動規範がない不安といいますか…。心のどこかに常に恐怖と焦りがあり、人や物事へ対し、安定して一貫した対応をすることができない(ひんしゅくを買い、後になって「どうしてあんな変なことを言ったんだろう?」と思うこと多し)。外部からの反対意見に対して軸がぐらつく。物事を決断する能力が極端に低く、いつまでもうなってるだけで平気で何週間も何ヶ月も時間を無駄に過ごしてしまう等。

大学からは家を出て一人暮らしをし、会社へ就職し、営業マンとして激務を務めましたが、根本的なところ(心の奥に居座り続ける違和感、恐怖、不安感)はまるで変わりません。不安定でぐらぐらしています。

幸せな家庭というものを信じることができません。テレビコマーシャルなどで、一家団欒のようなものが取り上げられると、まず私のなかにわき上がる印象は「嘘くさい」そして「気持ち悪い」です。また、子供という存在に対しても、「子供の人生は基本的に不幸である」という色眼鏡を取り除くのが難しく、子供を積極的に欲しがる人達の心境が想像できません。

鬱病になり、3~4年間程薬漬けになっていた経験もあります。

もちろん、そのすべてを母からの後天的影響のせいにするのは難しいでしょう。しかし少なくとも、自分のなかに深く埋め込まれたどす黒い恐怖と不安感や自分の危うい価値観などの一定割合は、適切な次期における自我形成がきちんとなされなかったことへ帰するのではないか、と実感として思うのです。

さて、前置きが長くなってしまいましたが、ここでご質問させて頂きたい事があります。

ウェブをさまよって集めた情報によれば、人格形成、自我形成は幼少期~思春期までになされるとのこと。しかし、分析的な情報は数あれど、そうなってしまった場合の対策に関してはなかなかこれといったものを見つけられずにおります。

私のように、そのための健全な機会を得られなかった人間で、かつ自身の至らなさを自覚している人間が、大人になってから、自我、自信、自分自身の軸のようなものを形成する方法にはどのようなものがあるのでしょうか。

実はここ数年、臨床心理士にかかっております。こちらでの指導は、「瞑想によって自分のなかの危うい衝動へ対して反応しない心をつくれ」というもの。しかしこれは言い換えれば「自我がないことや不安定なことに関しては諦めよ」「それよりもその不安定な自分へ対して二次反応するのをやめなさい」ということのようなのです。自分としては、こちらへ関してどうも隔靴掻痒な印象を禁じ得ず、もっと積極的に軸を形成する訓練が果たしてこの世の中にはないものだろうか、、、と思い、こちらへご質問させて頂いた次第です。

知見をお持ちの方、どうか手を差し伸べて頂ければと思います。何とぞ宜しくお願い致します。

こんにちは。40代の男性です。長文です。

幼少期、自分に対する自信を剥奪される環境で育ったためか、心のどこかに核となる自信が存在せず、もやもやとした気持ちの悪さをこの歳になるまでずっと引きずって来ております。

まずは生育環境についてご説明します。

物心がつく前に両親が離婚しました。私は母親に引き取られ、母一人子一人の環境で育てられました。母親は非常に極端な人間でした。学校の成績がよいことと、犬のチワワのように従順でおとなしいタイプの人間だけ「あの人は優しくてよくできた人だ...続きを読む

Aベストアンサー

私も同じ問題をずっと考えていました。一応の結論は今ここでできることを丁寧にやっていくということでした。もちろんすべて自分で行うというのが前提です。大人になってはなかなか現実の場では難しいので趣味の中で行うということにしています。もちろん結果も自分で評価できなければだめですが、作品などを人に見せる必要はないと思います。言葉遊びのようですが自分で何かを企画してその成果を自分で判断できるという自信が自我そのものではないかと思っています。自我とは信じられる自分ということではないでしょうか。


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