数奇な運命と忠烈義の人であり、(我が国で言えば江戸時代に当る)中国の明時代に大活躍した日中ハーフの人物ですが、我が国では余り歴史上も時代劇の中でも取り上げられていません・・・
彼の功績や戦いの跡、中国での評価、子孫の方は現在どうなさっているのでしょうか?
彼の生涯をご存知の方、紹介した書物について、お教え願えませんでしょうか・・・
http://www5e.biglobe.ne.jp/~tianduan/teiseikoumo …
No.3ベストアンサー
- 回答日時:
鄭成功の功績や子孫に関する記事はネットにも沢山あります。
中国のネットでは「鄭成功が日本人だなんて信じられない、そういうことを言ったり信じたりする無知な人の多いことが嘆かわしい」なども見えますが、一定の教養ある人たちは正しく理解しています。また、列強を追い出した英雄としての人気もあります。それまでは、台湾を化外の地として見向きもしなかった清朝が結局領土として取り込みました。
なお、子孫の会が日本にありますし、中国・台湾にも郑成功的子孙会があるようです。鄭成功第x代子孫という人の記事も沢山あります。
参考までに後段に参考記事をいくつか挙げておきます。
☆鄭成功がまさに台湾を攻略し定住せざるを得なくなった「遷界令」に関する事蹟を併せて紹介します。
清朝においては、南方に逃れた明代の旧勢力が盤踞し、実質的に王の扱いで認知されていました。鄭成功もその王の一族ですが、清朝に鞍替えした父親に反し、明朝再興を謳い沿岸地方に勢力を奮い、食料や武器調達などの地盤としていました。時を経て清朝も業をにやし彼らを追い出すために遷界令を発します。これは、広東省から山東省までの海岸線(当時の海岸線のほぼ全てです)から30里(約15km)以内の地帯に住む全住民を強制的に内陸部に移住させ、沿岸部を無人化したもの。
さて、
「清朝の沿海迁界(別称、遷界令)策で苦境に陥った鄭成功が、1661年に当時オランダ統治下の台湾を攻略にかかり、1661年4月台南の鹿耳門に上陸、1662年2月1日オランダは投降。以降鄭成功は明朝再興の目的に沿い統治を行うが、病を得て1662年6月23日逝去。」
台湾統治においては、「鄭成功による台湾統治は、民生に注力し酷税廃止適正化、軍制改善、法制の改善、経済発展、教育振興など、善政と台湾社会の基礎を築いた事で知られる。なお、鄭成功が台湾奪取した後も反清復明で明鄭と称され、死後も清朝と台湾は敵対関係であったが、「鄭成功修復台湾的壮挙」として民族の英雄として知られる。」1683年明鄭覆滅後台湾は清朝統治下となる。
参照(過去問への回答) http://okwave.jp/qa/q6853107.html
ーーーーーーーー 参考 ーーーーーーーー
・日本鄭氏(国姓爺)子孫会
http://www.villa-randt.com/family_nihonteishishi …
日本鄭氏(国姓爺)子孫会とは
台湾・中国本土で英雄として祭られている「鄭成功」の父「鄭芝龍」を祖先に持つ、
日本鄭家の末裔の方々を会員に持つ団体です。
2007年に発足し、今後各会員(血筋の方々全員を会員とする)に「鄭芝龍・鄭成功親子」を
知っていただく活動や、対外的に日本の鄭氏として活動することを目的にしております。
日本鄭氏(国姓爺)子孫会 第一回活動報告 linkもあり
・鄭永邦 日本の外交官
http://kotobank.jp/word/%E9%84%AD%E6%B0%B8%E5%AF …
鄭家は鄭成功の末裔か?
・鄭成功氏の子孫の身上、明らかになる
「華東新聞」 1999年3月22日2面
http://j.people.com.cn/1999/03/22/newfiles/a1050 …
台湾開拓の祖先とあがめられている鄭成功氏の一部
の子孫は当初、清政府から逃避するため、祖先の教えを
厳しく守り、自分の身上を世間に公開せず、3世紀にわた
って名前を隠していた。しかしこの秘密がこのほど「時
報週刊」に披露された。
・郑成功还有子孙留下吗:鄭成功の子孫は残っていますか?
http://zhidao.baidu.com/question/60130910.html
郑成功仍有子孙传承,其中著名诗人、文学家、作家郑愁予最为出名,郑愁予是郑成功的第15世孙。
郑愁予:中国最具影响力的近现代诗人。
↓
鄭成功の子孫は今もいます、著名詩人・文学者・作家である鄭愁予が最も有名、彼は鄭成功の第15代の孫です。
鄭愁予:中国で最も影響力を持つ近現代詩人。
・中国語記事は沢山あります。
http://www.baidu.com/s?wd=%E0%8D%B3%C9%B9%A6+%D7 …
ーーーーーーーーーー書籍ーーーーーーーーーーーーー
小説として気楽に楽しむものは書籍検索で数多くみつかりますので、片っ端からお読みください。作家の価値感や視線を通して鄭成功が見えてきます。作家の水準も見えて勉強になります。
気楽に楽しむ前にまずこれを。
『鄭氏台湾史 ― 鄭成功三代の興亡実紀』 汲古選書
林田芳雄 / 汲古書院 2003/10 ¥3,990 (税込)
3世紀以上に亙り、中国史に翻弄された鄭成功とその子孫三代の真実を、一次史料を基に台湾史の視点から検証し、あらゆる虚飾を取り払い、その実像を明らかにする。
*本当に研究したければ中国語の勉強をおすすめします。
詳細且つ丁寧にお教え願い誠に恐縮に存じます。
また、貴重な文献や情報のご紹介URLも頂き、大変、参考に成りまして、心より感謝とお礼を申し上げます。
No.5
- 回答日時:
皇帝に依る徹底的な専制政治を旨とし、中国歴代王朝の中でもとりわけ民衆からの搾取と臣下への苛烈さが顕著であったのが明王朝、依って明末の国難に際して開祖以来の臣下すら徹底抗戦を試みた者が殆んどおらず、あっけない滅亡そしてなし崩しに清朝成立へと到ります。
その中で出色の存在が鄭成功、彼の行動は時代に逆行した感があり、私個人としては『ドン・キホーテ』と同種の悲哀を感じずにはいられないが、時まさに「忠孝」を最も無尊ぶ朱子学を国学と位置付けた徳川政権下、近松門左衛門作『国性爺合戦』として人気を博し、世間一般に認知されました。
私も以前彼に興味を持ち色々と文献を読み漁りましたが、悲しいかな御堅い記録的な類は頭が受け付けませんでした、その中で個人的にそれなりに面白いと感じたのが⇒陳舜臣氏著 「旋風に告げよ」 (中公文庫)。
ロマンに満ちてはいるが必ずしも順風満帆ではないその生涯、明朝の復興も成らず台湾も一部に於ける軍事的占拠でしかなかった現実、依って彼の死後確か20年程度で鄭政権は霧散したはず。
但し衰亡に向かう政権に尽くす忠義は人々の心を打ちます、一部に未だ根強い彼の人気の秘密はそこら辺りにあるのでしょう。
尚個人的には鄭成功よりもむしろ父親の鄭芝竜の方に魅力を感じます、マキャベリストにして適度な悪党、そして何よりも強烈なリアリズムの持ち主。
明末を豊臣政権末期に例えるならば、鄭父子は真田昌幸・幸村父子、宇喜多直家(とうの昔に死亡しておりましたが)・秀家父子に酷似している気がします。
父親は煮ても焼いても喰えないが、その子息が純粋培養された忠誠心の持ち主である点が・・。
余談が長くなりました。
ご回答を賜りまして、誠のありがとうございます。
また、関連する優良図書・著書をご紹介頂き、大変参考に成ります。
鄭成功の忠節さと明王朝の圧政や腐敗、まさに「国乱れて忠臣見る」思いです。
それは、わが国においても、ご指摘の真田昌幸・幸村父子、宇喜多直家・秀家父子や楠正成・正行父子とか、お家再興に掛ける山中鹿之助にも見られ、感動と畏敬の念に心打つものがあります。
貴重な情報と切り口で色々とお教え願いまして、心より感謝とお礼を申し上げます。
ありがとうございました。
No.4
- 回答日時:
台湾では、外省人も本省人も敬愛する英雄となっていますし、日中のハーフといういわれから日本人が支配していた時代も大切にされていたため、台南や金門島などで鄭成功一族の史跡がたくさん残されています。
http://www.geocities.jp/shigeki_miyoshi/chenggon …
詳細且つ丁寧にお教え願い誠に恐縮に存じます。
まさに、現在も親日的な台湾の今日をもたらす架け橋こそ、偉人・英雄・功労者は・・・
鄭成功と王さんや金美齢さんではないでしょうか。
No.2
- 回答日時:
鄭成功の子孫は現在でも台湾に住んでいます。
因みに日本の平戸に弟の子孫がいるそうです。
書物として(多分)一番有名なのは、史実と外れるけれども「国姓爺合戦」。近松門左衛門の作。
横になるけれども。
秀吉の朝鮮出兵で、有力大名を含む上級武士の被害はほとんどなく、日本国内で病死していたりはするけれども下級武士以外で寝返りの可能性のあるものは一人もいない。
秀吉が元寇の報復のために朝鮮出兵をしたというのはかなり怪しい。むしろ元寇を知らなかった可能性の方が強い。
ご回答を賜りまして、誠にありがとうございます。
>鄭成功の子孫は現在でも台湾に住んでいます。
因みに日本の平戸に弟の子孫がいるそうです。
貴重な情報、知りたかった事柄です。
参考にさせて頂きます。
>書物として(多分)一番有名なのは、史実と外れるけれども「国姓爺合戦」。近松門左衛門の作。
私も、昔に読んで感動し、それが海外に目を向けたり、日本人としての矜持や生き方に目覚めた端緒の様に思います。
>秀吉が元寇の報復のために朝鮮出兵をしたというのはかなり怪しい。むしろ元寇を知らなかった可能性の方が強い。
私も、そのように思います。
閉塞感や恩賞に供する領地の不足、それと位人臣を極めても変えようのない出自に対するコンプレックスが中韓国からの使節の横柄な文書・態度によって怒りの火を点けたのでは・・・。
No.1
- 回答日時:
>日中の架け橋の先駆者「鄭成功」にもっとスポットを?
日中友好と言うより、日本台湾友好ですね。
鄭成功をご存知とは、流石ですね。
HPで検索すれば、色々な情報がヒットしますから頑張って下さい。
同様に、秀吉の朝鮮出兵時に「朝鮮軍側として戦った秀吉傘下の武将」がいます。
(1274年1281年の、蒙古(高麗)軍日本侵略への報復。李王朝後期の古文書「東史網目」より)
(歴史では、蒙古軍となっています。が、高麗・忠列王傘下の高麗軍が蒙古軍先陣として侵略してきたのです)
この武将の子孫は、今でも韓国で在住ですよ。
確か「サヤカ」と名を変えて、朝鮮軍と合同で秀吉軍と戦っています。
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