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漢字の成り立ちについて質問です。
兄を示すと祝う、兄を口にすると呪う。


この違いはどこから生じるのでしょうか。

A 回答 (4件)

白川静さんの「字統」は大変参考になると思います。

漢字の口という形は体の口よりも祭儀の道具を入れる容器を表すことが多いと書いてあったと思います。
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文字の成り立ちには幾つもの説があり、これも資料を編集しただけなので断言ではありませんけど・・・



兄という字は現代では同じですがお兄さんのほうは「児」と共通の元を持っていて児の成長した形です。
祝うや呪うの「兄」は跪き祈りを捧げる人を表しています。

示す編の「示」は日本で言えば三宝を意味し、供物を乗せる三つ脚の台、あるいは神を祀る場所を意味しています。
つまり、神棚の前に跪いている姿、あるいは神に供物を捧げる姿が「祝」になりました。

呪というと今では悪い意味にのみ使われていますが、実はこれは違います。
陰陽師という映画の中で清明が「シュ」と言っている言葉、それが「呪」です。
シュは物事を縛り付ける言葉、つまり言霊を意味します。

即ち祭壇にひざまづく姿を「祝」とし、口から発せられる祝詞そのものが「呪」なのです。
ところがこれが敵に打ち勝つための言葉となり、やがて人を傷つける言葉、即ち「呪」となって分離されたのです。
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色々説はあるようですが、少し前の日本の家族観を考えればおわかりかと思いますが、「兄」は一家の主を表し、儀式を司る者を表すそうです。


あるいは、「兄」は跪く人を表しているそうで、そこから「儀式を司る者」に当てはめるようになったのかもしれません。こちらの方が本来のルーツだと考えるとしっくりきます。


で、「杯」に「兄」で、「祝」。これは幸せを祈る意味があるのに対し、「呪」は不幸を祈るという意味で使われるようになったとか。本来この2つは同じであったのが、分けて用いられるようになったそうです。
跪いて祝うのも祈るのも呪うのも「言葉」そのものですから、「口」があるのはまぁそう不思議は無いでしょう。スポットが当てられているのが杯か口(言葉)かの違いで。

ただ、自分の知る限りでは、もっとさかのぼって日本の陰陽道の時代には、「呪」という漢字は、良い効果・悪い効果に関わらず、呪術やまじない(漢字はそのまんま「呪い(まじない)」ですね)そのものを表していたそうです。まぁこの辺にも『「祝」も「呪」も元々同じもの』であることが垣間見える気がしますね。
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