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No.3
- 回答日時:
春秋の時代であれば、
褒美として下賜される武具は弓矢や車(馬車)などが多く、
剣を賜るというのは、ほとんどの場合死を賜ることでした。
(この剣の上に身を伏せて、自害せよ、という意味です)
剣に限らず、金属製のものには、
祖霊の加護ではなく別の強い力が宿っている、と考えられていたようです。
このために、甲(よろい)などは金属を用いた物は春秋の時代にはなく、
動物(虎など)の毛皮を用いたものが使われていました。
酒器などにも金(青銅)が使われていますが、
これについては酒を飲むことで得られる酩酊を霊力と考え、
より強い霊力を得るために金(青銅)を用いたのでしょうし、
鼎などは作器者の権力を誇示するために金を用いたのでしょう。
もっと後の時代になれば、そういった考えもなくなり、
ふつうに剣が褒美として下賜されることもあったようですが、
伍子胥の時代であれば、公の場で主君から剣を賜るということは、
死を賜ることと同義と考えて差し支えないでしょう。
No.2
- 回答日時:
ケースバイケースだと思います。
元々剣を持っていない人に剣を賜ったり、粗末な剣を賜ったのなら、「この剣で自害せよ」という意味になるでしょう。また元々剣を持っている人に対して、その剣よりもはるかに優れた天下の名剣を賜ったということなら褒美に主君が家臣に贈ったという意味になるでしょう。世の中、万事ケースバイケースです。その意味はいわなくても状況で分かるだろってことです。
No.1
- 回答日時:
章武元年(二二一)、蜀主劉備は金牛山から鉄を採取し、八振りの剣を鋳造した。
長さはそれぞれ三尺六寸。一つは劉備自身が帯び、一つは太子劉禅に与え、一つは梁王劉理に与え、一つは魯王劉永に与え、一つは諸葛亮に与え、一つは関羽に与え、一つは張飛に与え、一つは趙雲に与えた。《先主伝集解・古今刀剣録》
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