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動物愛護団体の話を聞くといつも考えてしまうことです。

蚊やゴキブリを殺す商品はたくさん売られているのに、「虫や犬、猫も生き物なんだから殺しちゃいけない」といわれます。

この線引きって何なのでしょう。

牛や豚も私たちが生きていくために殺されています。

私たちに害をなすかどうかなのでしょうか。ある程度の感情を持つかどうかなのでしょうか。

A 回答 (11件中1~10件)

人は欲で生きております。


生きる為に食べなくてはいけません。
植物、動物関係なく、その命を「いただきます」しております。
その植物や動物は他の虫や動植物にとっても生きる為に貴重な命なのです。
食だけでなく生活をする上で衛生面に気遣った時に殺虫成分のあるものは必要となります。うちは娘が小さいので尚更です。
動植物全て、勿論人も含めてですが、その重さに差がある訳は無いと思ってます。生きる為に、その命を貰ってるに過ぎません。そんな業を背負っていくんだから、最後まで生を全うするのですと、どこかのお寺さんで聞きました。
言葉足らずな部分がありますが、参考までに。
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それは人間が必要でない物は削除、必要なものは生かす、という考えだからだと思います。


そもそも動物を保護する意味は殆ど無いのにも関わらず、そこに「生き物を無意味に殺してはいけない」という事を入れたのでこの矛盾だらけの世界になったんじゃないかなと思います。
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この回答へのお礼

みなさん丁寧なご回答ありがとうございます。
みなさまの貴重な意見は本当に勉強になりました。
皆様にポイントのお礼したいのですがそれは出来ませんので、回答の早い順にさせていただきます。
ありがとうござました。

お礼日時:2008/08/24 23:46

人間は自らが生きていくために他の生命を生かすことも出来ますよね、家畜のことです。

農耕もそうです。
殺すばかりではないです。
これは今までの自然界にはありません。
この人間だけの新しい生命活動の意味に、知性が追いついていないからいろいろな論議が出ます。
「悪」も「罪」も人間だけが作り出したフィクションです。
家畜はこれらを知るよしもありませんから種として保護されていれば生贄のように食べていくために殺されることには死に際の束も間の恐怖だけであり知性があるなら肯定でき売るのではないかととも推測します。
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こういうことをいうと、批難の的になりそうですが、自分的には理にかなっていると思うから敢えてこういう考え方もあるのだと紹介してみます。



そもそも命の重さが同じ、ということはよく叫ばれますが、自分の考える命の重さは0です。つまり、命は大切ではないどころか、価値すらない。
ただかなり例外的なことがあって、生物は自分の遺伝子を受け継いでいこうとしますから、自分の遺伝子を残す上では何でもするわけです。

つまり、社会を作って助け合うのは、自分の遺伝子を引き継がせるために異性をみつけやすくするため、家族を作って助け合うのは、受け継がせた自分の遺伝子を次の世代に受け継がせるために生き残らせるため、会社で働くのは、自分の遺伝子を受け継がせるために、結局必要になってくるお金を稼ぐため。

このように、助け合うから、命が重要なのではなく、自分の遺伝子を受け継がせるために必要な相手だから、命が大切だ、といっているわけです。(ヒトなんかがこの良い例だとおもいますよ)

自分たちの食料となる牛やブタは自分の遺伝子を残すには食べなくてはいけないから大切。ウシやブタの命は尊重すべき。なのに実際は見るも無残に屠っては貪る。このことから、大切な無価値。
ゴキブリは自分たちに伝染病を引き起こさせるから、自分たちの遺伝子を残すには厄介。だから大切な命なのに瞬時に叩き潰す。ただ、ゴキブリもヒトが生き残る上で重要です。なぜかというと、ゴキブリがいるから○キブリホイホイや○キジェットが売れるのです。ゴキブリが存在しなかったら、その製品を作る会社に甚大なダメージが及びますから、その会社を運営するひとたちが生きていけなくなるかもしれないわけですからね。

これらの例からも、結局やっているのは、自分の遺伝子を受け継ぐに都合がいいか悪いかで、都合がいいならば、利用して、いらなくなればさようなら、都合が悪いなら殺してでも除外する(ヒト→ヒトもアリ)。

こんなように、自分にとって都合がいいか悪いかで利用しているものの、命の大切さを説くわけです。であるから、それを満たすには、
「命はみな平等で無価値」
としないと矛盾が発生してしまいます。あくまで、命に価値があるのではなく、それを利用して、結果としてなんらかの役に立つから、大切なのだ、と。

あくまで、参考までに。
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[動物愛護団体の話を聞くといつも考えてしまうことです。

]

動物愛護団体のお方だけではないでしょう。アメーバから進化したのなら命の重さは皆同じでしょう。むしろ猿が人間のご先祖様なら猿のほうがえらいことになるよね。でもあまり猿を祭る神社も見たことがないので猿進化論もおそらく間違いでしょうね。牛を奉る国もあるから人間は牛より劣る?これも間違いだろうね。
本当のところはみんな合目的に創られた生命なんですね。牛や豚や鶏は食料としてでしょうね。昆虫は昆虫でそれぞれ役割があるのでしょう。そういう意味でみな役割を果たしているんじゃないでしょうかね。命の重さは役割と言い換えればいいんでしょうね。
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大事なのは「誰にとって、どういう状況で」という視点です。



同じ缶ジュースがあったとしても以下のように人や状況によって価値は変わります。

○飲み物いっぱい飲んだ直後のNYに住む富裕層の人にとっては価値は低い
○砂漠で持っていた水分が無くなり2日間何も飲んでいない富裕層の人にとっては価値が高い


ライオンにとって、ホッキョクグマとハイエナの命の重さは同じなのか?
ピラニアにとって、ペンギンとコウロギの命の重さは同じなのか?
人間にとって、地球外生命体とニシキヘビの命の重さは同じなのか?
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俺も命の重さって同じじゃないと思います。



こういう線引きをする人間の命が一番重いよ
うな・・・。なにもかも人間中心なんです。
だから人間に外を及ぼす虫たちは害虫とな
るわけです。

でも地球中心で考えれば一番いなくなっても
らいたいのは人間でしょうね。
人間がいなければ、食物連鎖だけでだれもが
幸せなのに。
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人間だって同じじゃないですよ。


そしたら、動物なんてどういうものか分かるでしょう。

与党の代議士の親族が病気になったときなど、一般の
人ではとても入れないような個室に入院が出来て手厚い
看護が施されるのに、普通の高齢者などは
」まず延命治療を拒否しますという書類に印鑑を押してく
ださい」といわれます。
まったく日本は不平等な社会です。後期高齢者などは
社会のゴミ扱いですから。
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命の重さは全て同じだと思います。


小さな虫けらだって、生きる権利は同じです。

しかし、その重さを量る生き物が誰であるかでしょう。
現在は人間が一番利口で力を持っています。
その人間が命の重さを論じるので有れば、人間にとって都合の良い物が重く、都合の悪い物は軽んじられます。

人の命ですら、権力者や多数意見で軽んじられ抹殺されます。
戦争で多数の人が死んでもそれほど問題でなく、話題になった小さな動物が死んでも世界中の人が涙を流します。

その重さを人間が量る以上、人に害を及ぼせば悪であり、守りたければ大事な命となるでしょう。
昔の将軍が(権力者)人の命より犬の命を重く見た時代があったように、ワニをペットにしている人が人に危害を与えることを承知の上で川に放すように。

結局命の線引きは人間の都合で決められています。
命の重さは、それに関わる人によって変わると言うことでしょう。
大自然の中では全く同じでも。
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それを言ってしまえば、豪州ではカンガルーを虐殺していますし。


で、日本の調査捕鯨に関しては、劇薬をぶつけて国際問題も起します。

魚だってアフリカじゃ、食べません。 海岸沿いの国や、外国人を除いて。 そのかわり、猟をして、動物を食べます。
イモムシの幼虫を食べます。 トカゲだって、立派な蛋白源です。

動物愛護団体や、環境保護団体と言うのは、政治的な団体です。
イメージを売りにして、活動しています。
主婦や善人をイメージづけるのに、もってこいです。

収入源など、献金しかないのですから。

政治家や、その他有名人、国家がこれに触れることをすると、国家間同士が動くと、国際問題になります。

そこで、民間の多国籍軍、「○○保護団体」が必要なのです。
それを、背景に世論を味方につけます。 法律やルール国際協定など関係ありません。

現に攻撃されているのは日本の捕鯨船だけで、中国や米国はまったく被害を受けていません。

攻撃すると、本気で反撃されるから恐ろしいのです。

中国やアメリカは、手加減しません。 戦争の放棄を謳った憲法もありませんし。

命の重さを利用した、非営利の仮面をかぶった団体が献金によって存在しているとでも言っておきましょうか。
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