プロが教えるわが家の防犯対策術!

日本社会は既に民主主義のルールなのに
学校では未だに社会主義、集団主義を教えています。
・服や靴まで統一し、意味のない起立、礼の儀式
・個の自立を教えず、一人の生徒はその名前ではなく「生徒A」程度の存在でしかない
・精神論、根性論、奴隷根性を叩き込み、多くのブラック企業を生み出している
・生徒に掃除をさせている

これは世界的に見て、普通ではありません。異常です。
なぜこうなったのでしょうか?誰のせいですか?

A 回答 (14件中1~10件)

そんなに極端な事は無いと思いますけど(^^;



制服は毎日服を考える手間が省けますし、仲間意識みたいなのも出来やすいですし。
起立や礼は人としての礼儀と考えられます。
あと先生とかは(そうでない人もいるでしょうが)ちゃんと一人一人の生徒の特徴なんかも把握してたりしますよ。
それに最近では精神論とかは言わなくなってきてるようです。
根性論は現代っ子には通用しないようです(笑
掃除にしても、自分たちで使っている学校なんだから、自分たちで掃除するのは当然ではないでしょうか。

日本の教育は江戸時代から世界的に見ても高水準だと思います。

但し、教育の内容自体が偏向している感はありますね。
自虐的ですし、もっと大切な事を教えないと駄目だろうとは思いますが、授業時間の関係や敗戦国の宿命なのでしょうか。

そうすると今の教育の原因は、太平洋戦争を長引かせた人たちのせいなのかな。

あと、子供だけじゃなくって大人にも教育が必要だと思ってます(^^;
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この回答へのお礼

先進各国では子供は勉強をするために学校に来ているので
掃除は生徒にさせませんが、そこについてはどう思っているのですか?
自分たちで掃除するのは当然とはどういう意味の当然ですか?

確かに、大人にも教育は必要ですね。教育しても直らないと思いますが
太平洋戦争など、昔から日本人は本当に悪い意味で馬鹿をやって来ましたからね
きっとそういう民族なんでしょうね

お礼日時:2012/04/24 15:30

民主主義だから、どの学校でも生徒会が立ちあがって校則を変えることはできると思いますよ。


児童や生徒を出席番号で呼ぶ学校なんて見たことないですし。ちゃんと名前で呼んでますよね。

社会のルールが守れなさそうな、不良が多い学校は校則が厳しくて、宗教関係の学校は校則が厳しくて、公立高校などでは偏差値の高い所ほど校則が曖昧、というのは一般的じゃないかと思います。個を重んじているので。

掃除のためのハウスキーパーを雇う金は誰が払うんでしょうかね。
共有のものや場所はみんなのものだから、みんなが使いやすいように自分で掃除する、というのが日本人的だと思います。

世界的に見て、とおっしゃいますが、質問者さんは日本と海外と両方で教育を受けた方ですか?
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日本の社会で、日本流の教育を行い、


日本の社会に適応する人材を輩出していることに鑑みて、
指摘されている点は日本社会では問題にならないでしょう。

しかし、質問者さんは、世界ないし外国の視点から、
日本で社会主義、集団主義を教えていることを
問題にしているのですよね。

西欧社会では、日本と比べて、個人の個性が重視され、
日本と異なって、社会、集団が個人を犠牲にすることを許容しません。

服、靴まで統一して、個の自立を教えないことは、
個人の個性より集団を重視する顕れです。
工場、軍隊などに勤務するときに、均一な人材を供給して、
画一的な作業を大勢で協調して実施することに向いた人材が育ちます。

精神論、根性論を叩き込むのは、日本の学校全体の特徴というより、
日本の学校の一部の特徴でしょう。

精神論、根性論、奴隷根性を叩き込む教育は、この現代社会では問題があります。

生徒に掃除をさせるのは、日本国内では問題にされないでしょうが、
授業料を払っていることを考慮すると、普通でないという見方もあるでしょう。
西欧の教育を知悉していると、違和感を覚えることは確実です。

>なぜこうなったのでしょうか?

明治以降、工場、軍隊で働く均一な労働者、兵隊を供給する政策を採用したので、
文部省の方針の結果です。

原料を輸入して製品を輸出する輸出立国ということは、
均一な工場労働者が工業製品を製造することを前提としています。

薄型テレビ、インターネット、携帯電話、インターネット接続携帯端末などを
発明した企業は外国企業であり、
日本企業はこれらの量産技術及び改良に秀でているのに過ぎません。
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私は日本とアメリカで教育受けましたが、両国間の大きな違いは日本は集団主義的、アメリカは明らかに個人主義だということです。

どちらの主義にも長短両面がありますが、日本での集団主義は狭い国で大勢の人間が上手く生きていく必要性から生まれた一種の生活の知恵と思っています。しかし学校での軍隊教育的な事を今だにやっているのは私も余り意味のない事だと思います。ただ日本の教育者のたちの中には未だこの様な教え方が立派な日本人を育てるのに必要と考えて居られる方が多いのではないのでしょか。現在の根性論も何か時代遅れの思想に思われます。戦後日本を立て直す為大きな犠牲を払い異常な努力をなさった方々の精神は尊敬するに値しますが、それをそのまま現代の教育課程に取り入れるのは余り効果的ではないような気がします。スポーツでも根性だけではたいした結果を出すこと出来ませんね。ただそれが素晴らしいことのように見えるだけでしょう。今の時代ははもう世界各国との関わりを逃れるわけには行きません。その中でリーダー的な人間を育てるには人それぞれの長所を伸ばすような教育が必要だとおもいます。この何十年間、日本は世界経済No2と言われてきましたが、政治的な面では全く日本国力が感じられません。別に個人主義が全て良いと言っているわけではありませんし、精神的な面を無視しても良いと言っているのではありませんのであしからず。
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『民主主義』とは政治体系の一種です。


世の中の仕組みを多数決で決めた代議士とよばれる政治家が政治を行います。
 その政治があなたの言う『集団主義』という社会の一体系を決定しています
なので何も不思議なことはありません

民主主義→政治の一体系
集団主義→社会の一体系

 尚『社会主義』とは政治の一体系ですがこれは生産手段の私的所有を制限または否定した
政治体系です。
 
・服や靴まで統一し、意味のない起立、礼の儀式
・個の自立を教えず、一人の生徒はその名前ではなく「生徒A」程度の存在でしかない
・精神論、根性論、奴隷根性を叩き込み、多くのブラック企業を生み出している
・生徒に掃除をさせている

 は社会主義とはまったく関係がありません

又『これは世界的に見て、普通ではありません。異常』とありますが
日本特質の文化である『礼』は確かに変かもしれませんが、あとは別に普通の事です。
 第一、学校内において集団行動も不可能な人間が社会の中で集団行動などできるはずがありおません
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皆さん、夫々に立派な意見をお持ちで私も反省させられます。



 私は、No.1、及びNo.2さんの回答に共感を覚えます。

 > 学校では未だに社会主義、集団主義を教えています。
 > ・服や靴まで統一し、意味のない起立、礼の儀式

  現在の日本は、人民同士の話し合いが非常に少ないと感じます。
 この集団主義的な教育を無くしたならば、夫々に勝手な方向に行って、今の日本の政治のように更
に纏まりが無くなってくるのではないでしょうか。

 自由気侭にばらばらの考えで生活を試みたとしたならば、多くの人達は現在以上に家に閉じこもって勝手気ままに考え、被害妄想が多くなり、苦情のみが発せられるようになると考えられます。

> ・生徒に掃除をさせている
  現在は、家及び自分の住んでいる場所を規律良く掃除できる人達が非常に少なくなってきている事実があると思います。

  過って、麻生元首相が、首相になる以前にシンガポールに出向いた際、一人の付き人が飲み物をいれた容器を倒したのですが、この付き人は自分で掃除しようと試みました。
 しかし、麻生さんは、彼に対して掃除する人達が居る為に、その者にやらせ、その人達の仕事を取ってはならないと付き人を叱咤しました。

 これは、事柄としてアジアで有名になり、これに習うことになったものですが

 さて、果たして、これが良いことなのか?、私にとって大変迷惑なことになったものです。

 つまり、ある程度地位が高い存在になった者達(つまり日本的に言えば、班長、係長、その他リーダー的な地位)が、係りの者が居るからと言って平気でゴミを捨てようになったことです。

 M国では、町のいたるところがゴミだらけ、それは掃除人が居るからと言って、悪戯にゴミを捨てるからです。
 自分達が使用して、又出したゴミは自分たちで処理する意識が、現在の日本を奇麗な国にしている基本的な教えからではないでしょうか。

 授業料を払ったとしても、己が使用したものは奇麗に元通りにしなければならないと、私は思います。

 人間個々に素晴らしい能力を持っているのなら良いでしょうが、考え方は様々であり、また個々に自分の主張が最も正しいと夫々に考えたら、無茶苦茶になってしまいます。

 アメリカは、キリストなど基本的な生活習慣は宗教によって得られていると思います。
 現在の日本の若者には、このような宗教的に生活習慣を得ることは皆無でしょう。
 つまり、基本的な生活態度は学校で教えて頂かないと他の方法で教育をえることはできないでしょう。

 もっとも愚かな事件の中に、国旗掲揚の必要性及び礼を重んじる教えに、極一部の教師が反感を得て、現在裁判にもなっていますが、これらは民主主義国家の中で、多数決で決まられる基準と云うものがある以上、例え個人的に反感を得たとしても、これに習わなければいけないのは当然であると言えるでしょう。

 日本国民の50%以上の人達が反感を得るのであれば、それは当然変えることになると思います。

 集団教育が無くなったとしたならば、現在の日本人の特性から言えば、多分外国人が横行して主張を訴えるようになると考えられます。

 秋葉原で犯罪を犯した者も勝手な思想で発生した事件ですね
 日本人の特性としては、これらの教育を無くしたならば、この様に暴走する人達が更に増える懸念があります。

 
 > 集団主義を教えています
   集団主義の教えは、軍隊を育成する為の教えではありません、共存共栄の教えの一環でしょう。

 参考です、悪しからず。 

この回答への補足

その教育を受けた人達が、人間同士の話し合いが少なく、締まりのない政治をする人達ですよ
私は子供達が集団主義を教えないと仲間が作れないとは思えません。

補足日時:2012/01/04 00:32
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なにも外国に合わせた教育をする必要は


ないと思いますが。
日本は日本に合った教育をすれば良いのです。

個の自立といいますが、欧米のそれは、キリスト教に
裏付けされたものです。つまり、神と個が直接
約束して、己を律しているのです。

しかし、日本にはそんな神はいません。
日本で同じようなことをやったら、中国のように
何の枠、軸もない個人主義となってしまい、
国家、社会のことを考えない人間になるおそれがあります。

服や靴を統一するのは、秩序を維持するための技術です。
精神論、根性論をたたき込まれているから、311の
ような災害が発生しても、整然とした行動が出来るのです。

外国であんな災害が起きたら、略奪が起こります。

企業の話ですが、社員がトイレ掃除をしている
会社がありますが、この不況下でも業績は抜群です。
掃除は道徳教育でもあり、一体感を醸成するのに
役立つのです。

質問者さんは、外国が正しく、日本のやることは
何もかも気にくわない、悪いことだ、と思っている
のではないですか。

外国の優れた部分を真似しようというのはそれなりに
合理的ですが、そんなことをしても、それは二流の
外国人になるだけです。
私は、一流の日本人を目指すべきだと思います。
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まず、民主主義、社会主義の意味を取り違えていますよ。



民主主義というのは、「集団の意思は皆で話し合いや多数決で決めましょう」という意思決定の仕組みの一つです。民主主義の逆は『独裁主義』です。

一方、社会主義というのは共同生産と均等分配と財産独占禁止を主とした経済の仕組みを表す言葉で、民主主義とは次元が違う言葉です。社会主義の逆は『資本主義(自由主義経済)』です。

民主主義的な社会主義もあれば(ベトナム等)、独裁的な社会主義もあります(北朝鮮等)。




「世界的に見て、普通ではありません」と書いてるので、どれくらいの国の実情を貴方が知ってるかは?ですが、当方の経験と知っている範囲で。

>服や靴まで統一し、意味のない起立、礼の儀式
>精神論、根性論、奴隷根性を叩き込み、多くのブラック企業を生み出している

アメリカは州によって教育内容や過程はかなり違いますが、一貫しているのは公立学校では合衆国国民として星条旗に向かって自覚や忠誠=「礼の儀式と精神論」を教えること。朝礼みたいなイベントの際は、国家忠誠の宣誓文を唱えて国歌斉唱です。斉唱時は胸に手を当てる姿勢など日本の国歌斉唱よりも形式には細かいです。もちろん、歌わないなんてことは許されません。ちなみに、アメリカの学校は映画などで一見自由そうに見えても、休日の行動や所持品に至るまで特に非行や性的トラブルにつながることに関する規則が細かい学校が多く、「個」の自由は意外なほど制限されています(先進国の学校では、こののような学校が多勢でしょう)。

日本の学校制服は明治期にドイツやイギリスに習ったもので、先進国の公立学校で制服があるのは日本とイギリスが代表的、この2国の学校制服はって『伝統』の域です。当方がアメリカ在住時(カルフォルニア州)、制服を導入したがる公立小学校は増えているらしく、地域の公立小学校が制服を導入で揉めているのを新聞で読みました。アメリカでも私立は制服があって規則の厳しい学校が多勢です。

韓国や中国は教科書の内容からして国家への忠誠は当然ながら、教育内容も「精神論、根性論」ばかりです。
欧米のカトリック系の学校の規律と宗教的精神論の徹底は書くまでもないと思います。


>個の自立を教えず、一人の生徒はその名前ではなく「生徒A」程度の存在でしかない

個の自立は本人の資質の問題であって学校教育は殆ど関係ありません。
何を教えてもダメな人はダメ、殆どの人は学校教育の成績や学んだ内容とは無関係に自立してます。


>生徒に掃除をさせている

みんなで分担して掃除、とても民主主義的だと思います


そもそも日本の学校、特に公立学校って先進国ではかなり自由かつ奔放な部類になります。
10代の女の子がパンツが見えそうなスカートで登校が許されるたり、国歌斉唱時に黙ってたりフザけたりしてるのは、先進国では日本くらいです。
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米国において、休日の行動に関する規則を定める学校はありません。


また、米国の学校で、「個」の自由は特に制限されていません。

欧米社会では、欧米社会に通用する個人を教育しています。
そして、米国及び西欧の教育は、文化圏が共通することもあり、
国境を越えた普遍性を帯びています。

米国の大学のエピソードです。

教授が時間内に講義が終わらないとき、
教授が講義を続けているのにもかかわらず、
生徒は時間になったので、教室から出ていきます。
次の講義に待ち合わなくなるからです。

米国では、スミス先生に対して、
Mr.Smith(訳語によっては、スミスさん)と呼べば敬意を表したことになり、
教師に対する特別な敬称である「先生」に対応する訳語は英語にありません。
教師の地位の一面は、「先生」のような特別な敬称があるか否かに
顕れています。

欧米社会からは、日本の集団主義に染まった学校は異質な文化に見えるときがあります。
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 アメリカは自由でいいですよ。

学校にピストルを持ってくる自由があります。空港のようなボディーチェックはありません。で、身の危険を感じたら撃ってもいいです。特に、女子生徒や、女性教師が下校時間を過ぎて校内に一人だけで残っていたら、レイプされる可能性が非常に高くなります。アメリカでは道徳を教えていませんので、公共の場を掃除するなとどという、一セントの得にもならないこと勧めるのは、親がしつけするか、宗教団体の責任にするかです。学校では自己主張することだけを教えます。自己主張には建設的な理由はいりません。正にグリーンピースの論法です。

 制服がないのは自由精神からでもありますが、世界の多くの国は貧しい国の方が圧倒的に多く、制服を買うだけの経済的な余裕がないからというのが、最も大きな理由です。英国のような伝統と格式を重んじる風潮がある国には、制服があります。しかし、英国は社会主義ではありません。

 「奴隷根性」という言葉がよく分かりません。説明をお願いします。人身売買されたりして、牛馬や犬猫同然の精神を持つように教育がなされているのでしょうか?むしろ逆で、親や教師、社会をなめてかかる、根性のない甘い考えのチャラ男、チャラ子が育っているように思います。

 精神論を叩き込まれた人が、ブラック企業経営に手を染めるというのは、矛盾していますね。むしろ道徳観をなくし、詐欺まがいの商売をするのは、外国の方が圧倒的に多いです。日本の善男善女などは、海外でボラれて安物に大金を払うなんて事例が多すぎて笑い話にしかなりません。

 日本の教育の弱い点は、理論的な思考・合理的な説明の力を身につけにくいということだと思います。失礼ですが、質問者さんの投稿内容がそんな風に思えます。なぜそう思えるのか、実例を証拠として挙げたら、他の人を納得させることができます。納得できたら、自分の世界観が少しは変化し広がると思いますので、よろしくお願いします。
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