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たとえばAが主君に謀反した場合、Aの一存だったとしても家族はもちろん三族(父方の一族、母方
の一族、妻の一族。父・子・孫、父母・兄弟・妻子)全てに罪が及ぶわけですが当時の中国の戸籍は
どうなっていたのでしょうか。
姻族は近くにまとまって住むとか人質のために一カ所に固められるような風習があったのでしょうか。
疑問に思うのは追っ手はどうして誰々が「Aの一族」だということがわかったのでしょうか。
見せしめに幼子まで皆殺しというのは当時の習いとはいえ酷だと思います。
謀反する側も文字通り命がけでしょうが。
いつの時代でも例え正当な理由があろうともクーデターなど「権力争い」は醜いものですね。

A 回答 (3件)

・当時の中国の戸籍は


どうなっていたのでしょうか。

古くは、周のころには、徴税のため、現在の戸籍に相当するもの作られました、
このころは戸主の名前年齢だけでしたが、
秦・漢を経て、唐のころには、人頭税などや、隋唐の均田制などのために
妻子含む戸籍が編成されるようになりました。

※戸籍以前に、貴族や士大夫なら三族ぐらい、朝廷に存在把握されているような\(^^;)...マ
似顔絵とはいかなくても、氏名年齢入りの手配書が追っ手に渡されているのではないかな。
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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%8B%E6%B8%A9% …

三族(当人と妻子、父母、兄弟を処刑する罪)
これらは基本的に同居しているかと。
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まったく分かってませんね。

中国に個人という概念は存在しません。科挙という制度が有りましたが、受験生はアルバイトしながら何十年も受験勉強をしていたわけではありません。科挙はどんなに天才であっても、1年や2年の勉強では合格しません。それこそ三族をかけての総力戦なのです。受験生の生活を支援するだけではありません。官僚に賄賂を渡して便宜を図ってもらう。高名な学者を探し出して、学者の給料も出して、家庭教師を務めて貰う。科挙に合格するか否かに三族が繁栄するか没落するかの命運がかかっているのです。目出度く受験生が科挙に合格すれば、絶大な見返りがあります。恩賞目当てに、1000km先からも、歩いて見たこともない親戚が現れる。官僚というだけでもそういう具合ですから政府高官に上り詰めるぐらいの人物には、びっしりとりまきがまとわりついているわけです。情実人事で主要ポストが三族に独占され、党派抗争が激化します。謀叛といっても私利私欲が動機ではない。阿呆な主君が敵対する党派の讒言を信じてしまえば、三族全体が失脚し、有らぬ罪をでっち上げられて処刑されることになる。謀叛を起こさなくても結局は同じことなのです。中国では忠節を尽くせば安泰だなんてことはない。常に騙しあい、裏切りあいの連続です。腹心の部下のような振りをして取り入って、いざとなれば平気で裏切ります。それは主君の方も同じです。いくら忠節を尽くしたところで斬られる時は斬られるのです。それが権力争いにしか見えないということは中国史を全然見えていないということです。

この回答への補足

「科挙」とは隋にできた制度ですよね。なぜ突然「科挙」が出てくるのですか。

言葉足らずでしたがそこまで下ったところではなく「史記」などの「古い時代」のことをたずねたかった
のですが。

ご回答いただきましたが「なぜ三族がわかったのか」という質問とは遠いようです。
別に「権力争い」に固執しているわけではありません。ただそういったこともあったであろう、という
だけのことです。決め付けないでいただきたいです。

もちろんクーデターなどでなくとも、讒言により一族もろともではないですが、自害させられた呉子胥
などの話は有名ですし、権勢を振るい、専横の限りを尽くし、挙句滅ぼされた、という人物エピソード
も存じています。

補足日時:2012/01/06 18:52
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