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今読んでいる所なのですが、分からない言葉があるので、もし良ければ教えていただきたいです。

P117 後ろから2行目 「天勾践を空しゅうする」

P224 後ろから6行目 「・・暗々の裏に思?せる・・・」
              ?の読み方 

P235 後ろから2行目 「アンチシーシス」
   他のページにもカタカナ英語はいくつかありますが、それらは何とか分かったんですが、これだけはどうしても分かりませんでした

A 回答 (3件)

はじめまして。

本がないので2つ目の質問についてはお答えできないのですが、1つ目と3つ目はなんとかなるかも知れません。

■「天勾践を空しゅうする」
「てん こうせんを むなしゅうする」です。『太平記』が本歌ではないでしょうか。勾践は、中国古代春秋時代の越の国王の名です。詳しくは下記のURLが参考になるかと思います☆

■「アンチシーシス」
英語の「antithesis」かと思われます。ドイツ語のアンチテーゼという言葉の方がなじみがあるかと思います。「正反対」等の意味で使われてないでしょうか。

参考URL:http://homepage2.nifty.com/duarbo/versoj/v-senze …
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この回答へのお礼

お答えありがとうございました。
URLも参考になりました。
「アンチシーシス」の方は、スペルも教えていただいて助かりました。

お礼日時:2003/12/14 16:15

最初のものは#1の方から回答が出ていますので


二番目を。

・「暗々の裏に思惟せる」
思惟は「しい」もしくは「しゆい」と読みます。
深く考えることです。
ここでは、原稿を自分の許可なしに森田草平に書き直させたことを憤る阿部次郎にたいして、森田は自分なりにいろいろ考えて、この範囲なら大丈夫だろう、と書き直したにちがいない、と言っています。

・「アンチシーシス」
これも#1の方がおっしゃるように、アンチテーゼ、という意味と理解してよいと思います。
その前の小宮豊隆に、厳しい葉書を出していますね。それは小宮の送ってきた手紙(というか、最近の生き方考え方)に対するアンチテーゼである、正反対を意味するものである、と言っているのだと思います。

この回答への補足

お答えありがとうございます。
すみません、「アンチシーシス」の所の手紙で、もう少しお伺いしたいのですが、ご迷惑でなければお答え願います。
このP235の二つの手紙で、漱石は何を言いたかったのでしょうか。「余は平凡尋常の人である。凡ての出来事を平凡尋常の出来事として手紙に書いてくれる人を好む。」という所も、いまいちよくわからないんです。
つまり、酒や芸者の話は聞きたくない、という事でしょうか。そういう話は森田とか次郎にしろ、と。
でも別に酒や芸者をやめろというわけではないんですよね。P241~243の「小宮豊隆について」では「あれでいいじゃないか」と言ってるし・・(これは多分、坂本雪鳥が小宮を批判した事に対する反論かと思うのですが)
質問が分かりづらかったらすみません。この三通について解説などしていただけるとありがたいです。

補足日時:2003/12/14 16:43
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まず、全部これは私の解釈であることをどうか念頭においてください。


漱石関係はある程度読んではいますが、専門的に研究したわけではないので。

まず順を追って見ていきましょう。

小宮豊隆から手紙が行った。
これは現存していないのでつぎの漱石からの葉書で憶測をするしかないのですが、誰それと芸者をあげて酒を飲んだ、その上で、そうしたことをする自分を悲しく思ったとか、誰それにすまない、もうしわけないと思った、という内容だったはずです。

葉書に「凡ての出来事を平凡尋常の出来事として手紙に書いてくれる人を好む」とあるのを見ると、おそらくおおげさな言葉で自分の後悔や罪の意識を語っていたのにちがいない。
漱石はそれを不快に思った。
やったことなしたことよりも、それをおおげさに詠嘆してみせる小宮の態度が不快だったのだと思います。
葉書にぴしゃりとそれを書いた。

翌日、それでは冷たかったな、その言い方はちょっときつすぎたかな、というのがつぎの書簡です。

ちょっと考えてみてください。たとえばある友人から、浮気しているという打ち明け話を聞かされるとする。
相手に悪い、すまない、といいながら、どこかで楽しんでいる。
しかもそうした打ち明け話を自分にすることで、慰めてもらいたい、罪悪感を覚える自分は、根はいいやつなんだと言ってもらいたい、という甘えも見え隠れする。
こうした友人の話は不快ではないでしょうか。

漱石はそうした甘えを自分に求めるのはお門違いだ、と言っているのだと思うのです。
そんなに甘えたいんだったら、仲間内でやってくれ、と。
森田や阿部ならわかってくれるだろう(草平は若いうちから芸者遊びが盛んだった。阿部次郎は知りません)、ただ自分はそうした気持ちはわかりたいとも思わないし、むしろ正反対の生き方をしてきた、と読めると思います。

さらに坂元雪鳥の手紙ですが、これはご想像のように小宮を批判したものでしょう。
坂元は漱石が五高教師時代に俳句の指導を受けた人物で、門下生の中ではかなりの古参です。
その古参門下生である彼が、いわゆる漱石門下四天王の一人と言われている人々に対しては、複雑な思いがあったにちがいありません。

明治43年(1910)は年譜で見ると、漱石は43歳、小宮豊隆は26歳です。明治12年生まれの雪鳥は31歳。
昔の人は、いまよりも早く大人になっていましたから、いまでいう26歳よりも、感覚としてはさらに大人だったと思います。
26歳の大人が何をやろうと、それは自分の責任でやっていることである、というのが、まず前提としてあるのではないでしょうか。
そのうえで、坂元が抱いている小宮に対する複雑な思い(おそらくそこには嫉妬のような感情があったのではないでしょうか)に対する漱石の返答がこの手紙であると思うのです。

自分はバカなことをする小宮をかわいいと思っている(小宮はありのままの自分をさらけ出して、素で慕ってくるから)。
坂元に対しては、どこか気が置けている(坂元自身が隔てを置いて接してくるから)。

弟子間の嫉妬といった非常にデリケートな問題に対して、自分の思うところ(それは自分がえこひいきしているのではなく、そちらの態度によるものである)をはっきり述べたあと、さらりと散歩の話などして、最後に、そうしたことで絡んできた坂元に釘を刺しているんですね。

こうした手紙を読んでいると、人間観察の目の確かさに驚き入るばかりです。漱石の目を通して、阿部次郎も小宮豊隆も坂元雪鳥も、その人物像がありありと伝わってきますね。
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この回答へのお礼

再びお答えありがとうございます。
詳しく説明していただいて、よーくわかりました。
先生と弟子、また弟子同士の関係にもいろいろと微妙な所があるんですねぇ。その後の朝日文芸欄の事でもちょっとゴタゴタしたみたいですし・・。なかなか複雑です。
今回、小宮のイメージが少し変わりました。別に悪くなったわけではないんですが。

もう少しで読み終わります。最初は候文が多くてややこしかったです。最後の方は読みやすくて楽です。

お手数おかけしました。大変感謝しています。

お礼日時:2003/12/16 00:37

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