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五胡十六国時代わかりやすく説明していただけると有難いです。
宜しくお願いします。

A 回答 (1件)

五胡は匈奴・鮮卑・羯・氐・羌の中国の外の異民族を指し、


西晋以前の後漢時代より中国への移住が増えていました。
中国では後漢→三国時代→西晋と時代が移っていきましたが
西晋は中国統一後、皇帝司馬炎が政治を省みなかったことで国内が混乱していきます。

西晋での権力争いによる「八王の乱」(西暦291年頃)が起こると
上記の異民族たちは中国人(ここでは漢人)に差別され続けていたので
政治の混乱に乗じて西晋に侵攻して領土を奪うようになりました。
また、八王の乱後、西晋の権力は急速に落ち、
各地の有力諸侯はそれぞれが覇権を競い領土の奪い合いを始めるようになりました。
西晋は名目だけの統治国家となります。

この時分裂した諸侯の国の数、及び後に続く戦乱で
生まれた国の数が十六国と呼ばれますが
実際にはもっと多数の国が現れては滅亡する戦乱の時代でした。

西晋は羯族が立てた漢により、316年に滅ぼされます。
晋皇帝一族の司馬睿は東晋皇帝に即位し晋を再興します。
西晋は首都が洛陽にあった時代を指し、
東晋は建業(後に建康に改称)で即位した司馬睿以後を指します。
西晋、東晋時代と五胡十六国時代は重なります。

西晋を滅ぼした漢もまた権力闘争で内部分裂が起こり、
混乱と分裂を続いた後、鮮卑出身の拓跋珪が中国北部で勢力を強め
386年に国名を代から魏(北魏)に変え398年に皇帝に即位しました。

中国南部では東晋が存続していたものの権力は弱く
多くの国が覇権を争っていましたが、
410年頃には東晋の劉裕がほぼ南部を平定します。
劉裕は武功により権力が皇帝より強くなり、
やがて東晋皇帝より禅譲され、420年に宋(南宋)の皇帝となります。

304年に漢が興ってから
北魏が北涼を滅ぼした439年までが五胡十六国時代とされています。
それ以後は中国北部の北魏と南部の南宋による南北朝時代となります。

五胡は異民族に対する蔑称でもあるために、
近年では東晋十六国とも言われているようです。
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この回答へのお礼

有難うございました。

お礼日時:2012/02/11 00:20

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