プロが教えるわが家の防犯対策術!

衝動的に頭をたたくというのは、感情で虐待になると思うのですが子どもがどうしてもしてはいけないことをしてしまった場合(例えば、いのちの危険に関わるようなことをした)おしりをたたくのは虐待二なるのでしょうか?
もちろん、おしりにミミズ腫れができるまでたたくのは虐待だと思いますが、言葉で言って分からないのであればおしりをたたいて「あぁ、これをすると痛い思いをする。やめよう」と思わせることも必要なのかと思うのですが、実際に育児をされている方はどのようにされているのでしょうか?

A 回答 (13件中1~10件)

裏通りの小さな交差点でした


赤信号待ちをしている時に、突然横から小学校3-4年くらいの女の子が信号無視して
交差点を渡ろうとしました。
びっくりして両手で彼女を制止しました。その瞬間車が前を通過・・・
もう私は心臓バクバクです、でも事故にならないで良かった。

「うるせぇ!クソばばあ!!」
彼女は私の手を振り払いました。
「ひかれちゃうでしょ、危ないよ」
極力冷静に笑顔で諭しました。
彼女は私を睨みつけ、信号を確認することもなく渡っていきました。

ルールを守らなければわが身が危険にさらされることは勿論、この年齢にして口のききかた
ひとつ教えられていない。本当にかわいそうな子でした。

もしこのとき私が気づかず彼女が車にひかれ死んでしまっていたら、その子の親はどう
したでしょうか。自分たちがちゃんと教えなかった事など頭の隅にもなく 「何故止めな
かった」 と私を攻めたかもしれません。
TVでモンスターペアレントを見るたびぞっとします。

いのちの危険に関わるようなことはそうそうある事ではありません
だからこそお尻をたたいてその痛さで教えてあげるのは虐待ではないと考えます。
その後お子さんが泣いたら、しっかり抱きしめて話してあげてください
「お母さんはあなたを愛しているから、あなたが大事だから危ないことしないでね」と

皆さんのご意見にひとつひとつ納得します。

私も叩きました。おそらく3-4回はあると思います
どんなに怒りがあっても、冷静でいられなくとも、首から上は叩かないそれだけは
自戒しています。生まれたての赤子でも人としてちゃんと人格があると思うからです
お尻と手の甲を叩きました。

1歳の子でも話せば理解してくれると私は思っています
でも、命の危険のその瞬間は理屈抜きに危ないと身をもって覚えて欲しい
そうも思っています。
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20代手前の男です。



昔はよく母に平手で頭を叩かれてました。悪いこと=平手 と言うのが当時の感覚でした。
嘘をついたり、人を叩いたり、宿題をサボったりしていたからですね(笑)
しかし、テストの点数が下がった時や行事で失敗した時は怒られることはありませんでした。今考えると自分が努力していたことを親は知っていたんだと思います。

高校、社会人と上がる頃に昔を改めて振り返ると、当時の怒られた理由を理解することができます。
嘘はいけない。人を傷つけてはいけない。手を出されても我慢しなければいけない。人には優しくしなければいけない。お金は大切に使わないといけない。こういう考えは全て親の躾で覚えたんですから、考えれば考えるほど親の偉大さを感じますよ。

叱らず、叩かず育てるのはその子供の将来の芽を摘み取ることになります。
なにが駄目なのか、その時子供が理解できなくても、はっきりと言って叱るべきです。いらついてるからと、只叱るだけでは自分の自己満足であり、それは躾けと言わず、虐待と言います。
逆に、頑張って失敗したことを怒ることは絶対にいけません。失敗しても盛大に褒めてあげるべきです。
褒めることで子供はなにを頑張ればいいのか知ることが出来ます。

って、若造が言っても全然説得力ありませんが・・・

叩くのは少し赤くなる程度に済ませてあげてくださいね
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虐待か虐待ではないかは、受けたほうが決めます。



いろんな人が意見を書いてますが、照らし合わせると
私は「虐待」をしていたことになります。
息子達に「俺がやったことは、世間では虐待というんだぞ」と言うと
息子達から「アホか?」と言われます。

冷静に叱れる人間などいません。
その根底には必ず何かしらの感情があるからです。
それを隠して、人を騙しているだけです。
素直に感情をあらわにして怒ったほうが、人には伝わります。

私は、喜びも、怒りも、哀しみも、楽しさも、
ストレートに子どもたちにぶつけます。
そこに偽りはありません。

怒った分以上に喜び
哀しんだ分以上に楽しみます。
これがバランスであり、コツです。

多くの人を育成し、我が子も育てた私の経験から言いますが、
叩かれたことがない、感情をぶつけられたことがない子どもは、
非常にもろく、情熱に欠けます。
楽なことを選択し、困難に挑もうとしません。
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お尻を叩く、頭を叩くに限らず、虐待と躾の境はその時親の感情に「怒り」があるかどうかだと思います。


悪い事をした、いう事を聞かないから怒りをぶつけるのではなく、きちっと冷静に判断した結果お尻を叩くというのは躾の範疇だと思います。
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 虐待については、実際の運用上は虐待情報を入手した児童相談所が個々面接を実施して子供に異常がないか確かめたり、医師が診察した際に異常な傷や発育不良があった際などに通報されるケースがほとんどであり、子供に正常な教育や衣食住を与えていないことや日常的な暴力を加えている場合などが該当します。



 真実しつけとして行われるのなら、日常的にする必要はなく、また傷がつくほどの暴行を加えたりはせず、また子供も親におびえたりしないでしょうから、手を上げた瞬間に虐待かと言われれば、運用上はそうはなっていないということになります。

 原則論を振りかざす人からすれば全て虐待かも知れませんが、私は多少のゲンコツは仕方ないと思っています。

 子供がひとの顔を叩こうとし、また実際に叩いたときに、手の甲を平手で叩くなどしてきびしく怒ったら、それ以来他人に攻撃しなくなりました。
 子供同士の遊び場などでも、他人に攻撃されても決して自分からは攻撃しません。
 これはこれでよいと思いますし、大きくなったら自衛のための格闘技を教えて、同時に暴力と人間との関係について一緒に話し合おうと思っています。
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NO6 肝心な回答を忘れました。



虐待か虐待でないかという点に関しては虐待ではないと思います。
またその言葉にとらわれどこからどこまでが虐待かということは大変難しいし
虐待ではない、愛情があるからと言って 首絞める人も出てくる。
そういう言葉にとらわれないようにしたいと思いますし、
叩くことが虐待かではなく、叩くことは子供のしつけによって必要なのかという質問のほうが
いいような気がしました。
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一般的には「身体的虐待」に該当しない程度ならば虐待ではないとされています。


しかし、痛みやあざが残るほどではないにしても、”叩かれたくない”という恐怖感を利用した教育は望ましくないともされています。
この恐怖感に頼った教育に慣れてしまうと、子供が小さいうちは力も少なく安全だからと入りやすいのですが、子供が大きくなると力を込めないと効かないと思い込みエスカレートしていきます。感情的に叱れば力の制御を誤る事も考えられます。

親にとってはちょっと力を入れ過ぎた、やり過ぎた程度の事でも、子供にはその一度が一生のトラウマにもなりかねません。
故に安易に”恐怖感に頼った教育”はすべきでないという風潮になっています。

人は何歳くらいで善悪を判断出来るようになると思いますか?
この問いに多くの人は中学生位から社会的判断力が身に付くと考えられていますが、実は早い人で3歳、多くは5歳位には判断力が身についています。経験や知識といった比較情報が無いだけで、入れてあげればしっかり判断できます。

このことから、怒鳴らない叩かない教育が可能とされています。
”いけない事”をしたら、その場で説明し考えさせる。タイミングが重要です。
もちろん子供は思うように話を聞いてくれないでしょうし、反発もあるでしょう。
それが当たり前なのであって、それを力でねじ伏せてはいけないのです。

いい年した大人でも非マナーを注意されると大抵の人は逆切れしてきますよね。
注意されるというのは年齢関係なく、受け入れ難いものなのです。

人は人から言われるだけでは本当の意味では学ぶことはできず、経験する事で初めて理解し納得します。
親の立場としては、常識やマナーなどを教えなくてはいけないではなく、経験させ沈みそうなときにそっと助け船を出してあげる程度で良いのではないでしょうか。

ただし、未成年である間は保護責任もありますし、”やったことに対する責任と結果は常に付きまとう”という事は教え続ける必要があります。その時に怒る叱るではなく、考えさせ自分で責任を取らせる事を忘れないでください。
汚したり散らかしたりしたら、片づけてあげるのではなく、本人に始末させるなど。

子供がやらかしたことを始末してあげるのが良い親とは言えないのです。
始末してあげる親になると、子供はなんで自分がやった事に対して責任を取らなくてはいけないのかいつまでも解らないから繰り返す。これがいう事を聞かない状態。親は毎度自分が始末しなくてはいけないから面倒になり、そうなると説明するのも面倒になるので、叩いていう事を聞かせようとなります。

最後に、世間一般的に言われている良い親になろうとしないでください。
他人にどう思われているかなんて関係ありません。子供にとって良い親であってください。
”世間的に良い親であろうとする親”がなんと多いことか!

以上、長くなりましたが参考になれば幸いです。
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叩く躾けをしてきましたし、叩くことを否定していない者ですが


最近叩くことに無意味さを感じます。

1歳 叩きました。手や御尻です。
例えばコンセントを触る時 危ないのでわざと触らせて手の甲を叩き 痛みを感じさせ
ほら触ったら痛いよと教え込んだ。これは成功だったと思っている。
食事中に椅子を立つ ハイチェアの為落下の恐れあり双子の為に一人で見きれない部分もあり
叩いて躾る。 4歳椅子を立つことはずっとない。2歳3歳も食事中は座ることをできた成功だったと思う。

2歳、あまりにもテンション高い二人喧嘩し危ない行動をする 叩いてダメだと教えた。
でも、相方を噛むな叩くなという躾に親の私が叩いて躾けることに疑問を感じやめた。

3歳あまりにもひどいいたずらを頻繁にする。言い聞かせも無意味、
いい加減に痛みで教えてやろうとお尻ぺんぺんしてみたが、同じことをする。
叩くことに慣れてしまっているのではないかと思い始めた。

叩きすぎることもなく日常的に叩いて躾はしたつもりはないが、兄弟間で叩く蹴るが頻繁にある為
双子間でのたたき合いで慣れていることを感じる。
叩いて聞かなければもっと強く叩かなければならないことを感じ、叩くのはもう1歳までの間だと感じた。

4歳絶対してはならないことに対して叩きたくなることが何度があるが
言葉で理解しなければならない年齢の為必死にこちらがこらえる(これはもう感情的に叩いて教えたいと言う単なる横着と快感?)
毎日毎日必死になって教え理解してもらう事の努力の辛さを実感しつつも効果があったと思えた。


私は叩く躾けは愛情があり、加減がわかっており、心の中では微笑んでいるほどの余裕があるときに限っていいのではないかと正当かしてきました。
しかし、叩かない躾が流行っており叱らない躾?までも流行っていて
それをちゃんと理解し実行している人はいいのですが、間違った方法で?一切叱らない人
こどもの言いなりになる親が目立ちなんだか違う気がすると気持ち悪い思いでいます。
そんな中叩く躾けを正当化してた自分にも疑問どんな根拠があって叩いていいのかダメなのか
ちゃんとしたことを知ってもおらずただの自分の狭い考えでのことです。
子供によっても叩いて躾けてたら萎縮してしまう子もいます。
かといって叩かず悟らす躾していて、親をなめ腐る子もいます。

私が叩くことが怖いなと思ったことの一つ。


叩くという行為によって親は自分で気が付かぬ快感を得ている とうものがありました。
自分では全く意識はしていないが、叩く行為により子供が言う事を聞く そのことで
脳の仕組みでそういう快感を知らずに得ており、だからそれを正当化していくものであって
何か本当に困ってしまうと叩いてなんとかしようとすることがあるという。
私は心理的なものでは 本当かもしれないと感じました。
また頭を叩くお尻を叩くこれはやはり頭は良くないと思います

頭はやはり脳が詰まっている部分ですから、そういう衝撃はやはりよくないふらついてこけてしまい
打ち所が悪ければ命に係わる。そういう事件が少なからずあるということ
日常的な体罰でなくてもそういう事件が必ずある。
そして私のことですが
躾けのつもり体罰のつもりではなくて、子供がピンセットをどっからか持ち出し遊んでました。
私はすっごい驚いて危なくてびっくりして そんなの持ったらダメでしょう!!!と
何を思ったのかお尻を蹴ったのです。子供は座っている状態だったのでこけるなんて思ってもなかったし
蹴るなんてこと普段一度もしたことないのですがただビックリして子供からピンセットをなんとか
外したい一心で意味不明な行動をとってしまいました。
その時子供はあんなに軽く蹴ったにもかかわらずよろけ、仏壇の前にある机に口をぶつけ
口の中と外を切ってしまいました。

止めさせようと思うから叩くこれが正解とは私は思えません年齢によると思います。
どうして叩かなければいけないのかわからせる為に急を急ぐのであれば
致し方ない事もあるかもしれないとは思います。
大人であっても子供であっても線路に飛び出そうとしてた何言っても聞かない
叩いて痛みで気をそらせた ならばそれは罰ではない。

でも私を含め叩くことを正当化している人の多くには、
ほんとの意味で叩いても良いということを快楽であったり、癖になってたり慣れていたり
なんだかんだ言って理屈づけ理由づけして正当化している人が多いなと感じます。
私はそういう人間にならないと決めていたのになっている気がしました。怖いと思いました。

ほんとうに叩かなければならない場面真剣に考えてみてください。滅多にありません・・・
ゆっくり必死で言葉で教えられることが出来ることがほとんどかと思います。
言葉の通じない子にも言葉で教え、それが理解できない子には親が必死で見守ることが必要ではないかと。
結局叩く行為は横着からくるんではないかと最近思い始めています。
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こんにちは


たたいちゃダメ!と神経質に言う人もいますが
子供、特に幼児は本能で動きますから
動物のしつけに近いと思います。
一応言っておきますが、日常的に叩けと言っている訳ではありません。
危険を知らせるサインとして、
痛みは、動物の根本的な行動を抑制する手段としては有効だと思います。
子供も学習して2度としません。
つまり、1回だけすれば良いので日常的に叩く事にはなりません。
なので、きちんと一線を決めておき
叱るときは、その時、泣こうが叱る。
命にかかわるような時等、この線を超えてはいけない時は
叩くのも有効だと思います。
何でもかんでも叩けば良いと言う訳ではありません。
子供が小・中学校になりましたが、
息子が言うには、
言葉だけで注意されていたであろう友達をみると
ろくな子に育っていない気がします。
自制がきいていない子(最低限のマナーを守れない子)の子育てがそんな感じです。
ともすれば、育児放棄ともみえます。
周りは四の五の言いますが、
私は、親たるもの、子供に将来こんな人間になって欲しい
という気持ちを持って子育てすることが大事だと思います。
そうすれば、スーパーで駄々をこねたからといってス-パー内でお菓子を食べさせたりしないでしょ。
母親が必要だと思ったら、叩いて叱るのも親の愛情です。
余所の子を叱るなんて、滅多にありませんよ。
ただし、くれぐれも殴らないように。
命の危険や後遺症がないように手加減も大事です。
はっきり言って、言葉だけでどうにかなるなんて、甘いと思いますがね。
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第三者から見て、


子供のどこを叩こうが暴力に変わりません。

問題は叩く方に愛があるかどうかです。
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