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人権とは、いったい何なのでしょう?

ほとんどが都合のいい言葉でしか感じられない。

私は賢いという人に賢さを感じた事は無い。

A 回答 (14件中11~14件)

1)>人権とは、ほとんどが(人権を主張する当人に)都合のいい言葉でしか感じられない。



2)>「私は賢い 」 という人に賢さを感じた事は無い。


上記のような私なりの解釈をしてみました。確かにそうですね。


要は「自己中(エゴチズム)」からはじまってエゴイズム(利己主義)へ安直に移ってしまう今の、自由(勝手)と権利意識に毒された現代人のことをいっておられるのだろうと思います。

そういった人間にありがちな傾向が 2)なのでしょう。本当に賢いひとは”私は賢い”とは思わないものです。常に自分と他人に懐疑心を抱いて流動しているからです。

本来権利というのは、自分だけいい目ができるという都合のいいツールではなく、もっと厳しい、義務と表裏一体の思想であると思います。今のように人権思想が社会の機能を麻痺させるように働く現象はどこか間違っています。自己中思想でなく、他人の姿も合わせて考えられる柔軟で多面的な権利意識の普及が肝要だと思います。
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この回答へのお礼

その寛容な面を大げさに広げたのが人権という言葉になったのでしょう。
都合よく使っている人の存在が本来のあるがままを良くしたか悪くしたかで
揺れるところであって、それを食うような人権がこの世の中にある。
そのままでいいのか、日本人は日本人たる私が言うのもおこがましいですが、
それにかなり鈍感である事は間違い無いと思います。

未だに先の大戦があって、大概の人は、それを学ばずに高校を卒業します。
わたくしの個人的意見としては中学卒業で知っていてほしい事柄が多いと思います。
この書き込みを読んでいろんな感想があることでしょう。
よかったら書き込んでください。お待ちしております。時間は掛かりますが、
よろしくお願いします。有難うございました。

お礼日時:2012/03/05 17:14

貴方が人権だと思うものが貴方にとっての「人権」。



私が人権だと思うものが私にとっての「人権」。

どっかの誰かさんが人権だと思うものがどっかの誰かさんにとっての「人権」。

100人の人間がいれば100種類あるのが「人権」。
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この回答へのお礼

そのような書き方だと、一つ忘れているものがあるようです。

他の人権を無きものの様に踏みにじる事もあるような気がします。

御回答有難うございました。

お礼日時:2012/03/02 23:45

”ほとんどが都合のいい言葉でしか感じられない。


私は賢いという人に賢さを感じた事は無い。”
  ↑
意味がよくわからないので、勝手に解釈します。

1,人権、人権という輩に限って、人権を大切にしない
ということでしょうか。

犯罪者の人権は声高に騒ぐが、被害者の人権には
見向きもしない。

日本の取るに足らない人権問題には大騒ぎするくせに、
北朝鮮や中国の大きな人権問題は無視する。

北朝鮮や中国の人権問題は騒ぐけど、米国の
グアンタナモ刑務所の人権問題には口を閉ざす。

こういうことですか?

2,人権てのは人間であることによって当然に
享有する権利です。
どうして、こういう概念が作られたか、というと
国家権力の恣意から人間を護るためです。
だから、この権利は、法や憲法でも原則侵害
されない、と構成されます。

だから、人権の根拠は自然法にある、とされます。
人間の作った法に根拠があると構成してしまいますと、
人間の作った法によって、侵害することも出来る、
ということになるからです。

この自然法てのがクセモノです。
欧米キリスト教文化圏では、これは神のことです。
キリストの神です。
人間は神が作ったのだから、権力者が勝手に
侵害してはいかん、ということです。
でも、異教徒には神は持ち出せないので、自然法と
したのです。

つまり、欧米の価値観を世界に広めようと
いう意図もあるわけです。
昔、キリスト教の宣教師が世界中を巡って布教
したのと同じです。
布教が行き渡ると、軍隊が出動して、その国を
治めるわけです。

昔も、今も変わりません。
方法がスマートになっただけです。
欧米の価値観で染めてしまえば、欧米がそれだけ
有利になります。
グローバル化、なんてのはその一環です。

だから、日本の独自性を保つためには、権利中心の
押しつけ外国製憲法を、日本人の手で作り直す
必要があると思っています。
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この回答へのお礼

わたくしが書いたのは、人権を振り回す力を持った人達を
想定しての事です。

1.に関してはそこまでは意識していませんでした。ただ
なにやら胡散臭さが漂ってきまして書いてしまいました。
その辺広げていただきありがたく思います。

2.の結論に関しては同意するところであります。
自然法と言ったところである集団が認めたところの自然法
概念の根本が全く違う自然法も在り、相対的な関係が在ります。
それを科学の上で認めているにも関わらず。
やってる人間は、何を考えているのでしょう。
スマート=賢く見える、と捉えてもどこがスマートなんだと、
捉える目を持つことが大事であるとわたくしも思います。

御回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/03/02 23:32

人権とは何か?



「人が人らしく生きる上で必要な権限」

質問者がネット媒体で無知蒙昧であろうとも行動できるのは、その人権の所産である。

『所産』の意味分かるかな?(分からない、と思って書いているのが悪質だが)


>ほとんどが都合のいい言葉でしか感じられない。

そりゃそうです。
都合悪い権限などは、権限として誰も主張しませんから

それとも、質問者は事実誤認を犯したとして、素直に謝罪して、己の不始末に対して自分で身を処せるほどの人間性なのですか?
その程度の自己責任をまっとう出来るような人間が
「ほとんどが都合のいい言葉でしか感じられない。」と批判するなら、理解できますがね

実際、質問者当人の行為が「人権」で保障されている事実を踏まえて言説できていないと推測できるのは、なぜだろうか?


>私は賢いという人に賢さを感じた事は無い。

ありがちなことです
考えてみましょう。
ソクラテスの偉大さ・賢さなどを一般人が理解できるわけがない
ソクラテスの偉大さ・賢さは、それに近い教養・知恵・意識・気概を持ち得る人間によってしか理解できないものであって、伝言ゲームように理解深度が低い人によって情報が簡略化・端折られることによってやっと愚鈍な人間が理解できる水準にまで落とされるに過ぎないのである。
簡単にいえば、先人の知恵を所詮は、何人かのそれに近い人の要約が積み重ねられて初めて凡人に理解できるのであって、賢人という人は、世俗の人間には到底理解できないものである

質問者はおそらく世間の人に賢いとは思われない部類だろうが、万が一の確率で「賢人」である可能性まで否定しない


もちろん、賢人・偉人の素晴らしさは断片的には理解できることもあるが、所詮は、賢人を理解できるのは、同じ土俵にいる人間だけである

だからこそ、人間はお互いを理解するためのコミュニケーションを行うのであろうが、

質問者の独善的認識の前では、他者の認知・認識は何も意味を為さないのだろう。

そういう狭い世界でしか思慮できない「想像力欠如」の人類が最近増えているのも現代社会の弊害である・・とも云えるだろう・・・・



合掌
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この回答へのお礼

回答者様のように受け取られている方は多くいると思われます。

確かにわたくしは遠慮したり、慮って馬鹿を見る愚人であります。

私は賢いと言う人を観察すると、ほんとにそう思っているの?と

心配する愚人同士の心配の種です。

かなりハイレベルなところから読んでいただき誠にありがとうございます。

お礼日時:2012/03/02 22:58

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