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父を肺がんで亡くして7ヶ月が経ちました。少しずつ少しずつ悲しみは遠退いては来てるのですが、やはりある日突然父がいない現実が蘇り、どうしていいのかわからなくなります。同じ様に親を亡くされて気持ちが不安定な思いをされている方、どんな話でもいいので聞かせて下さい。

A 回答 (12件中1~10件)

質問者さんは、少し元気になられましたでしょうか。


私は父を肺がんで、11年前に亡くしました。当時私は24才でした。
父子家庭で兄と私を育ててもらい、お父さん子であった私にとって、かけがえのない父を失った後、人生が大きく変わりました。
とても厳しかったですが子煩悩な父だったので、いつも近くで応援して、支えてもらっていたものを亡くした悲しみと、それからの寂しさは私にとっては壮絶でした。
11年たった今でも悲しみは消えません。
ですが、時間と共に前に歩くことができました。
最初の一年は本当につらく、精神も不安定でした。
何をしていても涙が出てきて、止まらなかったです。
父のいなくなった現実を受け入れることができず、写真に話しかけたり、遺骨を抱いて泣いていました。
そうして三年が立って、やっと納骨しようという気持ちになりました。
時間と共に、少しずつ心が立ち直っていくのが分かりました。
どんなに励ましの声をかけてもらっても、自分で気持ちを前に向かせようとしても、その時はどうにもならず、結局は時間が私を救ってくれたのでした。
11年立った今、悲しみにくれていた20代の自分を少しだけ懐かしくも思います。
それだけ時間が癒してくれたということでしょうか。
私は今年、36才になります。
人生も後半です。
健康に気をつけて、父の分までしっかり生きたいと思います。
大変な思いをして育ててきてくれた父の苦労を無駄にしないように。
質問者さんも、どうかお父様の分まで、しっかり生きてください。
いつも近くで、お父様は見守ってくださっているはずです。
私もそう思って生活しています。
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1年半程前に母が亡くなりました。

当時私は29歳で母は55歳でした。病気を知らされた時から覚悟はしてましたが亡くなった時は気が狂いそうでした。今でも思い出して涙がでる時もあります。母が亡くなった時、私は妊娠中であと3ヶ月で子供の顔を見せてあげられたのにとても残念でした。現在1歳になり子育ての忙しさで寂しさも忘れてれいることが多くなってきましたが子育てのことで母に色々聞きたいなぁと思うこともありますが頑張って前に進んでいます。今は母に恥じないように一生懸命生きようと思っています。残った父を大切にしようと思っています。
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お気持ちお察しいたします。



私は父をやはり癌で亡くし一年半経ちました。
それでもふとしたはずみに心の中で父に問いかけている自分が居ます。

母が一人になってしまったので今でも毎朝電話で様子を聞き、出来る限り実家に行っています(自転車で20分)

母も私と話をしている時に何かのはずみで
「ねぇ、じいちゃん」
と言います。
今でもそこに父が居るようにふと思ってしまうようです。

なんだか普通にどこかに父が出かけているようなそんな感覚です。
そして時々無性に悲しくなります…

父の場合は、毎年検診を受けていたにもかかわらず、癌がわかった時点で手の施しようも無く3ヶ月で逝ってしまいました。
最後の1ヶ月はホスピスでお世話になり、痛みを感じることも無く逝ったのがせめてものことだと思っています。

癌の告知を受けて毎日実家やホスピスに通い、母と父に付き添いました。主人も子どもも全面的に協力してくれました。

父がはっきりと話した最期の言葉は私の手を握って「ありがとう」でした。
それが救いです。

けれど、それでも、もっと何か出来なかったのか本当に父の期待に応えられたのだろうかと今でも考えてしまいます。
いつまでこの思いが続くのかわかりませんけれど、それでいいと思っています。

父にしてもらったことの何分の1かくらいしか出来なかったけれど父は確かに喜んでくれていたと思いますし、これからも最後まで残される母を心配していた父の分まで母を支えていこうと思っています。

時間の経過で感じ方は変わってくると思いますが、この気持ちを忘れることはきっと無いだろうし、なによりも忘れたくありません。ずっと抱えて生きていくつもりです。



質問者様もご自分の感覚で抱えながらしっかりと生きてください。

お互いに良い人生を!
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この回答へのお礼

一度もお会いした事もないのにもかかわらず、何故か遠い昔から知っている親友からの言葉のように感じました。自分と同じ経験をされて、同じ思いを胸に日々過ごしている方がこの空の下にいるってわかって嬉しかったです。本当に本当にお互いに頑張って生きていきましょうね。ありがとうございました。

お礼日時:2012/05/16 08:48

こんばんは。


先ずは、お父様のご冥福をお祈りします。

私は、20年前に兄を、13年前に父を亡くしました。兄は、急性リンパ性白血病で20代で、父は食道ガンで60代で亡くなっています。

亡くなった直後は、お葬式だ、相続だで悲しむ暇もなかったのですが、3ヵ月すぎた頃から、いなくなったことをひしひしと感じ、毎晩母に知られないように布団をかぶって泣きました。

3回忌がすぎた頃から、ようやく気持ちの整理がつき、前を向いて歩き出すことが出来るようになり、今に至ります。
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この回答へのお礼

お話聞かせてくださって、ありがとうございます。お布団をかぶって泣かれた様子、本当に目に浮かんできて可哀想で涙がこぼれました。大切な人の死は、みんな同じ思いですよね。

お礼日時:2012/05/14 22:02

ご愁傷様です。

お父様のご冥福をお祈りいたします。

こちらの場合ですが、3月に父が亡くなり、49日法要も終わり、今は“ほっと”している状態です。

相談者さんの場合はご病気で亡くされたんですね。お気持ちは分かりますよ・・・“辛かっただろうなぁ”とした感情が湧いてくるのも当然だと思われます。

そして、足しげく病院にお見舞いしに行かれ、お世話をしてきたのてしょうね。
医師から余命○○です・と聞かされた時はかなりショックだったと思われます・・・。


両親の場合は与えてもらった人生を全うしたかの様な“老衰”で二人とも亡くなっています。
思い越せば、在宅介護から始まり、病院・施設・と介護の毎日で介護漬けでしたね・・・。

片道30分ほどの道のりを夏の炎天下の中・また冬の地面が氷となり横滑りをしながらの嵐の中・毎日のように通い安心させて挙げていましたね・・・。

そして、両親の介護歴は13年にも及びました。(母は3年前に他界しました。)
父も母と同様で最後は点滴薬で生き延びていたようなものです。

長い、長い介護の日々でした・・・。挫けそうになったり、イライラもピークに達し、一人大泣きする時もありました。

最後まで看取って挙げなきゃ・とした信念と、何でこんなに辛いの・とした感情の入り混じった心境での介護でした。

こちらの事ばかりですみません。

相談者さんの場合はまだ7ヶ月ですよね。頭の中では理解しても“心”精神面ではまだ整理が付かないのは極自然だと思われます。

無理に忘れよう・とか、想い出さない・ようにしようとか意識を変える必要はないとおもいますね。

>>やはりある日突然父がいない現実が蘇り、どうしていいのかわからなくなります。


そうですよね・・・今まで生活を共にしていた人(父の存在)が居なくなり姿を消してしまい、遺影写真に変ってしまう訳ですから・・・平常心でいれる訳は無いですよね・・・。

気持ちの赴くまま想いだして挙げてください。泣きたい時には泣いてください。
こうした事もご供養と言うものですよ。

お父様は喜んでおられる事と思われます。我慢などせず、たくさん想い出して、そして心の中で『ありがとうございました。』と感謝されたら善いことです。

そうすることにより、自然と心が安定され、お父様も天国からきっと見守っていてくださいますよ。

相談者さんのお父様の様にご病気で亡くなられても、両親の様に老衰で亡くなっても故人を悼む気持ちには変わりありませんよね。

逆に、どんなに月日が経とうが、お父様を忘れることなく時々は想いだして挙げてくださいね。
“仏”になられた方にとって何が嫌かと言うと“忘れられる”(忘れ去られる)ことが一番悲しいことなのだそうです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。読みながら泣いてしまいました。とても意味のある、ありがたい言葉の数々、心に刻んでおきたいと思います。感謝致します。

お礼日時:2012/05/14 17:56

>父を肺がんで亡くして7ヶ月が経ちました。


 闘病期間が有り、家族に看取られ亡くなったなら、行かれた方は安心して旅立つ事が出禁では無いですか?
 死後と書かれた、看護した経緯です。母親も健在では?

>少しずつ少しずつ悲しみは遠退いては来てるのですが、やはりある日突然父がいない現実が蘇り、どうしていいのかわからなくなります。同じ様に親を亡くされて気持ちが不安定な思いをされている方、どんな話でもいいので聞かせて下さい。
 当然と書かれて居ますが、事故死をか急死とかでは無い、闘病期間あり、死に際に立ち会う事ができて居るなら、時間で癒されるでは?
 自己談を書けば、父の心筋梗塞で15分での急死で何も出来ない、病んで入院期間があり、寄り添える期間がある分、父死後の事をそんなに引きこもりに考える事はない、やるべき事ができて居るので、其処まで落ち込む意味はないでは?
 日にち薬で、又戻れるでは無いですか?
 貴方が(T_T)する姿を、親父さんは喜んでは居ないでしょうか?

 人間の死亡率は100%です、不老長寿は何歳をいうでしょうね ^^;
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。ちょっとだけ前向きな考え方が出来そうな気がしてきました。感謝致します。

お礼日時:2012/05/14 17:44

私は胃がんでオヤジを亡くしました、もう26年過ぎました。


今思い返すと、死んでから半年位が一番寂しかった気がします。
ちょうど貴殿がそのころですね。
私は長男なので、お袋と妹がいつもメソメソしていたので「そんなことではお父ちゃんが心配するぞ。」と叱ってました。残念なことだけど、遅かれ早かれいずれ来ることです。オヤジはきっと残された人達が幸せになることを望んでいたと思うので、オヤジに心配掛けないような行動をとりようにしました。
父親の死は、自分を大人にしてくれたような気がします。
お父さんに誉められるような人生を目指したらどうですか?
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この回答へのお礼

ありがとうございます。なんだか涙が出て来ました。父に誉められるような人生…心に染みるいい言葉ですね。

お礼日時:2012/05/14 17:47

私自身は、まだそう言った経験はありませんが身近に亡くなった方は大勢います…


私自身の考え方は亡くなっても、自分は見られている。護られている。
…そう思います。

亡くなって姿…形は無くとも…傍にいる…この言葉は本当だと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。形は見えなくても魂は側にいてくれますよね!そう考えると少し心が安らぐような気がします。

お礼日時:2012/05/14 17:50

私は12年前に母を、10年前に父を亡くしました。

ずいぶん時間が経ちましたが、今も両親のことを思うと泣けてきて、全然立ち直ってはいません。

ただ、親を亡くしてこれほどまでに悲しいのは、決して不幸なことじゃないですよね。

親を思って泣いていると、ふわっと温かい気持ちになって、親に愛されたこと、親を愛していたことに感謝できるようになりました。

私が思うには、親を亡くした悲しみから立ち直る必要なんかなくて、死ぬまで悲しみを抱えていていいんじゃないかと思うんです。もしいつか、親を思っても悲しいと思わない時が来るんだとしたら、その方がずっと悲しいですよね。

あなたの悲しみは愛でしょう?ずっと持っていていいんじゃないですか。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。読んでいて鳥肌が立ちました。まるで神様から頂いた言葉の様でした。父への愛…ずっとずっと持ち続けたいと思います。ご回答に感謝致します。

お礼日時:2012/05/14 18:00

私は高校生の時に父をくも膜下出血で亡くしました。

今はもう17年がたとうとしてますが、やはり当初は頭がおかしくなりそうでした。ふとまだ父が生きている錯覚に陥ったり、不安定で不整脈になったりと精神的に病みそうでした。でも時間が少しずつそういった症状を落ち着かせてくれたような気がします。今でも疲れると不整脈がでたり、落ち込むと父を思い出して逢いたくなります。でも当初のような感情とは少し違います。父はいない、でも私は生きている、そういうことなんだと思います。寂しかったり悲しかったりする事も、1日1日を生きているうち、知らず知らずのうちに乗り越えていっているのだと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。知らず知らずのうちに乗り越えて行く…本当にそうかもしれませんね。

お礼日時:2012/05/14 18:04

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