アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

質問させて下さい。m(__)m

出来事や状況に対して、上だ、下だ、優だ、劣だ、不満だ、なんだといちいちうるさい評論家が、自我(エゴ?)ですよね。きっと。(←自信無し)

でも「あれしよう」「これしよう」って行動する原因になる衝動はコントロールできるような?

できないような?

コントローラーはどこ?

ブッタの「起こることが起こる。起こらないことは起こらない。」ってこういうことかしら?

ヾ(・ε・。)≡( 。・з・)ツ 「みんな!!スルーしちゃイヤ!!」

A 回答 (10件)

 ブッダの教えを十分に理解しているかどうかは自信がありませんが、ブッダの場合は、無理なコントロールを避け、衝動を抑えきれないときは、なすがままに任せ、その結果について思い煩うことを止めなさい、ということだと思います。

なので、衝動をコントロールする、という発想自体を止め、自分も含めて、衝動を抑えきれない人が起こしたり、自然現象も、人間のコントロールを超えて「起こる」ので、それは止められないし、自分も含めて、あえて起こそうという衝動が足りなければ、「起こらない」ということになるかと思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

horitateさん、回答ありがとうございます。ヾ(≧▽≦)ノ

なるほど。φ(.. )

自分も含めて、衝動を抑えきれないときは、なすがままに任せ、その結果について思い煩うことを止めなさい、ということなんですね。

超納得です。キリッ ( ̄Д ̄)ゞ

ありがとうございます。(-人-)

お礼日時:2012/05/16 03:03

[でも「あれしよう」「これしよう」って行動する原因になる衝動はコントロールできるような?


できないような?
コントローラーはどこ?
ブッタの「起こることが起こる。起こらないことは起こらない。」ってこういうことかしら?]

○「起きることは起きる。起きないことは起きない。」言い得て妙ですね。仏陀は、人の行動はそのようなものだと見ているわけです。これをもっと深く観察すると、人はそれぞれ心に傾向性があり、その傾向性はなかなか修正できないということですね。この傾向性を修正し、より良い方向性を得るというのが仏教での修行であり、悟りということですね。
傾向性は個人にとどまらず集団にもありますね。何故、日本に生まれたかという答えが傾向性にあるということですね。集団の傾向性もなかなか修正できないのは、集団を形成する個人個人の傾向性が似通っているからですね。
傾向性から見れば「起きることは起きる。起きないことは起きない。」ということは自明の理ですね。
これを覆すことが仏教の修行課題ですね。少なくとも自身に起きる事象がある程度コントロールできるというのが仏教の最低限の悟りですね。この実践方法が八正道と言われる修行方法なのですよ。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

mmkyさん、回答ありがとうございますヾ(≧▽≦)ノ

なるほど。φ(.. )

人はそれぞれ心に傾向性があり、その傾向性を修正し、より良い方向性を得るというのが仏教での修行であり、この実践方法が八正道と言われる修行方法。

かなりスッキリしてきました。

ありがとうございます。(-人-)

お礼日時:2012/05/16 03:27

「起こる事が起きる」といっても、それが事前に分からなければ


“偶然の出来事”に過ぎない。
「起きる事が起きる」からといって、諦めたり手を抜いたりしては、
異なる結果となる以上、“どうせ同じ結果”ではない。

それは「決定論」につながる問題である。
論理学における不完全性定理、物理学における不確定性原理
において、決定論的な客観的存在は否定されている。
(完全な公理系は無矛盾ではあり得ない、あるいは存在の有
する相補的不確定性の決定化は無=無限不確定に還元する)

原理的な確定=本質的な因果律が存在しない事は、物理学的な
状態Aが、Bに変化する確率は、そのAがBになる複数のプロセス
の全てを足したものとなる事から、明らかである(=経路積分)。

それは、ミクロなレベルの話だけではなく、2本のスリットを
通してその向こうのスクリーンに電子を飛ばした場合、1個
単位で電子を飛ばしても、スクリーンに次第に描かれるのは、
2本の帯ではなく、干渉縞模様である事にも表れている。
即ち、スクリーンに1つずつ消えていく電子が、それ以前に
消えていった電子の場所を覚えていて、皆で協力しているか、
1個の電子が、2つのスリットをそれぞれ通った可能性同士が
干渉しているか、である。

「偶然か必然か」は、存在の原理的本質としての確率的実体
の集合において、そうした確率波動が相殺された上に成る=
階層現象の表面的定性化=いい加減な認識によって生じた
決定論的な幻想において生じる疑問なのだ(存在とは、そこに
無いとは分からない事)。
一般的に「存在」とは、確定的実体が基本で、認識体との相対
に於いて不確定性を“派生”させると思われており、そこに偶然
と必然の論議が成り立つのであり、逆に不確定的実体の方が
本質で、認識体のテキトーさによって確定性が派生する時、
その“確定性”の上に立つ議論に、本質的意味はない。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

psytexさん、回答ありがとうございます。ヾ(≧▽≦)ノ

僕の頭では、理解が難しそうなので、よく読んでみます。

ありがとうございます。(-人-)

お礼日時:2012/05/16 22:54

現在の物理学、生物学では、今起きたことは起きる前には起こるかどうかわからないもの、と理解します。



ところが、主として天体の運動を観測したライプニッツの時代には、短い観測時間(=100年とか)の天体の運動があまりにも精密だったため、未来が予測できるという考えが中心になった時代があったようです。

ライプニッツに言わせれば「起こることが起こる」と仰ったでしょうね。

でも、「混沌からの秩序」を著してノーベル賞を受賞したイリヤ・プリゴジンらの研究によって、何が起きるか判らないのがこの世の実体で、天体の運行を短時間(=100年とか)観察した場合が例外的に偶然の入り込む余地が少ないケースであり、このニュートン力学だけに支配されているように見える現象はレアだと言う理解になりました。
きっと天体の運行も、その天体の寿命にふさわしい10億年とかの単位で観測すると必ずしもライプニッツが考えたような運行だけでは無いのでしょうね。これは部分と全体の問題にもつながりますが、哲学的には非ユークリッド空間でさえも、極小の部分を観測するとユークリッド空間に見えるのと同じような関係かもしれません。

コントローラーは偶然という気分屋だと思いますよ。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

Mokuzo100nennさん、回答ありがとうございます。ヾ(≧▽≦)ノ

なるほど。φ(.. )

確かに、コントローラーは偶然という気分屋かもしれません。

よく考えてみます。

ありがとうございます。(-人-)

お礼日時:2012/05/16 23:03

>出来事や状況に対して、上だ、下だ、優だ、劣だ、不満だ、なんだといちいちうるさい評論家が、自我(エゴ?)ですよね。

きっと。(←自信無し)

評論家は「自我」ではありません。「自我」を持った人間です。いちいちうるさいのはそれが仕事だからで、自由であり、権利でもありますので周囲はある程度我慢せねばなりません。

>でも「あれしよう」「これしよう」って行動する原因になる衝動はコントロールできるような?

 できないような?

 コントローラーはどこ?

衝動はコントロールできません。できるのは、衝動が起こったあと、その衝動のままに実際の行動を起こすべきかどうかということだけです。もちろんコントロ-ルはできます。理性がそれをつかさどります。

>ブッタの「起こることが起こる。起こらないことは起こらない。」ってこういうことかしら?

よくわかりません。ブッダに聞いてください。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

komaas88さん、回答ありがとうございます。ヾ(≧▽≦)ノ

なるほど。φ(.. )

衝動が起こったあと、その衝動のままに実際の行動を起こすべきかどうかと理性でコントロ-ルすると。

かなり頭の中、スッキリしました。

ありがとうございます。(-人-)

お礼日時:2012/05/16 23:12

中々うまいですね。


コントローラーだと思ってその箱を開ければ、中は何もない
箱の蓋を閉じれば、ちゃんとコントローラーとして作動する
知ろうとしても分からず、掴もうとしても掴めない
でもある事だけは分かる・・・
自我という実体のないコントローラー

推測の確実性と、空想とは異なる・・・ということでは
因果律に基ずく推測とは空想ではない・・・ということでは
因果律の多様さに空想は及ばない・・・ということでは
    • good
    • 0
この回答へのお礼

hetanosukeさん、回答ありがとうございます。ヾ(≧▽≦)ノ

なんか凄いことが書いてありそうなんですが、いまいち僕の理解力が届きません。

よく読んでみます。

お礼だけ先に。

ありがとうございます。(-人-)

お礼日時:2012/05/16 23:30

人間の行動は三種に分類することができて


「個体維持」と「種族保存」と「趣味や癒し」目的とされています。
衝動的な行動の理由には生体リズムが関係していると思います。

後、信じ続けた理想、頑張った自分との関わり等の思い入れと
皮相ではあるが「そうあるべき」と周囲からの脅迫感、使命感に伴って迫られているもの。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

miko-desiさん、回答ありがとうございます。ヾ(≧▽≦)ノ

なるほど。φ(.. )

衝動の原因には、いろいろな原因があるんですね。

勉強になりました。

本当にどうもありがとうございます。(-人-)

お礼日時:2012/05/18 01:03

やっぱりワイヤレスが使いやすいです。


まず、大きさ、重さ、操作性が重要です。
それと、感触ですね。押した時に微妙に指に伝わる振動も大切な要素だと思っています。
肌触り、フィット感。おしゃれに、軽快に、かろやかにってことです。多い日も安心!

起こることは起きますし起こっていないことは起きていませんが、起こっているのに起こっていることに気づいていないと負けますね。起こっていないのに起こったと早とちりした場合もだめですね。

しかし、もともと起こっていないものをあたかも起こっているかのように観ているのですから、コントローラーがどうあれ、夢の中の花火みたいなものです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ukiyotonboさん、回答ありがとうございます。ヾ(≧▽≦)ノ

「起こっているのに起こっていることに気づいていないと負けますね。起こっていないのに起こったと早とちりした場合もだめですね。」

確かにそんな感じかもしれません。

どうもありがとうございます。(-人-)

お礼日時:2012/05/18 01:10

こんばんは、



全然違うと思います。


ブッダにとって、
「起ころうが、起こらなかろうが、・・・」という、のは、
「起こることが(は)起こる。起こらないことは起こらない。」ということではないでしょうか。


・・・起こることが起こる、。のは、しょうがないよ、と思えたりもしますけれど?
    • good
    • 0
この回答へのお礼

kurinalさん、回答ありがとうございます。ヾ(≧▽≦)ノ

「起こることが起こる。のは、しょうがないよ、と思えたりもしますけれど?」

そうですよね。

無責任な感じになっちゃいますよね。

よく考えてみます。

ありがとうございます。(-人-)

お礼日時:2012/05/18 01:21

yasuo0330様、こんばんは。




>「無責任な感じになっちゃいますよね。」

無論、責任を阻却しようというものではありません。


・・・しようというものでは、ありません。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

kurinalさん、回答頂いてたんですね。ヾ(≧▽≦)ノ

ありがとうございます。( ´θ`)ノ

お礼日時:2012/06/13 13:54

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

関連するカテゴリからQ&Aを探す