知り合いと神社にお参りに行きました。
大きな神社なので、敷地内には小さなお社様がたくさんありました。
私の考えとしては、お社様ごとにお賽銭を入れ、拝むことが一般的だと思っています。
ただ、お社様の数があまりに多すぎる場合は、
ある程度の数に絞って、お賽銭を入れたお社様に拝みます。
額は、紙幣ではなく硬貨になります。
今回質問したいことは、その知り合いのタイトルに記載した行為なのですが、
こういうのはどうなんですか?と聞きたいです。
この知り合いは、たくさんのお社様のうち、メインのものと、他の1、2か所のお社様だけに、
1円~10円のお賽銭をいれるやりかたみたいです。
そして、お賽銭を入れていない他多数のお社様にも、拝んでいます。
たぶん、ここまでは普通なのかもしれません。
私が気になっているのは、
お賽銭を入れたお社様に、私が拝んでいるときに
知り合い自身は入れていないのに、そそくさと私の後ろで拝んでいるのです。
それも私が拝む都度に。
ん?それっておかしくないの?と思いました。
ケチな話になりますが、私が入れたお賽銭だから、私が私の想いを金額分拝む権利があるわけで、
知り合いの分の願いの分まで、払ってあげているわけではありません。
紙幣ではないですが、硬貨でも大きな額払っています。
知り合いはそれをみて、大きな額払ったって神社の経営者が儲かるだけといいます。
私は宮司が儲かろうがそんなことはどうでもよく、古来より日本人がやってきた行事を
その年齢に応じた金額を、お賽銭として投じ、そして願うのが正式なのだと思っています。
私の後ろでコソコソ拝んでいる姿を見て、情けないヤツだなと思いました。
しかもその知り合いは私の拝み方に、「待った!」をかけ、
拝むときはこのやり方がいい、と強制してくるのです。
私的には、お賽銭払って無いヤツに言われたくねーよ!と心の中でつっこみました。
私が良いと信じてきたやり方と、知り合いの信じるやり方はどうも正反対なやり方なので、
なんか受け入れがたいものがあります。
世の中には宗教とか流派がたくさんあるわけで、私のやり方も一つのやりかたなのだろうけど、
相手のやり方をやってますって人もいるのかなぁと考えました。
みなさんこういう人ってどう思います?
他人の賽銭で拝むのって、あやかりとかそういう考え方なのでしょうか?
No.5ベストアンサー
- 回答日時:
貴方のお賽銭です。
貴方が神さまに謹んでお供えしたお賽銭です。そこには信仰する気持ちと神様への感謝の気持ちがあるのです。かたや知り合いの方は、信仰する気持ちはあっても感謝の気持ちはありません。流派や宗派とはやり方の相違です。それが正しいと思っている人がついていくものです。貴方が正しいのか知り合いが正しいのかはわかりません。ただし明らかにこれは違うと思うのなら、無理にあわせる必要はないし、自分が間違っていたなと思ったら直せばいいだけのことです。
後ろでコソコソ拝んでいてもいいと思いますよ。神さまはすべて見ていますから。
例えばおなかがすいている人にご飯だよと言っておいて、炊き立ての暖かい米の入ったお茶碗をあげる人と、何も入れないお茶碗だけしかあげない人では、どっちが喜ばれますか?
また喉が死ぬほど乾いている人に、なみなみと水をいれたコップをあげる人と、ただ中身の無い空コップだけをあげる人と、どっちが喜ばれますか?
知り合いのやり方に強制されることはありません。感謝する心ももたずして、頭だけでこうしたほうがいいと言う人ほど中身はないんです。そんな人の祈りが届くこともないし、あやかるわけもないんです。貴方のお賽銭には見えないけれども貴方の名前しかありません。知り合いの名前は無いんです。
これまでと変わらず、ご自身の信じたやりかたで行なってください。中身の無い人のやり方は放っておけばいいんです。気にせず堂々としていてください。
お時間をかけて回答していただきありがとうございます。
いままでいただいたご回答も含め、今回意外に感じたのは、
私のお賽銭は私だけのものと肯定してもらったことです。
ありがたいです。
さまざまなやり方があると思っているので、
例えば私のお賽銭を周りの人にあげるぐらいの度量はないのか!
と叱咤をうけるのではないかと、恐れている部分がありました。
お賽銭に名前があるという考え方は非常に素晴らしいと思います!
小切手などは記載できるからはっきり自分のだと言えますが、
お金に関しては、まさに心に記載するというかそういうことしかできないですものね。
神様と私にしかわからない「気持ちの入ったお賽銭」は、
確かに他の人が介入できないものですものね。
知り合いの、信仰する気持ちはあっても感謝の気持ちはない、というのはまさに
そのとおりだと思います!
知り合いを見て、こういうのってなんて表現したらいいんだろうと
考えていました。
確かに、拝み方を強要する行為と、神社が儲かるだけという考え、そして
他人の後ろで、わからないように(バレてますが)こそこそしているのは
「何者なんだ?」と、その知り合い自体がなんだかわからなくなりました。
前者後者では、一見順序は同じですが、
相手の身になって思いやれば前者以外の選択肢はありませんよね。
やはり「神様は見ている」というのは、ちゃんと参拝に来た人たちへの一番安心する
言葉だと思います。
No.9
- 回答日時:
神ではなくて、仏の話ですが、お寺を建立して寄進する人と、一生に一度だけ仏様を拝む人(金銭の寄進はなし)は、どちらが偉いかというと、同じなのです。
神や仏の前では、みな平等で、人が差し出すお金なんてものの多寡は何の関係もないです。
むしろ、お金を払ったからご利益があるのだと考えるのは、人間が浅はかなためだと思うのです。
お礼がかなり遅れてしまってもうしわけございません。
人としての目線で考えるか、神仏としての目線で考えるか、
みなさんの考え方が様々ではあるものの、大切にしている考えは同じだと
思いました。
No.8
- 回答日時:
お礼文ありがとうございました。
>例えば私のお賽銭を周りの人にあげるぐらいの度量はないのか!と叱咤をうけるのではないかと、恐れている部分がありました。
この点についての私見を追記したいと思います。
お賽銭やお布施というものは、どなたかが申しておられるように本来は奉納させていただくものなんです。
そして財物を奉納するということは、ご自身が苦労して働いて、人の為にたって頂いた貴方自身の生きる糧の一部を神さまに使ってくださいと奉納するものです。極端に言ってしまえばいくら現世利益がある、よく当たるといわれる神社仏閣におかれても、借金をしてまで奉納すべきものではないのです。
他の人に対して賽銭代としてお金を渡したりするべきものではないし、要求することも本来はしてはならないことなんです。
ただし財物を渡すのではなく、その人のためにご自身が代わって祈りを捧げさせていただきますということは可能です。貴方のお賽銭でその人の為に神さまにお願いをするという行為は禁止されることではなく、むしろ余裕があるならば、それくらいの気持ちは持っていてもいいという考え方もあります。
貴方がその知り合いの方と神社にくる機会が得られたことは、逆に貴方がその方の態度を見て勉強しなければならない事例を示していただいたのかもしれません。そして普段の生活の中で、自分もこのようなことにつながることをしてはいないか、またそのようにされることで自分がどれほど嫌な思いをするのか、実体験させてくれたのではないでしょうか。
知り合いの方の行動は確かにほめられたことではないと思います。眉をひそめるのも当たり前。ただ今回のことについてはご自身の行動をも含めて見直していってくださいよというのが、お参りにいかれた神さまからのお伝えであったような気もいたします。
知り合いのやり方に従う必要は全くないことですし、ご自身のやり方を貫いていくことで問題はないことですが、その結果については貴方と知り合いの方のそれぞれに合ったやりかたで返され示されるものです。他人の賽銭で拝んでいる人にはそれなりの結果しか帰ってきません。
どうせなら、後ろで拝んでいる方のこと、どーにかなりませんか?と神さまに託してしまうのはいかがでしょうか。気持ち的にはいくらかでも楽になるものと思います。
以上です。
再度ご丁寧な回答ありがとうざいます!
不安定な情勢の中、最近稼いだお金は、一昔前の同額のお金よりいろんな想いがつまっていると考えていました。
それもあってか、このお金にすべての想いを乗せる!という想いもあったのだと思います。
昔はその金額分の願いだけでいいと思っていたのが、
現在では硬貨の中に「願い」という単語がぎっしり飽和状態になってしまって余裕がありませんでした。
奉納どころではない自分を反省したいと思います。
「逆に貴方がその方の態度を見て勉強しなければならない事例、またそのようにされることで自分がどれほど嫌な思いをするのか、実体験させてくれた~」とありますが、
本当に神様に会いに行ったかいがありますね。
今回はこれを知るために参ったのだと気付かされました。
そして知り合いのようにになっちゃいけない!と改めて思いました。
私も若輩者なので、小さなことで迷い、暗雲が立ち込めたりします。
そのたび後悔していました。
今回のことは少しでも大人になれる一歩が得られる機会だったと思います。
それぞれのやり方で、神様が返してくれるほうがいいですね。
それなりのやり方な人には、誠意を持っている人と同じ結果でないほうがいいです。
後ろの拝んでる人~は笑えました。自分の願いでいっぱいいっぱいな自分ですが、
次回からはこういうことが神様の前で言えるような精神で拝むと良いのかもしれませんね。
No.7
- 回答日時:
>みなさんこういう人ってどう思います?
「拝むときはこのやり方がいい」という人もいれば、
「お賽銭払って無いヤツに言われたくねーよ!」という人もいる。
世の中いろいろな人がいていろいろな考えがあるものだなあ...という感想だけです。
お賽銭は「払う」ものではなく「奉納」するものでは?と私は思います。
奉納ですか。確かにこの心が基本ですよね。
さまざまなことを考えなければいけなくなった現代、奉納という考え方をいつのまにか
忘れてしまっていました。
払うのは、言葉として違うことを思い知らされました。
ありがとうございました!
No.6
- 回答日時:
私は通常は本殿のみに供えて、他は供えません。
但し崇敬する「第六天」だけは別に供える場合もあります。なぜなら私が神社めぐりをするのはあくまでも挨拶回りのようなものだからです。
但し、祈願をする場合は祈願をするための供え物をしなければなりません。ですから摂社末社など境内社であってもその祭神に対して祈願するのであれば、本殿だけではなく末社摂社などにも賽銭を入れるのが当然です。
しかし例えばお屋敷のご主人に挨拶に行って家族全員に土産を持っていくかどうかは個人の自由ですよね。ですから挨拶だけであれば本殿以外に賽銭を出すかどうかは個人の自由です。
でも、「神社が儲かるだけ」などと考えているのであれば、それは供物ではなく取引、或いはワイロですからそもそも人間ごときが神に対して取引を持ちかけること自体不敬であり、願いなど叶うはずもありません。
また中途半端な形式にこだわって心を添えられなければ思いは通じません。
「こうしたほうがいい」というのも要するに心ではなく形式、誠意ではなく手法で何とかしようということでしょ。心を見透かしてしまう神に対してテクニックなど通用しようはずもありませんね。
最近商売で常識を吹聴している者がいい加減な情報を常識としていますけど、拝み方などというものは本来無いんですよ。
まず私達が通常行っている拝殿前での参拝。これは略式の略式で参拝法などと決まったものはありません。
そもそも参拝とは正式にいえば「昇殿参拝」を指します。これには皆さんが良く知る参拝法に近い形式があります。これは明治時代の神祇庁や神社本庁が定めた形式が基になっています。
しかし元々拝殿前での参拝は略式の参拝法で「自由参拝」とも呼ばれる略式の略式。似非常識人が作法といっている方法は神社本庁が問い合わせに対して昇殿参拝を参考に「一例」として示した参考例でしかありません。
神参り、紙詣で、所謂私達が日常している参拝は極端な話、拝殿に向かって一礼するだけでも、また遠くから一礼するだけでも参拝としては完成しています。
要するに形式ではなく敬神の念を表せばいいのです。
祈願をする場合は祈願をするための供え物をしなければなりません。というのは
確かに理にかなってます。こちらがお願いするだけでは、神様は空腹になってしまいますものね。お金は代表的なものですが、やはり供え物がいいと思います。
末社摂社などにも賽銭を入れることもしておいたほうがいいですね。
拝み方のテクニックに関しては、この時点でやましい態度だなぁと気付かされました。
知り合いの考えがいかにソンをせずに願いをかなえてもらうかという不浄なものだと思いました。この知り合いとは、縁を含め考えなおしたほうがよさそうです。
参拝法に関しては、私はいたってシンプルに、知り合いは忙しそうに一礼をところどころにやっています、しかも丁寧ではなく「やっているだけ」なのが見てとれます。
トライしたことはあるのですが、なんか集中できないんですよね、忙しいのは。
拝んでいる最中に、あれ?さっき一礼するのを忘れたかも、と脳裏をよぎると
手を合わせながら、神様と対話するのをおろそかになってしまったりして。
敬神の念を表すには、シンプルで心が静になれるような姿勢でないとと思いました。
ありがとうございました。
No.4
- 回答日時:
子供の頃より、神様に頼むのは他人のことだけ、賽銭は入れる必要なしで、頼みごとは産みの親にしろって。
それで、親が願いをかなえてくれれば、神様の前にお礼をいって賽銭も。他人のお世話をよくしていれば、自分が困った時他人が神様に頼んでくれる、と。この親の教えを守り、いまや他界してしまった親に、頼み事はお願いしています。
ですから、自分の頼みごとを神様に頼んで賽銭いれても、神様は聞いてくれる耳なしです。その賽銭で後ろのが神様に自分の頼みごとをしてもネコの耳に念仏です。
他の人のお願い事をたのんで、よくなれば、神様にお礼を言いに、そして、賽銭もハズミます。汗水たらして稼いだ金は他人に使うと、必要以上の家族用の金が楽して入ってくるのを確認済みです。
おはようございます。ご回答ありがとうございます。
自分以外の人の為の神頼みは究極だと思います。
私自身未熟で余裕がなく、なかなか成果が出せない性質で、
自分のことを神頼みすることしか今はできませんが、
いつかは落ち着いたらそういう参拝のしかたをしたいです。
今回は純粋な想いで参拝したにも関わらず、知り合いが
後ろでコソコソやっているものですから、
自分の中に汚れた何かがうずまいていて、台無しだなぁと思っています。
神様の前でよくそんな汚いことをできるなぁと、
そしてこんな汚いヤツを境内につれてきて神様に申し訳ないです。
仮にあやかりだと考えても、私にそういう拝み方だよと言ってくれたら
不本意ながら納得できるんですが、都度私が何円硬貨を入れたか遠目で確認して
しかも高い金額を入れたときは特に念入りに後ろで願っているのです。
No.3
- 回答日時:
>みなさんこういう人ってどう思います?
他人の賽銭で拝むのって、あやかりとかそういう考え方なのでしょうか?
そういう考え方なんじゃないでしょうかね。
俺は賽銭を入れたことは一度も無い。お願いすることは今までもこれからも変わらずの『ずっと見守っていてください。』とだけです。アナタの考え方で言えば世界規模に1億円では足りません。
お賽銭の神頼みで面白いのはやっぱり正月の初詣です。多くの参拝があるのですが1円~万札までと様々の中、人ごみに愚痴や文句に下品な言葉、デートするのは自由だが・・そこらにゴミくず捨てる始末。神頼みをしに来てるとはとても思えない光景に毎年爆笑です。そりゃ天災くるわ。
この回答への補足
すいません。お礼欄に書いた、最終行(天災が~)の表現が不適切になってしまったと
思いましたので、こちらにて訂正させてください。
不快に思われた方にこころよりお詫び申し上げます。
訂正後)
神頼みをしにきたのに、ふさわしくない行為をした人は信仰心そこそこなのでしょうね。
天災は私自身も過去に経験し、幸いほぼ無傷で命は助かりました。
拝んでいるからもありますが、もっと信仰心の厚い方で助からなかった方も
大勢いる中で、遭う人と遭わない人の差はなんだろうと、天災を経験して考えるようになりました。
お賽銭を入れたことのない方のご回答、ありがとうございます。
一度も無い、という人がいるんですね。それはご家庭がそういう方針なのでしょうか。
ずっと見守っていてください、というのはシンプルである意味嫌味がない感じがします。
お賽銭を入れない風習の方には、でしゃばりすぎず、かといって貧相でもなく
ニュートラルな位置にある願いにも思えます。
神様が負担を感じない願いではないかと。
正月は人ごみすぎて、逆にほとぼりがさめてからお参りしますが、
天災がくるような行為をしている人たちは、信仰心そこそこなのでしょうね。
No.2
- 回答日時:
変な考え方かも知れませんが、質問者さんのように信心深くちゃんとしている人なら1円でも5円でも金額に関係なく神様だって願いを叶えようと頑張るでしょうが、知り合いの人の場合、神様だって1日に何人も拝みにくるっていうのに、気持ちが入ってない上に、今時子供だって1円じゃ言うこときかないのに、お賽銭も入れない人のお願いを神様がきくわけがありません。
神様はそんなに暇じゃないと思います。知り合いは気にしないで、自分の願いをお願いしましょう。
わかってくれる人がいてうれしいです。ご回答感謝です!
神様はヒマじゃないというご意見を冷静になって考えてみると、確かにそうですよね。
たくさんの参拝者が来て、可能な願い、ちょっと難しい願い、
藁にもすがる願いなど大量の願いや想いがあって、
毎日そういう神聖なる作業に追われているかもしれません。
お賽銭を入れるということも、その都度自分を試されていると
近年考えるようになりました。いくら入れたらいいかとか最初は
難しく考えていましたが、やはり値段よりも信心深くすることが一番ですね。
No.1
- 回答日時:
>他人の賽銭で拝むのって、あやかりとかそういう考え方なのでしょうか?
面白い。実に興味深い。
あなたの「知り合い」は,サケなどの配偶行動における「スニーカー雄」 の行動そのものです。
あなた(雄のサケ)が神社(雌のサケ)に賽銭を投げ祈願(放精)するのと同時に,知り合い(スニーカー雄)は拝む(放精する)。
"Sneak"(忍び寄る)のが人間で,しかも神前で為されるのが,動物行動学で説明できます。
まあ,神様は全てお見通しですよ。
変な質問に興味を持っていただき恐縮です。
動物行動学ですか~。
サケの配偶行動って、もっと単純なものかと思っていました。
サケはあるいみヒトではないので、マナーや理性みたいなものが完全では
ないのかもしれませんが、知り合いに関しては人間なのに、
おいおいどうなのよ?と失笑してしまいました。
でも行動学においては、魚もヒトもやってることは同じなんですね。
神様はすべてお見通しであってほしいです!
そういってくださってありがとうございました!
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