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ひとつ前の質問である“唄うような落語”という文章に触発させられ、落語のことを考えていました。
唄っているような口調を使う落語家がいますね。気持ち良い抑揚を付けた話し方に魅惑されるます。

私の知っている、唄い調子の落語家をあげてみます。
三代目の春風亭柳好。かの有名な、「野ざらし」の柳好といわれたくらい流暢な口調。結構ですね。
四代目の桂園馬。「初音の鼓」を初めて聞いた時、別世界に漂いました。
後は、唄う調子とは違いますが、今古亭志ん朝。「二番煎じ」などを聞きながら、明るいリズムに酔っていました。

諸兄、唄い調子の落語家を教えて下さい。得に、最近の落語家を。

A 回答 (3件)

唄う:という言葉を21世紀ふうに解釈するなら


  「テンポ:リズムがいい」となるのかな


 それだと, 柳家蕎太郎(あと柳亭市馬)なんかどうかな


 小三治は別格.

 また.鶴瓶のテンポの取り方は6代目松鶴に匹敵する
ようになったのでは.


ここであげなくて忘れてるのはゴメンネ.
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

今時は、唄う、というのは
<「テンポ:リズムがいい」>
となるのですか。

以下、紹介していただいた落語家について、感じた点を書きます。

喬太郎、わかりやすい芸。それは、人気者になるための必要条件です。聞いて楽しい。

市馬、雄大な語り。唄好きな演者だけに、語りに、唄い調子がみられます。落語の中で、唄を気持よく唄っていますね。

小三治、抑制の効いた芸。五代目小さんの気持ちを一番継いでいると思います。少し前の、若さの力がある時代も好きです。

松鶴は、豪快さ。これを、継いでくれる人は、もう出ないのでしょうか。

鶴瓶は、残念ながら、聞いたことがありません。

お礼日時:2012/06/03 18:54

こんばんは。



また、お話したくなってお邪魔しました。
談志さんが、文楽、三木助、円生を評価する・・・。
ここいらが、あの人の噺家としての真骨頂でしょうか?
一度壊してみたいが、壊しきれないものを認めざるを得ない・・・。

沢山、本を書いておりますね。
理解が難しい逆説的な表現も目にします。
でも、真摯に落語に向き会ったと言う意味では、私は好きですね。
あの人の人格云々は別のことでしょう。

米朝さんが、志ん生の「黄金餅」を評して、
あの御仁の真似は出来ない・・・。
おそらく文楽さんも同じ想いだったのではないでしょうか?

円生さんが、とても上手に表現していますね。
「私は道場での試合なら、あの人に負ける気がしない」
「でも野試合なら勝てる気がしない」・・・とても良く分かります。

文楽さんも野試合が出来る人なら、ああ言う形で口座を降りる
こともなかったのでしょうが・・・・。

最後に、文楽、円生、共にとても上手に緻密に作った落語と思います。
志ん生は人生そのものが落語のようで、私が志ん生が好きなのは、
そんなところです。

回答でもないのに度々お邪魔いたしました。
ごめんなさいね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました、

<一度壊してみたいが、壊しきれないものを認めざるを得ない・・・。>
は、談志の心を表わしていますね。
<文楽、円生、共にとても上手に緻密に作った落語と思います。>
談志も彼らの一員ですね。
だけど、
<一度壊してみたいが、壊しきれないものを認めざるを得ない・・・。>
自分を、また自分の芸を、壊して、
<人生そのものが落語>」
である志ん生のようになりたい、切望していたのでしょうね。

落語を壊すことはできなかったが、それ以外の点では生涯にわたり思う存分壊したぞ、と私は冷かしてやりたいです。

談志は、唄い調子の落語は披露しなかったようですが、芸達者な人だから、若い時は、もしかするとできたのかな、とも考えています、

お礼日時:2012/05/29 07:42

こんにちは。



実は私は最近の噺家さん、余り存知あげないのです。
ですから、お役には立てないのですけど、質問があなたでしたので、
おしゃべりしたくなり、お邪魔してしまいました。
申し訳ありません。

「柳好の流暢な口調。結構ですね。」、仰るとおりです。
中腰で気持ち良さそうに話す「野ざらし」の柳好が目に浮かぶようです。
他人の落語には二言も三言もある談志さんが、こと柳好の「野ざらし」は、
掛値なしに褒めておりましたものね・・・。
あの人が人を褒めるのも珍しい(笑)。

先日、どなたかに回答しておられましたね・・・
志ん生の大津絵「冬の夜に」、小泉信三がハンカチを用意して、
聞きたがった・・・。
今はもう唄える人もいないのでしょうけど、
その後、ラジオで演るとなると誰なんでしょうね?

殆ど志ん生さんの持芸でしょうから、馬生、志ん朝、?あるいは一門?
そんな気がしましたけど・・・。
私は途中に入る「アー、ウィー」が、どう言うわけか印象深いです。

回答でもないのに、お邪魔してしまいました。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
(以下読み返してみたら、長々とりとめのないことを書いていました)

まず談志ですが、先輩噺家の文楽・三木助・円生などは尊敬していましたね。彼らはいわゆる正統派です。
彼らとは別に、談志は、例の柳好・馬風などを愛していましたね。そのグループの、自分にはない特徴を憧憬していたようです。そのグループに,志ん生が含まれているのですね。

その志ん生の噺の途中に入る
<「アー、ウィー」>
が面白いですね。一見無駄で、邪魔ですよね。志ん生と仲の良かった文楽は、無駄を省いた切り詰めた芸を持っていましたので、自分と正反対である親友の芸をどう評価していたのか、興味深いです。うまく分析できないのですが、この
<「アー、ウィー」>
が、志ん生の何だかわからぬ芸の良さに寄与していたのでしょうね。噺の流れの中では、不思議な魅力を持っていますね。変なたとえですが、秋刀魚のはらわたの、苦みのようなもの、でしょうか。米朝が、志ん生の黄金餅を、「あの”ごじん”しかできない」という意味のことを言い、なかば呆れ顔で感嘆していたことを思い出しました。

その
<「アー、ウィー」>
を息子の志ん朝が引きついでいますね。もっとも、息子は「うん」「えー」「ねー」「ほんとうに」と喋っていますが。親子の間で、教しえと教そわりがあったのか、単に息子が真似したのか、あるいは、息子が独自に作り上げたのか、知りませんが。この「うん」などが、志ん朝の明るいリズムを助けている、と思います。

やっと、本題に舵を切りますが、”唄い調子”とは少し違いますが、志ん朝の明るいリズムが魅力的です。テンポよく進みます。もっと長生きしていたら、今はどんな噺家になっているのでしょう?

お礼日時:2012/05/24 11:20

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