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部下として御目見得すること(謁見)と、
ただ単に将軍の顔をちらっと見ることは違うと思うのですが、
実際、御家人は「将軍の顔自体」を知っていたのでしょうか?
それとも、将軍の顔をチラ見できるような状況はなかったのでしょうか?

A 回答 (6件)

江戸時代、将軍が上野寛永寺に墓参する際騎乗で移動する仕来りになっており、この時だけは沿道の庶民は土下座平伏の必要がなく将軍の顔を直視出来ました。


江戸で暮らす庶民にとっては、将軍の寛永寺墓参はちょっとしたイベントで沿道に櫓を組みそこで将軍の顔を見物したそうです。

江戸で暮らす人々全員が、将軍の顔を見る機会はあったという事です。
将軍の顔を拝する機会があるという事は江戸市民にとって大きな誇りでもあったようです。

御家人も当日、何らかの役に就いていなければ、この時に将軍の顔を見る事が出来たんじゃないでしょうか。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
なるほど、一般の庶民でも顔を見る機会はあったということですね。
それなら、御家人が将軍の顔を知っていてもおかしくないわけですね。

お礼日時:2012/06/02 21:08

>実際、御家人は「将軍の顔自体」を知っていたのでしょうか?



小生は、回答者諸氏の回答に正直、「ほえ?」という感想を持っている

理由は至極簡単で、いわゆる江戸時代の御家人の話に限定されている
そもそも御家人という概念は、時代によって大きく変わるものであることは歴史教養の基礎のはずであるが、回答者の回答にはその基礎を抑えているとは言えないものが多い

さて、御家人と将軍の話といえば、”いざ鎌倉”で有名な  謡曲 「鉢木」 の一節

知らない人のために資料をhttp://www.harusan1925.net/0604.html
この 謡曲 「鉢木」 は真贋が怪しいものであるが、概ね創作とする意見の説得力が強いとは到底居ない評価が多い
歴史記述として多くの正史伝に出てくる話なのである

そもそも鎌倉時代の御家人の数は限定されているし、征夷大将軍である将軍も江戸時代の将軍のように権威張った存在ではなく、弱い武家政権が故に、御家人への配慮などがよく見受けられる書状もある。
鎌倉殿(将軍)の関わりのある慶事・法事では、顔を出すものであったことも事実であるのだから、
『建武の新(愚)政(「中興」ではありえない)』で御家人制度が中断するまではの御家人と将軍は面識があっても不思議ではないし、面識があったことを示唆する書状もある

これが室町になると朝廷との紐帯性が高まり権威性が高まると同時に、御家人と将軍の距離が遠くなったのは必然であろう
もはや将軍の地位と御家人の封建契約が形式以下に成り下がっているのだから・・・


さて、他の回答者が指摘する江戸時代の御家人にしても、小生は疑問がある
御家人は、大枠は、江戸城詰めできる譜代家格であれば、将軍との謁見はありえないにしても、顔を見る機会はあっただろう。中奥での政務では、側用人・側集が取次役を勤めているが、御家人格が召抱えられていないわけではない

 将軍は武芸教練の時間は日課として課せられている状態で剣術指南役ならば、士族に限らず拝謁する機会はあっただろうし、御家人でも優秀な武芸人が武芸表彰を直接受けることは文献でも指摘できる


以上から、職位によって十分可能と言えるだろう
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
まずわたしの質問の仕方が漠然としたものでした。
わたしは「江戸時代の御家人」という意味で聞いていますし、
これまで返答して下さった方たちも、そう理解して書いてくれたと思います。
で、江戸時代の御家人でさえも、将軍の顔を知っている可能性は十分にあったと。
それぞれの職位によってちがうということでしょうね。

お礼日時:2012/06/02 20:14

御家人は自分から将軍に面会を求めることはできませんでしたが、控え室にいるときに将軍が御家人たちに顔見せに訪れることがしばしばあったことから、何年も出仕していれば顔ぐらいは知っていたはずです。

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この回答へのお礼

ありがとうございます。
そういうこともあるんですね。
ということは、御家人でも「将軍の顔を知っている」といえる人達もいたかもしれないけど、
全般的にいうと、やはり知らないと考えるほうがいいんでしょうかね。

お礼日時:2012/06/02 19:09

御目見えと言っても


末端の旗本では大広間で行事の時に挨拶する程度ですから、
100畳近く有る大広間で大勢の大名旗本の後ろ姿で将軍の顔を見れるかと言ったら、疑問ですね
勿論御目見えですから、何かきっかけが有ったら近くで見えるでしょうが、そうでもなけれまずは旗本の下っ端でも知らないと思います
まして御家人では100%知らないと言って良いと思います
今の様に写真は有りませんし、似顔絵も簡単に抱える事もないでしょうし、それが当時は市中に出回るかどうか疑問です
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
なるほど、たとえ見るにしても、かなり遠くのほうから見たんでしょうね。
それなら見たといっても、見てないようなものですね。
たとえ近くで見ることはあっても、そういう機会にあるのは限られた御家人でしょうね。

お礼日時:2012/06/02 19:05

 御目見得が許されないということは、まず知らなかったと考えてよいのではないでしょうか。



 将軍が世間に身をさらすこと自体が少なかったはずで、剣術御前試合などでないかぎり将軍の顔をみるという機会はまずありえなかったのではないでしょうか。
 その御前試合すら、出場資格が旗本以上に限られていた可能性も高いです。
 庶民は大名行列を見ようと顔を上げただけで無礼打ちされた時代ですから、チラ見というのも難しいと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
やはり将軍の顔を見るという機会自体があまりなかったのですね。
それじゃ、御家人クラスでは将軍の顔を知らないとなりますね。

お礼日時:2012/06/02 19:01

 御家人は旗本と違って将軍に、謁見(お会い)することができませんので、顔を知らない可能性は否定できません。

ただ人物画は見ることができますから・・・間接的に知っていると言う状況と成ります。
http://www.viva-edo.com/hatamoto_gokenin.html
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この回答へのお礼

ありがとうがざいます。
やはり知らない可能性のほうが高いのでしょうね。
人物画という発想はありませんでした。

お礼日時:2012/06/02 18:58

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