色彩を教える人になるための講座「色彩講師養成講座」の魅力とは>>

CMで見かける、話しかけたら何でも教えてくれる携帯電話。

確かに便利だと思います。


しかし、欲しければ何でも与えられる状況と同じで依存度が高くなる気がします。

知りたいことを自ら調べるプロセスが、突き詰める継続性を養い
熟考して思慮を深めていき、自らの意見を持つようになることに必要だと感じます。

あまりにも安易な情報収集で、人の意見を丸のみするようにも思えます。


年齢が低ければ低いほど、使えば使うほど依存度が上がり
考えさせるためにすぐに答えを渡さない親や教師に、強い不満を持つ結果になる気がしています。

熟考や裏付けの確認などをせず、表面的な知識だけある薄っぺらな人間が
増えていくような感じがしてしまいます。


すでに人としての依存度が高くなってきていると思える昨今、個人的はさらに
便利を履き違えてしまうように思えますが、皆様はどういう意見をお持ちでしょうか。

gooドクター

A 回答 (2件)

 まあ、入力方法が文字から音声に変わっただけとも言えます。

ネット検索は、もう以前からありますし、ますます得られる情報量が増えていますし、画像検索等、検索方法も改善が続いています。学術関連に特化したネット検索もあり、私はよく利用します。

 これは、基本的には良いことだと言えます。ネット検索がこのようになる以前、書籍等が情報源でした。
 図書館に行き探し回り、遠方の大規模書店を巡りと、勉強を始める、考える材料を集めるといった、本当にやりたいことの前に、多大な時間、労力、金銭が必要でした。
 しかも、雑誌や最新の学術論文ならともかく、書籍情報は大抵は古い情報でしかありません。

 その当時、便利なデータベースや専門家のアドバイスといった、リアルタイムで高度な知的アクセスは一部の人に限られたものでした。

 膨大な知識を、ただ単に覚えている人は貴重な人でした。たとえ考えることをしない人でも、でした。

 今は違います。ネットには膨大な情報があります。もちろん、玉石混交ですが、それは書籍頼り時代も同じことでした。

 今や、ググレカスという言葉があります。人に訊く前にネット検索くらいしろ、ということですね。

 ネット検索も、調べたいことについて、肯定、否定、中立といった複数を集めて、自分で判断を下す必要はあります。そうでないと、個人的に名付けているのですが、ググルカスになってしまいます。たまたま、自分の言いたいことを代弁しているページを見つけて、「ほら、ここに書いてある!」と言い出してしまう現象です。

 これは、書籍時代にもあったことです。この本に書いてあると言って譲らない人はいました。書籍時代は大変でした。それに反論できる、少なくとも違うことを示している資料を集めてこなければなりません。

 今や、ググって来て「こうだ!」と言われたら、直ちにこちらもググって「そうでないと主張するページがこれだけある」と示せます。

 こうなると、昔は幅を利かせていた「考える力はないけど知識だけは無秩序に蓄えている人」の価値は無くなりました。単純知識自慢には「そんなこと、ググれば分かるよ」と言い返して、お終いです。

>熟考や裏付けの確認などをせず、表面的な知識だけある薄っぺらな人間

は、過去にもずっといました。そういう人の価値が大幅に下がってきたと考えるべきでしょう。ネット環境さえあれば、即座に「それって、ここに書いてある程度だけど、その先はどう考えてるの?」と話を進められます。

 自分の考察だけではありません。質問掲示板なども多数あり、利用の仕方次第とはいえ、分からずに詰まったことを、不特定多数に尋ねることができます。非常に詳しい人の回答が得られることも少なくありません(デタラメな回答も混ざりますが)。

 また、メーリングリスト、ある目的に特化した掲示板、wikiシステムなどで、各々の知識を提供することで、膨大なデータベース(たとえばウィキペディア)ができたり、困難な問題が解決できたりもします。

 その結果がネットに残り、さらに先へ進んで行きます。それが誰でもアクセスできます。リアルタイム性もあります。

 自称知識人、似非専門家、あまりに偏った思想人、デマゴーグに騙されないような基盤整備ができてきているわけです。
 口コミであるような「伝言ゲーム」による情報の歪みと増幅は、大元を参照することで防ぐこともできます。
 一つのことについて、多数の異なる情報であちこちから眺めて考察するなら、間違いも減るでしょう。

 そういうものが、キーボードだけでなく、音声でもできるようになってきただけです。ご心配は確かにもっともなのですが、この流れは止まらない以上、有効な使い方を広めて行くのが良いのではないかと思います。
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この回答へのお礼

ご丁寧に、ありがとうございます。

確かに、その考え方もごもっとな意見です。
私も同じことを検討しました。

様々な条件があるのを前提として踏まえているならいいのですが
習慣による心理的な影響で、依存度が高い未発達な精神状態になる可能性を危惧しています。

しかし、言われているよう有効な使い方を広めていくのがいいのでしょう。

大人であれば自己責任ですが、子供たちは親の責任。
与えておいて、単に「知らなかった」で済まされなくなることが増えてきました。

子供に関心を持って接して行くことが、これからますます重要になってくるのだと
あらためて考えさせられました。

規制するだけでなく、どう考えどう生きていくか。
選択の基準をどう持って、進んで行くか。

物が増えていくほど、人として人と接することが重要になってくる。
そんな風に思えました。

ご意見、ありがとうございました。

お礼日時:2012/07/04 08:23

道具は使いようです。


つまり使い方を誤らなければ良いと私は思います。
無論社会全体の事を考えているのですか?それなら私の知った話ではありませんが個人の問題なら使いようでしょう。
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この回答へのお礼

社会全体のことを考えています。

人間の精神の構造や仕組みなどから考えると、心理的に危うい代物です。
そのうち社会問題にまで、発展する可能性が非常に高いと考えています。

何でも安易に答えを与える親がいるのと同じような心理状態になりやすいですよね。


家庭の背景だけでなく、持ち物による心理的影響も増えてきていますが
こういうものはコンピュータゲームなどと違い、見逃されてやすいものになります。

仕事上、この手の相談も増えてくるだろうから対策を考えているという所でもあります。


ご意見、ありがとうございました。

お礼日時:2012/07/05 23:55

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gooドクター

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