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よく大人たちが、
「バブルの時代はすごかったんだぞ」
「バブルが弾けてからは…」

とかいってるんですけど、どれぐらいすごかったんですか??
授業でも習ったんですけどよくわからなくて…
実際にあったことなどを交えてくださるとありがたいです

お願いします

A 回答 (10件)

まーその狂っていたぶりを一言で現すなら「お金が余っていた」ということじゃないでしょうか。

今じゃ考えられないですよね、カネが余るって。
大学生はもう大学生というだけで企業からバンバン内定がもらえて、さらに新入社員研修はハワイなんてところもありましたね。研修といったところで、単に遊びに行くだけですよ。「ウチの会社に就職してくれるならハワイに連れて行ってあげるから来なよ」なんていって「企業の人事課が学生に頭を下げていた」のです。圧迫面接とかそんなのは考えられもしないですね。

個人的な経験では、当時学生だったのですがCDラジカセを買いに行こうと小遣い4万円を持って販売店に行ったら店員に「ご予算は?」と聞かれておずおずと「あの、4万円なんですけど・・・」といったら店員にフン!(そんなハシタ金か)という態度をされて、他の客のところに行ってしまいましたね。確か当時は5万円前後が価格帯で、10万円近いCDラジカセもあったほどです。コンポじゃないよ、ラジカセだよ。コンポなら10万円以上しましたね。今はコンポも3万円でお釣りが返ってくるでしょう?
バブル世代の先輩がいっていたのは、今月給料が出たけど、まだ先月の給料に手を付けてない。そんなことがあったそうです。お給料がいっぱい出たのと、とにかく仕事が忙しくて休みもままならず使う暇がないのの両方だったようです。
そういえば、時給1900円のバイトとかもあったなあ。いやあ、普通の飲食店のバイトとかその程度ですよ。今時給1900円のバイトなんてバイトだけど英語に堪能とかすごいスキルを求められるものくらいでしょう。

そうそう、なんといっても狂想曲だったのはクリスマス。人気のホテルやレストランの予約は少なくとも1年前には予約で完売。12/25には来年の12/24の準備をしなきゃいけないとまでいわれました。雑誌(ネットがなかったので情報は紙媒体で手に入れるしかない)のクリスマス特集は年々前倒しになり、とうとう9月にはもうクリスマス特集。男たちはどれだけクリスマスに予算を投じられるかを競い合い、女たちも当然どれだけ金が投じられるかで男を判断しました。
メシをオゴらせるだけの男友達を「メッシー君」、夜中に呼び出して車の送迎だけをさせる男友達を「アッシー君」と呼んでいました。んで、現実によほどブスな子でもない限りメッシー君とアッシー君は持っているのが普通だったんですよ。モテる女の子なら必ずメッシー君とアッシー君はいました。今みたいに「なんで女にオゴらなきゃいけないんだよ!」なんていったら相手にもしてくれませんでしたよ。男たちもみんな必死だったなあ。
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この回答へのお礼

ありがとうございました!

お礼日時:2012/08/02 15:16

1.銀座のクラブに連れて行ったもらいました。

外車が路上駐車をしており、国産車はほとんど0でした。クラブ店内に胡蝶蘭の鉢があり、3日後に行ったら鉢が増えていました。ホステスさんに聞いたら「**さんの誕生日があるので、お客様が胡蝶蘭を送ってくれている」と言っておりました。都合3回、そのクラブに行きましたが、胡蝶蘭の鉢が10個以上ありました。誕生日の翌日には「1鉢1万円で花屋さんが持って行ってくれる」と、チーフが話してくれました。当然、そのお金は胡蝶蘭を送ってもらったホステスさんの懐に入ります。
2.隣のボックスにいた親父が「そばが食べたい。京都の**がうまいんだ」と大声で言うと、付いていたホステスさんが「私も食べたい」と言いました。親父が「電話持って来てくれよ」と言うと、黒服が電話を持って来ました。親父が電話口に「大将、今日は開けてるのかい」と言い「今から行くからよ」「うん。東京の銀座」と言い、ママに向かって「**を借りるからよ」と言い、店にタクシーを呼んでもらい、ホステスさんとそばを食いに行きました。
3.私の上司と某広告代理店の社員が、ホステスの取り合い?となりましたが、店に年間1300万円使っても、上司は負けました。
4.先輩が接客態度の悪いホステスさんを注意したところ、ホステスさんが店を辞めました。次に行った時に、ママから真顔で「**ちゃん、女のこが辞めたら、次はなかなか入ってこないんだから・・」と言われました。大学生の女のこでも、初日の時給が3千円と言ってました。
以上、昔のクラブでの実話です。
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この回答へのお礼

ありがとうございました!

お礼日時:2012/08/02 15:22

ちなみにジュリアナ東京がオープンしたのはバブル崩壊後の1991年のことだそうです。

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この回答へのお礼

ありがとうございました!

お礼日時:2012/08/02 15:21

当時を代表する風俗といえば、こういうのですね。



巨体ディスコジュリアナ東京にこんな感じのおねーちゃんが
大量に集まってお立ち台の上で夜を徹して踊り明かすわけですが。。
http://trendy.nikkeibp.co.jp/article/pickup/2008 …

小市民のバブルと言えば、
都内に2000万円くらいのマンションを買って、
3000万円で転売し、借金して郊外に5000万円くらいの
一軒家を買って、またまたすぐに1億くらいで転売し。。
みたいに不動産の価格が年を追うごとにあがっていったので、
普通の人が住居を徐々に郊外に移しながら、より高額な住居に
していくみたいなことが普通にみられましたし、

20歳そこそこの人がそれを職業として、
やっても年間数千万円の利益をあげて、
黒塗りのベンツを乗りまわし・・・みたいな感じです。

企業業績はいいので、ボーナスもたくさん、休暇もたくさんで、
この頃から海外渡航で長期休暇が当たり前みたいな
ご時世になりました。

で、都心のボロ屋に暮らす老人などを地上げ屋と呼ばれる
暴力団が、ダンプを突っ込ませてみたり、暴力で追い出したりして、
その地域を大きな更地にして土地価格を吊り上げてみたりみたいな
殺伐とした事件が多発したのもこの時期です。

不動産高で高金利なんで銀行なんかもこれでもかこれでもかと
貸出残高を伸ばしに伸ばしまくってました。
とにかくなんでもいいから借りてくれみたいな時代でした。
粉飾と汚職が根広く社会に蔓延していった光も影も強い時代でした。
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この回答へのお礼

ありがとうございました!

お礼日時:2012/08/02 15:20

現在は大変厳しい雇用情勢となっていますが、バブル時代は正反対で、企業があの手この手を使って新卒の学生を確保しようと躍起になっていました。

大手企業では説明会にきた学生に土産を持たせる、高級レストランで食事をおごってもらえる、他の会社の面接を受けさせないため研修の名目で海外旅行に連れて行く・・・などなど。

織田裕二主演の「就職戦線異状なし」という映画でもそういった様子が描かれていますが、多少の誇張はあるにしても大手企業ではああいった感じでした。地方の中小企業にはさすがに無理でしたが。
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この回答へのお礼

ありがとうございました!

お礼日時:2012/08/02 15:19

お金がありすぎて、お金を捨てる人達がいました。

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この回答へのお礼

ありがとうございました!

お礼日時:2012/08/02 15:18

バブルへGOという映画を見れば非常によくわかると思いますよ。



私はバブル世代なのでとても懐かしく見させていただきましたが、私の息子などは、「こいつらどんだけ金持ちなのよ」と驚きながら見ておりました。
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この回答へのお礼

ありがとうございました!

お礼日時:2012/08/02 15:17

 お金を使うことが当たり前の時代。

今では考えるのは難しいほどに。なんにでも高い物を選んでいた。私自身終わりかけに就職できたから良かったけど。弾けだした頃から大型投資は減っていったからね。大型コンピューターの部署は閑古鳥鳴いた。
 不動産屋のばか息子が目立った。親も馬鹿だったけど。 数ヶ月毎に自転車が変わっていたな。高校生の時だったけど。
 居酒屋でメニューを見て、ここからここまでという注文もあったらしい。

 私自身は給与の低いところだったから恩恵はあまり感じなかったけどね。金を持っている人達は金額を気にしないで買い物を楽しんだりしていたようだから。
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この回答へのお礼

ありがとうございました!

お礼日時:2012/08/02 15:15

バブルとは経済が実態より過大評価され、過大評価された資産を担保に銀行はどんどんお金を貸し、それがさらに資産の高騰を招いた。

庶民でさえ億円以上の資産所有者はざらにいた。資産効果で消費が盛り上がり高級ブランドはどんどん売れた。ところがバブルが弾けると現実に気が付き資産売却が始まり地価や株価は暴落し、銀行は融資の返済を迫り破たんするする会社や個人が急増した。物は売れなくなり物価は下がりっぱなし。

株価が今の4倍。
土地価格は今の3倍。
就職難はなく採用難の時代で学生は勉強せず遊び呆けていた。低レベルの人材供給は今後の日本を衰退させる恐れがある。
歓楽街は一晩中客が絶えなかった。タクシーは忙しく捕まえられないので1万円札を振って止め、現実に1万円のチップがもらえた。公務員でさえ霞が関から千葉房総までタクシーで行き待たせ温泉に入り霞が関に戻り仕事をしていた。もちろんタクシーは公金で。

バブルの象徴がジュリアナ東京http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A5% …。余談;ムシコナーズという商品のコマーシャルで肥ったオバサン3人が踊っていますがこれはジュリアナのパロディです。分からないかな。
企業の接待もすごかった。営業費や接待費で社員は豪遊。
銀行は財務(当時大蔵)官僚にノーパンしゃぶしゃぶ接待し(銀行にはMOF担という銀行局接待係がいた)露見し、これが遠因で大蔵省が解体され財務省になった。
税収は上がったが無駄使いで借金は減らず、バブル崩壊の後始末で借金急増し現在借金1000兆円までにしてしまった。

民間、国、地方問わずモラルハザードでデタラメの時代がバブル。日本をすっかりダメにした。

中国の脅威が増しています。若い人、国と何かを考え足を地に付け一から頑張ってください。
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この回答へのお礼

ありがとうございました!

お礼日時:2012/08/02 15:14

バブルの時代の実際に体験した例をいくつかあげてみましょう



1学生の就職
 完全に売り手有利で、学生は誰もが早々と内定を得て
 そのうえ、企業側は辞退されることを恐れ、囲い込むために
 海外旅行などへ行かせて、ほかの企業から横取りされないようにした。

2株の売買
 一般の主婦までが株式売買に参加し、とにかく
 上がる一方なので働くよりもそれと同じくらいの
 お金は稼げた。

3不動産
 これが第一の事柄ですが、特に都会などでは
 小さな長屋のような「家」でも億の単位で売れた件を
 知っています。

今から思えば日本中が狂っていたとしか
思えないような時代でした。
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この回答へのお礼

ありがとうございました!

お礼日時:2012/08/02 15:14

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