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興味はあります。私自身心が弱く誰かにすがりたくなることもあります。宗教は神や仏に救いを求める人が信仰するものだと認識しています。うちは父が他界したばかりで母も長く車椅子生活を送っており、そのせいではなく私は嫁に行けず出産適齢期もとうに過ぎています。がしかし、話しやすい人につい自分のことを話すことはあっても、その人の勧める宗教に入信したいとまでは思えません。でも、エホバの証人、創価学会、霊友会、他仏教系2種、神道、宗教ではないらしいが倫理といろんな方がいろんな形で誘ってくださいます。お寺や会館について行ったこともありますが、これだけとは決められません。どうせ信仰するならうちには仏壇もありずっとひとつのお寺の檀家なのでそこの和尚様に機会あるごとに説法もいただきお経もついて読んだりすることでも宗教してるなーと思えています。それなのにそんな私に批判がましく、強引に自分の信仰を押し付けようと仲間まで連れてきて宗教行為を強要されるのには、いくら友だちでも上司でもうんざりします。嫌なことも言ってしまいます。今まで金銭の要求はされたことがないのでいい宗教だとは思いますが、拒否ばかりすると罰を与えられるのではないかと思うほどの脅しとも取れる言葉はあります。「ただあなたの幸せを願っている」と大切な人にも言われたことがない言葉はとても気味が悪くきこえます。どれかに入信しなければいけないくらいならその方々との一切の関係を絶ってもいいと思っていますが、そのことによってもたらされるかもしれない災いまで受け入れる覚悟って難しくないですか。

A 回答 (11件中11~11件)

宗教は歴史的に人に生き方を教えてきました。

神道は人智の及ばない領域での神の力添えを願う宗教です。無病息災、家内安全、五穀豊穣、大漁祈願、夫婦和合、大願成就、学業成就、安産祈願。それが神道です。おかげさまで今年も米が採れました。その喜びを神に見せるのが祭りの意味です。歌と踊りで体全体で喜びを表現して神様に見てもらおうとしたのが、祭りなのです。一方、仏教は日本人に心のあり方、暮らし方を教えてきました。災いは煩悩から生じる。どうすれば煩悩にとらわれない心を持てるのか。それが仏教です。こうして神道と仏教は相互補完的に車の両輪のように日本人を教化してきました。

しかし西洋では必ずしもそうではなかった。宗教改革直前のローマ・カトリック教会は無邪気な信者を食い物にする悪徳商会みたいなものになっていた。教会が発行する免罪符を買えば、罪は許されるというセールストークで売りさばいた。そんなこと聖書のどこに書いてある?ルターはそう疑問を唱えて宗教改革が起こった。

今日の新興宗教の中には、宗教改革直前のローマ・カトリック教会のような教団があります。まさに無邪気な信者を食い物にしている悪徳商会です。といって私はローマ・カトリック教会を否定しているわけではありません。ローマ帝国から蛮族と蔑まれたゲルマン民族を文明人に教化した歴史的役割は否定できない。また西洋人は教会から食い物にされたことで疑うことを覚えて近代科学にも目覚めました。教会が果たした功罪はどちらも否定するものではない。

では日本はどうか。日本では宗教改革が起きず、疑うことを覚えず、近代科学にも目覚めなかった。そのまま現代日本に至っています。日本の学問は、東洋あるいは西洋から輸入し、まるで聖書のように日本人に叩き込まれたのです。学問的方法論でなく、宗教的方法論で日本人は教育されている。

だから日本人には新興宗教、悪徳商会に対する警戒感が微塵も育っていないのです。私は決して宗教そのものは否定していない。しかし悪徳商会に組するものでは断じてない。

質問者さんがどういう生き方を選択するか。それは質問者さんご自身でよくよく考えられたい。私は決して新興宗教の教祖になどなるつもりはないからです。
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この回答へのお礼

とても知識にあふれたご回答ありがとうございます。教祖を目指されない回答者様こそを師とあおぎとうございます。父は太陽熱温水器と床下乾燥機に、母は蟹と青汁に、私は布団とボイラーと男性に財産をつぎ込んでしまいました。今さら宗教にまで支払うお金は作れないと思いますが・・・宗教も学問として、歴史に沿って、哲学とも比べて学んだら自ずから生き方がみえてきそうなんて思っちゃいます。複雑で深いですね。もっと勉強してみたいですが、難しい本を読むよりこうして教えて頂くと身に付きそうです。何度も読み返してひとつずつ理解してゆきます。

お礼日時:2012/10/18 01:37

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