メモのコツを教えてください!

小学2年生の娘と小学1年生の息子を持つ母親です。
1年生の息子について質問なんですが、息子はとっても怖がりでいまだに怖くて1人では横断歩道を渡れません。
朝は登校班で行き、帰りは学童保育で私が迎えに行くので1人で横断歩道を渡る機会はあまりないのですが、練習の為に「ママは見てて上げるから1人で渡ってごらん」と言って1人で渡らせようとすると途端に泣き出して渡れなくなってしまいます。

もちろん入学前に何度も何度も通学路を歩き横断歩道の練習をしました。
それから息子は歯医者も泣きべそかいて1人ではダメです。
歯科衛生士さんに「幼稚園生でも泣かないよ」って言われてもいつもママが側に座っていないて治療ができません。
横断歩道については命に関わる事なので突き放す事も出来ずに今に至りますが、同じ年のお友達などは1人で学校から帰ってきますし1人で自転車で外出している子もいます。
歯医者や横断歩道・・・過保護すぎるのもどうかと思いますが、どこまで突き放していいか悩んでいます。
同じ様なお子様をお持ちの方はいらっしゃいますか?また、何歳頃から1人でお出かけしましたか?

A 回答 (7件)

#6です。

返答ありがとうございます。

ええ、確かに親は親なりに僕の事を考えての結果なんだと思う。
ただ、もはや感謝なんか出来ないんだな。結果がこれなんだから。そして、一番最初に受けた教えが「何でも一人でやりなさい」なんだから、むしろ僕はこれを忠実に守ってると言いたいぐらい。

こうなっちゃうんだよ。
思わないか?じゃあ、貴方が誰か無能なお節介焼きにあれこれ引っ掻き回されて、邪魔されて。それは貴方の為を思ってだとしても、それで感謝出来るか?お返ししたいと思うか?思わないだろ。

こんな風に曲がっちゃうんだよ。でも、言わせてもらえばこれは防衛本能なんだよ。こうでもならなきゃ生きていけなかったんだ。理不尽で、納得行かなくて。


ごめんなさいね。
でも、貴方のその言葉は嬉しかったとも感じる。ありがとう。
そうだよね、僕の事を考えていたのは本当の事なんだもんね。それは一つの救い。親から愛されていた、と確認出来るのは救いだよ。
ただ、こういう事を今教えてくれたのは貴方であって(ありがとう。)、僕の親じゃあない。

僕の親は教えてくれなかった。
貴方は自分の子供に教えてあげて下さい。それが一番だと思います。
で、今現状でも十分教えてあげられていると思いますよ。それで十分なんだと思いますよ。
周りの子がどうとかは気にしないで。貴方の子供は特に気にしなくても真っ直ぐ普通に育っていきます。そうやって普通に育てば、それで十分なんですよ。あとは子供が自分で考えるから。
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この回答へのお礼

回答者様の気持ち、痛いほどわかります。
親の育て方でそれほど子供の気持ちが左右されるとは・・・
改めて責任を感じました。ただ、だからといって肩の力を抜いて「木の上に立ってみる」ですね!

ただ、回答者様のご両親の気持ちも痛いほどわかってしまい黙っていられずでしゃばってすいません。

きっと回答者様のご両親も子育て真っ只中はただただ無我夢中だったのでしょう!
親子の関係がどんな形であれ、子供を愛していない親はいません。
これがもう一度いいたくてお礼の欄から失礼しました。
こちらこそ、回答者様の言葉に救われました。
ありがとうございました。

お礼日時:2012/10/27 21:29

子供の立場から回答すると、その内嫌でも自立心は芽生えるから心配する必要ないと思うよ。


誰にでもその内来る自立の芽を摘まない、ってスタンスでいるのが吉だと思う。自立心を”芽生えさせる”とかじゃなくてね。


逆に言うとさ、僕なんかは逆のパターンと言えるのだろうと思う。
小さい頃は「何でも一人でしなさい」と言われて育った子供だったよ。きっと貴方の息子さんみたいに、頼りたい甘えたい性分だったんだろうけどね。
そうやって突き放しても、まあそれなりに育つもんは育つんだ。事故にもそうそう遭わない。だって、親が突き放してもその他の周囲の人が気に掛けてくれるからね。車だって、なにも人を狙って進んでくるわけでもないしさ。
問題はその後。小さい頃は突き放されて育った。それでもそれなりに育った僕は、まあそれなりに自立心も芽生えてきて・・・それなりに親をうざいと思う心も出てきて・・・。
その後も普通に考えれば放任主義になると思うだろ?でもそうじゃなかったんだなぁ~。今度は何故か過干渉に転じた。違和感感じまくりだったよ。
子供の立場からすると、これはウザい。ウザい事この上ない。「何でも一人でしなさい」「一人で出来るでしょ!」と言われて育ったこの僕がだよ?今度は何でも一人でさせてもらえなくなった。小さい頃の教えが完全に無駄になってるわけだ。最悪だよ。二律背反とはまさにこの事。正直言って辛い。生き辛くて仕方ない。ええ、不幸ですよ。

こうなったカラクリは何となく分かる。
小さい頃に何でも一人でしようと思っても限界があるよ。傍から見て危なっかしいところも多分にあっただろう。事実、僕はいじめられっ子だった。誰にも頼れないし、逆に一人じゃ何にも出来ない子供に見えただろうね。(実際、本当のところはそうだと思う。一人じゃ何も出来ない。でも、それって当然の事なんじゃないのか?それに、言わせてもらえば、それでも僕は他の子より出来る子だったのは間違いないよ。一人でどこにでも行った。群れる事はなかった。「出来ない」とは絶対に言わない。まあ、友達はいないんだけどね。本当は甘えたかったよ。助けて欲しかったよ。それでも何でもかんでも無理矢理にでも一人でしたよ。)
今度はそれじゃいけないと親が思ったんだろう。放任主義が間違いなら、じゃあ今度は過干渉だってね。考え方としては間違ってない。極端過ぎる事を除けば。

思えば、初めっから過干渉だったんだと思う。無理やり自立心を芽生えさせようと強い子に育てようと放任して。それが能力的に間違った方向に行ったから今度は干渉して。自然の流れを無視してたんだと思う。
放任なら放任で初めから終わりまで貫けばよかったんだ。そう思う。
だって子供には子供の人格があるし、ある程度育てば自分の身の振り方は自分で考えるようになる。放任の環境なら放任の環境なりに、それに適応して生きていくさ。
そこを環境を下手にこねくり回そうとするからおかしくなる。子供は何を信じていいか分からなくなる。結果、おどおどした子供が出来上がるってわけ。


自分語りになってしまって申し訳ない。まあ、でもこれは実話、実物だから参考にして欲しい。

僕は自然のままが良いと思う。
自然のままってのは、子供はやっぱり子供なんだから甘えたいし頼りたいのは当然だって事。で、子供が成長して大人になれば、その時は甘える必要も頼る必要もなくなるから勝手に自立するよ。
子供が頼ってくる内は、それに応えてあげて良いんだと思うよ。今現状それが出来ないってだけの話なんだからさ。
周りの子は・・・って言うけど、小学生なら差があるのは当然の話。年数で分類してはいるけど、そんなそんな画一的に子供が育つものなら誰も苦労してないって。例えば6年で一人前になる子供と、8年で一人前になる子供がいるとする。2学年違うよな?でもさ、それくらいの違いは普通にあると思うよ。社会人とか見てみなよ。2年程度成長が違うなんてのはよくある話じゃん。出世だって10年以上違うなんて普通の話じゃん。子供だってきっとそうだと思うよ。子供の内はそれがはっきり見えてしまうだけ。


貴方の子供は貴方の子供。他の子は他の子。違って当たり前なんだって。
で、子供の時の差なんて能力的に言えば大人になったら無視できるレベル。
大事なのは、その差が子供にどんな感情体験を与えるか。それが本当は大きく影響する。
挫折を味わえば、それは大きなトラウマになる。出来ない子だと言われれば、その子の役割は「出来ない子」になる。本当に大きな影響。
ただ、そういう感情体験は能力の高低に関わらず、ある程度自由に操作出来る。要は、親がそういう事を言うかどうかだけの話なんだから。言わなきゃいい。ただそれだけの簡単な事。

親って漢字は「木に立って見る」って書くよね。実際そうだと思うよ。見てれば良いんだと思う、基本的に。口も手も、自分からは進んで出さなくて良いんだと思う。逆に、故意に口も手も出さない、なんて事をする必要もないと思う。
子供を真っ直ぐに育てる、ってそういう事だよ。複雑な話じゃない。
子供が今頼りたいなら手を貸してやればいい。それを拒む理由はどこにもない。まあ、親側の事情はあるだろうけどな。手が空いてないとか。それならそれでいい。ただ、そこに恣意的なものを入れる必要はない、って事だ。

逆に、よく分からないなら複雑な事をするべきじゃない、とも言える。
下手にこねくり回しても、僕のように育つだけで何も良い事はないと思うよ。
頼りたい時は頼らせりゃいい。で、手を貸せるなら手を貸してやればいい。その時、子供は感謝の心を学ぶはずだ。
それって上等な事じゃないか?それこそ、親が教えてあげるべき事なんだと、僕は思うけどな。

そして、時が来たら手を離してあげる事。
いや、今まで言った事を本当に行うならば、それは最初っから手を掴んでなどいないんだとも思う。
手を掴んで「あれやりなさい」「これやりなさい」じゃ子供は萎縮するからな。それは何も物理的な話じゃなくて、精神的な話。要は子離れ、って事だ。
子離れとは手を貸さない事じゃない、あれこれ変な気を回すのを止める事だと思うよ。

この回答への補足

何度もすみません。
再度補足欄から失礼します。
回答者様の苦悩、とてもよくわかりました。
ただ、親の立場からお話しさせて下さい。
回答者様のご両親もきっと回答者様の事を思っての行動だったのだと思います!
回答者様の本意でなかったとしてもご両親の回答者様への愛情をしっかり感じていただきたいです。

そして、今の状況がとても辛いという今の気持ちを是非ご両親にぶつけてみて下さい。
例え意見が合わずに衝突しても、ご両親はきっと回答者様の気持ちを知りたいはずですし、気持ちを受け止めてくれると思います。
回答文を読ませていただいた私の個人的な解釈ですので、「別にそんな事はない」って言う場合は聞き流して下さい。

なんだか、偉そうに聞こえたらすいません。

補足日時:2012/10/27 20:50
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この回答へのお礼

回答文読ませていただきました。
今の気持ちを言葉でうまく表現できませんが、回答者様の気持ちを素直な言葉で聞かせていただき大変感謝しています。

親って漢字は「木の上に立ってみる」
この文章につきますね。
本当に胸にしみました。
ありがとうございました。

お礼日時:2012/10/27 20:31

小学3年の息子の母です。



我が子も、同じような感じでしたので、気持ちは分かります。
私も、悩んでいた時期もありました。

一人っ子でもあるので、どこに行くにしても、お友達や私が一緒でしたし。
小学生になっても、1人では遊びにも行けない状態でした。

だけど、親の心配を余所に、子供は子供なりに、知らない所で成長もしているものですね。

学年が進むにつれて、何が危ない、何をしなければいけない、を自分で考えて行動するようになり。

今では、何処に行ったのやら、私が探す方です(^_^;

他の方もおっしゃっているように、自分達のペースで良いと思います。

ゆっくり見守ってあげてみて下さい(^-^)
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この回答へのお礼

同じ様な経験がある方のアドバイス、とても安心しました。
「学年が進むにつれて、何が危ない、何をしなければいけない、を自分で考えて行動できるようになる。」
本当にこうなってもらえたらいいのですね。
焦らず見守って行きたいです。

お礼日時:2012/10/27 20:19

そのような子供は慎重なのです。

だから無理に強制しないでその日が来るまで気長に待ってて下さい。もしできた時は天に上るほど誉めてあげて下さい。個人差があります全然心配ありません。

この間床屋で小学校3年生位の子が椅子に座らないのです。そうして幼児用の椅子を持ってきて,こちらで散髪しました。その原因は隣に怖そうな人がいたからです。だから無理に押し付けないで見守ってあげて下さい。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
回答文読ませていただき安心しました。
無理に突き放すことなく見守っていていいんですね。ありがとうございました。

お礼日時:2012/10/27 19:04

友人のお子さんでそのような子がいました。


母親は小学校の教員をしています。
お姉ちゃんはとてもしっかり者ですが、妹の方はいくつになってもお母さんの傍から離れられないような子でした。
人見知りがはげしく知らない人ばかりの中に入って行けなかったり、小学校4年くらいまで一人で行動できない事の多い子でした。

お母さんはこれを子供の特性と捉えていました。
この子は他の子とはちがう。無理に突き放しても良いことはない、と。
丁寧に子供の要求に応えたり、安心できるよう説明したり、傍で見ていても大変だなと思いましたが一生懸命向き合ってる様子でした。
彼女はその後、研修を積み学校教育の現場を離れ発達障害のお子さんに関する相談員として仕事をしています。
彼女は言います。日本の教育は平均を求める教育だと。
なんでも普通にできる平均的な子が評価される。
でも実際には障害とまで行かなくても平均からはずれてしまう特性を持った子がたくさんいる。
そんな子達に対応できる教育体制がない事に常日頃疑問を感じると。
他の子と違うことがはたしていけない事なんだろうか?
平均的であることがなぜことさら評価されなければならないんだろうか?と。
ちがって何が悪いんだろう、と。

お子さんは中学にあがりました。
「環境次第でこの子はいつ不登校になってもおかしくない子」と彼女は言います。
良い友達、良い先生、良い環境に恵まれることを祈りつつ、家ではしっかりと向き合い続けることを続けています。
そのせいか特別何かのトラブルが起きたことはありません。
親の受けとめ次第で子供は救われるし変われるのではないかと思います。
余談ですがこの子が小学校に上がる年に父親が病気で他界しています。
それも影響していたかも知れませんね。

長くなりましたが、他の子と比べることにはほとんど意味はないと思います。
甘える子にはしっかり甘えさせることが自立を早める事につながるのではないでしょうか。
お子さんは不安がっているのですから、しっかり安心させてあげてはと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
やはり周りと比べてはいけないんですね。
頭ではわかっていても「何故うちの子だけできないの?」って思ってしまいますが、横断歩道の事だけでなくこれからは周りと比べる事なく子供としっかり向き合っていきたいと思います。

お礼日時:2012/10/27 19:01

 小学1年生だと母親からの言葉による安心の享受があって、始めて自分で何かが出来る。

と、いう年代です。

横断歩道が1人で怖くて渡れない、という現実の問題でいえば、子供さん横断歩道の渡り方を母親と一緒に練習したのだが、1人で渡るのは怖い。と、感じていらっしゃるのです。思うのではなく感じていらっしゃるのです。

横断歩道を渡るときは、信号が青になってから渡るのである。まず、右手を上に上げて、右を見て、次ぎに左を見てもう一度右を見て、車が止まったのを確認してゆっくりと渡るのである。と、いうことをお母さんと一緒に練習しなければなりません。

更に、なぜ信号が青になってから渡るのか。なぜ、右見て左みて更に右をもう一度見るのか。そして、走っては渡るとなぜいけないのか。これらの行動の理由は命に関わることである。安心安全のために行うのである。と、いう説明を子供さんが納得するレベルで説明しなければなりません。子供さんが納得しなければ、お母さんの説明に不安を覚えているのです。

更に家の中での子供さんとの関わり方も問題があるのではないでしょうか。どういう問題かというと、ひと言で言えば言葉不足です。子供さんが納得するように、或いは大切なことだが今は詳しく説明しても分からないだろう。と、いう判断で子供さんに伝えるのを放棄されている。と、いうことが窺えます。

突き放すのではありません。逆なのです。大人でもそうですが、初めて行く場所には分からない、という不安が付きまといます。案内人がいると安心します。それと同じで、子供さんは横断歩道を渡るときの安心の仕方を教わっていないのです。説明不足なのです。安心のイメージが浮かばないので母親の元を離れると不安なのです。

同じ年令の子供さんで、あなたのお子さんよりもほったらかしにされている人でも横断歩道を平気で渡れる人もあります。子供でも人それぞれなのです。一列に並べて考える必要はありません。あの子は出来るけれどこの子はまだ出来ない。これが社会です。焦らずに子供さんがどうすれば安心するのか、これが基本ですのでこの事を考えてあげてください。自立以前の問題ですよ。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
なるほど、何度も練習したとしても子供には説明不足だったのかもしれませんね。
普段の生活でも子供の目線にたって説明してあげなければいけませんね。
これからもしっかり向き合っていきたいと思います。

お礼日時:2012/10/27 18:52

高校3年生の息子を持つ母親です。



>帰りは学童保育で
質問者様はお仕事をしていらっしゃるんですね。
お子さんは、
「何でも一人でできるようになってしまうと、ママがもっと遠くに行っちゃうのではないか?」
と不安なのではありませんか?
「1人で帰っていらっしゃい。」
「1人でお出かけしなさい。」
「1人で歯医者に行っていらっしゃい。」
と言われると思っていませんか?

お子さんが安心するまで傍にいてあげてください。
そして、たくさん褒めてげて、たくさんスキンシップをしてあげてください。
そのうち安心して、1人でできることを自慢しに来ると思います。

うちも甘えんぼでしたが、小学校3年生ごろには生意気になってきました。
今ではすっかり大人になってしまって、甘えんぼだったことが親の私ですら思い出せません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
無理に離さず側にいていいんですね。
子供が安心出来る様にこれからもしっかり向き合っていきたいと思います。

お礼日時:2012/10/27 18:54

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