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アメリカ在住の、小学一年生の息子がいる母親です。
息子は平日は現地校、週末は補習校に通っています。

息子の補習校の宿題を見ていると、ひらがな、カタカナ、漢字などの
なぞり書きや、文字の練習は本当に細かくて厳しいです。
内心「え~これでもダメ??」と私の方が思ってしまうほどで、
漢字テストなども、なかなか100点がとれません。

逆に、現地校の懇談や参観に行って、子供達が書いたレポートなどを見ると、
「えっ?うちの子ってかなり字は上手な方?」と驚いてしまうくらいです。

正直、夫も私も
「漢字や文字って読めればいいんじゃないの?」
「言葉や意味を知らないのは困るけど、止めや、はらい、はね。って
書き直しをさせるほど大切なこと?」
「いまじゃ~会社でも、自筆で書くことなんて皆無だしなぁ~。」
「学校(現地校)では、先生はスマートボードを使用し、パソコンの授業は幼稚園から結構
あるし、学年が上がるほどレポートはパソコンで作成しているのが現実。
今に日本もそうなると思うよ。」
なんて会話がなされています。

数年後には日本に帰国予定なので、息子には上記のような事は言わずに、何度も書き直しをさせて、宿題を仕上げています。
息子は字の練習が嫌いで、毎回泣きながら宿題をし「字の練習の宿題があるから、補習校嫌い。」と言っています。

何故、字がきれいでなくてはいけない。見本通りに書けないといけないのでしょうか?
丁寧に書けたら、それで良しというわけにはいきませんか?

A 回答 (8件)

 基本的には質問者様のご意見に賛成です。

文字は記号なので、他と識別できればよいのです。質問者様のおっしゃる「丁寧に」というのが「正確に」であれば、文字としての要件は満たされています。

 ふた昔前に「丸字」というのが女子の間で流行したことをご存じですか。あれは文字として許容範囲と言えるのでしょうか。私は、友達うちという狭い社会では許容範囲である、と思います。ただそれは、その社会の外には出すわけにはいかない。許容範囲を超えるからです。

 では、日本の文字としての絶対の許容範囲というのがあるでしょうか。誰が見ても100%、「あ」は「あ」と読める、「木」は「木」と読めるというような。たとえばこの「木」という漢字、ある書体なら縦棒の下は少しはねますね。ではどちらが正しいのか。どこに基準を求めればよいのか。

 日本の文字は筆で書くことからスタートしました。書き方のお手本の字は、それを元にしています。とめはねはらいなどは、その名残です。しかし昨今の機械で作る文字は、必ずしもそうではありません。しかし、誰でも読めます。それを根拠にすれば、「文字は読めればよい」と言えます。

 ただ、他の回答者も言っているように、文字にはそれ以外の要素もあるのです。人柄を表す。よりよく伝わるかどうか。また練習の厳しさに耐えきれる人物になれるかどうか。
 音声言語で考えてみましょう。大の大人が「マミー、マンマ作ってちょうだい」伝わったでしょうか。伝わりますよね。これはOKですか?丁寧に言ったつもりですが。
 ある時期になると、幼児の言葉から大人の言葉へと修正していくでしょう。音声言語はそれがたやすいのです。しかしいったん身に付いてしまった文字は、なかなか修正できません。大人のペン習字講座なんてものがあるのもそのためです。先生は、鉄は熱いうちに打てと考えて、厳しくしつけているのでしょう。またそれに耐えきれる人になってほしいという願いもあるのかもしれません。

 私なら。
 自分(親)の許容範囲で宿題を終わらせさせます。100点だろうが30点だろうが気にしません。そこでの成績はお受験に影響もしないでしょうし。
 ただ、お子さんが身につけた文字については責任をもってやってください。ペンの持ち方、お箸の持ち方も、親の責任です。(どうやって責任とるのかはわかりませんが。)字は一生ものです。その覚悟があれば、「丁寧に書けたら、それで良し」です。

 でも一度、その先生のお考えを聞きに行ってこられたらいかがですか。納得のいく教育方針が聞けるかもしれませんよ。
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海外在住歴がある女性です。

中華系の由来をもつ人が結構在住する地区にも住んでおりましたが、それまでは普通の対応だったのに、署名を見た途端、ほぉぉお・・・ いや お見それ致しました という反応になり、以後対応が変わったことが何度かあります、医師等も含めてです。日本以外にも、「書は人なり」の文化を持つ人はいるんだなぁと感じ入りました。

それだけと言えばそれだけです。「それだけ」と思う人か、「だからこそ、そこが大事」と思う人かというだけですよ。後者の発想は、最低限必要な部分は誰でも整えてくるが、必須ではない部分だと一気におろそかにする人と、そこまできちんとできる人の差が見えてくる。表面が同じでも、本質の違いがそこでわかる、というものです。


単純な基本ほど、大きくなってから直すのは大変なのは事実だと思います。箸の持ち方や食事のマナー、言葉遣いや発音と同じです。
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 質問者様も御伴侶の方もかなり誤解していらっしゃるようですね。

「いまじゃ~会社でも、自筆で書くことなんて皆無だしなぁ~」「(アメリカがこうだから)日本でもそうなると思うよ」。これ本当に社会常識として通用すると思いますか?。会社と学校は違う性質の場であり、アメリカがそうだから他もそうなるとの保証はどこにもありません。英語のキャラクターにドイツ語のエスツェットやウムラウト、フランス語のアクサンテギューがありますか?
 英語で使用される文字はアルファベット52文字ですが、日本の文字は仮名もあれば漢字もあり、更にはローマ字表記もある。そして漢字には表意文字と形象文字があり、形で構成し偏と旁に分かれる。旁が同じならば訓読も同じ可能性が多分にあると類推して読み書きすることも可能です。それには意味を理解せねばならないでしょう。
 そして「点・止め・払い」の意味は「正体楷書」として的確な文字を書くためには必要な事項であり、止めるべき部分は止める、出るべき部分は突き抜けなければ他の文字との識別が困難になる場合も多々あります。たとえば「五月」の「五」を乱暴にかいて「丑」のように見えてしまったら意味を相手に伝えることができるでしょうか。また相手から「あの人、英語は確かに堪能かもしれないけれど、この字子ども並みね」と笑われる可能性すらあります。
 そして正体楷書での漢字を書くには筆順(筆の運び方)を理解することが前提となります。文字全体の形をみて筆順が誤っていれば、文字全体のバランスも崩れてしまい、読みにくくなってしまいます。
 お子さんは小学校の一年生ということですから、まだ「文字の成り立ち」などにはカリキュラム上では触れていないはずです。ですから、自分がパッと見ただけでの形しか理解せず、形が同じならばいいじゃんと開き直りに近い姿勢を示す親御さんの言動を真似ているだけともいえます。自分が書いたものが他人からみればどのように見えるか。じぶんは「口(くち)」という文字を書いた“つもり”ではあっても、客観的にみればアルファベットのDに見えてしまう。それならばこれは口とは読むことができないとの結論にも至ります。
 質問者様は「見本」と「手本」の違いを理解されていますか?。やつがれには「悪いお手本」を示しているだけのようにしか見えませんが。
 まさに「文化の違い」を地で行くとはこのことですね。
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>数年後には日本に帰国予定なので、息子には上記のような事は言わずに、


>何度も書き直しをさせて、宿題を仕上げています。
日本の小中学校ではまだ習字の授業があると思うので、あんまり変な字を書いてると馬鹿にされたり、いじめのきっかけになることも考えられます。

>「漢字や文字って読めればいいんじゃないの?」
確かにその通りです。
最近は外国語が話せるということで帰国子女のアナウンサーが増えてきましたが、字は読めても慣用句の意味が判らない、使えないとか、難しい漢字を読めない、読み間違えたりする人もいて、ネットで揶揄されたりしています。アナウンサーみたいに正確な日本語が要求される仕事につかなければいいことなのかもしれませんが、微妙に日本語がおかしいと帰国子女ということで差別されるきっかけにならないとも限らないので、文字の書きとりもまったく意味のないことではないのかもしれません。
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>何故、字がきれいでなくてはいけない。


>見本通りに書けないといけないのでしょうか?

まだ幼い1年生だからこそ、
日本語が身近にない環境だからこそ、
「あるべき姿」を厳格にやらせているのだと思います。

電卓や全自動のレジがあるから計算はできなくていい。
パソコンやスマホがあるから字は読めればいいし、
分かる程度にかければいい。
ネットがあるから知識もなくてもいい。

これじゃ、学習する必要がないと言っているのと同じです。
(別にそういう意図ではないでしょうけど、
極論するとそうなります。)

丁寧に書けたらいい。というのはある程度
知識も学習も終了した大人のいうことであって、
小さいうちは、教えたことは何でも吸収できますし、
また、社会にはさまざまな決まりごとがたくさんある。
ということを学ぶことにもつながってます。

小さいうちから、字は読めればいいというような
態度で学習している人は大人になってから
人は読めないし、自分も読めないような字しか
かけない大人になりますし、

他人に迷惑さえかけなきゃいいんでしょ。というような
躾をされた人は、大人になってから人の迷惑顧みずに
自分勝手なことばかりする大人になります。

とめ、はね、、、を厳格にやらなきゃ教育じゃない。
というわけではありませんが、そういう教育がなされる
環境というのは貴重でありがたいものだと思ったほうがいいですね。
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>何故、字がきれいでなくてはいけない。

見本通りに書けないといけないのでしょうか?
別に綺麗じゃなくても、見本通りに書けなくても困りませんが、

>丁寧に書けたら、それで良しというわけにはいきませんか?
綺麗な字も正しい書き方も全く知らない状態で、どれだけ丁寧に書いても間違った字ですから、丁寧に書く意味が無い。

アメリカ人によるサムライやニンジャのものまねみたいなものです。ジョン・ベルーシのサムライデリカッセンとか。
偽物をそれっぽく真似ても偽物なので、絶対に正しくはならない。本物を知らなきゃ。

で、日本語ネイティブスピーカーが日本で生活している限り、正しい日本語を意識することは少ないですが、
アメリカで勉強する必要のある人の日本語は、正しい情報が少ないゆえに、古式に正しく厳しく勉強しないと身につきません。
言語はアイデンティティであって、民族性や文化ですから、アメリカンな日本語は、日本で通じる日本語ではない。

パソコンがあれば文字を書くことなんて少ないですが、その状態はパソコンがなければ日本語も必要がない生活であって、
パソコンがなくなってしまうと、それまで必死に覚えた日本語のほとんどが消失します。
パソコンが死ぬまでずっとあるわけじゃないのです。レコードもフィルムカメラもワープロもポケベルもタイプライターもそろばんも電卓も駆逐してパソコンに変わった時、それまでの特殊技能のプロ職種だったような経験が何度も意味をなくしてきたのですから。
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    #1さんと同じ意見です。



   僕は在米ですが、我が子が、例えば「口」を、一筆書きに左回りか右回りに書いてしまうのを見ると、「お前なあ、漢字には筆順ってものがあるんだよ」と言う方です。

    子どもの方は「字は読めればいい」というアメリカの主義ですが、アメリカと日本では「字」の意味が違います。日本で帰国子女の使い物にならない点は、○語が喋れても、日本語が書けないことです。

    仕事の関係でユダヤ系米人の友人が居ますが、やはり週末は補習校みたいな所に行ってヘブライ語を習うのが大嫌いだった、と言っていますが、今になっては、よかったと言うのが多いです。

    アメリカでも、中国人の仕事仲間から「お前は字(=漢字)がうまい」と言われると、お世辞もありますが、「字は人を表す」みたいな文化圏の人だと感じます。

    これから、ワープロでごまかせる西欧の力が枯渇し、中国中心の「字」を重んじる文化が台頭するかもしれない時、今は「うるさい」と思っているお子さんの気が変わる時は、もう遅いことになりませんよう。
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こんばんは。



丁寧に書けば、見本通りである必要はないと思いますし、略字でさえ
OKだと個人的には思いますが。

せめて小学生レベルは基本を学び、何が理想(100点満点)なのかを知
らないと、丁寧に書けるか怪しいと思います。


ちなみに。
大人になってもパソコンなどが使えない事も普通にあると思うのです
(履歴書は未だにワープロ不可としている会社(会社というかその会
社の人事部)もありますし、ラブレターの類はメールじゃ情熱が伝わ
らないと考える人もいます。電話を聞きながら取るメモをパソコンで
書いたり、丁寧に筆記する人間も少ないでしょう。書類関係で写しを
必要とする場合もありますし、本人筆跡としてパソコンなどを認めて
くれない場合もあります)。

パソコンとか使えばいいじゃんって意見は同意見ですが、日本ではそ
れだけではない世界もあると考えるべきだと思います。

以下雑談
初級シスアドもってます(情報処理の資格です)。
今の勤務先のグループホームには個人用パソコンがありません。この
資格、役にたってません。
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