プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

こんにちは。

最近つくづく思うのですが
子供のためにと一生懸命尽くしている親の子どもって
意外とダメというか、自主性がなくただ流されるままに生きている
ような気がするのですが、いかがでしょうか?

私の周りにも 学校ではPTAのまとめ役、毎日子どものお稽古の
送り迎え、食事も研究に研究を重ねた栄養食、日々子どものお勉強を
見てあげて、常に元気かつにこやか。

良妻賢母とはこういう人なのだと思う人が何人かいるのですが
意外とその子供は母親の意志を継いでいないいないというか
消極的でいつも不安や不満、心配事を抱えているような子が多いように
感じるのは 私だけでしょうか?

そして、母親がいつもあっけらカーンとしていて
あまり子供に関心がないというか(表向きはそう見せている?)
母親自身が仕事や好きなことに没頭していて子どもと共に生きている!
みたいな親の子どもは 大抵しかっりしているように見えるのです。

こういう親の子どもは、早いうちから自立するのでしょうか。

かくいう私も実は、どちらかというと前者の親のタイプなのですが
子どもはなかなか思い通りにはならないです。
理想が高すぎるのでしょうか。
子供を見ていると 歯がゆくてたまりません。

皆様のご意見をお聞かせ願えれば 嬉しいです。

A 回答 (9件)

>良妻賢母とはこういう人なのだと思う人が何人かいるのですが



悪く言うと子供のためにといいながら、
実は自分の理想を子供に押し付けているのですね。
子供の将来に依存していると言ってもいい。

自分がないから、関心が子供のことだけになるんです。
依存や束縛が強い分、子供も敏感にその雰囲気を感じ取りますから、
常に母親の顔色をうかがうようになります。

そうなると、不安や心配ごとを抱えたような顔に
なるわけです。母子の共依存体制ができがちです。

必ずそうなる。とは限りませんが、
昔から、教育ママタイプの親御さんには
そういう傾向が常についてまわります。

子供と距離を取っている人は、
天然か計算かによって違うでしょうけど、
どちらも比較的子供が伸び伸びと育ちます。
子供はちゃんと親を見ているんですね。
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この回答へのお礼

同感です。

出来る子どもの親の共通点として、他人に我が子の悩みを言わない
少しの失敗にこだわらず、常に広い気持ちで子どもを見守っている、

同じ失敗をしても、出来ない子どもの親は必要以上に悩みます。
暗いトンネルの中で出口を探すことなくさまよい歩いているようなものです。

そのような母親は、まさに自分というものをもっていないので
てっとり早く 目の前にいる我が子に依存するのも最もなことです。

それで、子どもも自分を無くし親子で彷徨うことになるのです

こう拝見しますと、親は子供を見守りつつ
一人の人間としての生きる喜び、楽しさを追求していた方が
互いに幸せなのかと 思います。

お礼日時:2012/11/13 07:07

そりゃね、子どもに限ったことではないですが、大抵の事は練習しないと上達しないのですよ。


だから子どもが自分で工夫してあれこれ考える前に、先回りして指示したり代わりにこなしてしまうようでは、子どものスキルは上昇しません。そいうのは親の努力ではなく、親の自己満足、更に言えば過保護ってものです。

子育てにおいては、子どもよりも特に優れている必要なんて実はないと思います。必要なのは子供の前に1歩先の目標を置き、競争相手になってやる事。1歳前後の子供に、アンヨは上手・・・って手を伸ばして導く感じです。子どもは大好きな親が一歩前にいるだけで手を伸ばし、自分で歩もうと頑張りますよね。でも、親が走る姿を見せても、親が子供を背負って走っても、親が手を添えて歩かせても、赤子の歩く力ってどれほど成長しますかね?
そんなものだと思います。

PTAなら、どんなことをしていて苦労に対してどんな工夫をしたか、子供と話してますか?
習い事でも、自分でも何か自己改革に努めて頑張っている姿を見せていますか?
栄養食与えるだけでなく、一緒に考えて一緒に作ってますか?。
宿題を見るだけでなく、それが日常生活のどんなところに生かせるか毎日の生活の中で示してますか?

あせらず、身近な目標であり続ければ、親子一緒に成長していけると思います。

~~~

親が仕事や好きなことに打ち込んでいると、子どもには親と同じようにやってみようと試行錯誤する余地と失敗する自由が存分にあるわけで、失敗を恐れずにやってみようという意欲が育っているのでしょう。
成功から学ぶことよりも失敗から学ぶ経験値の方が多いものです。
ささいな失敗を「何やってるの!!」なんてイチイチ叱られるようでは、子どもは毎日の生活の中で委縮してしまって、やる気なんて出てくるわけがない。子どもの失敗に、「おやおや、どうしたの? 一緒に片づけようか。 どうすればよかったのかなぁ?」なんて、子どもの目線で意見に耳を傾け、示唆を与えて次の行動に繋げるようにする。そういう「導くこと」が子育てだと思います。
時には厳しく、時にはおおらかに。でも基本は家族として寄り添って歩む。険しい道では親が先に立ってサポートし、広い空間では子どもの先行を見守り、時には一緒に手をつないだり歌でも歌ったりし、また時には逆に親も子供にお尻を押してもらったり。親子で生きるってことは親子のハイキングのようなものではないでしょうか。


> 子供を見ていると 歯がゆくてたまりません。
そんなものです。
でも出来ないところを探して嘆いても空しいだけで、子供の成長の上では出来たことを一緒に喜ぶってことのほうが大事。
あれこれ工夫して経験を積ませ、成長を発見して楽しむって気持ちが持てると、なかなか子育ては楽しいですし、子どもの目が何を見て何を考えているかを観察するってことは、時として親にも大きな示唆を与えてくれるものです。
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この回答へのお礼

貴重なご意見 ありがとうございました。

仰る内容はよく分かりますし、実際に第二子には
そういう育て方をしております。

私にとっても毎日が新たな発見の連続で、本当に充実しているなあと
感じているのです。
私が頑張って頑張って教えて教えて引っ張っていく第一子の子育てではなく
子どもの後ろから教えてもらう立場をとっています。

今後は、第一子も見守りつつ(私にとってはその距離感が大変難儀なのですが)
一個人であると自分自身に言い聞かせながら
二人の子育てを楽しんでいけたらと 何だか出来るかもしれないと
思う気になってきました。

本当にありがとうございました。

お礼日時:2012/11/13 22:26

どっちもどっちだと思いますよ。



>母親自身が仕事や好きなことに没頭していて子どもと共に生きている!
みたいな親の子どもは 大抵しかっりしているように見えるのです。

それって表向きはそう見えるだけで、母親の愛情に飢えてたり、いわば親が仕事や趣味に没頭してるから甘えられない「諦め」みたいなものから自立せざるを得ない状況ってこともあり得ますよね。

逆のタイプなら、子供の側にいすぎて逆に子供を自立させる機会を逃してしまったり(必要以上に世話を焼きすぎる)
側にいることに甘えて、実はイジメられていたりと大事なことを見過ごしてしまうとか、双方デメリットはあると思います。

子供の側にいる母親は、どこまで子供に踏み込んでいいのかセーブしながら見てあげないといけないし、
子供の側にいない母親は「自主性」を逆手に取って放任になってないか、きちんと見てあげないといけない。
どっちも同じ責任を持ってると思います。側にいたっていなくたって、間違った愛情の注ぎ方をしてれば意味ないし。

仕事をしていても、PTAや子供の勉強を見ていても、それは「対社会」としての仕事なのか「対子供」としての仕事かの違いだけで、
根本的なところは一緒だと思いますけどね。ただ「子供のためにやってるのに」って押しつけになってしまうのが一番どっちも悪だと思います。そういう意味ではPTAとかはそういう罠に陥りやすいかな。だからどっちが難しいといえば、私はPTAのまとめ役をきっちりやりこなすママの方が仕事してるママの方よりすごいなぁと思いますね。上記に書いたように自分の精神コントロールもしっかりしなきゃいけないし、子供同士の付き合いとか女同士の付き合いとか、仕事より人間関係がドロドロしてそうだもの(笑)

仕事をしていてその姿を見てるから私もワーキングウーマンになる!って感じる子もいれば、仕事ばっかりのママが嫌だったから私は絶対専業主婦になるって思う子もいるだろうし…。

母親が社交性があって、バリバリ行動的だわってタイプでも、子供は子供の性格っていうものもあるし、
「意志を継ぐ」って言うのはちょっと違うんじゃないかなと思います。
そのママだって子供に自分のようになってほしいって思ってやってるわけではないでしょう?

子供なんて思い通りにならなくて当たり前。子供は母親の性格そのまま丸写ししたコピーじゃありませんから。
どんな理想を抱えてるのかはわかりませんが、歯がゆくてたまらないと思ってる姿を見せることが一番ダメなことじゃないですか?
(実際目の前で見せてなくたって子供は親のそういう態度に敏感に反応しますよ)
もっと子供を一個人として認めるべきだと思います。
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この回答へのお礼

確かに~と思いました。

子どもと接する時はいつも「大丈夫?本当に大丈夫なの?」という
本心を隠そうとしても 見えてしまっているのでしょうね。

これは、もう私の病気かもしれません。
 
仰る通り、子どもを一個人として認めるべきなのは同感ですが
いつになれば出来ることやら

永遠の課題であるような気が致します。

でも、母親は常に明るく朗らかでいれば
しあわせ脳を与えられる事が出来そうです。

ありがとうございました。

お礼日時:2012/11/13 22:16

努力というものは、そもそも「賢く」「正しく」努力をしないとまったく無意味というかむしろ逆効果ですよ。



世の中には努力をする人、しない人色々いますが、どんなに頑張っていても方向が間違っていれば結果は出ませんね。確かにいますよ、習い事などさせすぎて幼稚園で暴れちゃう子とか。反面、正しく努力をしている人はちゃんと結果を出します。物事を見る時に、近づきすぎると大事なものを見落としますが、大切なのは常に全体を見て大きな画でとらえることでしょうね。
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この回答へのお礼

努力の方向性を間違えると、確かに親子そろって共倒れです。

それには、遠くから全体を捉える、常にそういう意識で子どもと接する
事が重要なのですね。

背筋が伸びたような思いです。

いつも手が届く距離にいますから
つい、目先の事でクヨクヨしたり心配したり不安になってしまいます。

これからは、肝に銘じて子供を育てていきたいと思いました。

確信を突いた貴重なご意見を
ありがとうございました。。

お礼日時:2012/11/13 07:37

貴方が遣らなければならない努力は、子供を突き放す努力と見守る努力。

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この回答へのお礼

頭が痛いです。

私がすべきは、子どもを突き放す努力
と 見守る努力。

突き放したら、どこまで落ちてしまうのだろう、、、
今、第一子にそんな感情を抱いています。
そう思うと第二子は、肩の力を抜いて育てていますので
理想の子育てが出来ているように思いますが、、、

見守るというのも言葉で言うほど簡単ではありません。

難しい問題です。
よく考えてみます。

もしお時間がございましたら
補足していただけると嬉しいです。

ありがとうございました。

お礼日時:2012/11/13 07:20

>そして、母親がいつもあっけらカーンとしていて


>あまり子供に関心がないというか(表向きはそう見せている?)
>母親自身が仕事や好きなことに没頭していて子どもと共に生きている!
>みたいな親の子どもは 大抵しかっりしているように見えるのです。

「子どもと共に生きている!」っていいですね。子どもにああしろこうしろというより、親がやっている姿を見せて「やってみる?」の方が良い教育です。口先でなく、親の生き方で子どもを育てるのが愛情でしょう。
勉強させたいなら親が勉強する姿を見せる、運動させたいなら親が積極的に運動する。子どもは親を真似て育ちますから、口先だけで育てられる子は口先だけの子になるでしょう。

ただ挙げられているのは行動もあるのですよね。
>私の周りにも 学校ではPTAのまとめ役、毎日子どものお稽古の
>送り迎え、食事も研究に研究を重ねた栄養食、日々子どものお勉強を
>見てあげて、常に元気かつにこやか。
子どもが自分からやりたいお稽古か、子どもが料理に関心を持ったときどうするか、お勉強はおもしろさが伝えられているか(親が勉強してると、子どもって「そういうことがおもしろいんだ」と考えるんじゃないかな)、PTAだったら子どものためじゃなくて、みんなのためにやっているか、それが子どもに伝わるか、その辺がポイントではないかと思います。あと「思い」の押し付けになっていないか。
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この回答へのお礼

親は、つい口先だけで注意し、それで満足してしまうところが
ありますね。

行動で示すというのは同感です。

差別でも何でもありませんが
私が子供の時、父親がサラリーマンの子どもと
職人さんや自営業で常に家に居た父親の子どもって
かなりの違いがあったように 思います。

勿論、後者の方の子どもは勉強も良くできてしかっりしていたような。

それから、口数の少ないでも明るくにこにこしている母親、
このような母親に育てられた子供って大概理想の子どもになるような
気がします。

口より先に行動ですね。
行動で生きていることの幸せを伝えられたらいいなあと思います。

お礼日時:2012/11/13 07:14

こんにちは。


前者の育ちかたには、私が見かけるには幾つかパターンがあります。
1、親が子供に依存するあまり、子供の気持ちを考えていない親御さん。

2、世間体を気にし、子供を人一倍立派に育てたい気持ちが強すぎて、子供がついていってない場合。

3、(1)(2)を含み、更に完璧を求め、お子様が非行に走るなどです。

他にも様々ありますが…お子様を育てるには少し放っておき、悪いことをしたら、その分はしっかり叱る程度で良いと思います。
「三つ子の魂百まで」と言葉があるように、躾は3歳までに済ませ、以後は周囲の流れに合わせて育てていくのが自然ではないでしょうか?
反抗期は2、3回必ずきますし、お子様にも自我がありますから、思い通りにいかない方が普通だと考えて良いでしょう。
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この回答へのお礼

そのようですね。 子どもの本来持っている性質を変えるような
事に没頭している母親が多くいるように感じます。

私も、この頃は我が子を全く別の人間だと思うような節が多々
ありました。
親の希望するような成長を遂げる子どもは滅多にいないでしょう。
抑圧され続けて育ったかたも多いのではないのでしょうか。

子供を育てるには、少し放っておき、悪いことをしたらその分はしっかり叱る
自分に言い聞かせる意味で複文させていただきました。

貴重なご意見を ありがとうございました。

お礼日時:2012/11/13 06:59

私も どちらかと言えば 前者ですね。

。。

現在 高校生の娘達ですが 塾には通っているし 週2ですがバイトもしている、部活もしてます。

栄養面迄は 一般的な知識しかありませんので 研究迄はしてませんが 普通の栄養かと。
そして 送迎もしてます。

自立しているか と言う事は まだまだ分からない事ですし 親の目でみてしまうので
社会人、結婚 とならなければ しっかりしているのか と言う事は 認識出来ないかもしれませんね。

幼稚園時代から 今も 送迎。。。
私の免許は 子供の為にあるのか って程です。
でも しなければ 私は不安になりますし 帰って来る時間に救急車の音がすれば心配にもなります。
ここまで育てて 事故でもあれば 一生後悔するのは 私自身でしょうから。

子供に期待 と言う事ではなくて 自分の後悔をいかに少なくするか を考えた方が良いと思います。

親に見せている面だけが 子供の姿ではない それは確かな事ですから。

子供は親の背中を見て育つ って事は 悪い意味で言えば 親のスキを探す って事ですからね。。。
良い所も 悪い所も 子供は探しますよ。

ちなみに 我が子ですが 消極的、いつも不安や不満を抱えているか。。。
と 言う事を考えてみたのですが
自分でバイトも探し、部活もやる、塾も辞めない、、、消極的だったらバイトは探さないと思います。
不安や不満は 心の中を覗ける訳では無いので 分からないですが。。。
大なり小なり 不満や不安は 誰しもあると思います。

言い方は悪いのですが 母親自身が仕事やスキな事をして没頭していたら
子供は自分で何でもやるしか 残された方法は無いと思います。
逆に母親が没頭していたら 子供が何をしているのか 何を考えているのかさえ分からないんじゃない?

中学の時の懇談会では 先生が
多少の問題は 何処の学校、どの学年でもあるのですが 大抵の発症元は 
このような懇談会には参加してないご家庭ですね
って言ってましたね。
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この回答へのお礼

子どもが成長していくと、愛情の伝え方も難しくなるのですね。

私が一番理想とするのは
親と子が面を突き合わしながら歩むのではなく
二本の道を遠ざかったり、近づいたりしながら極力平行に歩む

そんな距離が保てるといいなあと思っていますが、、、

ご経験に基づく貴重なご意見 ありがとうございました。

お礼日時:2012/11/13 06:53

我が子の為にサポートするのと、


我が子を機会にPTA等に活躍の場を得るのは違うでしょう。

母親の就労が子供の自立に役立つのは物心ついてからでしょうね。
特に女の子なら、女として参考に出来るでしょう。

ただし、幼児期の母親の就労は、その分我が子との接触が減るので悪影響ばかりです。
母親が幼少期からサポートした児童と、託児所や幼稚園で画一的に放し飼いされた児童では
感受性でも、思考でも、知能でも、対人スキルでも差が出ます。
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この回答へのお礼

そのサポートの仕方、子どもと程よい距離を保つのも
また難しいのでしょう。

そして、母として子どものためだけに ただひたすら生きるというのも
時と場合では 子供のとってかなりの負担になる。

感受性、思考能力、知能、対人スキルなどなど
いくら母親がサポートしても 元来の母親の資質がものを言うのでしょうね。

ありがとうございました。

お礼日時:2012/11/13 06:47

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