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南北朝分裂の時 三種の神器はどうしたのでしょう?
北朝の光明天皇が持ち去ったのか 南朝の後醍醐天皇が持ち逃げしたのか…
あるいは三個のうち何個かをどちらかが 残りをどちらかが という感じで分けたのか…

神器をもって正当な皇族皇統とするならば北朝の光明方に無ければならないと思うのですが…

A 回答 (2件)

三種の神器ですが、いわゆるそう呼ばれる物は「形代」、つまり本体からの分身のようなもので、それも剣は壇ノ浦に沈み、鏡も火災で焼失し、そのたびに新しい物が形代として受け継がれてきているので、本体とも言えないんですけど、それはともかくとして、この神器がないまま即位したのが源平の時の後鳥羽天皇で、神器は平氏に持ち去られ、安徳帝がいる状況で治天の君(最高権力者)である後白河院の推戴により即位しました、前例として継体天皇の事例が持ち出されましたが、神話の時代の天皇であり、真贋もはっきりしない話であり、後鳥羽天皇にとっては神器なき即位はコンプレックスになったようです。


南北朝の時も後醍醐天皇が神器を持ち去りましたが、北朝の天皇はこの前例にならい神器無しで即位し、両統の統一がなったのは3代将軍義満の時代で、とんちで有名な一休さんの父親の後小松天皇の手に渡りました。
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この回答へのお礼

そうなんですね★

お礼日時:2013/01/05 17:20

後醍醐天皇は足利尊氏の脅迫に屈して三種の神器を渡しましたが、渡したのは偽物だと主張しました。


実際は北朝にあったのが本物だったのですが、後に南朝に奪われました。
北朝は神器なしで即位するハメになったが、神器なしでの即位は前例があったので特に問題はなかった

という流れだったと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2013/01/05 17:19

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