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自殺を本気で実行しようとする者に敵無し、あとは何者かを道連れにしないことを祈るのみであるように思います。

そして自殺は誰にも止めることのできない、個人の最終的な権利でもあるようにも見えます。

自殺は主に人間の弱者のみに見られる行動で、一個の人間を限界を超えて追い詰め続ければ、その個人は間違いなく死にます。

マナーを守って自殺すれば、悪く言う人もいない、と言いたいところですが、まれに、その自殺によって不利益を被る、と考える者たちは迷惑がり、悪く言うケースも見られたり致します。

「不当に苦しめられた」 というメッセージが自殺に込められていた場合、苦しめた側は、反発・反論し、逆に自分たちの正当性を主張し、自殺した者を必要以上に卑しめます。

自殺をする時に気をつけるべきマナーを、どなたか教えてください。

A 回答 (12件中1~10件)

  >  自殺をする時に気をつけるべきマナーを、どなたか教えてください。



 臓器移植の準備をしてから。
 
  やくざを道ずれに。  
 
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2013/01/26 21:02

自殺のマナーですか。

。。

思わず考えました。

自ら死を選ぶその時は余裕などないでしょうね。

ただ、確かに死んでから周りが何を言おうが死んだ本人は知る由はありません。
それを聞くことになるのは家族、親類縁者だけです。

世間に一石を投じる場合もあるでしょう。
しかし、それは時と共に忘れられて風化します。

生きて死ぬという人の一生は、迷惑や世話を掛けずにいるということではないと思います。

お買い物に行っても、商品を作って陳列して売ってくれる人がいるということです。
「仕事だから」と言われるかもしれません。

それでも、誰も売ってくれなければ食べ物は口にできません。
生きているのではなく、生かされていると思うのです。

どうしても「死」を選択するのであれば、それがチラッと頭をかすめた段階で考えてみてはどうですか?

「誰にも迷惑をかけない死に方」を。

鉄道自殺の処理で貰えるボーナスなど、肉片1つで500円です。
ミンチですよ。人じゃなくて物です。
そんなものを拾いたい人などいません。
その電車に乗っていた乗客も、現場を目撃した人も不快です。
検死されますが、医師は時間をかけて復元できる部分を全て復元します。
家族や親族には損害賠償を請求されます。

そんな行為に勇気もへったくれもないエゴです。

家族は「どうして気が付いてやれなかったんだろう」そう悔み、自分を責めます。

葬式も「要らない」と遺書に書いても密葬ででも行うでしょう。

結果、自殺に誰にも迷惑をかけないなど有得ないのです。

これは、質問者と回答者との考えの違いではないでしょうか?
「自殺容認者と自殺否定者」
質問の答えに対しての返事から、自殺容認者と受け止められますが、
ご自身の子供が自殺しても何も悔まない、仕方が無いと思えるのでしょうか?

自殺以前に生きていたくても「死」を突きつけられる恐怖を知らないからだと思います。

それは、とても恐ろしく感じ、その恐ろしさの根本は

「その先が全く解らない。本当の意味での孤独」だということです。

生きていれば、孤独は努力で避けられます。

あなたはイトコが鉄道自殺をしたと言いましたが、どうしてその人の苦悩に気が付いてあげなかったのですか?
どうして手を差し伸べてあげなかったのですか?

知らなかった、言わなかったではないと思います。
身内だから出来ることがあったのでは無いですか?

私が、こう話しても、きっと否定的な答えだと想像に難くないのですが、どうしても死にたいなら
この世の中の誰にも苦痛も苦悩も迷惑もかけない形を選ぶべきです。

その方法があれば、ですが。
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この回答へのお礼

日本で自殺を、法として禁止しているところはあります。
各地に点在している刑務所が、それです。

刑務所という一般社会と一線を画した世界では、法律の他に「遵守事項」という刑務所独自の法があり、その中で「自殺の禁止」が謳われています。

では一般社会でその法をもちいて意味があるでしょうか?
イトコの件で、なぜ周囲の者がその異変に気づいてやらなかったのか、とおっしゃいますが、それは私ではなく、そこの親兄弟に言うのが先でしょう。イトコと顔を合わせるときなど、盆と正月ぐらいのものですから。

また、自殺したイトコの親(私にとって叔父・叔母になりますが)を責めてもせんない事です。

自殺はいかん!自殺反対!自殺は罪である!などと並べるのも結構ですが、何度も言うように、自殺は人間にのみ見られる行為です。人間社会が作り上げた「マイナス部分」の成れの果てである事を知っておくべきでしょう。

本気で自殺をしようとする者を、止める事などできません。
比較的自殺者の多い日本という社会がすべき事は、なぜその人が自殺を選んだのかを考え、今後同じ事が起こらないように、ココロあらためる、ただそれだけです。

しかし、入り組んだこの社会では、その自殺者を自殺に追い込んだ責任者を放置している、問題を見ない振りしている、と言う現実があります。

そこいらへんが日本社会の、「あったかさ」なのでしょうね。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2013/01/26 18:01

私は日本に「尊厳死協会」が設立した際に、母と共に入会しました。


当時の医師たちの9割近くが反対でしたが、告知されて苦しみながら延命装置漬けで生きながらえるよりも、誕生は拒めないけど自分への自然死こそは権利だと思っています。

でも年間3万人以上の自殺者には、どれだけ苦しい現状に晒されていても死への「権利」などというものがあるのでしょうか。
余命いくばくかで、親族にこれ以上迷惑をかけたくないとか、ウツ病になって死ぬことばかり考えている人は別として、自分の現状が散々たる状況におかれた健常者には、自殺だけが救いの道となるのかも知れませんが、私にはそれは「権利」などと言う当然に与えられた言葉で表現するのはいかがかと思います。
権利があれば義務も発生するのです。
あなたの言う、自殺によって不利益を被った人たちの言葉は、権利だけを主張して義務を疎かにしたからに外なりません。
そうした場合、権利ではなく自己逃避ではないでしょうか。

自殺のマナーを言うなら、悲しむ人はあっても他人への義務を清算し、一切迷惑をかける人がいない上での自殺ならやむをえないと思います。
私はこの70年間、苦しいことも多々ありましたが、自殺など一度も考えたこなどありませんでしたが、ほとんどのひとが死にたいと思うことが何度もあったそうですね。

キリスト教での一番罪悪は、自殺だとされています。それは神との契約を自ら破ったことを意味するそうですが、私のような無心人論者にはそんな思惑はなく、誠実な生活・義理や恩を大切に育んでいけば、誰かが救いの手を差し伸べてくれます。
合理的で個人主義の欧米とは違い、日本文化を大切にしている人はいっぱいおります。
生き馬の目を抜くような銀行や商社や、ホリエモンのように”全てが金”と非人情な思考の輩もおりますが…
日本人の情感はまだまだ捨てたものではありませんよ。

ですから、私7には自殺の権利とかマナーなどという言葉は、異次元に聞こえます。
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この回答へのお礼

私の友人の弁護士は、長らく医師会の顧問をしておりますが、90年代、テレビ等の討論会に参加し、(脳死を含む)臓器移植の必要性を説いてきました。

医者の努力によって臓器移植が普通に行われるようになりましたが、現在でも、尊厳死においては、医者は消極的です。自殺の手伝いをする事になるから、という理由からでしょうか。

ところで肉体的尊厳死はOKで、精神的尊厳死はアウトという考え方はどうでしょう、理にかないませんので間違いだと思います。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2013/01/26 21:01

一般的に言えば、当人の立場をきれいにしてから行うということが考えられます。


ですから、いつでも、誰でも出来るというものではありません。
条件があります。
少なくとも当人の死を悲しむ縁故者が納得できる状況を作っておく必要があります。
遺書を書いておく。高額の保険金が確実におりるようにしておくというようなことですね。
それと
長期間にわたって不明になり、捜索などの公的費用がかかるなどのようなことはしないということでしょう。
鉄道自殺などは最悪の部類です。

ともかく、健康体が無理に死ぬのは犯罪(殺人)ですから論外として
麻生さんのいわれるように、寝付いて覚悟が定まったら自裁するのはマナーの範囲だと思います。
そうしろということではありません。
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この回答へのお礼

身の回りを綺麗にしてから、という余裕の自殺がありえたのかどうかは知りませんが、ニュースに出ているものを見る限りでは、どれも切羽詰ったように見えます・
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2013/01/25 22:10

そもそも自殺は、ルール違反行為ではないか?と思います。



マナーや常識などは、ルールの中に存在するものです。
キチンとテーブルマナーを守って食事しても・・食い逃げしたら、マナーもへったくれもありませんので。

自殺は、法律で禁じられた違反では無いですが、もっと上位の「摂理」などに反する行為かと思います。
その自殺には、マナーは無いのではないでしょうか?

あるのは結果を見て、残された人や周囲が、「キレイに死んだ」「汚く/醜く死んだ」などの、評価のみかと思います。
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この回答へのお礼

自殺は自己犠牲であるべき、と思います。そして無理心中以外であれば、自殺者を非難すべきではない、とも思います。

誰かが死ななければ問題が表面化しない、という体質は改善すべきでしょう。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2013/01/25 21:17

たくさんこの行為をさせて撮影をしてその映像で儲けさせ頂いているので、後始末の綺麗な方法をお教えします。


まあ 生命の倫理上の問題で、どうでもいい荒らし行為は消さないけど、こういうことに限って
ここの運営は内容を消して、ペナルティを加えるのでたくさんは書きませんけど

県や国の国有の土地で行うこと 行くときは公共交通機関を使って放置車両などしないこと

実行の前に場所を通達するはがきをだしておくこと こうすれば1日余裕が出来ますし
大勢の警察を使うような迷惑行為が防げます。

事件性を疑われると厄介なので、ちゃんと死ぬ旨を書き残すこと。
長々と書く必要はありません。楽になれてうれしいです お先にとでも書いといてください

今の時期は腐敗臭がしにくいので最適です。

オオゴトの捜索が無ければ、新聞にすら載りません。
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この回答へのお礼

さもしい仕事をやっとるんやね、
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2013/01/25 21:08

No.2です。


お礼ありがとうございました。

>うーん、その逆はぜんぜん「然り」ではないですね。
自殺という(声)は多くの人に影響を与えたり致します。
もちろん、その影響の値が自殺者に伝わるはずもありませんが・・・

この解釈がそもそもあなたと私とは違います。

ひとつお聞きしますが
自殺という(声)ってのはそもそも何ですかね?

自殺という行為の事ですかね?
でもそれは言葉ではないので意味が違いますかね。

もしくはその人が生きてる間に放った最後の言葉の事ですか?
それならその言葉はその自殺者が死ぬ前に発したから成り立つのです。
要は生きてたのです。

命を賭して放った言葉なのです。
そしてその後に亡くなったのです。

確かに生きてる間に書き残したものや言葉などは
亡くなってから見つかる場合が多いとは思います。
生きてる際に見つかれば遺書や最期の言葉とはなりませんしね。

亡くなったその後はあなたいう通り影響は与えますし、
影響の値が自殺者に伝わりはしませんね。

私が言いたいのは『死人に口なし』って事ですよ。

>その逆も然り、本人の叫びも生きてる人には聞こえないのです。

この前の文章で
『お互いに生きてる上でしか成立しないものだと思います。』とも
書いてあります。

生きてる者同士でないと成立しないものと書き記した上で
然りと書きました。

あの世で何を言ってももう遅いという意味ですよ。

解釈が違うようなので再度コメントさせて頂きました。

何度もすいませんでした。

失礼致します。
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この回答へのお礼

解釈が違うというのであれば、あなたの解釈のどこかに間違いがあるのでしょう。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2013/01/25 21:06

どうせ死ぬならできればサラ金の会長とか輿石とか小沢一郎とかどうしようもないkzをみちづれにしてほしいですねw

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この回答へのお礼

自殺には大なり小なり、抗議の意味があります。どっかの建物の前で腹を切るバカ集団もいたり致しますが・・・
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2013/01/25 21:04

自殺にマナーもへったくれも無いでしょう。

自殺する事自体が理性を欠いた行為ですから。銃があれば、銃乱射して多数を道連れにする輩も覆いと思いますよ。体罰に関しては、体罰自体が傷害罪など法に触れる行為なのですから、とにもかくにも法に則って裁けばいい話だと思います。昨今、調子に乗っている政治勢力が政治的に介入し、教育に政治を持ち込み検察と裁判官を兼務までして人気取りに利用していいような話ではないと思いますね。日教組をやっつけるために子供たちを犠牲にするのはまったくけしからん話です。
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この回答へのお礼

政治勢力が政治に介入するのは当然です。そのうえ自殺は追求すれば結局、政治問題ですからね。

「体罰は、誰かの命と引き換えでなければ表面化しない」といった体質があるのも伝統的な問題だと思います。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2013/01/25 20:55

昔から「立つ鳥跡を濁さず」と申します。

どのような事情での自殺であっても、身近な家族等にとってはショッキングな出来事であり、悲しい事です。

でも、自殺は人として最後の自由だとは思います。

ただ、体がばらばらに散らばってしまうような(見るも恐ろしいような)自殺は出来る限り避けるべきでしょう。
それと遺書はあったほうが、残された者としては少しは納得できると思います。

私の父(もういない)から国鉄(JR)の保線区の在任中、列車に飛び込み自殺があり、あちこちに散らばった遺体(車体の裏にもへばりついた)を捜して集めたり、遺族との接待等、たいへんだった話を聞いた事があります。
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この回答へのお礼

飛び降り自殺と飛び込み自殺は、よく似ています。たぶん精神状態も似ているのでしょう。

最も多いと思われる首吊り自殺は、普通に手に入る品を使う自殺としては、楽な部類でしょう。

ま、一番楽なのは睡眠薬自殺でしょうが、睡眠薬はそうそう入手できるものではないですから、首吊りが多くなるのでしょう。

私のイトコは、線路の上に座り込んで、電車に轢かれて自ら死にましたが、私はそれを迷惑な死に方とは思いません。普通に考えたケースとしては、最も勇気のいる方法だったと思います。

当時、その死に方に、揺るがない意志を感じました。

ダイヤはいくらか乱れたでしょう、しかし、それの処理をする者には相応のボーナスが出るわけですから、小さな経済効果も見られますので、一概に迷惑とはならないはずです。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2013/01/25 20:47

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