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タイトルの通り、言葉と感情の関係について伺いたいです。
鷲田清一さんの『<想像>のレッスン』という本に、

  ある哲学者が言っていた。もし私たちが言葉というものを持たなかったら、ひとはいまじぶんを襲  っている感情がどういうものか、おそらくは理解できなかったであろう、と。これが意味するところ   は、言葉が、何かすでにあるものを叙述するというより、何かある、形の定かではないものに、は  じめてかたどりを与えるということだ。言葉にして初めてわかるということがあるということだ。

ということが書いてあり、言葉と感情との関係が非常に気になっています。
そこで、

・言葉がなければ人は自身の感情を理解できないのでしょうか?
・「ある哲学者」とはだれなのでしょうか、また言葉と感情との関係を探る学問分野や哲学者(科学者)はいるのでしょうか?
・皆様は言葉と感情の関係についてどう思いますか?

以上三点お願いします!

A 回答 (15件中11~15件)

言語の発生は、まず分別し得る概念があって、そこに記号と


しての言葉が結びつけられるのである。
もちろん現代人は、言語に依存して知識として環境認識し、
あるいは交流して、他人の評価によって自己認識するように
なっているので、「言語がなければ自身の感情を理解できない」
傾向があるのも事実かも知れません。
でもヘレンケラーの伝記は言葉を学ぶ前に十分に意識の発達が
行われていた事を物語っています。

自己の客観視は、言葉=外部からのフィードバックのみに依存
するのではなく、自己の脳内に再構成された環境性の深まり
(=自我の目覚め)が先行すると言えるでしょう。
むしろ、そうした認識の深まりなしに他律的に自己認識しても、
それは真の客観視ではなく、言葉だけによる上べの理解だと
言えるでしょう。
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この言葉とは口から発する言葉ではなく、一つ一つにつけたラベルの事ですね。

言葉ではなく言語、です。

感情とはぼんやりしたものなので、それをきちんと並べて体系的に並び替えて整理すると自分の感情さえはっきり見えてきます。そこで学んだことが次回に使われたり過去の分析にも使えます。

例。Aさんに会うのが何と無く嫌だ。会いたくないから避ける。

この何となくには理由と過去の経験が絡むので、過去の引き出しを探します。グループで遊んだ時に予約を入れ忘れて皆に迷惑をかけたことがある。Aさんに不都合が出てものすごく怒られた。その怒り方が小学校の先生に叱られた時に似ていて、もっと嫌な思い出がある。

ここまで達するには言語をつけての分類と分析がなければボヤ~としているだけで終わります。
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感情に名前をつけることで、たしかに分かりやすくはなりますね。



少し違うかもしれませんが、
人間関係に名前をつけるのも似ている気が私にはします。

恋人 友達 親子 職場の人 とか

でも、既成の言葉に微妙にあてはまらない関係もあるじゃないですか。
元カノだけど友達、とか、異性の親友、とか。

それらがよく問題になるのは、ズバリ適した名前がないからなのかな? と時々思うんです。
そういう微妙な関係の中にわき起こる感情も微妙で・・・実はただの友情と言うのとは少し違っていたりして。

名前をつけなくても、感じることはできるけど、なんなのか分かりにくいと思います。
だから、言ってる本人も、「ただの友達」という風に無理矢理あたまの中で処理しようとしていたり。
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全ての質問に回答できる知識がありませんので、ごめんなさい




嬉しい、悔しい、寂しい、楽しい

これらの言葉がなかったら、感情を認識することができません


また、活字や2次元から伝わりにくいものも、感情です

つまり、共感は伝わりづらいのですが、そのためにも言葉は必要です
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    僕の無価値な私見です。



    じゃ動物は言葉が無いから、感情が無い、という学生で突っ込める、隙だらけのご高見と拝します。
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