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ローマ法王を始め、バチカンはキリストの教えを最も理解している人たちなのだと思っています。

また、聖書には自らの財産を売り払ってでも貧しい人たちへ分け与えるよう書かれています。

そこでどうしても分からないことがあるので教えて下さい。

アフリカ等では食べるものさえなく、毎日何百人もの子供たちが亡くなっているのに、なぜバチカンの人たちは豪華な服を着て、高価なワインを飲んでいられるのでしょうか。

また、なぜ世界中の教徒たちはそれで納得しているのでしょうか。

A 回答 (7件)

それが組織であり、名誉であり、人より上に立ちたい、、、。

欲、、、煩悩があるからです、ヒエラルキーでもあります。

そして、歴史でもあります。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

現在の法王ならびにバチカンもご指摘の状態かということについては、私の勉強不足もあり何とも言えないのですが、少なくとも過去の一時期においてはその通りだったと思っています。

あの頃から断ち切れない何かがあるのだとしたら、悲しいことですね。

お礼日時:2013/02/11 14:26

私も同様の疑問を抱いています。

答えになっていないかもしれませんが…。
宗教というのは歴史を遡って考えると、権力闘争の道具として使われて来ましたね。
現在に至ってもそれは変わらないと言えるでしょう。

キリスト教という宗教の形は権力や地位を確実にする道具である一方、一人一人、各個人が信じる気持ちはあなたと神様を結ぶもの。神様の教えに間違えはないと思います。あなたの考えは間違っていないと思います。やり方や考え方の違いなのだと思います。あなたがたとえ正しくとも、それを正しいと思わない人もいる、というのが現実なのだと思います。

バチカンの記事があったので参考までにお読み下さい。

参考URL:http://heibay.exblog.jp/14703170/
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

この疑問を同じく持っている方がいるということを知れてとても良かったです。

他の回答をいただいた方々も仰っているように様々な経緯、事情があるようですが、ご指摘の権力の道具になっていたいう側面はありそうですね。
目的を達成するための手段が、他の目的を生んでしまうというのは世の常なんでしょうか。

記載いただいたリンク先の文章は衝撃的でした。多角的に調べてみたいと思います。

お礼日時:2013/02/11 14:49

>ローマ法王を始め、バチカンはキリストの教えを最も理解している人たち



この前提がまちがっていると考えるのが自然です。
ローマ法王を始めバチカンは、キリスト教の教えを理解しているとは思うが、それより大事なこと (権力の椅子に座ること) に日々追われ、汲々としているのでしょう。
かりに聖書に書いてある通りのことを実行するローマ法王が現れたと考えてみましょう。すると彼はたちまち無一文になり、着る物もなくなるので、法王不適格とみられ、別の人間にイスを譲ることになります。
その別の人間も同様に慈悲深い人間であれば、同じ理由で法王の椅子に座り続けることができないので、また別の人間にイスを譲ることになる。
このスパイラルは、聖書にある通りの善行を実行しない法王があらわれるまで、やむことがありません。
結果的に、法王の椅子に数十年にわたって座り続けられる人間は、聖書に書いてある通りのことを実行しない慈悲深くない人間だけとなります。
逆説的ですが、そうなるはずです。
別の言い方をすると、聖書に書いてある通りの善行をおこなう模範的な法王は、長い歴史の中にはいたのかもしれないが、淘汰されてすぐ消えてしまったと考えられます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

ご教授いただいた考えは大変参考になりました。

適者生存と言ってよいか分かりませんが、長い年月を経る間に体制として残りやすい姿勢が大勢を占めてきたということですね。これは教団に限らず真なことだと思いました。

また、今まで私は各々の個人が為すことについて考えていましたが、今回の回答をいただき、組織というものを考えると、体制の確保、存続ということも考慮が必要なのだと知りました。

お礼日時:2013/02/11 15:13

>豪華な服を着て、高価なワインを飲んでいられるのでしょうか。



祭服(司祭、司教などの制服)を着るのは教会の決まりです。
高価なワインを飲んでいるという情報はどこから仕入れたのでしょうか。

また、カトリック教会はアフリカに対する援助は、行っていると思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

私の教養の無さから質問が拙いものとなってしまい申し訳ありません。

肯定的なご意見も伺いたかったため、回答をいただけ嬉しく思います。

服装とワインのくだりについては、例に挙げたアフリカ等の人たちとの生活レベルの対比として端的に示すものだったため、これに限る意図はありませんでした。

アフリカを含め発展途上の国々、地域への援助、各地へ赴いての活動を行われていることは勉強不足ながら存じています。
また、これにより救われた方々は本当にたくさんいると思います。

しかし、それを踏まえても、私が疑問に思っていたのは、キリストの教えを真に忠実に実行した場合、多額を費やしての祭典やきらびやかな服飾、施設は必要か。それよりもまだ各地にいる困窮者へ手を差しのべることが先ではないか。そしてバチカンは教えに最も忠実であるべきではないか。というものでした。

今回様々な回答をいただき、組織の重要性や教徒なの確保、他の教団への考慮など知らなければならないことが分かったため、もう一度よく考えてみたいと思います。

お礼日時:2013/02/11 15:43

信徒の方には失礼かも知れませんが,私も少なからず不信感を抱いています。


1.教団の高位の人達が多くの幼児に性的虐待を加えていた。
2.未開の地などでの布教には頭の下がる部分もあるが,施し気分で実はハシカ・ホウソウ等流行病も持ち込んでいた。
3.免罪符などと称して,貧乏人から金をかき集めていた。
4.布教と称して,実は植民地拡大の先兵の役も果たした。
5.十字軍で地中海地域の多数の人を殺した。
6.地動説を封じるなどして自然科学の発展を妨げた。
7.シーボルトは日本人に科学をもたらしてくれたが,スパイの役割も演じて追放された。
8.島原の乱で3万人もの犠牲者を出したのは,結果論的には殺人罪である。
9.アメリカであれだけの影響力を持ちながら,銃規制には頬被りしている。
10.旧約聖書を基にしながら,兄妹的な関係のイスラム教を敵視し,時に迫害に荷担した。

まだまだ,有りそうですが,私の批判論の根拠はこの辺で。
心ある信徒は,イエス・キリストは信じても,ヴァチカンには不信感を抱く人も居る物と思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

いただいたご意見には同意します。
本来、人がよりよく生きるための道を示したものが宗教であり聖書、経典であると思います。

にもかかわらず、その信じるところが違う等の理由で殺しあいが起きるなんて本末転倒甚だしいとしか言えません。

文末にいただいた通り、教会がどうだというより、各々 がより良いと思うことを信じるということが大切なのだと思いました。

お礼日時:2013/02/11 16:04

★アフリカ等では食べるものさえなく、毎日何百人もの子供たちが亡くなっているのに、なぜバチカンの人たちは豪華な服を着て、高価なワインを飲んでいられるのでしょうか。



→この答として考えられるのは

1.カトリックは聖書の預言通りの教会である。
↓これを信じるかどうかは別として、聖書と違っているという点はその通りだと思います。


2.マザー・テレサにしても、自分たちの活動は慈善活動ではないと、きっぱり言いきっていました。神に仕えるのだと。そして、神から特別な権威を与えられた法皇は、人間的に見れば立派な人であるべきだということになり、世界の中心のローマ法王庁も立派であるべきだということなのでしょう。そこが立派なので、人々が信じ、その結果アフリカや貧しい国々に仕える人たちが排出されるということかと思います。
もちろん、キリストはそのようなところには生まれなかった。王は飼い葉桶の中に生まれたのです。
この点、東方の博士からはじまって、東方の教会は勘違いしてきたのです。

★また、なぜ世界中の教徒たちはそれで納得しているのでしょうか。
→それはマザーテレサのような「聖徒」がいるからでしょう。また、さまざまな人々の心をとらえる要素があるからでしょう。

★ちなみに、プロテスタントにしても、聖書に照らし合わせてみると、危険を感じるところがあります。もしかすると、黙示録13章3節の「致命的な傷も直ってしまった」というのは、むしろプロテスタント教会かもしれません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

動画拝見しました。なかなか興味深くインパクトのある内容で、確かに偶像崇拝については、私も疑問に思っていました。

また、人心をつかむための威厳として立派な装いをするというのは正否を別に、効果のあることなのだろうと思います。

カトリック、プロテスタントによらず、人としての生き方、人格の道しるべという本来の(私が勝手に思っているだけかもしれませんが)ものから離れ、神に仕えることを目的にしていることに危うさを感じています。

いずれにしても、私はもっと色々調べて学ぶ必要がありそうです。

お礼日時:2013/02/11 18:06

ローマ・カトリック教会は全知全能のスーパー・マン組織ではありません。

ローマ・カトリック教会が歴史に果たしてきた役割は、無知蒙昧で野蛮で未開なゲルマン民族を、文明人に教化してきたことだけです。キリスト教初期のゲルマン民族は、百科事典を売り払って、全部酒代に変えてしまうような無教養な野蛮人でした。そういう民族を2000年かけて文明人に育てたのがローマ・カトリック教会なのです。

しかしローマ・カトリック教会は、キリスト教の信徒で、なおかつローマ・カトリック教会の権威を信じるカトリック教徒に対してしか、何の力も持てない弱い組織でもあります。なぜならローマ・カトリック教会は何も軍事力を持たない。ローマ・カトリック教会の傘下には何も軍隊など存在しないのです。毎週教会に通って真摯に神父の話に耳を傾けようとする民にしか、効力を及ぼすことができないのがローマ・カトリック教会です。

例えば、アフリカのソマリア。ああなってしまうと、もう宣教師一人入っていけません。入っていったところで誰も宣教師の声に耳を傾けないでしょう。

そもそもソマリアの国教は、イスラム教であり、旧約聖書を奉じているのはキリスト教、イスラム教、ユダヤ教に共通することなのです。「自らの財産を売り払ってでも貧しい人たちへ分け与える」という教義をもっとも強調しているのはイスラム教です。

それなのにどうして質問者さんはその責をローマ・カトリック教会に求めるのか。なぜイスラム教にそれを問わないのか。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

歴史的な役割などについて知らなかったため、大変勉強になりました。

確かに、各地域にはそれぞれの宗教があり、他から介入するよりも土着の団体による対応が行われるべきですね。

ご指摘いただいた点は、まさしくその通りでキリスト教に限った話ではないと思います。

どこかでスーパーマンを期待してしまっていたようです。

お礼日時:2013/02/11 13:47

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