準・究極の選択

交流分析では解決が困難なテーマがあるでしょうか。
例えば人間関係で対等でない場合とか、相互に信頼関係が希薄な場合などにも可能でしょうか。
あるいは今はやりの体罰問題についてそれに代わる有効な指導方法を提起することができるでしょうか。

A 回答 (1件)

可能か可能でないかということにお答えするのは、多くのテーマに関して困難です。


出来ることもあるし、出来ないこともあるからです。
解決が困難なテーマがあるかどうか、色々のケースがあるという点からすれば、解決が困難なテーマは山ほどあるはずです。

交流分析は、分析方法の一つではなくて、心理療法の一つであることはおわかりで質問されているのですから、心理療法で確実性が高い方法などないことはおわかりでしょう。
ある心理療法を適用したケースの半分でも有効そうな傾向があれば、その方法は有効度が高いと思われるでしょう。 逆に、この方法はこういうケースでは有効度が低いとされるような場合でも、結果として、何がどうなったのかはともかく、人間関係への態度に変容が起きることはあります。 体罰は教育の基本的方法の一つとして伝統的なものですが、体罰を使わない教育方法もたくさんあり、現在日本に限らず多くの社会では体罰を使わない教育の方が圧倒的に多いです。体罰に代わる有効な指導方法は現実には多数あり、行われているでしょう。 ただし、有効とかより有効という概念は、事柄ごとに変わるということを前提にしています。 いつでも、どんな場合でも体罰よりも有効であるというような方法はないはずです。
留置場、刑務所なども、体罰が有効だという前提で使われるものです。
また「なにが問題だったのか、どうしたらよかったのかを再考してみろ」「反省しろ」「動き回るんじゃない。じっとして、考えろ」のようなことも時間の使い方に対する規制、やるべきことの強制で体罰との境は微妙なところもあります。拘束する、殴る蹴るだけが体罰なのかも考えた方が良いです。
交流分析がイイ・有効なのじゃないかと思うならそれでも構わないですが、全然有効でない場合も多いことは知っていた方が良いです。
http://homepage1.nifty.com/okinawa-ta/psy1/ta/wh …
他の医療や教育方法、経済政策でも同じですが、絶対確実なものはありません。いつも有効な方法や理論もありません。 
何かをしよう、何かの対策を講じようとする場合、盲滅法やるのは無茶です。 人間には倫理的思考の癖もついているので、それなりに屁理屈、筋道を立てた考えや計画に基づいてやることが、他人の理解や協力をえる上でも大事です。 そのために、過去の成功例とともに心理や教育に関する方法論が作られます。 それを○○理論、○○療法と呼んでいるに過ぎません。
どのような指導方法を提起しようが勝手ですが、それが他の方法よりもそのケースで有効かどうかは、一律にいうことは出来ません。
世の中には流行もあり、その時代時代で、社会で主流や主流に近い方法論もありますが、交流分析は主流に近いとはいえないと思います。 しかし、傍系であっても、有効性がまったくないと決まったわけではなく、主流よりも有効に思う人もいるので、提唱され続けているのです。
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この回答へのお礼

漠然とした質問にかかわらず、丁寧にお答えいただき有難うございました。
確かに人の関係で絶対的なものはなく、人を見て法を説けと言われる通りです。
TAとは限らず、相手をより深く知る努力を精一杯払う過程で生まれる共感、信頼が大切であって、ツールを目的と混同しない姿勢が大切であると再認識いたしました。

お礼日時:2013/02/16 14:56

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