アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

スポーツの体罰のついて。結論から言います。部活などで体罰が問題になっていますが、当たり前です。なぜなら、教育としての部活がプロを目指す部活になっているからです。あそびながら楽しくたまには悔しい思いをしながらでも集団生活やチームワークなど、様々なことを習得しながら部活を行えばよいことなのに、勝つための目的でコーチや監督を雇い、一流を目指しているから、能力のない指導者が、体罰を加える形が出来上がるのです。もし、プロを目指すのであれば、本人たちが、例えば、生徒たちが生徒による。部活を作ればよいのです。監督やコーチはいりません。もし、技術的な問題があれば、それも生徒たちで考えることであり、「俺は、プロになりたい」というのであれば、自らプロ養成チームにはいり、ついていけなかったりやり方に不満があれば、やめればいいんです。
 だから、高校などで体罰の問題があるが、それは、教育の枠を超えた、本来の目的以上のことを目指しているから、能力のない監督コーチが暴力的行為をしてしまうのです。
つまり、部活は楽しく、プロになりたければ、覚悟をして他の養成所に志願し、やならやめればいいのです。そうすれば、学校などの中で部活に関する体罰はなくなると思います。
また、様々な部活などで指導者を選ぶ場合は、「体罰を使わなくても指導できる人」を選ぶべきであり、そういう人がいないのであれば、国によって「体罰を使わなくても指導できる人」を養成すればいいんです。過去の能力のない指導者は必要ではないのです。
みなさんの意見を聞かせてください。よろしくお願いいたします。

A 回答 (7件)

前半には必ずしも賛成できません。


高校の目的の一つは就職であり、スポーツ系の学科・高校であれば当然プロも就職先の一つです。
であるなら高校でプロを目指すのも選択の一つ、否定する必要がありません。

単純な話、暴力は犯罪です、一般高校教育(もちろん小中学校も)をもそうですが特に部活動において指導者に暴力を振るう権限はありません。暴力は即刻懲戒免職、警察に告訴という通達を文部省が出せばいいだけです。それをしない校長、教育委員会はもし死者が出た場合過失致死に問えばいいだけです。

違法行為である暴力を法治国家らしく法で裁かない、これが全ての原因でありきちんと法で裁くのが対処法です。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます
高校でプロを目指すのはもちろん良いです。
指導者の問題ですね。

お礼日時:2013/02/17 00:56

戦前は国民皆武道でした。

戦争に供えて体を鍛えていたのです。また軍隊内部でも殴ったりがありました。おじいさんの先生でしたが声が大きくても小さくても殴られたのだそうです。ぼこったりぼこられたりを繰り返すことにより暴力に対する耐久力がつき人は強くなる。その局地が武士道であるということ。
(武道というルールに基づく)暴力を知らなければ武士道はない。張ったりである。まして戦争が控えていればなおさらである。武道を禁止したのはGHQです。その後一部の人がやるようになり現在に至っています。れすりぐんぐもつぶしてきたようなのでマスゴミが何をしようとしているのかわかるでしょう。「日本人の暴力性を排除せしめよ」というのがGHQの目からみた考えかと。周りが柄が悪いし、露骨に反日で狙われているのにご清潔な文化で対処できるのか?いつマスゴミが「強くなれ」とアナウンスした?
    • good
    • 0

日本の学校教育内での部活動は、技術指導と生活指導が渾然一体となっています。

各学校の各クラブで実力も違えば、目標も内部の規律もそれぞれ違います。

>教育としての部活がプロを目指す部活になっているからです。
と、このような部活もありますが、全てがそうだと結論づけることはできません。野球で例えるなら、甲子園の常連校でプロ入りを目指す生徒が多いようなチームがありますが、その真逆の弱小チームもあります。生活指導が行き届き、そちらの面での指導が全く必要のないチームもありますし、その真逆で幽霊部員が多く、部活を休んでは万引きや飲酒・薬物に手を染めてしまう生徒が続出する場合もあります。

>生徒たちが生徒による。部活を作ればよいのです
漫画研究同好会のような、好きな時に集まって、おしゃべりサロン的な時間を過ごし、自由解散するようなクラブなら成立します。漫画が上手くなるという目標と、参加している間は非行に走ることを防げます。しかし技術を身に付け、体外試合で成果を残そうとするなら、指導者による正しい指導が必要です。

>「俺は、プロになりたい」というのであれば、自らプロ養成チームにはいり、ついていけなかったりやり方に不満があれば、やめればいいんです
同感です。学校の教師は採用時に教科指導だけしか問われていません。赴任早々も経験したことが一度もないスポーツや文化活動の顧問になることを、半ば強制的にさせられます。技術指導など望むべくもありません。専門のコーチを採用し、放課後の指導はそちらに一任すればいいのです。しかしその場合いは、多額の人件費が必要です。公立学校は人件費削減のため、能力のない教師を指導者として配置し、道具もその教師が自腹で用意しているのが現状です。

>「体罰を使わなくても指導できる人」を選ぶべきであり
これにも賛成します。柔道界でも同様の対策をとらなければなりませんね。専門の指導者にしてあの体たらくなので、各学校に配置することは不可能に近いと思います。上に書いたように、学校と部活を切り離して育成すべき時に来ています。
    • good
    • 0

ご意見に賛同します。


諸悪の根源は朝日・毎日とNHKが結託して開催している高校野球選手権大会にある。

現在の出場校は特に都会を抱える都道府県のほとんどが他県から有望選手を寄せ集めて学校売名のための強化を図った私立学校である。
ここで有名になればプロ野球に就職するが、今度は他の民放がプロ野球放送をする利権に預かるので何ら非難することはない。
高校野球に続けとばかりに他のスポーツ競技も売名行為に走り、スポーツの本来の目的である「体育」という視点が抜け落ちるようになって、「絶対に勝たねば」という勝利至上主義意識から体罰が生じているものと思われる。
女子柔道体罰問題で前監督が「メダル至上主義があった」との言質はこのことを如実に表していると思われるが、当のテレビ関係者はそれを真っ向から否定する発言があった。
テレビのオリンピック関係報道は、メダル獲得が有望な競技や選手のみに焦点を当て、テレビ放送の視聴率向上に血道を上げながら他は顧みない姿勢があり、「メダル至上主義」を否定する資格があるのかと疑問を覚えるものである。

体罰問題の根本は、子供達のひたむきなスポーツに対する情熱を、大人達(学校、テレビ、高野連、プロスポーツなどの組織)が金儲けのために利用していることにこそ問題があると思われ、本来の体育に戻ってもらいたいものである。

そうすれば、質問者様が考えるようなスポーツ界になるのではと思っている。

※(体育は、学校における授業の教科または科目の1つである。スポーツ・武道などの各種の運動を通じて、心身の健やかな成長をねらうと共に、自己の体のしくみなども学ぶ。
保健の分野・科目と一緒にして保健体育とされることもあり、学校の教科としては、小学校では「体育」、中学校では「保健体育」、高等学校では普通教育に関する教科(普通教科)として「保健体育」が、専門教育に関する教科(専門教科)として「体育」が存在している。保健では性教育や健康、環境、福祉、家族に関する教育が行なわれる。)http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%93%E8%82%B2
    • good
    • 0

体罰問題で教師らが苦しむのは自業自得でちょと愉快だけど、あんまりピンキリで撥ねちゃうのは良くないなあって思うの。


何処から体罰かの線引き(社会通念的な)だって難しいのに、スポーツと指導で更に線引きしちゃうと、アホ生徒はますます増長し、それに比例して、見て見ぬふりする教師や大人も増えるんじゃなかろうか。
大津のイジメ問題で、ついこの間まで無関心教師を批判してた輩が、今度は熱心な教育指導を批判する。これは、ミクロな問題をマクロな観点で切る(要するに極論)、客観性を欠いた意見だと思います。

勝ち負けで10発20発ぶん殴るってのは問題アリだろけどさ、気の抜けたプレーをした生徒にビンタの一発二発咬ますくらいは大目に見てやってちょが、ボクの考えです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます
「気の抜けたプレーをした生徒にビンタの一発二発咬ますくらいは大目に見てやってちょが、ボクの考えです」
 それが、体罰といわれ、問題になっているのです。
ビンタではなく、頭を軽くなぜてあげればいいんです。

お礼日時:2013/02/17 00:52

>また、様々な部活などで指導者を選ぶ場合は、「体罰を使わなくても指導できる人」を選ぶべきであり、そういう人がいないのであれば、国によって「体罰を使わなくても指導できる人」を養成すればいいんです。

過去の能力のない指導者は必要ではないのです。

どうやって養成するの?
財源は?
くだらない発想。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
どうやって養成するの?
教育しかありません。

お礼日時:2013/02/17 00:47

ちょっと捕捉させていただきます。


これは子供を殴るのが生きがいの教師にも嫌な措置ですが、それ以上に子供にとって厳しい処置です。
学校の治安を乱すものはこれまで教師が暴力で対処していたのでしょうが、教師の暴力を否定する以上これを出席停止やそれでだめなら警察力で対処することになります。しつけは学校の本来の仕事ではありませんが、それを学校にさせたのが社会が教師の暴力を認めやすくなる背景にあるのでしょう。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
社会が教師の暴力を認めやすくはしてないと思います。
つまり、口でいって聞かない人をどうするか、これが現代社会の課題だと思います。

お礼日時:2013/02/17 01:01

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!