プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

東南アジアで働く40代前半女性です。

こちらにきて数年後日本で出会い、10年来生活をともにしてきたパートナーで元夫と別れる事になりました。 約1年半がすぎようやく離別を実感できたいま、これからどうしようか何を目標とすればよいのか自分自身を見失っている状態です。

こちらでの仕事もまあ順調。同性、異性の親しい友達もいる。元来の性格からか割とアクティブに暮らせているとは思います。

でもなにか大きなものが抜けている感じなのです。

人は産まれるときも死ぬときも一人。自分を大切にし、自分を愛してはじめて他人にも愛情を注げるはず。といいますが、私は夫なり、彼なり、家族の為に働いたり、パートナーと力を合わせて生活の基盤を整えるのが自分が生きていると思える瞬間です。

この考え方は自己犠牲的なのでしょうか。それとも相手への依存の一つの形でしょうか。例えばキャリアプランを上司と話す時、将来のビジョンを語りながらも、収入が増えたところで一体何のため?と冷めた目で自分をみています。

同じように感じた事のある方、解決策を見つけた方、いらっしゃいますか?

A 回答 (12件中1~10件)

初めまして。


僕も東南アジアで働いていますよ。

10年来のパートナーとの離別をようやく受け入れられた。
そしたら今度は自身の人生の目標をみつける課題がでてきたんですね。。

『私は夫なり、彼なり、家族の為に働いたり、パートナーと力を合わせて
生活の基盤を整えるのが自分が、生きていると思える瞬間です。』
これは決して自己犠牲でも、依存でもないと思いますよ。
依存というのは、自分の自信のなさや、不安からくるもので、
結局相手への行為・好意の裏に、全て『自分のため』といのがあります。
この人しか駄目、別れないで、どこにもいかないで。。というのが依存です。

質問者さんの場合は単に自分の生きる意味(楽しいとか、幸せに感じるの)が
家族だったり、パートナーだったりするんだと思います。
きっとそれは依存でも自己犠牲でもないですよ。
人が人生の目標にすることはそれぞれです。
財産を手に入れ良い生活をするだったり、
社会にいいものを送り出すだったり、
家族を幸せにするだったり。。
どれも正解だと思いますしどれでも幸せになれると思います。


質問者さんにとってはみんなと飲んだり、観光客を案内してあげるだったり、
仕事を頑張るというのは、きっと
家族だったり、パートナーと素敵な人生を送るための『手段』なんでしょう。
だから、それでは心が埋まらないのではないですか。

今回の別れをきっかけに、
『私は夫なり、彼なり、家族の為に働いたり、パートナーと力を合わせて
生活の基盤を整えるのが自分が、生きていると思える瞬間です。』
を掘り下げて、具体的にどうしたいのか考えてはどうでしょう。

そして、それでも自分自身が『人生の生きる意味は家族や、パートナー』と
思うのであれば、今後の生活の中でそれを意識して人生歩むことが大事かなと思います。
また素敵なパートナーに加え、今度は質問者さんの目標に合うパートナーに
出会えるのではないでしょうか。

参考になれば幸いです。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。とても明快で同時に思いやりに満ちたご回答感謝します。

まず自己犠牲でも、依存でもないと最初に書いて下さり、肩の力が大分抜けました。

本当におっしゃる通りで、私の日々の暮らし、一つ一つは楽しんでやっているのですが、それらはすべて単発で永続的な事ではなないためか、心が埋まらないのです。きっと手段だからんでしょうね。

すぐ分かるところで、私の見たいものは、‘成長’ のようです。トレーナー職についてた時期があるのですが、教えた生徒が あ~~なるほど!と理解する、その瞬間をみるのが一番のやりがいでした。メンター業務も大好きです。誰かの成長を助けるのはワクワクします。また、花や木を育てその成長を眺めるのも好きみたいです。

もちろんそれらが生きる意味に直結するかは分かりませんが、このあたりもう少し掘り下げて考えてみます。

本当にありがとうございました。

お礼日時:2013/03/14 04:17

いつかまたではなく、


きっと今から質問者さんの在りたい幸せになっていいんじゃないですか。

こんばんは。No.6です。
他のお礼読ませて頂きもう一度回答させて頂きたく。

自身が過去にされたことにとてもお辛い思いをされておられるんですね。
その経験から、似た境遇にいる女性を救いたい、支えになりたいという想い
とても素敵だと思います。きっと質問者さんならできるような気がしました。

だからこそ、僕は質問者さんがほんとうにしたいこと、
在りたい幸せ実現されてはどうかと思います。

文面から過去10年間自分のしたことを、
心の底から後悔されているのが伝わってきます。
ただ、ほんとうの償いとは、
『私も、(元パートナーも)この10年間強でそれなりの報いを受けたのではないか。』
と書かれているような、報いを受けることでしょうか。
それで質問者さんはもとより空の上でお子様は嬉しく思っているのでしょうか。

自分が反省したその思いを、誰にも負けない愛情を持って新しいお子様を育てることが
質問者様にとっても、そのお子様にとっても、そして質問者さんが支えになりたい人たちにも、
最大の償いだと思うのは僕だけでしょうか。

失敗はだれしもします。反省も必要です。でも失敗は過去を引きずるものではなく、
『自身の』将来へ活かす、幸せへのステップにするべきなのではないでしょうか。

質問者さんはきっと似た境遇にいる女性の苦しみを理解し、支えになって、応援することできると思います。
でも、今質問者さんは『同意』 や 『共感』はできても、それを乗り越える術を示せるのでしょうか。。。
そういう女性はおそらく質問者さんと同じように
『私は、自分の行いを償わないけない。』とか『子どもは持つべきではない』と思われているでしょう。
同じように子供をあきらめ、人生を楽しく送れてない人も、殻に閉じこもってしまった人もいると思います
もし、質問者さんが自身の経験を乗り越え、そして立派な母として、
幸せな人生を送っているとすれば、そういった女性に『自分も幸せになっていいんだ』と夢を、
希望を与えられませんか。それが大事なんではないでしょうか。
償うというならば、それが償いと思います。

『生みたかった』という自分の理念を曲げてしてしまった失敗が本当に辛いんだろうと思います。
でも、当時の質問者さんは生むため戦った。その過去を必要以上にせめても幸せにはなれません。
その代り、だから最高の愛情を持ってもう一度自分の幸せを実現してほしいと思いました。
きっとそのお子様もそんな質問者さんを望んでいるような気がします。
どんな失敗であれ、失敗は自分の将来の幸せにつなげるものだと思います。

応援しています。
長文失礼しました。
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この回答へのお礼

2度の暖かい励まし、本当にどうもありがとうございました。
嬉しくて、何度も読み返しました。このご回答を出力し常に持って歩きたい気分です。

おっしゃる通りで、私にもし幸せな家庭が築ければ、みんなにもできるよ。と宣言できますね。
今の状態だと受け止めてはあげられるけれど、前向きなアドバイスは私が乗り越えていない為、
難しいのだと思います。

何をしようとしても常に心にあった子供の事。私はtoronto2007on様が書いて下さったように、本当に先に進んでもいいのかな。

生めなかった子供が遠くから、いいよ。といってくれているようでした。

回答者様たちへのお礼を書いていくと同時に当時の記憶がよみがえりました。あの一連の出来事は恐らく生きてきた中でもっとも辛い体験でしたが、こちらで吐き出せそして励ましのお言葉までいただけて本当に感謝しています。

パートナーがいない今、私はもしかしたら愛情に飢えているのかもしれませんが、むしろ今は誰かに注ぎたい。変わってますね笑

過去は忘れません。変えられないし、それは自分の糧に。
目指すからにはこれまでで一番幸せになれるように前進できたらと思います。

ありがとうございました。

お礼日時:2013/03/19 02:57

No.5、10で回答した者です。


怒っているかもと誤解されるのが嫌で、再びです(^^;

>それは私が自分の経験を持ってできることだと思います。
>そして、私もいつかまた幸せになっていいのでは。と思うのです。
>私の人生の目標はもしかしたら今も昔も変わらず家庭を持ち幸せに
>暮らしたいということかもしれません。

私も、離婚をして挫折を味わいました。
もう結婚はこりごりで、一生独身でいようと仕事に集中した時期もありましたが
今の夫に巡り合って、自信が無いながらも、再び結婚してしまいました。
でも、後悔はしていません。
過去の自分の積み重ねで、今の自分がいる。と全ての経験に感謝しています。
経験した者でないと解からない痛みってあります。でも同時に、財産でもあります。
同じような痛みを分かち合えるパートナーなどに出会えると良いですね。
幸せになっていいと思います。
生かされている間、お互い、頑張りましょうp(^^)q
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この回答へのお礼

暖かい励ましありがとうございました。とても嬉しいです!

>過去の自分の積み重ねで、今の自分がいる。と全ての経験に感謝しています。
経験した者でないと解からない痛みってあります。でも同時に、財産でもあります。

ご体験を共有してくださってありがとうございます。本当にそうですよね。そう考えると痛みを経験をしたらそれだけ財産を多く得ることができたということですね :) 人は乗り越えられる困難だけ与えられるといいます。だったらどれもこれも乗り越えて財産もつくって成長していけますね。
絶対こえられる。と思えば受け止める度胸もつくかもしれません。

今回のご回答でぐらついてもうすこしで倒れそうだったのがなんとか自立までできるようになりました。
回復した心で、自分の幸せへのステップを考えたいと思います。

本当にありがとうございました。

お礼日時:2013/03/19 03:18

No.5で回答した者です。



>別れた今、シングルマザーにならなかった私にもはや子供を欲しいという資格もないし、
これが制裁かもしれない。
私の場合はどうでしょう。もし許されるのなら、子供を産みたいなと、産めなかったとしても育てたいなとも思います。


この言葉があったので、お節介だと思ったのですが、再度、コメントさせていただこうと
思いました。

過去に戻ることは出来ないので、健康なら産んでおいた方が良かったと今言っても仕方が無い
ことではあるかもしれませんが、色々な事情が重なって、この世に生み出ることが出来なかった
その子のためにも、この世に生み落とされはしたけれど、色々な事情があって、不遇な人生を
歩まざるを得ない子達を手助けするのも、懺悔の一つにはなるのではないでしょうか。
そしてまた、生きる目的の一つでも、あるのではないでしょうか。

もしかすると、まだ遣り残したことがあるから、今まだ、生かされているのかもしれません。
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この回答へのお礼

追記のご回答ありがとうございます。私が考えてきたことととても類似していました。

昨日お礼を挙げたときはとても落ち込んでいて、やるせなさを訴えたい気持ちと懺悔の気持ち両方でした。

少し元気になった今日、怒られることを覚悟で書きます。

私も、(元パートナーも)この10年間強でそれなりの報いを受けたのではないか。幸せな家庭を築きたかった自分。心から好きな相手がいたのに結局、この年になって独身で子供もいない、という事実がそれを示しています。

私は子供をおろす。ということ、そしてそれに派生した色々な経験をしてきました。生める状況であきらめなければならなかった人たちの気持の変移がわかる。それは体験した人だけが理解できる感情です。その後家庭がどういう惨状に陥るかもわかる。

なので、生まれてきてしまった不遇な子供達のケアもそうだけれど、私はそういう選択をしないようにお母さんたちに語りたい。もちろんあきらめたほうがいい状況の女性もたくさんいます。そういう人たちを応援したい、そして同時にそういう傷を受け止めてあげられる立場の人間になりたい。それは私が自分の経験を持ってできることだと思います。


そして、私もいつかまた幸せになっていいのでは。と思うのです。

私の人生の目標はもしかしたら今も昔も変わらず家庭を持ち幸せに暮らしたいということかもしれません。

まだ不安定ですが、今日はこんな風に感じています。

読んでいただきありがとうございました。

お礼日時:2013/03/14 15:03

30代後半男性です。



人生の目標とは何なのでしょうね。人によってもちろん違って良いのでしょう。人それぞれだから自分が納得できれば良いのでしょうね。でもそれを見つけるのは容易なことでないように思います。

自己「犠牲」と書かれていますが、それは例えば「パートナーのために身を粉にして」「時間を割いて」という意味で「犠牲」と言われているのでしょうか? 少しのあいだ「犠牲」という考えから離れてみるのも良いかも知れません。

「自分を愛して(愛せて)はじめて他人にも愛情を注げるはず」と言われていることは、もっともだと思いますし、私もそうだと思います。あなたは「どんな自分」なら、ご自分を一番愛せますか?逆に言いますと、あなたが愛したい(つまり理想の姿の)ご自分はどんな姿でしょうか?

察しますに、あなたが「犠牲」と書かれた部分、、、しかしそれは「人のためになにか行いをして、喜んでもらうなり、感謝してもらうなり」そういった所がポイントなのかも知れません。そしてその対象は誰なのでしょう?パートナーや家族、友人、知人、もしかしたらもう少し広げて自分の仕事の顧客かもしれませんね。例えば一例として何らかの問題意識に心動かされてボランティア活動を始めそれに献身しても、同じようなやりがいが得られるのかも知れませんね。

あなたがいつの日か人生の終点間際にさしかかったとき、「私は私として、(たとえそれがどんなに小さくても)「( これ )」は私がやったと誇れるものだ」と、言えるものはなんでしょうか?(いや私にもまだ分かりませんが・・・すみません質問を出してばかりで。)

「一体オレは何がしたいのだー?」という時にヒントをくれるEbookをご紹介。(ライフプラン)

という記事を数年前に見まして、英語なのですが、 What do you want to do with your life? という Hans Glint氏によるワークブックのようなものがあります。ネットを検索するとPDFも出てくると思います。少し長いのですが、外国で仕事をされているのであれば英語は読めるはず!? 自分にとっての大事な価値観などを見つめ直すには良いエクササイズでした。無料ですのでやってみるのはいかがでしょうか?

参考URL:http://www.lifehacker.jp/2008/07/ebook.html
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。答えを書くため自分のことをいろいろ考えてみました。頂いたご回答より長くなり恐縮です。

>それは例えば「パートナーのために身を粉にして」「時間を割いて」という意味で「犠牲」と言われているのでしょうか?

個人的には余り犠牲という感覚はありませんが、度々人がよすぎるといわれるのでそれはつまり自己犠牲という事だろうか。という疑問形で書いています。元パートナーは、ものに依存するタイプで浮き沈みが極端だったのでそれには振り回されました。基本的に彼は全てを私と共有すること、サポートし合う事を望み、私はそれに答えようとした為、相手と自分を切り離して考える感覚が抜けたのかもしれません。境界線は完全にぶれてました。金銭の貸借もありましたが、私には貸すことを躊躇する感覚も全くありませんでした。なので、一般的に見るとかなりの犠牲なのかもしれません。

>あなたが愛したい(つまり理想の姿の)ご自分はどんな姿でしょうか?
実を言うと今海外で一人自活している事実はかなり奇跡的だと思っています。彼のアドバイスなしでこの国で生きていけるわけないと思っていました。冷静になって考えると金銭的には自分だけでも問題なかったのですが、皮肉なもので、私の心がそれを信じていませんでした。私は米系の会社に勤めており、彼はアメリカ人だったため、彼の助言なしではクビになる。とまで思っていました。しかし何とか今も続いています。

私は精神的に自立した人間になりたいのです。まず自分を愛し一人でもやっていける強さをもち、同時に周囲の人、家族、動物や植物や食物、物、全てに広い愛情をそそぎ、そしてできれば回りからも愛され生きていくのが理想です。自分が自立できていればどちらかというと前向きな性格なため、無理なくそれができるんだと思うんです。それが人生の目標にたどり着く為の大きな手段、または決め手となるのかもしれません。

今はまだ落ち込んではいますが、以前に比べて愛情を注げてきてるかもしれません。少しずつ回復してきているのかもしれないです。私は周りには恵まれそれについてはいつも有難いと思っています。

>私は私として、(たとえそれがどんなに小さくても)「( これ )」は私がやったと誇れるものだ。
それはとても難しい質問です。これから何をやるかもわかりませんし。でも私は地球に何かを残したいのだと思います、子孫だったり。大きな森林かもしれません。橋。川をきれいにしたり。温泉を掘って町の暮らしを便利にしたり。なんて壮大すぎますが笑どんな生き方でも死ぬ直前に、もう遣り残しはないです。と思えたら感無量だなと思います。

PDFありがとうございます。約200ページあります。回答者様は英語がお上手なんですね!
価値観は見つかりましたか? そして頂いた質問はこのPDFの内容に基づいているのかもしれないですね。
時間を作って読んでみます。

ありがとうございました。

お礼日時:2013/03/14 18:04

最近の傾向として正規雇用ではない若者を中心に帰属意識を持たない人が多々見受けられます。


彼らから言わせれば、あなたの様な生き方は自己犠牲的に映るかも知れません。
私は40代後半の女です。
私は家族という柵を嫌い、高校卒業後は自立の道を選びました。
でも私に帰属意識がない訳ではありません。
非血縁関係でも十分な信頼関係を築けることを経験により知っているからです。
会社のメンバーとしての資格を実感しながら今まできました。
それにより私は自尊心を保つことが出来たのです。
あなたは社会共感本能が優勢な人だと思います。
あなたの様なタイプは、愛情交歓や共感だけで自尊心や社会的存在感を満足させることが出来ると思います。
そんなあなたが長年信頼関係を築きあげたパートナーと離別した。
あなたが想像する以上にダメージは大きかったのではないでしょうか。
脳機能的な視点で考えてみます。
良好な社会関係は視床下部の下垂体や交感神経系の活性化を抑える傾向にあると言われています。
反面不良好な社会関係ではこれらのシステムを活性化するのです。
良好な社会関係を築いている人は、社会関係の喪失や恐怖感を誘発する刺激に対するコルチゾール反応が弱いか全くありません。
しかしそうでない場合、社会行動の破壊などに繋がるコルチゾールの分泌を高めてしまいます。
厄介なことにコルチゾールの亢進は状況が改善された後もしばらく続くという点です。

あまり無理なさらないで下さい。
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この回答へのお礼

ni shi ki 様 ご回答ありがとうございました。

ご指摘の通り私は社会共感本能が優勢だと思います。何かおいしいものを食べれば次は誰かと来たいと
思い、きれいなものをみたら、誰かに見せたい。おいしいものを作ってみんなと共有したい。学生時代からそれは変わりません。
私は同時に多くのものを受け取り、私の元夫も同じ感覚の人間でした。


愛社心や、愛国心なども強いほうだと思います。脳機能的な観点はおもしろく、突然回りの人全員に
感謝をささげたくなる瞬間などはあります。それは視床下部の下垂体や交感神経系が活性化されている
からなのかもしれないですね。

パートナーとは双方の合意で別れました。ダメージが大きいことも、こうなることもなんとなくわかっていました。でも確かに予想以上だったかもしれません。私のこの喪失感は次にパートナーを探せば解消されるもののか、相手を助けることで自分の存在意義を見出そうとする私自身の問題であり、それが解決されないと次に進めないのかは私もわかりません。そしてこれはとても苦しい感覚です。

でも、もう少し自分探しをしてみます。
ありがとうございました!

お礼日時:2013/03/12 19:16

同年代の男性、独身です。



私の考え方ですが、
基本は人間は一人で生きていくものだと思います。
これは別に人との関わりを無くすという意味ではなく、
自分のことは自分で考え行動し、責任を持たなければならない、という意味です。
他力本願ではなく、自分の道は自分で切り開く、
最後に助ける者は自分しかいない、そんな心の強さが必要だと思います。
その一方で人間は弱いもの、ということも理解し、
パートナーや家族、身の回りの友人と支えあいながら、
お互いの存在を生きる糧として生活していく、
そして心のよりどころとすることも重要だと思います。
その両者のバランスが取れているからこそ、
相手を尊重し、お互いが高めあいながら成長し、幸福も感じるのだと思います。

私にとって人生の目標とは、楽しい、幸せな人生を送ることです。
お金をたくさん稼げるようになる、仕事をこなす、
恋愛をする、結婚する、趣味をする、など諸々のことは、
全ては人生を楽しくするため、充実させるための要素の一つでしかありません。
バリバリ仕事をこなしてたくさん稼げるようになっても、
幸せや充実感を感じられなければそれは成功と言えるのか?
それは幸福という名の山の頂上を目指しているはずなのに、
お金や仕事という単なる登山ルートの面白さや魅力に取り付かれ、
最終目標である登頂を忘れてしまっているように思えます。

質問者さんは失礼ながら、目標と手段が曖昧になっている部分はありませんか。
仕事を懸命にすること、海外旅行に行くこと、友人と楽しく過ごすことなどは、
全てがトータルで充実した人生を送るという要素のはずです。
一つ一つの要素が最終目標ではなく、あくまでも通過点であり、
最終目標はもっと先にあるはずです。
「自分自身を見失っている」のは通過点であり、単なる手段である要素に目がいき、
文字通り、最終目標を見失っている状態だからではないでしょうか。

その一方で人間は社会的生き物です。
人との繋がりがどうしても必要だし、大きな要素です。
親しい友人がいたとしても十年来のパートナーと別れたことが
大きな喪失感となっているのでしょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

確かにパートナーは間違えなく私の人生の中心だったため、その喪失感はとても
大きいのだと思います。こんなこと書くとべったりいつも一緒だったかのような印象ですが、
いわゆる遠距離だった時期も長いので一人での行動はまったく問題ありません。

ただ私の根底に彼がいつも存在していました。そういう意味では一人でやれる心の強さはあまりないかも
しれません。成長しないといけないと思います。

>「自分自身を見失っている」のは通過点であり、単なる手段である要素に目がいき、
文字通り、最終目標を見失っている状態だからではないでしょうか。

おっしゃるとおりです。人によっては仕事で成功する、一定額以上収入を得る。など
が人生の目標となる場合もあります。一方で手段の要素に過ぎないと受け取る人もいるでしょう。

私の場合はそれらは手段要素で、本当にどうしたいか。にまだたどり着いてないのだと思います。

今回の質問でたくさんの色々な観点からの回答を頂きました。また読み返して考えたいと
思います。ありがとうございました。

お礼日時:2013/03/14 14:06

>私は夫なり、彼なり、家族の為に働いたり、パートナーと力を合わせて


生活の基盤を整えるのが自分が生きていると思える瞬間

私も同類だと思います。
自分のためだけには、いまいち頑張れません(^^;
自分ひとりなら、どうでもいいや!と思ってしまいます。

今も、夫が強く望むので、しんどい不妊治療に挑んでいます。
相手にそこまで望まれていなければ、違う生き方を考えると思います。
自己犠牲的かもしれませんが、それが自分を奮い立たせる、納得いく
理由付けにもなっているのは、事実です。

解決策というか、やはり、恋人なり、心の拠り所になるパートナーを
作るように行動することではないですかね?

自ら求めている人って、その想いの強さは伝わりやすい方だと思うので
そんなに難しいことでもないような気もしますが、環境にもよるので
勝手なことは言えませんが・・(^^;

大袈裟な話ですが、私は一度目の結婚に失敗しており、再びの結婚生活も
ちょっと、難しいのかなぁ?と感じていた時期もあったので、もう独身のままで
いくようなら、養子とかも、真剣に考えていました。
今は、不妊治療が上手くいかなければ、やっぱり、養子を真剣に考えようかと
思っています(^^;
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この回答へのお礼

fresh start さん

ご回答ありがとうございました。不妊治療がうまく行くよう心からお祈りします!!
旦那様に望まれて子供を作るという事はプレッシャーもあるかもしれないですが、とても幸せな事だと思います。
そうやって夫婦の絆は深まるのだと思います。

私の場合は彼との同居中11年前に一度妊娠した事があるのですが、ビビった(これが的確な表現です)彼に文字通りおろさなければ今すぐ出て行け
とおどされ、家具なども壊され、それでも一週間粘りましたが、健康な子供だったのに諦める結果となりました。産めなかった悲しみと彼への怒りが潜在的に今も消えていない事をとうとう悟り、他の双方に非のある大きな問題もこれに起因している事をお互い認識して別れを決めました。相手も人生最大の間違えだったと理解しています。別れた今、シングルマザーにならなかった私にもはや子供を欲しいという資格もないし、これが制裁かもしれない。なんて事もどこかで感じます。

もし養子を受け入れる事になっても、ご主人と協力すればきっと幸せな家庭を築けるのではと思います。
私の場合はどうでしょう。もし許されるのなら、子供を産みたいなと、産めなかったとしても育てたいなとも思います。

ありがとうございました!

お礼日時:2013/03/14 03:46

悩んだことありますねえ。

悩んでもしょうがない、忘れようって思っても、なかなか頭を離れないんで、いっそとことん突き詰めちゃおうって。

まず、自分の行動は全て「自分のため」。そして生まれる時も死ぬときも確かに一人なんですが、そのあいだの生きてくことは一人じゃ無理。まあできないことはないと思いますが、効率悪いです。だから社会ってものを作るんだと。

で、「自分のため」とは、「自分が生きてくため」です。あなたの言う「人生の目標」っておそらくですが「生きがい」ではないでしょうか。ホントの人生の目標は、人間全て「自分が生きてくこと(生き続けていくこと)」だと思うのです。ですから「生きがい」は、手段に過ぎないってことです。衣食住とおなじかな。

ですから極論かもしれませんが、自分が生き続けるために、他を利用しているのだと。言葉悪いですが、「愛」=「利用価値」って言い換えちゃいます。聞き心地のよい曖昧な言葉より、わかりやすいと思います。

自己犠牲も依存も言い換えちゃうと「他人のせい」。現実的にはありえないんです。自分の「選択」によって利用しているわけですから、現在の自分の状況すべて自分のせいってことです。

わかりづらいかもしれませんが、要は、「自分が(よりよく)生き続けるために、必要なこと」を考えるのが人間として自然なあり方だってことです。なんのために生きるのかじゃなくて、自分が生きるためになにするかです。誰でもわがままで、それが自然。そう考えたら、世の中の矛盾がなくなっちゃいました。わがままを認識しないから矛盾が出ちゃうってことですね。

生きがいがなくても、生きていけるのなら、無理して生きがい見つけなくてもいいんです。楽になったし、余裕が出たところで、見回してみると、生きがいだらけだったりしますよ。

 
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

なんのために生きるのかじゃなくて、自分が生きるためになにするかです。

>確かに、本来こちらの順番であるべきなのですね。
私は、自分が生まれてきたのには何か理由があり、それを理解して何かを達成しないといけない
ように思っています。もう少し肩の荷をおろした方がいいのかもしれないですね。

>見回すと生き甲斐だらけ。
いつか体感したいです。確かに毎日の生活では海外在住ならではの貴重な体験がたくさんできます。ありがたい事ですし、
これを求めて海外に来られている方も少なくないはず。分かっているのですが海外の生活は私の最終目的ではない。という事が先にたってしまって海外に住めているという事実に感謝しきれていません。

いつかもう少し落ち着いたとき、違う目でみれたらいいなと思っています。
ありがとうございました。

お礼日時:2013/03/14 02:26

普通、自分の利益を考えてしまうことに悩む中、


めずらしい考えですね。

自己犠牲を奨励しないのは、あなたのおっしゃる通りです。
一段次元の高いお悩みですね。

でも、あなたはまわりの人を支えることで幸福感を感じているのでしょう。
それ自体が見返りなのではないですか。

しかめっ面して、みんなのためにやってるのに!!
っていう自己犠牲はたしかに問題あります。

でも、あなたの場合は笑顔でみんなのために
働いているように感じます。

だいじょうぶ。
あなたがしあわせを見いだしているなら、
自己犠牲ではありませんよ。

うらやましい限りです。(笑)
ぼくもあなたを目指します。
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この回答へのお礼

phoenixevil 様

ご回答ありがとうございます!ここからは遠いどこかで私の悩みを読んですぐ励ましの回答を
あげてくださるのは本当に有難いことです。

私はこの国に割合長くいるので、日本から新しく引っ越して来た人をどこかに案内してみたり、輪を広げる手伝いをするのは楽しんでやってます。私も同じ事を現地の人たちにやってもらってるので、それを真似してるだけなんです。そしてそれを自己犠牲とはまったく感じません。

しかしそれは自分の人生の目標にはならないのです。。
なんだか地に足がついていない感覚なのです。何かが足りない感じなんです。

なんて書きながらも頂いた回答うれしく思っています。ありがとうございます!

お礼日時:2013/03/11 20:09

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