
具体的に谷崎側の主張内容を教えてください。転載して頂けると助かります。
その谷崎の主張が読める書名やサイト名がありましたら紹介も宜しくお願いします。
そもそも芥川はなぜ批判めいた事を口走ったのでしょう(発端は芥川側ですよね)。精神力の低下により谷崎生意気だと発狂し始めたのでしょうか(それこそ中身のない感じの浅い批判文をさらしてまで)。
しかし方や芥川だけに文学史上極めて貴重な論争ではないかと思うのですが、単なる出来事として周知され肝腎の議論の行方についてどうなったか私は全く知りません(芥川賞は知名度があるのに。矛盾を感じます)。
ちなみに当方は読書家ではありません。でもこの二人の文学論争は近代文学(作家)の本性を伝える重要な資料になると思うのです。
宜しくお願い致します。
No.2ベストアンサー
- 回答日時:
何をもって「発端」とするか、どこまでさかのぼったら「発端」と言えるのかは解釈によって変わってくるとは思うのですが、芥川龍之介と谷崎潤一郎との論争は、昭和二年、雑誌『改造』に発表された谷崎潤一郎の「饒舌録」から見ていくのが妥当かと思います(参考:平野謙・小田切秀雄・山本健吉編『現代日本文学論争史(上巻)』)。
簡単に『饒舌録』が書かれた背景を説明します。
大正末期から昭和初頭にかけての文学の状況は、一方で急激に台頭してきたプロレタリア文学があり、他方にはそれに対抗しようとする新感覚派の提唱があって、それを明治以来の自然主義の系統とそれにつづく白樺派といった「主流」が迎え撃つ、といったものでした。
大正十四年、その「主流派」である久米正雄が『私小説と心境小説』として、自らの小説観を発表します。久米はここで「私はかの私小説なるものを以て、文學の、――と云って余り広汎過ぎるならば、散文藝術の、真の意味での根本であり、本道であり、真髄であると思う」(引用は『現代日本文学論争史』からの孫引き)という主張をおこないます。
久米は、芸術が真の意味で別の人生の「創造」だとはどうしても信じられない、そういうのは一時代前の文学青年の誇張的至上感にすぎない、自分にとっての芸術は、たかがその人びとの踏んできた、一人生の「再現」としか考えられない、というのです。
「私」を「コンデンスし、――融和し、濾過し、集中し、攪拌し、そして渾然と再生せしめて、しかも誤りなき心境を要する」、そうした意味で、真の意味での私小説=心境小説こそが芸術の本道であり、真髄である、と主張したのです。
この発言を受けて、中村武羅夫や徳田秋声や田山花袋、佐藤春夫や宇野浩二などがこの「私小説論争」に加わって、心境小説とは、本格小説とは……と活発に議論されるようになります。ただ、本格小説(あるいは客観小説)、心境小説といっても、それらの意味するところはきわめて曖昧で、曖昧な概念用語を用いての議論でしたから、どうしてもとりとめのないかたちになっていかざるをえませんでした。
そのさなかに(論争に加わるかたちではなく)自然主義の陣営の外から出されたのが、谷崎の『饒舌録』でした。
「いったい私は近頃悪い癖がついて、自分が創作するにしても他人のものを読むにしても、うそのことでないと面白くない。事実をそのまま材料にしたものや、そうでなくても写実的なものは、書く気にもならないし読む気にもならない」(『改造』1927年2月号:以下引用はすべて『現代日本文学論争史』からの孫引き)
谷崎にとっては、当時論争の焦点であった心境小説と本格小説の優劣など眼中になく、
「…そんな主義でも抱いているように取られそうだが、決してそういう次第ではない」
「素直なものよりもヒネクレたもの、無邪気なものよりも有邪気なもの、出来るだけ細工のかかった入り組んだものを好くようになった」
「此れは或いは良くない趣味だと思うけれども、そうなって来た以上仕方がないから、まあ当分は此の傾向で進んで行こう」
これを見てもあきらかなように、自分の考えを述べたというより、ただ小説についての自分の好悪を吐露したものでしかありませんでした。
それについて、雑誌『新潮』の合評会で芥川龍之介が言及したのです。批評しようとしたものではなく、たまたまそれにふれて、自分の気持ちを述べた、という性質の、文字通りの「言及」です。
その背景には、かつての芥川自身が誰よりも谷崎の言う「素直なものよりもヒネクレたもの、無邪気なものよりも有邪気なもの、出来るだけ細工のかかった入り組んだもの」を書く作家だった、ということがあります。
初期から中期にかけての芥川は、王朝もの、キリシタンもの、開化ものと呼ばれている、技巧を尽くした作品を発表する作家でした。そうして「技巧派」「理知派」という批判を浴びることになったのですが、それに対しては「芸術活動は意識的なものなのだ」と反駁してきたのです。
けれども後期に入ると(といっても芥川の作家活動自体が大変に短いものでしたが)、次第にそうした自分の作風に反発を感じるようになって、作風に変化が生じてくるのです。そうして、たとえば志賀直哉の『焚火』のような小説に、自分には決して書けないがゆえのあこがれを持つようになります。
谷崎の『饒舌録』の主張は、まさにその芥川の思いとは逆の主張だったからこそ、合評会でそれにふれずにはいられなかったのでしょう。それがこのような発言となりました。
「芥川:僕は谷崎氏の作品に就て言をはさみたいが、重大問題なんだが、谷崎君のを読んで何時も此頃通説に感ずるし、僕も昔書いた「藪の中」なんかに就ても感ずるのだが話の筋と云うものが藝術的なものかどうかと云う問題、純藝術的なものかどうかと云うことが、非常に疑問だと思う。」
「芥川:筋が面白いために藝術的の価値が低下すると云うことはない。それは積極的ではない。併し谷崎氏のは往々にして面白いと云う小説と云うものに、其筋の面白さで作者自身も惑わされることがありやしないか。」(「新潮」1927年2月号)
これに対して谷崎は翌月の「改造」でただちに反論します。
「筋の面白さは、云い換えれば物の組み立て方、構造の面白さ、建築的の美しさである。此れに藝術的価値がないとか云えない。(材料と組み立てとはまた自ら別問題だが、)勿論此ればかりが唯一の価値ではないけれども、凡そ文學に於いては構造的美観を最も多量に持ち得るものは小説であると私は信じる。筋の面白さを除外するのは、小説と云う形式が持つ特権を捨ててしまうのである。そうして日本の小説に最も欠けているところは、此の構成する力、いろいろ入り組んだ筋を幾何學的に組み立てる才能、に在ると思う。」(「改造」:1927年3月号)
その谷崎に答えるかたちで、芥川も同じ「改造」に『文藝的な、余りに文藝的な』の連載を始めます。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/26_15 …
あれこれと弁解の続く文章ですが、谷崎に対する回答となるのは、以下の点です。
「「話」らしい話のない小説は勿論唯ただ身辺雑事を描いただけの小説ではない。それはあらゆる小説中、最も詩に近い小説である。しかも散文詩などと呼ばれるものよりも遙はるかに小説に近いものである。僕は三度繰り返せば、この「話」のない小説を最上のものとは思つてゐない。が、若し「純粋な」と云ふ点から見れば、――通俗的興味のないと云ふ点から見れば、最も純粋な小説である。」(「改造」:1927年4月号)
こうして芥川は、谷崎の「構造的美観」に対し、「詩的精神」を対置しようとするのですが、その「詩的精神」がどういったものか、芥川自身にもはっきりとつかめていたわけではなかった。ただ、「話」のある小説しか書いてこなかった自分にあきたらなくなって、なんとかして転換していこうとした先に見えていた(あるいは見ようとしていた)かすかな光、という程度のことだったのではないでしょうか。
それに対して、迷うことのない谷崎の回答は容赦ないものでした。(「改造」5月号)
「私には詩的精神云云の意味がよく分からない。」
「私は斯くの如く左顧右眄している君が、果たして己れを鞭うっているのかどうかを疑う。少なくとも私が鞭うたれることは矢張り御免蒙りたい。」
けれどもその谷崎自身
「藝術は一個の生きものである」
「実際人を動かすような立派なものが出て来れば、いいも悪いもあったものではない」
「現在の日本には自然主義時代の悪い影響がまだ残っていて、安価なる告白小説体のものを高級だとか深刻だとか考える癖が作者の側にも読者の側にもあるように思う。此れは矢張り一種の規矩準縛と見ることが出来る。私はその弊風を打破する為めに特に声を大にして「話」のある小説を主張するのである」
というように、それ以上の考えがあったわけではなかったのです。
芥川はこれに対して『再び谷崎潤一郎氏に答ふ』を書きましたが、特にこれといった主張があるわけではない、儀礼の域を出るものではありません。
この論争も、論争によって互いの思想を確固たるものにする、とか、議論を先に推し進めていく、といったものではなく、あるいは何らかの解決や一致点を見るものではありませんでした。単に、両者の作家的資質のちがいを鮮明にするにとどまるものだったのです。
> 文学史上極めて貴重な論争ではないか
と質問者氏は書かれておられますが、果たして「貴重な論争」というものが、少なくとも日本文学史上、あるものかどうか(いや、誰かに怒られるかもしれませんが)。
実際、過去の「論争」の多くは果たして「論争」と呼んで良いものかどうか迷うほどなのですが、ひとつ指摘しておきたいのは、その多くが実作者によるものであって、理論家によるものではなかった、という点です。この点に関しては批評理論とも関連してくるので、ここではふれませんが(そうしてまたその能力もわたしにはありませんが)、少なくとも作家にとって、理論を構築するのが目的ならば、小説など書く必要はありません。
けれども、多くの作家にあっては、創作を書かずエッセイを書く時期というのは、意識的である場合もそうでない場合もありますが、その作家が転換期に入ったことを示すものといえます。過去の自作の再生産に終わらず、新しい方向を模索するとき、作家というのは「文学とは」「小説とは」と考える。そうしてそれが「論争」というかたちで今日まで残っている、と考えるのが妥当ではないのでしょうか。
この回答への補足
ご回答有り難うございます。
ご説明でよく分かりました。しかも基礎から勉強になりました。そういうまともな説明はネット上に見当たりませんでした。回答者さんを見習ってもらいたいです。
問題提起でなく単に豹変した芥川のつぶやきだったのでしょうね。しかし雑誌に載るのは分かっていて言及したのですよね。寂しかったのか谷崎を名指したのが発端ですね。
しかも文学関係者が論争に凝っていたのでしょうね。今の平和日本人の感覚では計り知れない時代ですしね。
私の云う貴重とは低俗な意味合いで、名の知れた作家同士の直接対決を見逃すは勿体ないとの趣旨です。ご回答を読んでますます貴重な論争だと思いました。彼らの言説が感情論的だから(正直だから資料としても)貴重です。論争が世間受けするにも学術的価値より彼らの本音具合の方が必要です。文学論争に価値があるかではなく本業を討論するのは作品以上に興味深いと思うのですが何故話題にならないのでしょうかね。回答者さんに噛み砕いて教えてもらい、面白味が溢れ出てきました。作家が政治や外交に言及する方が無価値ですよ。
○○派という立場論では芥川と谷崎はどうなるんでしょう。芥川の豹変でまた立場も変わるのかと。
No.3
- 回答日時:
遅くなってすいません。
補足拝見しました。> 芥川の豹変
「豹変」というのとはちょっとちがいます。
だれでも経験することだと思うのですが、大きな失敗をしたときや自分の限界に直面して、これまでやってきたことの延長ではその壁を乗り越えられないようなとき、わたしたちはいったん自分自身を砂漠化して、新たに組み替えていく、といったことを、意識的無意識的におこなっています。
いわゆる「リセット」というのも、自分のまわりの環境を変えるのではなく、自分自身を一新することにほかなりません。そうしてこの「リセット」が、ときに「成長」と呼ばれたり、「変化」と呼ばれたりするのです。
多くの作家もこの「リセット」を繰り返していきます。たとえば漱石の作品が「初期三部作」とか「中期三部作」と呼ばれる、あるいは鴎外であれば、後期の作品群が「史伝もの」と位置づけられる。これは漱石や鴎外が、自分自身の枠組みを作り替えながら、「リセット」を繰り返しながら創作をつづけていったことの現れでしょう。
では芥川はどうだったのか。
芥川は作家として華々しいデビューを飾ったにもかかわらず、早くから創作上の限界をも抱えていました。
彼の作品というのは、おもに説話や歴史に題材を取り、それを技巧を駆使して一個の作品に仕立てあげるというものでしたが、このようなことを続けていれば、早晩行き詰まることは目に見えています。ずば抜けた語学力と知性で、誰も知らないような諸外国の作品にまで手を伸ばしたところで、それが芥川自身の文学の質を高めるということには結びついていかない。その意味で、芥川はごく早い段階ですでに「リセット」の必要を痛切に感じていたと思います。
「筋のない小説」というのは、芥川にとってはこれまでの自分の作品の全否定にほかなりません。自分がやってきたことをいったんは全て否定し、そこからもういちど、創作の基礎となるような「思想」を自分の内に作り上げていきたい、という思いだったのではないか、と思います。
とはいえ、一方でそれを許さない経済事情がありました。生活に追われていた芥川は、たとえば志賀直哉のように、書けなくなったらそのまま休筆し、三年間の沈黙が許されるような資産はありませんでしたから、「利益率」の悪い短編を書き続けていくしかなかったのです。
芥川の作品群の中で、とりわけ目につくのが「戯作三昧」「地獄変」「河童」「枯野抄」といった芸術家の苦悩を扱った作品の多さです。それだけ芥川の関心が「芸術家であること」「創作の苦悩」にあったといえるでしょう。芸術に対して真摯であろうとすればあろうとするほど、芥川が追い込まれていったことは想像に難くありません。
> ○○派という立場論では芥川と谷崎はどうなるんでしょう。
芥川はいわゆる「主知派」に属する作家です。東大生を中心として発行された同人誌「新思潮」に集った久米正雄や芥川龍之介、菊池寛や山本有三らがこのグループの代表的な作家です。
明治四十年代に、自然主義文学がさかんになります。その嚆矢となるのが田山花袋の『蒲団』という小説ですが、これは小説を、フィクションであってはならない、人生の真実の厳粛な記録でなければならない、というふうに考えたものです。
それに反発したのが、耽美派です。文学というのは、実人生の再現ではなく、作家の想像力をもとにした別世界の構築だ、というふうに考えて、作品を発表していきます。このグループに属するのは永井荷風や谷崎潤一郎らです。
大正時代に入ると、ここに「白樺派」が加わっていきます。白樺派というのは、武者小路実篤や志賀直哉など、学習院を卒業した貴族やそれに近い階級の子弟が集まり、当代在学中に始めた同人誌「白樺」を母胎として、個人主義、人道主義を主張した人びとです。
彼らは、自然主義が、人間の裸の姿、人間の動物的な醜い姿をありのまま「告白」しようとしたことを強く批判し、人間はより美しく生きたいという欲求もあるのだ、というふうに考える。自然主義を批判しながら、彼らが始めた「私小説」という水路を、白樺派は受け継いでいくことになるのです。
そのあとに出て来るのが先にもあげた「主知派」です。自然主義のような感情に流される告白でもなく、白樺派のように理想に熱狂するのでもなく、耽美派のように美におぼれるわけでもなく、現実を冷静に直視し、矛盾を指摘する、知的で明快な主知派の作品は、当時の人びとに新鮮な感動をもたらしました。
以上簡単に概観しましたが、このような「~派」といっても、いまのわたしたちにはちょっとわかりにくいところがあるように思います。
文壇という言葉がありますが、いまの作家は誰も「自分が文壇の一員である」というふうには考えていないのではないかと思います。
けれども、大正時代というのは、この「文壇」というものの存在がいまとは比べものにならないほど大きかったんです。
当時は文学に携わるということは、社会から疎外されることでした。
反面そのことは、彼らの意識に、自分たちは芸術家なのだ、俗社会を超越しているのだ、という一種の特権意識となって作用していました。
ですから、その中にいくつかの派閥があり、お互いを敵視たり反目したりしていたけれども、同時に同じ「文壇」の一員である、という意識がありました。そのために、対立、といっても本当の対立にはならなかった。だから、「論争」といっても、なんというか、その対立の軸もはっきりしないし、どこにその「論理」があるのかよくわからない、といった恰好になっているように思います。
この時代の論争が、今日さして顧みられることもなくなっているのは、その論争に加わった多くの作家が、ほとんど読まれることもなくなっていることもあるでしょうが、当時の「文壇人」とわたしたちが共通の問題意識を持つことがむずかしくなっていることがあるように思います。
こちらこそ完璧なご説明に補足などして申し訳ありません。教えて頂く立場ですのでいくら遅くなっても文句などございません。
今回もよく分かりました。文学史は高校以来で当時は受け付けずまるで点数にならなかった領域が一回答で一瞬にして筋目がつきました。国語の先生になられて欲しいです。志賀はあの写真写りに反してボンボンでしたか。印象づけながら展開される説明がお上手ですよね。
私は途中までしか文学を読めない小説嫌いの方でして表面的に質問したのですが本当によく分かりました。お陰様でございます。
基本的に短編は収入にならないのですか。芥川賞の芥川の短編をそんな視点で考えた事もありませんでした。太宰のイメージと交錯しているだけなのか何が原因か知らねど(単なる低所得なのか)芥川が借金に追われるような印象だけは映画かNHKあたりで認識させられていましたがその最中に大転換のような荒治療を課すのは破滅に傾きかねませんね。
小説は苦手なのですがモーパッサンの短編(翻訳)は好きです。彼は自然主義だったと思いますが日本の自然主義も同じでしょうか。同じものを感じられません。荷風は日本語が拙く読めて映画以外に読み進められませんでした。
なるほど文壇ですか。知りませんけどそうでしょうね。また文壇の有り様も短いご説明一発で分かりました。なんで回答者さんみたいな教師や教科書の記述がないのだろうか。
ようやく私にも文学が分かりましたよ(笑)なんであんなものが学問かただの文芸物書きだろうと見下げていましたが。要するに文壇の頃に焦点を合わせないと文学の体をなさないのでしょうね。私はせいぜい三島や太宰のうちさらに読みやすい作品を読了したくらいでして。ますます本件の論争が貴重に思えてきました。朝まで生テレビとは言いませんが、どういう性質の論争劇なのかも、再度のご回答を得た後、今、理解に至りました。野次馬根性の空騒ぎを諭して頂きました。
思いもよらず、ご厚意のお陰で、大変、多くの事を学べました。ありがとうございます。
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