こんにちは。MSN相談箱、たまにお世話になっております。30代女性です。
皆さんは、神がいると思いますか?
信じている・信じていない 理由を教えてください。信じている方は宗教名も明記願います。
ちなみに私は無神論派です(あ、でも夜寝る前に神様云々・・・とお祈りしたことあるので無神論ではないかもですね)。
もし、全知全能の神がいるなら、世界はこんなに悲しい事(紛争・貧困・殺人など)が溢れているわけないですよね・・・。
学校は公立で、ミッションスクールではありませんでした。家には仏壇があります。
(凡人の頭脳ですので、分かりやすく書いて頂けたら嬉しいです。)
No.16ベストアンサー
- 回答日時:
渡りにくい物をわかりやすく説明することは出来ません。
なぜならそこには大きな誤差を生じてしまうからです。まず最初に、神はいずれかの宗教に属するから信じるものではありません。例えば貴方という存在は確実にあります。そして貴方の親から見た貴方を示す表現、男友達から見た貴方の表現、女友達から見た貴方、学校の先生から見た貴方、小学校の友人、大学の友人・・それは全て完全一致はしませんよね。
同様に太陽を見ても、核反応によっても悦天体と答える人もいれば、恵みの根源と答える人も、逆に全てを焼き尽くす恐怖と答える人もいるでしょう。
貴方や太陽という存在は確実に一つでも、見方や自分の求めるものによって解釈がことなる。神と宗教の関係も同じです。
私は神を信じ、カトリックですが、私の認める神は既にカトリックでもイスラムでも神道でもありません。私は神の本質を信じているからです。
貴方のおっしゃる全知全能の神はカトリックやユダヤ教、イスラムの「神」像でしかありません。しかも歪められた神の偶像でしかないのです。
神や仏が自然の災害を避ける・・などとはキリストも釈迦もムハンマドもだれも言っていません。自然の驚異は自然の営みでしかないのです。そして私達はその荒波に漂う小さな小舟でしかありません。災害をなくしたら地球は死にます。月は営みが無いから自身も嵐もないけれど死の世界なのです。
いけるもの全ては障害を乗り越える事によってのみ進化します。シーラカンスはさほど苦難のある環境に居ないから大きな進化を遂げませんでした。生物もまた苦難がなくなれば絶滅するのみです。
紛争や貧困、様々な事件は神が起こしているのですか?人間ですよね。人間の努力不足で引き起こしていることを神の所為にするのはおかしいですよね。そういう人は自分が運動不足で太っても他人の所為だといい、楽して生きられないのは政府の所為だと言っている連中と同じです。
太陽は私達のために燃えているのではありません。でも私達は太陽によって存在しえるのです。だから私たちが今あるのは太陽のお陰。それが信仰の基盤となるものです。
祈りというのは自然な心の発揚です。自分の愛するものが平安な一生を送ってほしいと願うのは自然な気持ちです。
「神など居ないから願いなど持たない」「科学的根拠がないから願うのは無駄だ」「祈ったって祈らなくったって医学で治せばいい、それでもだめなものはダメなんだ」こういう人って情があると思いますか?
私はこういう人には情などないと思います。むしろそう考えている人は「情など無意味だ」と思っているんでしょうね。彼や彼女を作ったって愛しているからではない。単なる性欲処理でしょう。
それが無神論者ということですよ。いずれかの宗教の神を否定するから無神論ではありません。もしそのように言う人がいれば、それは単に知識の狭さを自慢しているだけに過ぎません。なぜなら冒頭に言ったように神は先に宗教ありき存在ではないからです。
また一つの宗教にこだわらない私も、神を信じていても無神論者という事になります。
無神論者が空に向かって祈る・・これを「虚しい」というのです。
太陽や月は別に何かを求めて存在しているのではありません。でも太陽は暖かさを生育を与えてくれますし、月は繁殖を与えてくれます。海の生物の多くは満月に繁殖します。これが「恵」です。対価を求めるものは取引です。
恵を与えてくれる物に感謝のできる人間は信仰のある人間です。そこに神性を感じるから感謝が出来ます。神=恵なのです。そこにあるものが「お陰」の心です。つまりお陰の心が無い祈りは商談取引でしかありません。つまり信仰ではないのです。
だから、神を信じれば何かをくれるという宗教の考えは信仰ではなく取引でしかないのです。
太陽の暖かさに「ありがたい」と思ったら素直にありがとうと言ってみましょう。明日も無事に過ごしたいと思ったら素直に声に出しましょう。それが祈りであり信仰なのです。
だれを信じるのではありません、神です。
お忙しい所ご回答下さり、有り難うございました。
ご回答を読んで思ったんですが、太陽や月って有り難い存在だったんですね。
毎日普通に過ごせるのは、太陽が生物に、暖かさや生育を与え、月は繁殖を与えてくれてたんだと考えると、太陽や月に感謝せずにはいられません。
私の周りにエホバの証人という宗教の人間がいますがその人は『エホバ神が人間が楽しむために植物や動物を備えてくださったことに感謝しています』と言ってました。
自分を取り巻く環境に素直に神性を感じ、感謝できるって凄いと思いました。
No.15
- 回答日時:
神はいる派です。
ただの偶然で人間が存在することほど、存在自体がありえないほどの確立だからです。
存在を信じていても、無宗教です。
存在の是非と信仰の是非は、別物だと思います。
自分の肉体があり、今ここに存在すること以上に何を望むのか?
すべてを神様が与えて、すべては神様がやってくれると
私達は赤ん坊のように、ただ与えてくれることを願うのか。
生きるのにいい環境を与えられ、食料を与えられ、それを幸せと受け止めろと言うのであれば
私達は家畜と何が違っているのだろうか。
本当に必要なものは与えられた、後は自分で歩いていく。
それで十分じゃないでしょうか。
歴史的に視て、人間が非常に苦しい環境や状況の時には
人間以上の力があると信じることで気持ちが救われるでしょう。
その時代の必然だったと思います。
これだけ時代は変わったので、人間がいつまでも「神や仏が救ってくれる」と
依存心を高めていけば、人類はいつまでたっても未熟なままです。
他に救いを求めず、自分達の力で歩いていい時期じゃないかと思います。
依存は相手が何であれ、最終的には破滅の道です。
No.14
- 回答日時:
#5のものです。
追加です現実では
神を他の宇宙人の科学とするならば
地球の科学では解明できないので、宗教扱い、オカルト扱い、個人経営できる(その代り野党は表現しない)
が世間で通用していると思います。
宗教の神の存在のイメージですが
受験に合格した場合は、お祈りが神様に通じたのです
受験に不合格の場合は、お祈りが足りなかったのです
まぁ!
一般には、苦しいときの神頼み、ご先祖様(仏壇)におすがりする、具体的には、
今では言わないが、仏教では「霊のたたり」の「霊」を他の宇宙人の科学とした場合、
当然、
神教でも神を他の宇宙人の科学と扱っています。
また、
政治の世界でもね!
No.13
- 回答日時:
質問者さんが問題にしているのは神の存在ではなくその業績のことですよね。
全知全能の神であればこんな世界を作らなかったはずだから神は存在しないはず。
という理屈ですよね。
でもそもそも存在と業績は別の話ですし、紛争・貧困・殺人は人間がしでかしたことでそれを神のせいにするのは筋違いじゃないでしょうか。
私が女性にもてないのはアダムとイヴのせいだというようなものです。
信じる信じないではなく誰にその責任があるのかという問題でしょう。
哲学のカテだからこういう回答でもいいですよね。
No.12
- 回答日時:
質問者様は無神論者ではありません。
日本では無神論という意味で使ってもいいですが、外国の方と話される場合には、日本人のほとんどが「無神論」者ではないのです。「無神論」というのは、ありとあらゆる「神」の力を信じない人々のことです。「神」という言葉が不都合なら「人知を超える何らかの力」でもいいでしょう。
たとえば受験前に「どうぞ受かりますように」と「願う」ことすら、無神論者はしません。
なぜなら、受験は合理的な点数の多少であって、すでにテスト用紙を提出したときにほぼ合否は決まっており、そこになんらかの力(願いの効力でも、絵馬の力でも、神様が願いを叶えてくれるでも)一切働かないからです。
それを分かったうえで「お願いします」と何者かに願うのは、神を信じない無神論者としては愚かなことであり、なんら意味のないことです。
また茶柱がたったとしても、好きな人にありえない場所で出会ったとしても、それはすべて「偶然」であり、確率的に可能性が低い、というだけです。もしそこに何らかの力が働いたとしたら、お茶メーカーが茶柱の立ちやすい茶を仕込んだか、好きな人があなたを追っかけて偶然に見せかけたか、ということです。つまり「人知の力」でしかない、ということです。
これが一般的な無神論者の考え方ですから、普通の日本人は無神論者であるわけがないのです。
「神」という考え方については、日本人はアンビバレントな状態になっています。
日本人の一般的なイメージでの「神」は、キリスト教的なまたはイスラム教的な、全知全能の神であり、他の神を信仰することをゆるさないイメージです。
ところが日本人の信仰心は、正月に神社で初詣をし、葬式は仏式、それでいて結婚式はあこがれの教会で、という非常に無節操な感じです。
日本人にはアニミズム(精霊信仰)という考え方が本来あって、お箸にも山や川にも人形や針にだってカミ様が宿る、と本来考えているのです。
しかしこれはキリスト教的な「神」と余りにもかけ離れており、全知全能でもありませんので、なんとなく日本人は恥ずかしくなって「私が信じている宗教って別にないよな」と感じてしまうのです。
つまり日本人のほとんどは、他国にはない「日本教(日本的カミ様信仰)」であって、他国と比較するほうがおかしいのです。ちなみに「民族」とは通常、他の集団と文化や宗教を異にする集団のことをいいます。日本人・日本国・日本民族はずっと古来からほぼ同一の宗教観をもって生活してきているのです。
これらは、特に西洋的な一神教とはまったく噛み合いません。昔ザビエルの時代でも「全知全能の神があなたを救うために、私を遣わされた」という宣教師に大して、庶民が「全知全能ならなんで今頃、日本にやってきたんだ」と、「神を信じればパライソ(天国)に行ける」という言葉に対しては「おらも天国に行きたいけど、あんたたちがやってくる前に死んじまった両親は天国にいけないなら、おらも入信しねえ」と言っていたそうです。
実に日本的な受け答えだといえます。
日本は太古から培った精霊信仰に後から輸入した仏教やキリスト教などをどんどん融合して、日本的宗教観を作っているのです。
ですから、正月に神社に行き、仏教式に先祖を慰め、教会で結婚式を挙げるのもまったく(日本人としては)問題がないですし、クリスマスだってとにかく世界で知られている偉い神様の誕生日(本当は救世主の誕生日、まっどっちでもいいか、笑)だから、神様のひとりとしてお祝いすればいいのです。
日本人はどんなカミサマでも受け入れるからです。
さて、こんな日本人が「神様が争いを無くしてくれる」とは考えないでしょう。そもそも昔話を見ても神様は争いばかりしているのが普通です(日本の古事記などもギリシャ神話・マヤ神話などもすべて神々同士の争いの物語です)
神の存在は信じます。でもその神様が世界をすくってくれるほどお人好しだとも想いません。だって、賽銭を挙げないと、自分の願いすら叶えてくれないのが日本のカミ様なんですよ。世界平和のためにはいくら賽銭を上げればいいのか見当がつかないでしょう(笑)
No.11
- 回答日時:
「全知全能の神がいるなら、世界はこんなに悲しい事が溢れているわけがない」
大多数の人が、『神(かみ)』なるものを考えるときに、創造主(全知全能)として、さらにまた善の象徴として考えるので、そこに“矛盾”を感じるのです。
創造主イコール善、ではないのです。
この世のすべてを(人間が感じるところの善悪も)作り出した(創造した)主を神と呼んでみれば、矛盾は感じないと思います。
でも人は“創造主イコール善の象徴”として祈っていますね。だれもこの混同に気づいていません。
明治から大正にかけて活動されたあるお坊さんは「宇宙(如来)の本体は絶対の(相対するもののない)大心霊体である」と云っていますが、この「絶対の大心霊体」をキリスト教では「神(創造主・全知全能)」と云っているのだと思います。
例えてみれば・・・・・
我々は「母」の胎内から産出されました。「母」は私を産んだ創造主です。その創造主である「母」は、すべてが“善”でしょうか。母が産み落とした「私」は“善”の塊でしょうか。
こんな風な捉え方をしてみると“矛盾”を感じることはなくなり、従来から受け継がれている信仰と云うものへの姿勢も変えなければ、と思えてきますね。
No.10
- 回答日時:
参考までに。
――この池にめだかはいますか?
この文が有意味のなのは、たぶん、
「池」という場所の存在がはっきりしていて、
たとえば「めだかのいる池」をほかに知っている、
というような文脈においてです。
「~」がいますか、という文はたぶん上記の文脈を無視して、
いわば無理矢理、主語と存在動詞を結びつけた結果だと思われます。
――金(かね)、ある?
と聞かれて、「金が存在するか」と聞かれたと思う人はいないでしょう。
たいていは、「おまえ、かね、もってる(もってたら、貸して)?」
と受け取ると思います。
――神は存在するか?
この問いを、神を信じてる国で発したら、
日本の田舎のおばさんに「メダカは存在するか?」と聞くようなものです。
(おまえさん、あたまどうかしたのか、という顔をされる)
さて、
「神は存在するか」の問いが有意味になるには、
まず「どこに」が確定されねばならないように思います。
「この世に存在するか」ならば、「神」の概念に矛盾するように思われます。
「この世のそとに…」ならば、その「そと」とは何かが不明確なうちは、明確な答えもまた期待できません。
――人間(の知識)は有限だとはよく言われます。
その有限な人間にとって、
そこにコップがある(と認識できる)だけで、
そこに一匹の蟻がいる(と知る)だけで、
ましてや、そこに愛する人がいる(と思える)だけで、
まさに恩寵のように思えることもあるでしょう。
それを失うとき、人は「何」でその空虚をうめるでしょうか。
限りがあることは、ある意味で、不安の種ですから、
そこに名を付けてみたくなるのも人情です。
以上です。
No.9
- 回答日時:
宗教に絡む話ではありませんが神様はたくさん居る話をしましょう。
貴方の周りにも「カミサマ」を経験した人はたくさん居ると思います?
一芸を極めた人の言葉に「あの時私に神様が降りてきた」と表現することもあります。
最近ではタイガーウッズのパットに「あれはゴルフの神様が降りたんですね」と言いました。
プロ野球の世界でも「野球の神様」が降りた話がたくさんあります。
普通なら起こりえないような事が次々と起こる時そこに神様の存在を思います。
ただね、困った事に神さんは良い事にばかり降りるンジャーないって事です。
反対に次々と信じがたい不幸が訪れることもあります。
これも神さんが降りてると言います。
これらを要約して、一神教では善の神と禍をもたらす悪神が居る事になってます。
仏教にはこれが解り易い様に仏像の形で説明してます。
”神”はそれを感じる人の心という事になります。
ですから他の人から見れば貴方に神が付いてると思えても貴方本人がそう思っていなければ
貴方に神は居ない事になります。
幸い私には素晴らしい”カミさん”が付いてるようなんです。 感謝!
お忙しい所ご回答くださり有り難うございました。
>貴方の周りにも「カミサマ」を経験した人はたくさん居ると思います?
私の周りではいませんね・・・。
勉強になりました。
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