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こんばんは。

遥か2500年も昔に 釈尊はこの世界の全てを論理的に理解して 「人間が人間として自覚して生きれば 人間は自然淘汰の競争原理を克服して 永遠に滅びない」ことを悟られたようです。
しかし 今現在 人間は人間として自覚することを疎かにして自らを滅ぼそうとしています。私は 人間よ人間に戻りなさいと言いたい。

釈尊の時代 人間は神の言葉(ロゴス)を創り 言葉でお互いに対話することにより共同体という社会を構成して繁栄していました。人間は(真、善、美)も創りよりよい生き方を模索しました。
しかし 強固な共同体は神を頂点としたピラミッド構造(階級社会)となり 人間ではない者が出てきてしまいました。

釈尊は 誰もが自分の思うようにならないので苦しんでいたりするのや人間が争うのを観て どうしたらいいかと考えました。
彼は この世界を五感で「あるがまま」に観ました。なんと彼は 全ての物が移り変わる「諸行無常」であることに気づいたのです。さらに あらゆる事象の「因果律」(エントロピーや不確定性原理等も含む)にも気づきました。
当時の人間は「輪廻転生」という概念も創りだしていました。
釈尊は 神の言葉をも創りだしたり 、「慈・悲・喜・捨」(慈しみ、憐れみ、随喜、落ち着き)の心を持つ人間は 一番尊い生き物であると確信しました。「天上天下唯我独尊」
それならば 一番尊い生き物である人間は 人間として自覚して生きれば 人々は「輪廻転生」という概念を信じているので 来世も人間として生まれると思うだろう と考えました。「極楽浄土」
また 人間でないものになろうとする人々は 争い殺し合い自然淘汰されるだろうと思いました。(神になろうとする者や人間としての自覚の無い者等)

1)この世界に「神」が存在するならば (神は全知全能であるので極楽浄土も輪廻転生も存在する)
一番尊い生き物である人間は人間として自覚して生きれば極楽浄土に逝き 来世があるならば人間にしか生まれ変わらない。
人間として自覚しない生き方をすれば 来世で人間に生まれ変わることはない。

2)この世界に「神」が存在しないならば 
一番尊い生き物である人間は人間として自覚して生きれば争うことを止め助け合い その子孫は決して滅びることはない。
人間として自覚しない生き方をすれば 自ら争い殺し合い自然淘汰される。

釈尊はこの世界の全てを理解し 五感で認識できないものは考えても何も生み出さない(非我)として 人間が自ら人間として自覚して生きれば その子孫が生き残り人間は滅びないと信じたのです。釈尊の苦しみは無くなり心は静かになりました「涅槃静寂」

私は 「人間としての自覚をもって生きる」=「中道に生きる」ことができればもう何もいらないような気がするのですが。
貴方は 貴方が予想もしない災難に直面した時 「人間が人間としての自覚を持って生きるためには」 どのような新しい哲学を創った方がいいと思いますか? 
「対話」による真理の追究が哲学だとも言えますが 何かございましたら よろしくお願いします。

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A 回答 (13件中11~13件)

>「人間が人間としての自覚を持って生きるためには」 どのような新しい哲学を創った方がいいと思いますか?



 人間はどうしてセックスするのかを真剣に哲学する。

>「対話」による真理の追究が哲学だとも言えます

 「セックス」による真理の追求が哲学だとも言えます。 
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>「セックス」による真理の追求が哲学だとも言えます。
そうだともいえますが。ネズミ算的な人間の人口問題の解決方法は 考えないのですか?

お礼日時:2013/04/29 06:41

まず人間の自覚とはなんでしょう?・・人間の本質は「我」でしょうか?


自覚とはなんでしょう?

「全知全能」この意味は?・・神仏は我々人間の知らないことも知っている・・ということは、神仏の大きさを我々は測り知ることも出来ないということですよ。

で、それらがなぜ人類が滅びないという一つの結論に到達するのか、途中がすっぽ抜けていませんか?

なにか、答えを得ているように見えて、何も得ていない・・そんな風に感じられるのですけれど。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>人間の自覚とはなんでしょう
人間は 自ら環境に活かされている生き物であると認識すること。そして 健康な精神と健康な肉体を保つということ 人間は 呼吸により適度な酸素を体に運ぶことで精気を養い 適度な食物を得ることで生きることができます。
人間は 共同体を創ることで豊かさを持つことができていると認識すること。そして 「慈・悲・喜・捨」の心を失わないということです。

>「全知全能」
そうですね 人間は三位一体(「父」と「子」と「聖霊(聖神)」)によって創られています。人間は 父でもあり子でもあり聖霊でもあるのです。貴方が聖霊を信じなければどうしようもありませんが。
人間は 五感で認識できるのは目の前の僅かな時空間であることが分かりますか?ならば 何故 認識できない時空間が存在していると思えるんでしょうか?答えは 人間の精神が記憶で補っているんです。この時空間を補う行為が聖霊なんです。
よって この世界を存在させているのは 貴方であり 父であるんです。

>人類が滅びないという一つの結論に到達するのか
父であり子であり聖霊である 私達(共同体)が「慈・悲・喜・捨」の心を失わないで 一番尊い生き物として生きることができれば 一番尊い生き物は滅びないと人間(一番尊い生き物として生きることを選択できる)は滅びないと信じるでしょう。

お礼日時:2013/04/29 06:40

こんにちは。



人としての尊厳を見て、それをいかに守るか、そのように考えた時、人間本来の静けさや落ち着き、意識のまとまり、精神の明晰さ、こころの強靭さや柔軟さ等々が発揮され、人間らしく生きられるのではないかと考えます。
死や無を妄想して恐れることなく、生存の執着を克服し、(人として)活き活きとした人生を歩けるようになるのではないでしょうか。
私はそのように考えます。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>人としての尊厳を見て
人間は自らのことは 自分では観ることはできないので 他に自己を投射することにより 「慈・悲・喜・捨」(慈しみ、憐れみ、随喜、落ち着き)の心 を確認することができるということですね。
私もそのように思います。そこで 自らの健全な精神と健康な肉体を保つことにより 知彗により生きていけたらと思います。

>死や無を妄想して恐れることなく
私は 死や無は人間を生かすためにあると考えます。生存の執着は 人として生きていくこととは直接には結び付かないと思います。人は自分がやりたいことがあれば そのことに無我夢中で専念するだけです。
人間が他の生き物と違う処は 他人と喜びや悲しみを分かち合い 生きていくために協力できることだと思います。大事なことは この世界で他人がいなければ 自分が何をやったとしても虚しく感じるのではないでしょうか?

お礼日時:2013/04/29 06:39

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