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Komm susser todの歌詞について質問です。
この歌の一節にある、
In my heart of hearts
I know that I called never love again
ですが、callが過去形なのはなぜだと思いますか?
この歌が流れている状況を歌っているのだと思うのですが
完了形でもないし、流れている現在との繋がりがあまり感じられません。
私としてはI know that I do never love againの方がわかりやすいような気がします。

自分の疑問をうまく言葉にすることすらままならないような状況ですが、
この件について見解をお持ちの方がお見えでしたらお伺いしたいです。
よろしくお願いします。

A 回答 (4件)

聞いてみましたが歌詞が間違っています。



I know I could never love again

と歌っています。never の前に [kəd] と聞こえますが、called が弱化してこういう風に発音されることはなく、位置的に助動詞の could 以外は考えられません。
位置というと、never は助動詞、be 動詞の後、一般動詞の前に位置するので called never はありえません。

そこで、この行の意味ですが、過去形がいきなり来るのが不自然であるのはお考えの通りで、仮定法の「二度と人を愛することはできないだろう/(他の人はいざ知らず)私が人を愛することは二度とありえないだろう」と考えるのが自然です。

I do never love はちょっと無理があるようです(do を助動詞として do love なら「確かに・本当に愛する」ですが、これを否定することは普通せず、「二度と愛さない」なら will never love とか would never love と言います。love を do の目的語(つまり名詞)とする言い方は一般的ではなく、仮にそうであるとしても今度は助動詞がないため never do love としなければなりません)。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
発音視点からの見解、非常に信頼できるものだと思います。

本当の歌詞がcouldだったとして、意味するところは
確固たる決意ではないから、まだ未確定の事って意味で過去形、でもそうしなきゃってことでnever love again
といったような感じになるのでしょうか?

また、単純な過去形のようにも見えます。
まずこの曲の流れが、過去に犯した罪への悔悟、そして自分のすべき事を理解し、この節へと至るのですが、過去に紆余曲折あって今、私に再度人を愛する事なんてできるわけなかった、と認識している。
という風にも訳せそうだと思ったのですが、
件の一節を仮定法過去だと断定できる要素があればご教示いただけると助かります。

お礼日時:2013/04/25 23:06

>件の一節を仮定法過去だと断定できる要素があれば



could を単純な過去として使うときは個別な行為ができた・できないではなく、能力があった・なかったという意味に解されるのが普通です。また when 過去形の節や過去のときを表す副詞句を伴うことが多く、そうすることで仮定法過去と区別されます。

never は単純な否定ではなく、あることを行う回数がゼロという意味の否定です。I will never love と言えば、今後人を愛する(ようなことをする)回数がゼロであろうということです。すると、行為ではなく能力の有無という「状態」の could との折り合いが悪く、could は仮定法過去で意味は「~であろう」と考えるのが自然な流れになります。直説法で can never と言うほどの確信がないことを仮定法過去で表しています。

>まだ未確定の事って意味で過去形

仮定法過去はそういうことではなく、形は過去形でも意味は現在から未来に広がり、可能性が低いことや全くないことを意味します。「~してくれますか」と言うときに Can you より Could you が丁寧と言われるのはあけすけに「できますか」と言うより「もしかしたらしてくれないかもしれないけれど、もしよかったらしてくれますか」と相手がしてくれそうな可能性を低く表現しているからです。
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この回答へのお礼

丁寧なご回答ありがとうございます。
これで疑問は全て消えたように見えます。
私がしっかりと理解できているか纏めたいと思います。
よろしければご確認下さい。

・ここでは過去を表す副詞句などの要素がなかったため単純過去ではない。
・neverは主に回数について述べるものであり、couldの能力の有無を示す用法、つまりyesかnoでしか表せない用法を修飾するとは考え難い。
・よってneverに修飾されたcouldは推量の用法とするのが妥当。

これまで仮定法過去は実現可能性がかなり低い事のみを表す場合に用いられると認識していましたが、実際にはこの一節のように直説法で示す程の自信はないが、話者の焦点は実現する側にあるような推量にも用いられるのでしょうか?

なかなか上手く理解できずに申し訳ありません、ご返答お待ちしております。

お礼日時:2013/04/26 01:29

>実際にはこの一節のように直説法で示す程の自信はないが、話者の焦点は実現する側にあるような推量にも用いられるのでしょうか?



はい。仮定法の助動詞を使った構文には幅があります。学校で習う典型的な仮定法の構文では可能性がゼロかほとんどない場合を扱い、その「ウラ」を考えさせる場合が多いのですが

If I were a bird, I could fly. ←→ I am not a bird, and I cannot fly.

こういう風に明らかに事実に反する仮定の下で述べられたことには事実という「ウラ」を考えることができますが、I could never love again のようなときに明確なウラが言えるのか、どういう条件があれば「必ず再び人を愛する」と言えるのかは不明です。

このため、明らかに事実に反することから実現の方に心は向いているものの可能性が低い(ひょっとしたら~するかも)まで表せます。

また推量の助動詞は直説法であってもそもそも推量ですから100%の可能性で断言しているわけではありません。I will(意思) とか I can(能力)のような助動詞では自信をもった表現になります。
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この回答へのお礼

度々の丁寧な回答、感謝します。

仮定法であった場合については疑問は全て解消されました。
しかしいろいろと考えているうちに新たな疑問ができてしまいました。
よろしければお付き合いいただけると助かります。

発音などの問題はさておき、仮に公式の歌詞が正しかった場合、
I know that I called (that I would) never love again.
と、補った場合、この一節が歌であることを考慮しても不自然なものになるのでしょうか?

仮に正しかったとして、いろいろ問題は残りますが
よろしければご回答お願いします。

お礼日時:2013/04/26 21:45

>I know that I called (that I would) never love again.



不自然というより誤りです。call は that 補文を目的語にとりません。

考えてみましたが、この誤りの原因は手書きされた could を called に見誤ったように思えます。筆記体でぐちゃっと書かれると o と a の見分けがつかないことがあり、高さをはっきり区別つかないように書かれると ul が lle に見えることもあります。内容を確認する暇がなかったかできる人がいなかったのでしょう。
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この回答へのお礼

完璧なご回答ありがとうございます。
こんなイージーミスがそのままになっていたとは非常に信じ難いものであり、
いろいろと可能性を探ってみましたが、誤りの可能性が高そうです。

http://oshiete.goo.ne.jp/qa/8059969.html
よろしければこちらの回答2への私からの返答についてもお付き合い下さい。

お礼日時:2013/04/28 01:23

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