親子におすすめの新型プラネタリウムとは?

中二のものです。
短歌について質問をさせてもらいます。

寺山修二の短歌の
海を知らぬ少女の前に麦藁帽のわれは両手を広げていたり

という俳句ですがこれは写生に入るのでしょうか?それとも浪漫主義でしょうか?


補足火曜日がテストなので分かる方がいらっしゃったら急ぎの回答をお願いします。

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (2件)

写生とすると恐ろしくつまらない短歌だと思いませんか。

浪漫主義か何か知りませんが、いろいろ妄想して楽しめればいいのではありませんか。
    • good
    • 0

全部の短歌がその二つに分けられるわけではないと思いますが、寺山修司の短歌は“虚構”であることが知られていますので、少なくとも単純な写実ではないということになるでしょう。


たしか寺山修司のお母さんは作品中で何度も殺されたと言っていたように伝えられています。

http://www7b.biglobe.ne.jp/~nishiou/hyoron/1/ter …

文学史では寺山は「前衛短歌」派に分類されているみたいですね。よくわからない定義ですが。超現実主義(シュルレアリスム)の影響はあるように思います。

「修司」の字が間違ってます。
    • good
    • 0

このQ&Aに関連する人気のQ&A

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

関連するカテゴリからQ&Aを探す

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q品詞・表現技法についての質問です。

中学2年生です。明日提出予定の宿題ですので、かなり急いでおります。
その宿題とは、「1つの短歌に注目して、作品についてのまとめを行なう」と
いうものなのですが...いまいち表現技法などがわかりません。
その短歌とは、俵万智さんの「思い出の 一つのようで そのままに しておく麦わら 帽子のへこみ」
なのですが...「へこみ」で終わる場合、それは表現技法の*体言止め*といえますか?

今、自分なりに分かったのは

・句切れなし
・口語がなめらかに流れるように結句まで続く
・「へこみ」を使用することによって、楽しさだけではなく切なさや悲しさも表現している

という3つのみです。
その他、この短歌に使われている表現技法やリズムの工夫などがありましたら
教えていただきたいです。よろしくお願いします。

Aベストアンサー

もう宿題を出しちゃったかもしれませんが・・・。
体言止めであってますよ。
夏の思い出を記憶にとどめておくため、あえて「へこみ」を直さないとの歌かと。
「へこみ」は楽しい思い出かもしれませんし、切ない思い出に通じるかもしれませんね。
私は記憶にとどめておきたいような思い出なので、楽しかったに一票入れます。

Qくれなゐの 二尺伸びたる 薔薇の芽の

正岡子規の短歌、
・くれなゐの 二尺伸びたる 薔薇の芽の 針やわらかに 春雨の降る
について教えてください。

特に「二尺伸びたる」はどの名詞を修飾しているのでしょうか。候補は、薔薇と芽だけれど、二尺って60センチです。だとすれば、それが修飾しているのは、芽(茎や蔓の意がある)でしょう。でも、茎が紅色って考えにくいです。

ではと思って、「くれないのバラの芽(蕾)」だと考えると、「二尺伸びたる」のがどこを修飾するかわからなくなってしまいます。

それならと思って、「くれないの」を枕詞だと考えてみるけれど、枕詞の「くれないの」は普通、「色」や「あさ」にかかるのだから、ちょっと無理があります。

正岡子規って、写実主義の歌人だったから、たぶん答えがあると思うのです。文法的に、どうしたら整合性がつくのか、教えてください。

Aベストアンサー

早蕨の質問がお終いになっていましたので、こちらに回答します。

毎年冬を越すため、ハイブリッドのバラから、去年伸びた茎を毎年スッパリと剪定します。春になるとまたそこから芽が伸びてきます。白いバラの茎は柔らかい緑色ですが、赤いバラの茎は紅色といえないこともありません。細い茎がどっしりとした根元からシューッと伸びてきます。葉は深い緑色ですから、紅色は映えます。

60センチ伸びたというから、ずいぶん大きな花のつぼみがついていたことでしょう。そのつぼみに、まるで早く咲けというように、春雨が降りかかっています。風もなく、シトシトと霧のような春雨です。

そうして、バラの花はまた今年も咲こうとしているのです。

作者がバラに見たものは希望だったか、自然の摂理だったか。散り際の美しい桜に比べると、バラの美しさは開きかけに尽きます。その、開きかけよりさらに前、つぼみの景色を歌にした作者は、柔らかな茎を伸ばして、成長してゆくものの命を暖かく包み込む、春雨を詠んでいるように感じます。

彼がつぼみで、春雨は母だったかもしれません。

Q寺山修司の短歌について

今短歌を勉強しているのですが、寺山修司の担当になり、作品の出典を調べる事になりました。
しかしいくら検索しても出てこないのでここで質問させて頂きたいのです;

「大いなる欅にわれは質問す 空のもつとも青からむ場所」
という短歌の出典を教えて頂けないでしょうか?
知っている方いらっしゃったら回答お願いします。

Aベストアンサー

未刊歌集「テーブルの上の荒野」に入っています。
その中の「飛ばない男」の中にあります。

未刊歌集なので、単独の本はないと思うのですが、たとえば参考URLの寺山修司歌集の133ページに収録されています。

参考URL:http://www.kokubunsha.co.jp/archives/ISBN4-7720-0190-5.html

Q寺山修司

下の二つの短歌の解釈を自己流でしてみたのですが、間違いないでしょうか。
ある方に聞かれたのですが、こういう解釈で良いと思われますか?
あるいは、他の解釈が浮かばれた方がいらっしゃいましたら是非教えて下さい。


1、『マッチ擦る つかのま 海に霧ふかし 身捨つるほどの 祖国はありや』
ーーーーーーーーーー
寺山が、好きだったトレンチコートの襟を立てて埠頭に佇んでいる。
彼方には、大きな船が太い鎖の先に連なる赤錆色の錨を海底深く降ろし停泊している。
霧が深い夜で、遠くで霧笛が聞こえる。
煙草を吸おうとしてマッチに火をつけると、朱赤の煌きに自分を含めた周囲の大気だけがぼんやりと浮かび上がった。
そのさらに外側は濃い霧に包まれたままだ。
その霧に包まれながら一瞬浮かびあがった自らのシルエットに、
「俺は俺自身以外の何者でもない」という、「俺というものの本質」を唐突に意識した。
「社会的人間って何だ?」
「第一、国家って何だ?」
「こんな国、捨ててやる!」などと思うことすら愚かしい、個人を束縛しようとする単なる機構にすぎないではないか。
ーーーーーーーーーー
といったような感慨が沸き起こった末の作品であるように感じます。


2、『海を知らぬ 少女の前に 麦藁帽の われは両手を ひろげていたり』
ーーーーーーーーーー
寺山、子供の頃の回想でしょうか。
もしかすると初恋の思い出かも。
夏休みのある一日、理由ははっきりと覚えていないが偶然その少女と二人きりになった。
少女は海を見たことがなかった。
寺山は何度か見たことがある。
少女:「海ってどんなものなの? 」
寺山少年:「すっげくおっきいんだ。」
少女:「すっげく、って・・・、どのぐらい? 」
寺山少年:「・・・。こ~んなぐらい。」
と言って、幼い彼は精一杯手を広げた。
ーーーーーーーーーー

下の二つの短歌の解釈を自己流でしてみたのですが、間違いないでしょうか。
ある方に聞かれたのですが、こういう解釈で良いと思われますか?
あるいは、他の解釈が浮かばれた方がいらっしゃいましたら是非教えて下さい。


1、『マッチ擦る つかのま 海に霧ふかし 身捨つるほどの 祖国はありや』
ーーーーーーーーーー
寺山が、好きだったトレンチコートの襟を立てて埠頭に佇んでいる。
彼方には、大きな船が太い鎖の先に連なる赤錆色の錨を海底深く降ろし停泊している。
霧が深い夜で、遠くで霧笛...続きを読む

Aベストアンサー

#2shigure136です。
国を捨てるのではなく、命を捨てる、すなわち「国のために自分の命を捨てる=国のために死ぬ」ということなのではないでしょうか。

「命と引き換えにできるような祖国なんて無い」という気持ちを表したのではないかと思います。

Qテスト直前なのに、短歌の区切れがわかりません………。

短歌の句切れ、どのように見分けたらよいのかがわかりません。
感動の助詞(けりなど)がなかったら『句切れなし』なのでしょうか?

以下の句の句切れ、自分で考えても理解できず、家族や友人に聞いてもわからないと言う返事しか返ってこなく、
ネットで調べてもよくわからないので困っています。
どうぞよろしくお願いします。

・防人に 行くはたが背と 問ふ人を 見るがともしさ 物思もせず(防人歌)
・多摩川に さらす手作り さらさらに なにそこの児の ここだかなしき(東歌)
・君待つと 吾が恋ひをれば 我がやどの すだれ動かし 秋の風吹く(額田王)
・近江の海 夕波千鳥 汝が鳴けば 心もしのに 古思ほゆ(柿本人麻呂)
・うらうらに 照れる春日に ひばり上がり 心悲しも ひとりし思えば(大伴家持)

すべて万葉集で、とても一般的な句なのだそうですが、よくわかりません。どうかよろしくお願いします。

Aベストアンサー

「句切れ」とは、和歌や俳句において、意味の上でいったん切れるところです。
以下のような場合があります。

1、切れ字のあるところ。
「切れ字」は、「や」「かな」「けり」など。俳句の項目で調べると分かります。でも、松尾芭蕉は「全て切れ字」とも言っていて、本質的には奥の深いもので、一概に「これが切れ字」とは言えません
↑「けり」は「詠嘆の助動詞」です(「助詞」ではない)。

2、係り結びの結んであるところ。
係助詞「ぞ」「なむ」「や」「か」は連体形で結び、「こそ」は已然形で結ぶ。

3、終止形や命令形で言い切っているところ。

4、体言止めで言い切っているところ。
ただし、体言で句が終わっていても、そこへ「を」「に」などの助詞を補ってあとの句へ意味がつながるような場合は、ここを句切れとは考えません。

5、倒置法のあるところ。

6、呼び掛け法のあるところ。

韻文の場合、芸術的に感心できませんが、一応、「解釈(分かりやすい現代語に訳す)」をしてみると、句切れも分かるかと思います。

*防人に・・・
あの九州の警備兵として徴兵されていくのは誰の旦那さんかしらね、と訊く人を、見ることのうらやましさと言ったらないよ。なんの悩み事もなくて(あの防人は私の夫なのだよ、私には危険な国境に夫を送り出すという悩みがあるのだ)。
→「ともしさ」が体言止めで、意味的に倒置法なので四句切れです。

*多摩川に・・・
多摩川に晒して作る布を見ていた。その「さらす」という音でふと思い出したが、さらにさらにどうしてあの子がこんなに恋しいのだろうか。
→「多摩川にさらす手作り」までは、「さらさらに」を導くための「序詞(じょことば)」で、和歌の解釈としては内容的な意味はなく、「手作り」は体言止めで、二句切れです。

*君待つと・・・
恋人のあなたの訪れを待って私があなたを恋い慕っていると、私の家の簾を動かして、あなたの代わりに秋の風が訪れ、あなたはまだ来ないのだった。
→順当な流れのうちに結句まで言い切っている歌で、句切れなし。ちなみに、古今集以降だと、「秋風」を「飽き」との掛詞(かけことば)と考えて、恋人の訪れがないのを、恋人とが自分に「飽き」たからだ、と、別れや失恋を暗示するのですが、万葉集だとそこまで読むのは深読みと考えられるでしょう。単に季節がほんとに秋だっただけ。女心の寂しさは詠み込まれているけど。

*近江の海・・・
琵琶湖に夕方立つさざ波に群れ遊んでいる千鳥たちよ、お前が鳴くと、私はひどくしみじみと悲しくなって、昔のことが偲ばれてならないよ。
→「夕波千鳥」を呼び掛け法と考えても、単なる体言止めと考えても、いずれにせよ二句切れ。

*うらうらに・・・
うららかに照っている春の陽射しに雲雀が空高く舞い上がり、私の心はいっそう悲しいなあ。一人ぼっちで物思いに耽っているので。
→「心悲しも」の「も」は、上代特有の助詞で、詠嘆を表すので、ここで切れて四句切れ。春の憂愁(メランコリー)を詠い、万葉集としてはかなり進んだ、中古的美意識をもって詠んだ歌。雲雀の楽しそうなさえずりと、自分の憂鬱な物思いとの対比。

万葉集の和歌には、二句や四句の偶数で句切れのある歌が多いのです。
五七/五七/七
と「五七」のリズムが強調されるので、「五七調」と呼ばれます。
(古今集以降の和歌は、初句や三句の奇数句で句切れのある歌が多く、五/七五/七七と「七五」のリズムが強調されて、「七五調」と呼ばれます)
五七調の和歌は、五音という軽い上半身を、七音という重い下半身でしっかりと支えるので、歌体が安定し、堂々とした力強い響きをもたらします。
七五調の和歌は、反対に、七音という重い上半身が、五音という軽い下半身の上に乗っかる格好になるので、歌体はふらつき、なよなよとした流麗な流れの良い歌になります。

「句切れ」とは、和歌や俳句において、意味の上でいったん切れるところです。
以下のような場合があります。

1、切れ字のあるところ。
「切れ字」は、「や」「かな」「けり」など。俳句の項目で調べると分かります。でも、松尾芭蕉は「全て切れ字」とも言っていて、本質的には奥の深いもので、一概に「これが切れ字」とは言えません
↑「けり」は「詠嘆の助動詞」です(「助詞」ではない)。

2、係り結びの結んであるところ。
係助詞「ぞ」「なむ」「や」「か」は連体形で結び、「こそ」は已然形で結ぶ...続きを読む

Q正岡子規「くれないの二尺のびたるばらの芽の~」の情景はいつ頃を指していますか。

 正岡子規「くれないの二尺のびたるばらの芽の針やわらかに春雨の降る」の情景はいつ頃を指していますか。
 季語で見ると春雨で春、しかしバラの季語は夏でまだ芽であるため、春雨は梅雨を表し6月中頃ではと思いますがどうでしょうか。

Aベストアンサー

これは、まさに「芽」でしょう。
木々の芽吹くときです。病床にある子規がバラの新芽の生命力の強さに憧れた歌だと思います。
まさに「春雨」早ければ2月、あるいは3月の歌だと思うのが妥当です。
「くれないの」というのは、バラの花ではなく、芽吹くときの先が赤くなることを指しています。或いは、子規自身が吐血したのかもしれません。
いろいろと想像力をたくましくすることが、詩歌の鑑賞には必要でしょう。

Q若山牧水 白鳥は・・の訳について

白鳥は「哀しからずや」の「哀しからずや」はどう訳せば良いのでしょうか。
できれば、入試問題的な解答をいただきたいのですが。

Aベストアンサー

 
  牧水の元の歌はひらがなだたような気もするのですが、漢字で「哀」を使っていたなら、それは「悲」の場合の「かなしからずや」とはニュアンスが違います。そもそも、同じ「かなし」が、何故、「哀し・悲し・愛し(かなし)」に漢字で書き分けるかと言うと、元の言葉に複数の意味・ニュアンスがあって、それを表現するための工夫で、自覚的に文章を書いている人は、それぞれに意味やニュアンスを区別して使っているはずです。
 
  「悲哀」は、「かなしみ」ですが、「悲痛+哀切」というような感じで、決して、「かなしい+かなしい」の二重重ねではないはずです。(悲哀、悲痛、哀切で、人によって把握が違うかも知れませんが、明らかにニュアンスが違っています。みな、同じ「かなしい」ことだと言えば、乱暴でしょう)。
 
  しらとりはかなしからずや → 白い鳥は、悲痛ではないのだろうか
  しらとりはかなしからずや → 白い鳥は、哀切ではないのだろうか
 
  これは、意味やニュアンスが違っています。「悲痛」というと、しらとりを見て、心が、どういう理由か「痛む」という感じで、かなり感情で辛いものがあります。「哀切」というと、心に痛みがあるかも知れませんが、それを詩的に受け止めるというか、ある程度客観化し、距離を置いた感じがわたしにはします。(悲痛は、「私が悲痛」で、哀切は、「何かが哀切」です。大ざっぱですが)。
 
  白き鳥よ、あなたは何と哀切なことか、空はこんなに青く、海はあんなに青いのに、空からも海からも離れ、ひとり孤独に漂っていることか。

  (そのように、わたしの心も、哀切のなか、漂泊の思いに満たされる……)。
 
  これは、わたしの解釈ですが。
 

 
  牧水の元の歌はひらがなだたような気もするのですが、漢字で「哀」を使っていたなら、それは「悲」の場合の「かなしからずや」とはニュアンスが違います。そもそも、同じ「かなし」が、何故、「哀し・悲し・愛し(かなし)」に漢字で書き分けるかと言うと、元の言葉に複数の意味・ニュアンスがあって、それを表現するための工夫で、自覚的に文章を書いている人は、それぞれに意味やニュアンスを区別して使っているはずです。
 
  「悲哀」は、「かなしみ」ですが、「悲痛+哀切」というような感じで...続きを読む

Q寺山修司さんの

みなさんこんにちは。
寺山修司さんの詞なんですが、原文を避けますけれども、

「マッチをする、海には霧が深く立ちこめている、身を捨てるほどのふるさとというのはあるのだろうか」

という内容の詞があると思いますが、これの解釈がいまひとつしっくりこなくて気になっています。どういうことを言おうとしているのでしょうか?皆さんの解釈をお聞かせ下さい。

Aベストアンサー

寺山修司の短歌に昔、はまっていた頃がありました。
思春期から青年期に移行する頃だったと思います。

「マッチ擦る つかのま海に 霧ふかし 
身捨つるほどの 祖国はありや」

これは寺山作品の中でも大好きな短歌でした。
現代語での解釈はNo.1さんのおっしゃっている通りだと思います。
ただ、言葉どおりの意味でとろうとすれば、
解釈は確かに難しいものなのかもしれません。

「マッチ擦る つかのま海に 霧ふかし」
作者の寺山修司には、
くわえ煙草で少しはにかんだような写真がよくあります。
きっと霧のかかる海を眺めながら、一服をしようとしたのでしょう。

孤独と不安を感じ、自分が何者かを確かめたい欲求は、
青年期には誰もが、ふとどこかで立ち止まった時、
少なからず体験しているのではないでしょうか。
そこで突然湧き上がった思いが

「身捨つるほどの 祖国はありや」
という表現になったのだと思います。
身を捨てるほどの情熱を傾けるものよ、現れてくれ・・!
という彼の心の叫びだと、若い私は思っていました。
今でも、ボランティアを志願する多くの若者の尊い気持ちは、
これに近いのかもしれません。

ずっと私は、この時寺山は煙草を吸いながら涙を流していたのだ、
という情景を思い浮かべていましたが、10年ほど経った今は、
彼は静かに、ただ海を見つめていたのかもしれない、と思います。
寺山がどう思って作ったのかということより、
この珠玉の言葉が私の中で、私と共に変わっていくことを感じます。
彼の言葉がオーケストラとすれば、私はただの客ですから、
これでいいと思っています・・答えにならないですね(笑)

仕事に忙殺され、豊かな心をきっとすり減らしている今の私は、
思いがけずこの歌に出会えたことが何よりうれしく、
もうすぐ今夜も徹夜になりそうな、嫌な気分が晴れてきました。
ヘンかもしれませんが、お礼を言いたい気持ちです。
ありがとうございました。

寺山修司の短歌に昔、はまっていた頃がありました。
思春期から青年期に移行する頃だったと思います。

「マッチ擦る つかのま海に 霧ふかし 
身捨つるほどの 祖国はありや」

これは寺山作品の中でも大好きな短歌でした。
現代語での解釈はNo.1さんのおっしゃっている通りだと思います。
ただ、言葉どおりの意味でとろうとすれば、
解釈は確かに難しいものなのかもしれません。

「マッチ擦る つかのま海に 霧ふかし」
作者の寺山修司には、
くわえ煙草で少しはにかんだような写真がよくあり...続きを読む

Q石川啄木の短歌について・・・

石川啄木の短歌「不来方のお城の草に寝ころびて空に吸はれし十五の心」と「しらしらと水かがやき千鳥なく釧路の海の冬の月かな」の意味を教えてください。お願いします

Aベストアンサー

【不来方のお城の草に寝ころびて
        空に吸はれし十五の心】

15歳のころ、不来方城の草原に寝転で空を見ていて
私の心は吸い込まれそうだった。


盛岡城は別名不来方(こずかた)城といいます。
啄木は盛岡で中学校(盛岡尋常中学校)時代をすごしました。
学校を抜け出し不来方城の草原で寝転んで
空を見ていたころを懐かしんでいる歌ですね。
啄木は与謝野晶子の歌集「みだれ髪」に影響を受け、
16歳に中学校をやめて、この後上京します。


しらしらと水かがやき千鳥なく釧路の海の冬の月かな

釧路の海の水面は月の明かりでしらしらと輝いています。
夜の冬の釧路の海には千鳥はいない静寂があります。

啄木は明治40年(1907)生活の行き詰まりから北海道に渡ります。
北海道の函館、札幌、小樽、釧路と漂白生活をすごしました。
76日間の釧路時代に歌った歌でしょう。

注:私は【千鳥なく】を千鳥は夜はいない(なく)と解釈します。
夜は千鳥はいないと思います。

参考URL:http://member.nifty.ne.jp/namur/takuboku/takuboku.htm,http://www.city.kushiro.hokkaido.jp/kankou/b/b03-003.html

【不来方のお城の草に寝ころびて
        空に吸はれし十五の心】

15歳のころ、不来方城の草原に寝転で空を見ていて
私の心は吸い込まれそうだった。


盛岡城は別名不来方(こずかた)城といいます。
啄木は盛岡で中学校(盛岡尋常中学校)時代をすごしました。
学校を抜け出し不来方城の草原で寝転んで
空を見ていたころを懐かしんでいる歌ですね。
啄木は与謝野晶子の歌集「みだれ髪」に影響を受け、
16歳に中学校をやめて、この後上京します。


しらしらと水かがやき千鳥なく釧路...続きを読む

Q短歌の鑑賞文を書くのですが、アドバイスください。

                   
円形の和紙に貼りつく赤きひれ掬われしのち金魚は濡れる

という短歌なんですが、まず鑑賞文ってどういう感じで書けばよいのでしょうか。

とりあえずなんとなく書いてみたのですが、自分で読んでも変だと思うのですw
アドバイス貰えたら嬉しいです↓

なにかしら生き物が濡れた状態だと、哀れな姿に見えるものです。
しかし水中の金魚は、ひれを揺らし優雅に泳ぐので、決して哀れだとは感じさせません。
しかし作者が金魚を掬いあげたとたん、綺麗だった赤いひれが和紙に貼りつき、
のたうつ金魚を見て哀れだと感じ、初めて濡れているのだと感じます。
金魚が水の外に出たとたん、私たちが受ける印象は一転するのです。

Aベストアンサー

 短歌から推測される、詠まれた時の情景・心理なども説明したほうがいいんじゃないかな、と思います。

 質問者さんもお気づきのようですがこの歌は、おそらく金魚すくいの時に詠まれた歌であり、金魚すくいが行われるのは縁日など、とてもハッピーな雰囲気、雑踏の中で行われます。

 そんな中で掬った後の金魚の姿を見て、詠み手はがく然とするわけですので、詠み手の心理を鑑賞するのはもちろんですが、それだけではなく、1匹だけ掬われた金魚の「思い」を、人間の楽しい雰囲気・雑踏などと対比して推測してみると、もう少し深みのある鑑賞文になるかもしれません。

 詠み手自身も、金魚の思いに想到して、歌を詠んだのかもしれませんし。

 例えばそうすると、「濡れる」とは、単に金魚の体が水に濡れているということだけではなくて、詠み手は金魚がべつなものに濡れていると感じたのかもしれないと想像する余地も出てきそうです。
 


人気Q&Aランキング