いちばん失敗した人決定戦

仕事の夜勤あけに、何げなく母とテレビを見ていたら、凍結卵子についての医療機関のアンケートが放映されていました。


どこの放送局か、晩酌していたので覚えていませんけど、卵子凍結については現在は縛りがないそうです。


個人的には、それぞれの事情と人生観があるので、反対するつもりはありません。


しかし、法律上の規制と管理監査の必要性を感じます。


その理由は、遺伝的に優秀な卵子を必要とする人が必ず現れ、売買される対象になる可能性が高く、私はそれは許してはいけない行為だと考えています。


卵子凍結は、法制化すべきでしょうか?


それとも、売買を含め個人の自由なのでしょうか?


もし、宜しければ精子提供や代理母も絡めて、人の誕生に関してご教授頂ければ幸いです。


小生、今晩も夜勤の予定なので、お礼は明後日以降になる事をご了承下さい!

A 回答 (1件)

こんにちは。


難しい問題故に、なかなか回答が付きにくいご質問のようですね(汗

まず、ご質問のタイトルに「凍結卵子」と言う言葉を使われているようですが、ご質問の内容としては、凍結卵子そのものではなく「卵子バンク」に関しての意味合いの方が強いのではないかと思います。

「凍結卵子」自体は、通常、体外受精の為に採卵したものの、夫の精子が採取できなかった場合などに、「卵子を無駄にせず保存する目的」で用いられるものです。

今の日本でも「卵子提供」は行われておりますが、ほとんどの場合、姉妹と言った家族間での提供によるものです。
今問題となっているのは、現在海外で行われている「卵子バンク」のように、家族以外の第三者によるドナーから卵子を提供させる事業について、認めるかどうかと言う話であると思われます。

難しい事を言っているようですが、実際、本当に混乱を極める難しい話でもあるのです。

さて、ご質問にもありました「精子提供」に絡めて話を進めますと、今現在の日本でも「精子バンク」と言うものが普及しております。

あなたが懸念されている「遺伝的に優秀な卵子を必要とする人が必ず現れ、売買される対象になる可能性が高い」と言う問題は、この「精子提供」においても同じ事が言えるのだと思います。

ただ、「臓器提供」と同じく、「原則としてドナーは匿名」でありますので、よっぽど悪質でない限り、ドナーの個人情報を知った上での売買は、基本的には起こりえません。

では「卵子バンクの何が問題なのか?」と言えば、あなたがご質問の中で挙げた、「卵子凍結は、法制化すべきでしょうか?」と言う問題に戻ります。

意味が分からないでしょうが、そもそも、この問題は「法制化出来ない」「法制化が難しい」と言う事が一番の根底にあるのです。

携帯で全て閲覧できるか分かりませんが、まずはこの資料の5条以降をご覧下さい。

http://www.law.tohoku.ac.jp/~parenoir/perinatal. …

法律上の親子関係は民法が決めるもので血縁が決めるものではありませんが、民法はあくまでも鑑定技術や生殖医療の進展を予定していないのです。

この事から、基本はあってもそれ自体が非常に曖昧ではっきりした線引きが無いと言う事になります。

例えば、「生まれた時点でその子供の父親が誰なのか分からない」と言う問題は存在しても、「生まれた時点でその子供の母親が誰なのか分からない」と言う問題は通常はありません。

しかし、これが「卵子提供」である場合、法律上の母親は「産みの母親」を指すのか「遺伝子上の母親」を指すのか、と言う問題が発生します。

これは、「代理母」が認められていない今の日本においては、逆側から考えても同じ事が言える訳で、一方で矛盾が生じると言う事になります。

つまり、第三者からの卵子提供に関しては「現行法が明確ではないので、子供の地位が不安定になる」と言う問題が起こるという事です。

子供が将来、自分の出生を調べなければ、財産分与などに関して揉め事の原因にならなければ。。。
「その事を知らない限り」特に親子間での問題は生じないとは思うのですが、それが今、現行の法制化の限界とも言えますね。

長々と説明しましたが、以上の事を踏まえて自分の考えを申しますと、「本音と建て前」「理想と現実」と言う観点に置いて、これほど矛盾と温度差を感じるものはないという事です。

自分達夫婦も、なかなか子供を授からず、不妊治療の末ようやく子供を授かったという経緯があります。
「子供が欲しい」と言うご夫婦の気持ちは、痛いほど分かるつもりです。
しかし一方で、例え血の繋がりはなくとも、自分の子供のように心から愛する事の出来る方が目の前におられる事も知っています。

先ほど添付した資料の中に、
「子を望むことは、どこまで権利なのだろうか。その望みはときとして極めて切なる強い望みであることは、まちがいないが、それは権利たりうるだろうか。」
と言う言葉がありました。

あなたが懸念された「優秀な遺伝子を望む事」は、人間や動物の「本能」としてはある意味当然なのだそうです。
しかし、それを技術力や金の力によって望む事は、当然の権利ではないと自分は考えます。

自分は、基本的にどのような場合においても「人が子供を望む事」自体、「エゴ」だと思っている節があります。
どんなにその心情が間違っていても正しくても、人が自分以外の人間の人生を相手の意思なく作り出す以上、エゴに他ならない。
そういう意味では「個人の自由」ですし、そういう意味だからこそ「個人の自由ではない」と考えます。

「エゴ」を、「自由」と取るか「責任」と取るか。

いずれにせよ、「人の誕生」に置いて「権利」があるのは「生まれてくる者だけ」ではないでしょうか?

かなりの長文になり、最後は支離滅裂になって訳が分からなくなってしまいました。
少しでも参考になる部分があれば幸いです。
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この回答へのお礼

ご解答ありがとうございました!


確かに、夜勤あけで晩酌していた時に、たまたまテレビでやっていた話題なので、質問の仕方が悪いなぁと翌日感じました。


色々調べて頂きまして、ありがとうございました!


同時にAKBの質問したのですけど、そちらばかりアンサーがあり、少しがっかりしていました。


実は、私の知り合いに不妊治療の末、奥様が36歳でやっと子供を授かった人がおりました。


人の誕生は、試験管ベビーが生まれてから、様々な規制や道徳観が議論されてきました。


昔なら、亡くなっていたであろう人が、医学の発展で助かり、新生児が保育器で守られるようになり、平均寿命から平均余命の概念が生まれました。


色々な制度や法令が作られる度に、必ずと言って良いほど、抜け道を考え商業ベースに乗せる人間が現れました。


人間各自の価値観や道徳観は、その時代の経済性や宗教や教育や為政者によって影響されてきました。


近代の日本人は、経済性や利便性を優先させてきたと考えます。


その事により、日本人のアイデンティティーが根底から歪んできたように感じています。


少子化が問題になっている昨今、晩婚化による出世率の低下と障害を持った子供の生まれる割合が増えてきました。


結婚するしない、子供を産む産まないは、各自の価値観ですから何も言いません。


しかしながら、生まれる命に対して、法令や道徳観で守ってあげる事が、産む親側の義務なのではないでしょうか?


サッカーの本田選手が、子供は社会からの預かりものと発言していました。


お若いのに、大したものだと感心させられました!


唯一のアンサーありがとうございました!

テレビを見て、私が一番始めに感じた事は何だと思いますか?

東南アジアや中国では、今だに子供の誘拐売買や子供の臓器売買が横行しています。

中には、売春婦にするために誘拐される子供たちもいます。

凍結卵子や精子が、それらの為に利用されない事を祈ります。

過去、日本でも腎臓や角膜を売ったり取られたりした人がいました。

もしかして、現在もあるのかも知れません。

人間の欲とは、業が深く恐ろしいものだと思います。


今の日本は平和で裕福ですけど、日本が経済的に貧困になり、そういう事が当たり前にならない事を、孫のために切に祈っております。


ありがとうございました!

お礼日時:2013/06/12 22:02

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