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 人の心は、理性、感性、意志、と言う言葉で表す三つの働きがあるとされていますが、「記憶」と言う働きはどのような位置づけになるのかと、時々考えたりしています。

 今日、思ったことは理性、感性、意志、の“性や志”を取り除いて“理・感・意”とした場合、どうなるかと云う事です。

 「感」には感覚と感情という言葉がありますが、感覚は物理的な反応としました。
 感情は精神的な反応、でよいと思いますがその内容は物理的な“感覚”に反応して起こる「情」と精神的な“刺激(好悪など)”を受けて起こる「情」とがあるように思います。

 また、感覚は生理的に、感情は心理的に、とも受け止めてみました。

 「理」についてはどうなんでしょう。
 理性、と言う言葉に対して理解という言葉を当てるのは適当でしょうか。

 理解とは物事を解釈し判断すること、でよいかと思いますが、理性とはそうした能力(働き)の事を言っているように思います。
 そう思うと、理性とは物事を理解する働き、と受け止める事になるのですが、これで良いでしょうか。

 「意」については辞書では“思い”とありますが、これに「志」が付くと“力(ちから)”を感じます。
 この“力”は言い換えれば行動する、と言うことだと思います。今、能動という言葉を思い出しました。
  
 「感」を受動、とすれば「意」は能動、であると。

 そして、「記憶」という心の持つ能力です。
 生物すべてにあると思われる「記憶」という心の働き、“心”はこの「記憶」を土台にして成り立っているのではないのだろうか・・・・・

 なんてことを考えてみましたが“回答”いただけますでしょうか。
 よろしくお願いいたします。

 

 

 

 

A 回答 (13件中11~13件)

免疫組織の人工的構築―人工リンパ節構築の試み


http://www.jbsoc.or.jp/event/magazine/pdf/84-03- …
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こんばんは。




他の二つはともかくとして、

>「「理」についてはどうなんでしょう。
 理性、と言う言葉に対して理解という言葉を当てるのは適当でしょうか。

 理解とは物事を解釈し判断すること、でよいかと思いますが、理性とはそうした能力(働き)の事を言っているように思います。
 そう思うと、理性とは物事を理解する働き、と受け止める事になるのですが、これで良いでしょうか。」


「理」については、相当注意が必要な「語」と思っています。

語源的には?、譲りたい・・・と思ってしまいます(すみません)が、
「理性」とは、(何かに寄る)善悪を判断する能力、というわけで。


ややこしいのは、「合理的」という「語」にも「理」という単語が使われているところです。
しかし、両者は違うのですね。

おそらく「理解」と言えば、「合理的」という意味に連なるものだと思います。


「信教の自由だ!!」という立場からは、理性的な判断を重視しましょうし、、、
「信教の自由」ですね。という立場からは、合理的な判断を重視するのでしょう。
(「信教の自由」も絶対ではない)
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この回答へのお礼

 いただいた回答、“「理性」とは、(何かに寄る)善悪を判断する能力、”から思ったことは、善悪という表現を良し悪し、と言い換えてみたらどうなるんだろう、ということでした。

 あるいは利害、と言い換えてみたらどうなるか、とも。
 
 kurinalさんの受け止め方は、理性という言葉には善悪を、そして理解という言葉には良し悪し、あるいは利害、という意味合いがあると受け止めているのだと、思いましたが?

 回答ありがとうございました。

お礼日時:2013/07/03 22:48

性(さが)は元々人間として持ち合わせている能力であるから性と付くのでしょう。



記憶能力は知性ですよね。

感性は、感じる働き。
理性は、理(ことわり)に沿って、組み立てる働き。

意は思いであるなら、方向性を示していると思います。

意によって感性・理性・知性などを使い理解に及ぶようになると思います。
意を持つ、つまり自らが気にかけ(意識し)なければ感性や理性や知性も
能力があったとしても十分に機能しないと。

つまり理解とは、いくつもの機能を使った上で起きる現象ではないでしょうか。


> 「感」を受動、とすれば「意」は能動、であると。
そうですね。
感は、フィードバック機能も果たしていると思われます。
感じるからやってみる。感じるから止めておくなど、判断として使われますよね。

記憶は知性の働きであるが、心の動きまでも記憶にとどめておき
感性を使って、その情報を引き出している。

心の働きがあると思えるのは、倫理道徳に関係するようなこと。
頭で考える善悪の前提だけでなく、感じることにより判断する機能があるかなと思います。

記憶によって心は影響されるが、それは正しい判断を司るための機能だと言えるのではないでしょうか。

記憶らしい記憶が無くとも、赤ん坊は気持ちが悪いなら泣き腹が減れば泣き、機嫌がよければ笑います。
過去も振り返らず未来も予測しない、今を生きてるであろう赤ん坊でさえ心は存在すると思います。

この回答への補足

 実はちょっとした、と言うか大きな、と言うかミスをしてしまいました。
 心の働きに“感性、理性、意志”としましたが、感性は“感情”とするつもりだったのです。
 この事が回答をいただくにあたって大きな問題なのか、さほどの事でもないのかは、自分には判然としません。
 遅蒔きながら訂正したいところです。

 記憶、については情報を補完するロッカーのようなものと受け止めていますが、どうでしょうか。そのロッカーを開けて中のものを取り出す作業は、意の働きに依り理や感を通して、意が結果を出す、と考えましたが。

 また、いただいた回答から気づいたことは記憶には情的なものがある、ということでした。情的記憶は理を介さずに意に影響を与えますね。そこから、知的記憶はと言うと理を介して意に反映される、と考えました。

 赤子を素材に考えることは理解が進みそうです。
 赤子の生命活動はまだ、理や知の働きはないと思うので、感そのものの表れかと考えました。あるいは生理的感覚の表れであると。また精神的には情、感情の良し悪しの表れである、とも。

 回答ありがとうございました。

補足日時:2013/06/27 23:26
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