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キリスト教が布教活動を海外まで広めていたのは、なぜですか?
なんで、そんな過ちを犯してしまったのでしょうか?

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A 回答 (9件)

海外というのはヨーロッパ以外という意味でしょうか? 一応そういうつもりでお答えします。



過ちだったかどうかはさておき・・・
ヨーロッパの外への布教に熱心だったのはキリスト教の中でもカトリックだけです。
プロテスタントは布教活動自体には消極的な宗派が多いです。

というのも、16世紀~17世紀にかけて、ヨーロッパでは宗教戦争が巻き起こっていました。
この間、たくさん戦争がありました。結果としてカトリックからプロテスタントが分離します。
これで困るのはローマ教皇庁です。
戦争とプロテスタントの独立でカトリックの信者は激減して、教会の収入も激減、そしてカトリックの体制も空中分解してしまいそうなかなり危うい状態にありました。

そこで信者を増やすために、積極的にヨーロッパの外へ出て行きました。
時は折りしも大航海時代が終わりを迎えて、世界中に交易路が確保される時代です。
宣教師たちはどんどん世界中に散らばっていきました。
日本にはザビエルが来ましたね。

また、非キリスト教徒の土地を占領するということは、同時にそこの住民を教化してしまうか、無理なら殺してしまうか、ということとセットになっていたようです。
統治する上ではそれが合理的だったのでしょう。
海の向こうの土地を占領したスペインやポルトガル、ドイツの東の異民族の土地を占領したドイツ騎士団もこういったことをやっていたようです。


最後に蛇足ですが参考までに。

ヨーロッパにキリスト教が広がったのはローマ帝国の時代です。
もともとキリスト教はローマ帝国の宗教にそぐわなかったので最初のうちは弾圧されました。
ですが信者が増えていって、最終的にはローマ帝国の国教になってヨーロッパ中で信仰されるようになります。
どうやら、弱者救済というのが女子供、老人に人気があったようです。
こういう経緯を考えると、一神教というのは多神教にはないしたたかさがあるかもしれないと、私は思います。
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この回答へのお礼

宗派争いの結果だったんですね。
ありがとうございました。

お礼日時:2013/08/04 18:45

聖書を読んでみられると、復活後、昇天前に、イエスキリストが、最後に弟子たちに残した言葉が、”世界の人々に私の言葉を伝えるように”というものです。

Great Commission(マタイ28:16-20)と呼ばれています。

黙示録を読んでみますと、神の国がやってくる直前には、最後の一人まで、キリスト教に帰依する、という予言があり、神の国に住むのが一日も早くなるように、一人でも多く、キリスト教に改宗させるよう努力するのが、キリスト教徒の道であると考えられています。

航海術の発達によって、非キリスト教国への渡航が可能になったとき、布教活動を行ったのは当然の帰結でしょうし、逆に、布教のために大変な危険を冒して航海に出た人たちもいたでしょう。

さらにご質問があれば、補足なさってください。
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この回答へのお礼

聖書にそう書かれているのですね。
ありがとうございました。

お礼日時:2013/08/04 18:46

キリスト教が布教活動を海外まで広めていたのは、なぜですか?





15世紀、16世紀にヨーロッパ人が海外に拡張した時、彼らが信仰していたのがキリスト教だったから。
キリスト教の教義の中に何らかの原因があったわけではない。

インド史上最初の兄弟な帝国を築いたアショカ王は、仏教の伝道師を国外に派遣している

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1% …

ヨーロッパ人だろうがインド人だろうが
キリスト教だろうが、仏教だろうが

拡大する人間の集団は、宗教を持っているので、その宗教を拡める。
ヨーロッパ人×キリスト教というのは、日本人の歴史教育で印象深いということ。

フィリピンの宗教史で言うと、
東から、あるいは北から広がったのがキリスト教で西からあるいは南から広がったのがイスラム教。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A3% …

「14世紀後半には、中国~東南アジア~インド~中東を繋ぐ航路上で海上交易を行っていたイスラム商人の影響でフィリピン諸島にもイスラム教が広まる。」

「15世紀後半には、中国~東南アジア~インド~中東を繋ぐ航路上で海上交易を行っていた南蛮商人の影響で日本諸島にもキリスト教が広まる。」
時代を 14世紀→15世紀
イスラム商人→南蛮商人
フィリピン諸島→日本諸島
イスラム教→キリスト教

書き換えても、文章が成立し、南蛮貿易とキリスト教における日本での状況を正しく説明する内容になるのは、構造的にイスラム教もキリスト教も同じだということです。
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世界制服のためです



それに気づいてキリストを排除しようとした信長はどうなりました?
イエズス会の手先だった光秀に消されたでしょ

この回答への補足

ノブナガは仏教も嫌いだったじゃん。(苦笑
きっと、他力本願なところが好きじゃなかったんだと思いますよ。
まぁ、信長以外にも坊主を殺した武将はいっぱいいますが、それはお寺が、侍に匹敵する集団だったので、という事を聞いたことがあります。
それに関してはどうお考えですか?

補足日時:2013/07/30 20:40
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2013/08/04 18:35

”キリスト教が布教活動を海外まで広めていたのは、なぜですか”


    ↑
キリスト教は、ユダヤ教がユダヤ人の為の宗教だったのを
全人類の為の宗教にしてしまった、というのがまず指摘
できます。
しかし、それだけでは世界に広まりません。
世界に広めたのは、ルターの宗教改革が原因です。

この宗教改革により、プロテスタントに信者を奪われた
カトリックは経営が苦しくなりました。
ようするに儲けが減ったのです。

それで海外に信者を獲得するようになったのです。
だから、欧米以外の国のキリスト教は、殆どが
カトリックです。
来日したイエズス会もカトリックでした。
イエズス会は、カトリック布教の為の精鋭部隊です。

キリスト教を禁止した日本ですが、オランダを除外した
のは、オランダがプロテスタントで、布教に熱心でなかった
からです。


”なんで、そんな過ちを犯してしまったのでしょうか? ”
    ↑
異教徒からは過ちですが、キリスト教徒からみれば
非常に優れた選択でした。
あれにより、現地人を宣撫できた西欧は、簡単に侵略
でき、今の豊かな生活を手に入れることが出来たの
ですから。

この回答への補足

儲けというのは、少しわからないのですが・・・、海外に布教し、信者を広めるのは分かるんですが、儲け、例えば江戸時代の日本では、どういう感じで、本国?までお金が流れたのでしょうか?
大名とかにとり付いでおみやげや金とかをもらうのは分かるのですが、当時は農民とかに信者が多いイメージなのですが。
お野菜ならくさりますよね?

宣教師は、教えを広め協会を立てて、少しずつ集めたお金を、全国を回って徴収するという感じなのでしょうか?

補足日時:2013/07/30 20:36
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この回答へのお礼

金銭的な問題なのですね。
ありがとうございました。

お礼日時:2013/08/04 18:35

宗教が布教活動をするのは確信犯でしょう。


南米に進出したときには、生贄などの野蛮な習慣を止めさせなければと、かなり強引に改宗させて文化を破壊しまくりましたが、おそらく今でもそれが正しかったのだと疑っていないことでしょう。
キリスト教に限らず、イスラム教でも仏教でも、あるいは他のさまざまな宗教も布教活動をしていると思いますよ。創価学会や(旧)オーム真理教なんかも海外に信徒を広げてたはず。

神道はそういうのが無いので、ハワイなどの海外で鳥居を見たりすると違和感を覚えますが、これは特殊といえるでしょう。神道系といわれる新興宗教は布教活動も活発ですし。

この回答への補足

やはり、他の宗教でも布教は盛んなんですね。
という事は、ヨーロッパの方とかにも、仏教徒が足を運ぶことは、江戸時代とかで海を渡った宣教師がきたくらいの頻度ではあったってことですかね。

そうなると、ヨーロッパにも日本の協会くらいは、神社があるという事でしょうか?
それとも、海外に散った仏教徒たちは、教えを広めるのに失敗したのでしょうか?

補足日時:2013/07/30 20:29
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この回答へのお礼

日本の仏教も、海外に積極的に布教活動をしていたのですね。
ありがとうございました。

お礼日時:2013/08/04 18:40

 キリスト教は唯一神の宗教であり,しかも布教を重視しています。

キリスト教徒にとって,自分たちは唯一の正しい信仰の持ち主である一方,異教徒たちは誤った信仰を持っているかわいそうな人たちなので,正しい信仰を教えて救済してあげなければならない,という考え方が根本にあるのです。
 日本人にとっての「異教徒」は,単に自分たちと異なる宗教を信じている人たちですが,キリスト教徒にとっての「異教徒」は,誤った宗教を信じている人たちであり,正しい宗教に引き戻してあげなければいけない人たちなのです。
 16世紀になると,カトリック国であるスペインやポルトガルが海外に進出していきましたが,彼らが内心で何を望んでいたにせよ,建前としては正しい神の教えを世界に広めるというのがその目的でした。
 とりわけ,その時代にはヨーロッパでもプロテスタントなどの新しい宗派が登場しカトリックは危機的状況にあったので,新しい宗派に対抗するためカトリック国でもイエズス会など宗教的情熱の強い宣教師が多く登場し,熱心な海外への布教活動を展開していったという事情もあります。
 まあ,それが「過ち」であったと言えるかどうかは,いろいろ議論のあるところだと思いますが。

この回答への補足

やはり、唯一神ってところが、最大のポイントですか。

イスラム教が海外に向けての熱心の布教活動をしているイメージではないのですが、もしそうなら、宗派の派閥の影響がなかったためですか?

国民性の違いもあるのかな?

補足日時:2013/07/28 23:48
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この回答へのお礼

何が正しいかは、自分で見つけたいものですが。
ありがとうございました。

お礼日時:2013/08/04 18:38

思想を広めることは、過ちでしょうか。


フランシスコ・ザビエルはキリスト教という思想以外にも、南蛮文化品である、
望遠鏡、洋琴、置時計、ギヤマンの水差し、鏡、眼鏡、書籍、絵画、小銃
などを広め、日本文化の進歩にも貢献したのでは?

この回答への補足

望遠鏡、洋琴、置時計、ギヤマンの水差し、鏡、眼鏡、書籍、絵画、小銃なんかは、宗教に絡んでなくても、貿易で得ることができたのでは?

思想を広めることはいいことですが、宗教的にも鎖国状態にあった日本で、弾圧や排斥運動が起こるとは、思わなかったのですかね、やはり。
それによって命を落としたひともいるのでは?

で、なんで、キリスト教は布教活動が盛んなんですか?
他の宗教もそうですか?

補足日時:2013/07/28 23:38
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この回答へのお礼

広めた結果内戦が起こるとは思わなかったのですかね?
まぁ、仕方なしですかね。

ありがとうございました。

お礼日時:2013/08/04 18:37

なんで過ちなの?←質問者の意味が分かる人はいないよ。


どこに限定して布教?すればいいの。
盛んだったのは信者を増やすのが商売だからです。ケータイ電話の契約者はどうなるの。
ケータイも過ちになるだろうに。

この回答への補足

完全に宗教戦争とは言えませんが、島原の乱は、キリスト教に関わる内戦だったのでは?
それとも、自分たちが広めたものが、その国内で弾圧や排斥されずに、他の宗教からも、楽に受け入れられると思っていたのですか?

とはいえ、商売というのはどういう商売だったのでしょうか?

補足日時:2013/07/28 23:35
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この回答へのお礼

商売なのですね。
ありがとうございました。

お礼日時:2013/08/04 18:37

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Q江戸時代はなぜキリスト教はNGだったの?

日本は仏教が中心ですが、キリスト教信者もいます。キリスト教に篤い学校・老人施設・病院などもあります。
しかし、江戸時代はキリスト教は禁止されていました。キリスト教を信仰すると罰を受け、踏み絵などキリスト教信者を見つけては処罰という制度もありました。天草四郎を中心とした島原の乱も起きるなどしながらもキリスト教は禁止されましたが、隠れキリシタンも多数存在していました。
で、いったいなぜ江戸時代はキリスト教が禁止されていたのでしょうか???

Aベストアンサー

江戸幕府のキリシタン禁制は慶長17年(1612)、幕府直轄領での禁制、翌18年に、全国さらに外国まで広げたものですが、キリスト教禁令にはさまざまな要素があります。
 キリスト教布教当初から信仰が拡大するにつれ、キリシタン大名領では神社仏閣の破棄が行われました。そのことから民衆側からもキリスト教を邪教視する風潮がありました。同時に寺社の破棄は、日本の伝統的倫理観の破壊と恐れられたのでしょう。

 次に創造主の元の平等、つまり創造主の絶対性ですが、それが日本の封建領主の倫理観とは相容れなかった。欧州では支配者と創造主は同一であるという「神権政治」、そこから発展した、王の地位は創造主より授けられたものという「王権神授」という伝統的倫理観が土壌にあります。そのような倫理観がない世界(日本)に創造主の絶対性を重んじる思想は、主君・領主への忠誠より、創造主への忠誠を優先させます。このことが天下統一のさわりになると、豊臣秀吉は天正15年(1587)に禁教令を発します。

 さらには外交政策の面。徳川家康は和平外交を進めるため、当初は信仰を黙認していましたが、慶長5年、オランダ船リーフデ号漂着により、プロテスタントであるオランダ・イギリスと交渉開始。日本市場の拡大を図るため、ポルトガル・スペインの締め出しを計画。そこでカトリックへの不利な情報と中傷を行いました。つまりカトリック国の侵略的意図。信徒を利用した反乱計画などをは、当時の幕府としては「天下統一のさわりになると」いう危惧をより拡大させました。禁制により教会の破壊・宣教師の国外追放。信徒の東北・蝦夷地への放逐などが行われました。
 徳川家光はさらに厳しく禁制を行いますが、寛永14年(1637)の島原の乱による衝撃から、鎖国政策の徹底とキリシタン弾圧はより強固となります。
 カトリックの海外布教は、プロテスタントに対する対抗措置という面がありました。その点、海外布教を重視していないプロテスタント国とは幕府は貿易を行えたのでしょう。

参考
『国史大事典』(吉川弘文館)

 ただし、禁制も太平の世が長く続くことで形骸化していき、当初はキリシタン監視の意味でもうけられた寺請制度も、寺院側からすれば「檀家としての勤めを果たしていれば、裏でキリスト教を信仰していても黙認する」という事実もありました。領主も「良き領民としての勤め」を果たす限りは信仰も黙認状態でもありました。キリシタンであると暴露しても、領主の監督不行届と罰せられる危険性があったからです。
 現在でも「カクレキリシタン」の家では、寺院の檀家であり、神社の氏子であり、家には仏壇・神棚が祀られて、同時にカクレキリシタンである。その信仰体系は仏教・神道・民間信仰とキリスト教が混在した、いわゆるカトリック・プロテスタントとは異なる信仰形態ですが、キリスト教公認以後も、カトリック・プロテスタントに改宗せず、先祖が守ってきた信仰として「カクレキリシタン」として守り続ける家があります。

資料
『オラショ―魂の通奏低音 カクレキリシタン』(宮崎賢太郎・長崎新聞社)
http://www.nagasaki-np.co.jp/jigyoubu/book/kakure_book.html

『カクレキリシタンの信仰世界』(宮崎賢太郎・東京大学出版会)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4130104020/250-7207972-6663457

江戸幕府のキリシタン禁制は慶長17年(1612)、幕府直轄領での禁制、翌18年に、全国さらに外国まで広げたものですが、キリスト教禁令にはさまざまな要素があります。
 キリスト教布教当初から信仰が拡大するにつれ、キリシタン大名領では神社仏閣の破棄が行われました。そのことから民衆側からもキリスト教を邪教視する風潮がありました。同時に寺社の破棄は、日本の伝統的倫理観の破壊と恐れられたのでしょう。

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Qエルサレムに、なぜ3宗教の聖地が在るのですか?

エルサレムでは、紛争が延々続いていますね。
あんなに狭い所に、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教という3宗教が聖地を持っているから、トラブルが起きるのは当たり前だとは、とは思います。その3つの宗教は、ユダヤ教、それから発生したキリスト教、そしてそれらと影響のあるイスラム教、という関連のある宗教ですね。
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Aベストアンサー

まずですね、一神教ってのが興るんです。「世の中に神様と呼ばれるお方はおひとりだけ」という考え方です。
この一神教の神様は、ユダヤ教が呼ぶヤハウェ、キリスト教が呼ぶゴッド、イスラム教が呼ぶアッラー、全て日本語に訳せば同じ「神様」です。
この神様はモーゼさんの前にそのお姿を現したときに、「俺以外の神扱いされてるやつは全部ニセモノのまがいもののファック野郎だ!」とおっしゃいました。そこを起源にしてユダヤ教が始まりました。
ま、いろいろ経緯はありましたが、ユダヤ人一行は今のパレスチナ(イスラエル)の地にやってきて、神様は「よーしお前ら、ここをお前たちに与える」と畏れ多くもありがたくおっしゃいました。しかしそこは当然先住民がおりまして、「なんか、先に住んでる人がいますけどこれはどうすればいいですか?」と伺いましたところ、「お前たちに与えたから殺しちゃってオッケーよ」とおっしゃいました(本当)。かくして彼らはそこにユダヤ人国家を作りました。ユダヤ人がイスラエルを「約束の地」と呼ぶのはそういうことです。
そんなこんなの経緯は旧約聖書に書かれています。

さて、ユダヤ教徒はエルサレムに神様を祭る壮大な神殿を作りました。その頃がユダヤ教とユダヤ王国の絶頂だったといえるでしょう。その後神殿は破壊されてしまい、その一部が残るのみとなりました。その遺跡が「嘆きの壁」と呼ばれるところで、そこでは常に敬虔なユダヤ教徒が祈りをささげていますが、そのお祈りの内容は、「神様、あの栄光の日々がまた訪れますように」というものです。その「また訪れてほしい栄光の日々」とは3000年くらい前の話なんですけどね。

ユダヤ人の国は、あんなこんながイロイロとありまして分裂したりして、やがてローマ帝国の属州となりました。ローマ帝国ってところは実は非常に寛大な帝国で、帝国に従うなら信教の自由も認められていました。日本人レベルでいえば、「それならいいじゃん」というものですが、「この世で神様とお呼びしていいのはおひとりだけ」と信じる彼らにとって異教徒がウロウロしているのが非常に気に障って障ってしょうがないのです。イスラエルでは、ローマ帝国に対するテロ活動が盛んでした。
ユダヤ教徒の歴史では、そういう「ユダヤ人受難のとき」にはエリヤとか神様の言葉を預かる「預言者」が登場して人々を導きました。ユダヤ教徒たちは、そういう「救世主」が出てくることを待ち望んでいたのです。

そういったタイミングに登場したのが、ナザレ生まれのイエスでした。イエスはユダヤ教史上、というか宗教史上において革命的な言葉を発しました。「ベイベー、愛だぜ」と。彼は、あの神様のことを「父ちゃん(アバ)」と呼びました。後になんだかんだでイエスは神の子となりました。マリア様が処女のまま神の子を受胎したお話はご存知でしょ?
それがどれだけ革命的であったのはまた別の機会に譲るとして、「憎みあうより、愛し合おうぜ」と言い出したイエスは人々からローマ帝国を排除する指導者となることを熱望されましたが、「だから俺は憎みあうのは嫌なんだよ。愛し合おうぜ」といって人々を失望させ、エルサレムからすぐ外に出たところのゴルゴタの丘で十字架にかけられてしまいました。
その後、実は一度もイエスと会ったことがないパウロが「イエスは救世主(キリスト)だったー!」と言い出してキリスト教が誕生します。なお、旧約聖書では「救世主はベツレヘムに生まれるよ」と書いてあったので、イエスはベツレヘムで生まれたことになりました。
当然のことながら、キリスト教にとってエルサレムは「イエスが十字架にかけられた場所」ですので極めて重要な聖地であります。

そのイエスが十字架にかけられて50年くらい経ったとき、「もう我慢ならねえ、ローマ人は出ていけ!」とユダヤ人は反乱を起こしました。それ以上にブチ切れたのはローマ人です。「人が下手にでてりゃあ属州のくせにでけえ態度をしやがって。ローマ帝国の恐ろしさを骨の髄まで教えたるわ」と本気で怒り、反乱を鎮めただけではなく、何かとややこしい神殿を破壊し、「ややこしい神を信じてるお前らはこの辺りに住むんじゃねえ」とユダヤ人をパレスチナから追放しました。
これがディアスポラです。以来約2000年、ユダヤ人はイスラエルの地に再びユダヤ人の国を再興することを願いながら世界中でお金を稼ぐこととなります。

時代はずーっと下りまして、メッカの洞窟で、青年ムハンマド(マホメット)の前に大天使ガブリエルが現れて「君が預言者だよーん」と告げました。イスラム教の誕生です。ムハンマドの元にガブリエルを派遣したのはあの、例の、何かとややこしい「神様」でいらっしゃいます。そういや、マリア様の前に「あなたは神様の子を宿したよ。おめでとう」と告げに来たのもガブリエルでした。ガブリエルさんはどうもややこしいお仕事を何度もされているようです。
ムハンマドのあまりに偉大な足跡に関していちゃもんをつけると冗談抜きでアルカイダから死刑宣告されてしまいますので、それについては割愛します。
イスラム教にとって最も重要な聖地は、ムハンマドが神の啓示をうけたメッカです。しかしムハンマドは一神教教徒なわけですから、「死ぬまでに偉大な神殿があったエルサレムで死にたいなあ」と当然といえば当然で、ややっこしくなることを願います。
そして、そのエルサレムの地で天に旅立ってしまったのです。エルサレムはイスラム教にとっても「教祖様が入滅された場所」となってしまったのです。

かくして、エルサレムの地はユダヤ教徒、キリスト教徒、イスラム教徒が俺の場所だ、いいや俺の場所だと大変にややこしい場所となってしまいました。

まずですね、一神教ってのが興るんです。「世の中に神様と呼ばれるお方はおひとりだけ」という考え方です。
この一神教の神様は、ユダヤ教が呼ぶヤハウェ、キリスト教が呼ぶゴッド、イスラム教が呼ぶアッラー、全て日本語に訳せば同じ「神様」です。
この神様はモーゼさんの前にそのお姿を現したときに、「俺以外の神扱いされてるやつは全部ニセモノのまがいもののファック野郎だ!」とおっしゃいました。そこを起源にしてユダヤ教が始まりました。
ま、いろいろ経緯はありましたが、ユダヤ人一行は今のパレスチナ...続きを読む

Qキリスト教

中学生の問題なんですが、歴史はすごく苦手ですし
高校の教科書を見ても見つかりません。
回答お願いします。

フランシスコ・ザビエルが来日した背景にあったヨーロッパでの
宗教活動は?、と、南蛮人が日本にキリスト教を伝えた時代に、海外布教を
積極的に行ったカトリック教会の組織は?、です。

Aベストアンサー

Q1 フランシスコ・ザビエルが来日した背景にあったヨーロッパでの宗教活動は?

A1 宗教改革

Q2 南蛮人が日本にキリスト教を伝えた時代に、海外布教を積極的に行ったカトリック教会の組織は?

A2 イエズス会

Qオランダが鎖国中にも貿易ができた理由

鎖国中には清とオランダが出島に限って貿易を許されましたが(他に朝鮮通信使や琉球慶賀使などはありましたが…)オランダ船来航が禁止されなかったのはキリスト教布教に熱心ではなかったということを聞いたことがありますがこの理解で正しいでしょうか?

Aベストアンサー

キリスト教布教に熱心でなかった、なんてレベルじゃないです(^^;)。

キリスト教布教絶対絶対やりまっせん!!! 商売一筋!!!
だから我々オランダの船とだけ仲良くしてねっ♪♪♪

とゆー強烈アピールをしまくった結果です。
何しろ島原の乱の時、幕府に協力して、篭城中の日本人キリスト教徒たちに砲撃までしてますから。
(他の欧州キリスト教諸国からは「そこまでして金儲けしたいんか!?」と大顰蹙だったそうです)

当時のオランダにとって、対日本交易は結構な利益でした。
独占出来ればこんなにオイシイ話はないので、表から裏からアレコレと頑張っていたようです。
(以前NHKで見た歴史番組によれば、そもそも、ポルトガルとスペインは布教目的で来日するから追い出したほうがいい、と進言したのもオランダだった、という話です)

幕府としては、キリスト教に関係の無い国となら貿易しても構わなかったのですが、それぞれいろんな事情があって、「皆そろって長崎で交易」というわけではありませんでした。
逆に言えば、長崎を通して交易していなかったからと言って、日本と交流が全く無かったわけではない、ということです。
以下、知っている限りで並べておきます。

●朝鮮王国●琉球王国●アイヌ諸族●
>>>>>それぞれ対馬藩、薩摩藩、松前藩が専門に担当。
これらの藩は、江戸時代以前からの交易相手であり、財政も交易の上りで成り立っていました。
他藩に横入りされると死活問題なので、江戸幕府成立前後は硬軟様々な手段を講じ、「対XX交易のエキスパート」という地位を獲得しました。

これら3つについては、幕府直轄の長崎を通していなかった、というだけで、日本全体で見た場合は“交易があった”と言えます。
(通信使や慶賀使は国家同士の公式の使節のやりとり。
 商売はまた別に、各藩の港でやってます)

●明→清帝国●
正式の国交は無し。民間の貿易商のみ往来。

●東南アジア諸国●
実は江戸前期には数回来た記録が残っています。
しかし、遠い上に、対日交易を独占したいオランダが妨害工作することもあって、いつの間にか来なくなってしまいました。

東南アジア諸国の物産はオランダや清の民間商人が持ってきてくれるので、日本人は別に困ることもなく放っておいたと思われます。

キリスト教布教に熱心でなかった、なんてレベルじゃないです(^^;)。

キリスト教布教絶対絶対やりまっせん!!! 商売一筋!!!
だから我々オランダの船とだけ仲良くしてねっ♪♪♪

とゆー強烈アピールをしまくった結果です。
何しろ島原の乱の時、幕府に協力して、篭城中の日本人キリスト教徒たちに砲撃までしてますから。
(他の欧州キリスト教諸国からは「そこまでして金儲けしたいんか!?」と大顰蹙だったそうです)

当時のオランダにとって、対日本交易は結構な利益でした。
独占出来ればこん...続きを読む

Qヨーロッパでキリスト教がひろがった理由は?

キリスト教は、最初はユダヤ人の一部の人たちが信仰する宗教であり、異端であるとされて迫害されていたようです。
それがいつのまにかヨーロッパ中にひろがったのはどういう理由によるのでしょうか?
統治者が国教として採用したと想うのですが、どういうメリットがあったのでしょう。

またユダヤ人のイエスを神とあがめながら、ユダヤ人を迫害するといった矛盾があります。
ヨーロッパ人にとってユダヤ人とはどういった存在でしょうか?
無理やりイエスとユダヤ人とを切り離しているような気がしてなりません。

またユダヤ人にとってキリストは異端にすぎないのでしょうか?
それともある程度の尊敬をあつめる存在なのでしょうか。

また今後もキリスト教は信仰されつづけるでしょうか?

Aベストアンサー

キリスト教は、社会で疎外されている人々、例えば売春婦やらい病患者に手を差し伸べた宗教です。当時、犯罪や病のため地域社会から追われれば、野垂れ死ぬか、同様の境遇にある被差別民の社会で生きるしかありませんでした。キリスト教は、神の前での平等という観念から、そのような被差別民に(元の村へ)帰りなさい、と言ってくれたのです。
また、キリスト教は、当時のユダヤ教、特に神殿に依拠する特権階級であったサドカイ派を厳しく批判し、庶民の心を少しずつ捉えていきました。

しかし、キリスト教がユダヤ教の亜流であり続けたとしたら、これほど広く教線を延ばすことはできなかったでしょう。キリスト教は、ギリシャの殖民都市であるアレクサンドリアに伝わることによりギリシャ哲学の影響を受けて変質しました。特に、ユダヤ教式の厳しい戒律が緩められた(割礼の省略など)ことが布教に弾みをつけたと考えられます。

ローマ帝国がキリスト教を公認したように、君主が教線の拡大に一役買っているのは明らかですが、キリスト教自体の魅力として、不平等が当然の社会にあって神の前での平等という破天荒な理想を掲げ、被差別民さえ救済してくれる宗教、しかもとっつき難い戒律も少ない、ということで多くの信者を獲得することができたのでしょう。

キリスト教は、社会で疎外されている人々、例えば売春婦やらい病患者に手を差し伸べた宗教です。当時、犯罪や病のため地域社会から追われれば、野垂れ死ぬか、同様の境遇にある被差別民の社会で生きるしかありませんでした。キリスト教は、神の前での平等という観念から、そのような被差別民に(元の村へ)帰りなさい、と言ってくれたのです。
また、キリスト教は、当時のユダヤ教、特に神殿に依拠する特権階級であったサドカイ派を厳しく批判し、庶民の心を少しずつ捉えていきました。

しかし、キリスト教が...続きを読む

Qキリスト教・カトリック・プロテスタント 3つの違いは?

こんにちは。

先日、アメリカのmixiのようなサイトを見ていた時、わからない点がありました。

プロフィール欄で10個くらいある宗教の選択肢の中に、キリスト教・カトリック・プロテスタントという選択肢があったのです。

私はキリスト教が大まかにカトリックとプロテスタントの2つに分かれていると思っていたのですが、そのサイトの解釈だと、キリスト教はカトリックとプロテスタントとは別物のようでした。

3つの宗教の違いを教えていただけないでしょうか?
生活に関係するルールや習慣などを教えてもらえるとありがたいです。

私の知人の生活を見ると、、、

<カトリック>
・神父さんがいる教会(ほとんどのカトリック信者の知人が毎週日曜日にミサに通い、行かなかった日は良くない事をしたと思っている)
・お酒・たばこは禁止
・恋人はいても婚前交渉は禁止(避妊も禁止)
・夕食の前にお祈りをしている

<プロテスタント>
・牧師さんのいる教会(気が向いた時に行く)
・お酒・たばこOK
・婚前交渉OK(避妊もOK)
・夕食のお祈り(する人としない人がいる)

<キリスト教>
?キリスト教ってカトリックとプロテスタントのことじゃないの?
他の少数派のグループのこと?

といった印象です。よろしくお願いします。

こんにちは。

先日、アメリカのmixiのようなサイトを見ていた時、わからない点がありました。

プロフィール欄で10個くらいある宗教の選択肢の中に、キリスト教・カトリック・プロテスタントという選択肢があったのです。

私はキリスト教が大まかにカトリックとプロテスタントの2つに分かれていると思っていたのですが、そのサイトの解釈だと、キリスト教はカトリックとプロテスタントとは別物のようでした。

3つの宗教の違いを教えていただけないでしょうか?
生活に関係するルールや習慣などを教...続きを読む

Aベストアンサー

 こんにちは。カトリック信者ですので良かったら参考にして下さい。
 キリスト教という宗派の中で様々の教派があると思ってください。例えば仏教というくくりの中に、真言宗とか浄土真宗とか日蓮宗とかがありますよね?あれと同じです。キリスト教の中には大きな教派があり、カトリック、プロテスタント諸派、正教会の3つです。諸派と書いているのはプロテスタントは様々な教派が沢山あるのでプロテスタントという教派ではないためです。多分プロテスタントの方でもルター派とかカルヴァン派とか長老派とかバブテスト、メソジスト、聖公会など沢山あります。その中には狭義的な所で1教会しかないものもありますし、大きなもの、ゆるやかにカトリックと一致しているものなど様々です。
 カトリックはヴァチカンを中心とした1教派です。そこから正教会が最初に分かれ(ロシア正教とかギリシャ正教などです)、さらにカトリックの腐敗のためにルターがプロテスタントを立ち上げます。プロテスタントとは抗議するものという意味もあるそうです。大きな派としてはこの3つが主流になると思います。

 質問者様の印象では、カトリックは非常に厳しいように見受けられますが、多分知人の影響じゃないでしょうか?カトリックは代々信仰している人が多く、あまり熱心にというか声高に自分がカトリックだと主張しない人が多い傾向にあります。傾向にあるというだけで、中には非常に熱心で視野の狭い人もいますが、大体がおおらかというかあまり他宗教を排斥しない傾向にあります。神父(司祭)がいるというのはまあ当てはまりますが、ミサは毎週参加する人もいますし、しない人もいます。しないからといって咎められませんし、クリスマス&復活祭だけに来る人もいます。来るもの拒まず去る者追わずの印象です。お酒タバコや全然咎められませんよ。司祭の方でヘビースモーカーの方いらっしゃいますし、お酒大好きな人もいます。ビアガーデンにいったりとか、普段でも飲酒をたしなむ人はいます。ただ今は四旬節ですので節制した生活を送りますのであまり酩酊するほど飲まないと思いますが。婚前交渉はまあその考え方ですが、あまりガチガチの人っていないんじゃないでしょうか。夕食のお祈りは私はしません。むしろカトリック信者はロザリオの祈りを熱心にすると思いますよ。つねにポケットにいれて祈っている人は割と多いです。
 プロテスタントの方は数人しか知りませんし、先程述べましたように教派が多岐に渡っていますのでこれという印象をつけるのは難しいですが、牧師さんがいらっしゃって、妻帯可能ですので牧師さんのご家族がいらっしゃる人は大勢います。聖書をよく読んでいるという感じで、ちょっとした手紙にも聖句が書かれてあったりします。数人で集まって聖書を読む会などもよく行われていて熱心に勉強しています。お酒タバコは同じくOKですし、夕食の祈りはむしろプロテスタントの方がよくやってるんじゃないでしょうか?友人などで夕食前に祈っている人知ってますので。教会も熱心によく行ってます。カトリックはミサといいますが、プロテスタントは礼拝といいます。礼拝に参加した事は1度ぐらいしかないのですが、カトリックは儀式的なのに対して(ある程度形が決まっています)、プロテスタントは説教を非常に重んじていて自由な雰囲気があります。ゴスペルなんかもプロテスタントですよね。
 正教会はわかりません。私の住んでいる地域にはありませんので。ニコライ堂などがそうです。

 ご参考までにm(__)m。

 こんにちは。カトリック信者ですので良かったら参考にして下さい。
 キリスト教という宗派の中で様々の教派があると思ってください。例えば仏教というくくりの中に、真言宗とか浄土真宗とか日蓮宗とかがありますよね?あれと同じです。キリスト教の中には大きな教派があり、カトリック、プロテスタント諸派、正教会の3つです。諸派と書いているのはプロテスタントは様々な教派が沢山あるのでプロテスタントという教派ではないためです。多分プロテスタントの方でもルター派とかカルヴァン派とか長老派とかバ...続きを読む

Qオランダは何故、鎖国中でも貿易できたのか?

中学の時の社会科教師が、クラスのやる気の無さにキレて教えてくれなかったのですが。

江戸時代に西洋の国なのにオランダが貿易を許されていたのは何故なんでしょうか?

オランダはキリスト教の布教活動はしなかったんでしょうか?

10年ぐらい気になってます。

Aベストアンサー

本当に大まかな話なので、ひょっとすると間違いがあるかもしれませんが・・・

安土桃山時代から江戸時代にかけて日本で布教されたのはカトリック系のキリスト教でした。広めたのはイエズス会の宣教師で、フランシスコ・ザビエルが有名ですね。

また、彼らが広めたカトリックは、偶像崇拝(キリスト磔刑の十字架や聖母図を信仰の対象とし、拝むこと)をするキリスト教なので、日本人の信徒はマリア像や十字架をあがめました。
それで、幕府がキリスト教を禁じた際、信徒かどうかを確かめるために、踏み絵をさせた訳です。(カトリックの信徒にとっては十字架や聖母図は踏めませんからね)

ところが、そのころ日本に進出していたオランダ商人はプロテスタント系キリスト教(偶像崇拝を否定するキリスト教)信徒が多かった(ここ以降は多少あやふやな記憶ですので、あまり自信ありません)ために、「我々はキリスト教ではない。証拠に十字架なんぞはいくらでも踏んでみせる・・・」というようなやり取りがあって、「オランダはは邪蘇教(ヤソ教=江戸時代におけるキリスト教の呼び名です)ではない」というのが幕府の公的見解になって、出島でのみ貿易を許可された・・・という話だったと思います。

ただ、実際は、幕府もオランダが「ちょっと変わった」キリスト教であるということは知っていたようですが、鎖国しているとはいえ、世界の状況も知っておいた方が良いということで、目をつぶっていた・・・という話もあります。

長くなってしまいましたが参考になれば・・・

本当に大まかな話なので、ひょっとすると間違いがあるかもしれませんが・・・

安土桃山時代から江戸時代にかけて日本で布教されたのはカトリック系のキリスト教でした。広めたのはイエズス会の宣教師で、フランシスコ・ザビエルが有名ですね。

また、彼らが広めたカトリックは、偶像崇拝(キリスト磔刑の十字架や聖母図を信仰の対象とし、拝むこと)をするキリスト教なので、日本人の信徒はマリア像や十字架をあがめました。
それで、幕府がキリスト教を禁じた際、信徒かどうかを確かめるために、踏み絵を...続きを読む

Qキリスト教と植民地支配

過去の歴史をみるとアジアやアフリカにヨーロッパのキリスト教の宣教師が最初やってきてその後に植民地支配がはじまるとありますがわからないのはどうしてキリスト教の布教をしてから植民地支配がはじまるのでしょうか?別にキリスト教を布教をしなくてもいきなり侵略できるのにしなかったのでしょうか?

Aベストアンサー

質問者の方は、「ヨーロッパ諸国は、キリスト教の布教の後に軍隊を送り、植民地にした」と言われていますが、宣教師などを送り込んだのは、カトリック諸国(スペイン、ポルトガル)であって、ブロテスタント諸国は行っておりません。

これは、当時のカトリックとプロテスタントとの宗教のおかれた状況の違いです。

当時のユーロッパでは、宗教改革の真っ只中で、カトリックは、ヨーロッパにおいて、その勢力を大幅に失いました。
それに対し、カトリック側は、イエズス会を中心として、反宗教改革を行います。
その一巻が、海外への布教活動でした。

ポルトガルの場合、まず交易船が現地に行き、現地の確認をすると、イエズス会の宣教師が向かいます。
その場所が、ポルトガルにとって有益な地と判断された場合、そこに拠点を造ります。
この場合、武力によるか、平和的に行うかは、相手しだいです。
ポルトガルの場合は、人口も100万人程度と少ないため、むやみに植民地を拡大せず、あくまで拠点支配にとどまります。
イントではゴア、中国ではマカオ、アフリカのモザンビークなど。

スペインの場合、コンキスタドールなどが、自分たちで勝手に金銀を奪い取るため軍隊を送り、その地を征服してしまいます。
スペイン王室は、その内の一定割合を王室に収める事を条件に、侵略を容認します。
そのため、スペインの植民地は、鉱産資源の豊かな場所がほとんどで、鉱産資源の無い場所や、交易に利点となる場所で無い限り、積極的に殖民を行っていません。
フィリピンの場合、フィリピンは、当時スペインの植民地だったメキシコの植民地で、中国とメキシコの航路確保のために占領しました。
スペイン軍にしても、軍勢は、コンキスタドールの私兵ですから、数百人が限度で、相手がチョットした勢力であれば、占領は不可能でした。

スペインが滅ぼした大きな勢力として、アスティカとインカがありますが、アスティカの場合、スペイン軍というよりも、反アスティカ部族(トルティカ族など)をスペイン軍が結集させ、アスティカを包囲し攻略しています。

インカにしても、当時インカ帝国では、アタワルパとルスカルが、皇位をめぐって戦争中で、ピサロとアタワルパが結び、ルスカルを倒して、インカ帝国に取り入ります。
その後アタワルパを捉え、インカを乗っ取ります。
インカでは、皇帝に権力が集中していたため、皇帝の名代として命令するピサロに反抗できず、のっとられてしまいます。

スペインにしろポルトガルにしろ、まともな国家を占領するだけの力は、当時ありませんでした。
それらを行うのは、イギリス・フランス、オランダといった諸国で、これら諸国は、キリスト教の布教には熱心ではなかったため、質問者のご質問のような事き有りませんでした。
(フランスの場合、カトリックが優位にたっているため、イエズス会などの布教が有りますが、これは占領されてからの話しです。

質問者の方は、「ヨーロッパ諸国は、キリスト教の布教の後に軍隊を送り、植民地にした」と言われていますが、宣教師などを送り込んだのは、カトリック諸国(スペイン、ポルトガル)であって、ブロテスタント諸国は行っておりません。

これは、当時のカトリックとプロテスタントとの宗教のおかれた状況の違いです。

当時のユーロッパでは、宗教改革の真っ只中で、カトリックは、ヨーロッパにおいて、その勢力を大幅に失いました。
それに対し、カトリック側は、イエズス会を中心として、反宗教改革を行いま...続きを読む

Q穴吊り

穴吊りって如何いう拷問なんですか?

Aベストアンサー

徳川幕府がキリスト教を禁止したとき、信者にキリスト教を捨て仏教徒に戻るようにするため行った過酷な拷問のひとつです。地面に穴を掘り糞尿を入れ、信者を天井から逆さまに吊るして体半分を穴に入れ、引き上げては転向するか(転ぶか)どうか質問しました。南無阿弥陀仏を唱えれば許されたといいます。人間をそのまま吊るしたのでは血液が逆流して頭部に集まり、早く失神したり、死にいたるので、頭部に穴を開けて血を抜いたといわれます。又内蔵を痛めないように体はわら縄でぐるぐる巻きにしたそうです。この拷問で転んだのは日本人信者だけでなく、スペイン人神父も転び歴史に名を残しています。穴つりの刑は長時間肉体的、精神的苦痛を与えることにより人間の理性を奪い混乱に陥れて転ばせるのが目的だったといわれます。遠藤周作はこの転び神父を題材に「沈黙」という名作を書いています。

参考文献
切支丹時代    遠藤周作  小学館
南蛮のバテレン  松田毅一  日本放送出版協会
ペトロ岐部    松永吾一  中央公論社

Qなぜ日本ではキリスト教の普及率が悪いのか?

 ありきたりですが、気になるのでよろしくお願いします。もともと仏教だから、といった紋切り型の理由ではやはり説明できそうに思えません。まず、韓国の爆発的な普及、台湾や中国など。日本人はキリスト教の福音活動の話を聞こうともせず、はなから拒絶するのに対し、彼らは一応耳を傾ける傾向があります。これはオウム真理教などの影響もありそうですが・・・しかし、占いなどや細木和子は信奉できるというのも、不思議に思います。
 できる限り、感情的返答は避けていただきたいと思います。できれば、学問的に宗教社会学・哲学などの手法で、お答えをいただきたく存じます。

Aベストアンサー

 むしろ、何故、韓国や台湾でキリスト教が人気があるかを考えるべきです。

 各国に昔からある宗教というのは、支配者によって人々を支配するために利用され、そのように歪められた歴史を持っています。韓国や台湾では、歴史的に中国本土の支配者の圧政を受け、社会構造的に、国民は、伝統的な仏教は自分たちに何もしてくれなかった、自分たちを支配してきた、という思いが強いのではないでしょうか。従って、自分たちを、より自由にし平等に扱ってくれそうな、外来のキリスト教を理想化して期待しているのだと思います。

 しかし、西洋では、キリスト教は、実際には、当初(ローマ帝国時代)から支配者によって人々を支配するために創作され、歪められ、利用され、戦争の原因でもありました(現在も)。「三位一体」、聖母マリアの処女懐胎、最後の審判、も創作されたものですよね。

 日本は、国際法に反してキリスト教国のアメリカから原爆を落とされ、アメリカはそれをいまだに正当化しています。欧米のキリスト教では、非キリスト教徒の日本人を対等な人間と見ていないでしょう。・・・日本人にはキリスト教に対する不信感があります。そのような尊敬すべからざるキリスト教徒に自らなろうとは思わないのではないでしょうか。日本人は、キリスト教国の経済的な豊かさにあこがれているだけです。

 キリスト教は昔から福音活動に熱心ですから、日本人はその内容を皆おおかた知っていると思います。しかし、上述のように、キリスト教も、支配者によって人々を支配するために利用され、そのように歪められいますから、イエスキリストの教えが、どの程度、聖書にもとのまま残っているかは、分かりません。日本人はそのことを知っているのです。欧米のキリスト教の多くの研究者でさえ、聖書の大部分が事実でないと考えます。

 キリスト教の神を信じれば悪人でも天国に行くことができ、信じないものは善人でも地獄に落ちる・・・そのような、日本人の長い歴史にわたって体験してきた因果応報の法則に反し非常識で不道徳な教えは、日本人には通じないのだと思います。

 また、日本人は、元々、自然を崇拝し、多神教でしたから、人間のように嫉妬する尊敬できない絶対的唯一神に強い違和感を持つのだと思います。

 今や、ニューエイジの時代です。質問者様、キリスト教にこだわることなく、「プレアデス+ かく語りき」バ-バラ・マーシハニック(太陽出版)、「テオドールから地球へ」ジーナ・レイク(たま出版)、「シルバーバーチの霊訓」アンドゥーリー(潮文社)、「神との対話」ニール・ドナルドウォルシュ(サンマーク出版)をお読み下さい。日本において、なぜキリスト教が浸透しないのかを、より深くご理解いただけると思います。

 むしろ、何故、韓国や台湾でキリスト教が人気があるかを考えるべきです。

 各国に昔からある宗教というのは、支配者によって人々を支配するために利用され、そのように歪められた歴史を持っています。韓国や台湾では、歴史的に中国本土の支配者の圧政を受け、社会構造的に、国民は、伝統的な仏教は自分たちに何もしてくれなかった、自分たちを支配してきた、という思いが強いのではないでしょうか。従って、自分たちを、より自由にし平等に扱ってくれそうな、外来のキリスト教を理想化して期待しているのだ...続きを読む


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